『汝自身を知れ』の重み

最近、有名人の訃報を聞く度に、「自分はあと何年生きられるのだろう」と思う。

とりわけ、自分より四、五歳しか違わない人が病気で亡くなったと聞くと、えっ、もうそんな年齢なのかと、思い知らされる。

心が若ければ、いつまでも青春!

なんて大嘘ですよ。

肉体は確実に年を取るし、細胞レベルではどこもかしこも黄色信号点滅。

もう一時間、仕事したくても、腰が痛くなったり、目がしょぼしょぼしたり、24時間、馬力とハイテンションで頑張れるのって、本当に人生の十数年ぐらい、その後はひたすら体力も持久力も衰えるばかりです。
 
健康こそ資本。

高収入の仕事に就こうが、伴侶に恵まれようが、何かで名を成そうが、健康を損なったら、それだけで歓びは半減し、しなくていい苦労と出費が倍増する。

親も子も、最初の20年は丈夫な身体作りにもっと注力して、馬力のある人間に育てた方が、結局は、何事も長続きします。

ある年齢までは学力や容姿が追い風になるけども、ある年齢を過ぎれば、「身体が丈夫か、否か」が大きく生活の質を左右しますから。

とはいえ、世の中にはいろんな「生き方論」があって、若いうちからスローライフを心がけた方がいいのか、寝食忘れてガンガンに打ち込む方がいいのか、微妙なところです。

でも、何事も、所詮、結果論ですよ。

スローライフで上手くいった人は「ゆっくりやればいいのさ」って言うし。

徹夜で勉強! 徹夜で仕事! で結果を出した人は、「やれる時は死に物狂いでやれ」と勧めるし。

またその逆も然りで、のんびりし過ぎたが為に好機を逸した人、死に物狂いが災いして心身にダメージを受ける人もあり、どれが正しいかなど一概に言えません。

ただ一つ言えるのは、自分に合わない生き方をしたら悲劇だ、と。

スローでもバリバリでも、思うにならない人生でも、どこかで納得して、受け入れることができれば、最終的には辻褄が合いますが。

ずっと否定や違和感の中で生きていくとなると、これはきつい。

自分を騙し、周りも騙して、「これが私の人生だったのか……」と、がっくり虚しい気持ちで死んでいくのも淋しいように感じます。

でも、自分に合う生き方をしようと思ったら、まず自分自身を知らなければならない。

自分のスリーサイズも体型も知らないのに「似合う服」を求めても、ちぐはぐなものを着てしまったり、イメージじゃないと納得できなかったり、それと似たようなことが先々で起こります。

そして、多くの人は「自分を知る」ということが苦手。

見たくないんですね。自分の欠点とか、弱さとか。

それで無理にSサイズを着ようとしたり、流行に頼ったり、「私はイケてる」と自分に言い聞かせたり。

傍の者が「あなたにブルーは似合わないよ」とアドバイスしたら、怒ったり。

自分に似合わない服に固執することもあります。

物事の始まりは何か……と問われたら、やはり『汝自身を知れ』。

私も最初、何のことかよく分かりませんでしたけど、ある時、自分の欠点を直視する勇気を持てた時、この言葉を実感しました。

そして、楽になった。

あれは不思議な気分でした。

自分を正しく知れば、自分が耐えられること、納得できないこと、続けられること、きっと嫌になるであろうこと、いろいろ分かってきます。

他の人が「これがイイよ! 絶対正しいよ!」と勧める事でも、「自分には合わない。きっと途中で重荷になる」と分かってきます。

だから流されないし、周りがどんどん先に進んでも自分のペースを保つことができる。

皆が好んで歩く山道が、必ずしも自分の行きたい場所に続いているとは限らない、と、分かってくるからです。

たとえば皆さんがTVに出演するチャンスを与えられたら、出たい! 目立ちたい! と多くの人が望むのではないでしょうか。

確かに、TVに顔を出せば、一夜でスターになるかもしれません。

でも、個人の能力や性格によっては、そうしない方がもっと良い仕事ができることもある。

それを分かっているか、分かっていないかの差で、人生は違ってくるのです。

歌手や舞台俳優で、どれほど出演をお願いされても、出演しない方を貫いて、それで大成される方がおられるように。

周りでいろいろ見聞きして、道に迷ったら、まずは『汝自身を知れ』。

自分の性格や能力と相談することです。

自分の器を正しく知ることが、万事とんとん拍子に行かなくても、何かしら納得のゆく、充実した人生を送る秘訣かと思います。