映画『エクリプス』に見るアメリカ的性教育

先週末、日本でも大ブレイクの映画『エクリプス / トワイライトサーガ』を観てきました。(日本公開は11月です)

私自身はティーンのロマンスにときめくほど若くもないので、お付き合いの鑑賞。

でも、「性教育」という観点で、非常に興味深かったです。

映画は、主人公の恋人たちが美しい花畑で語り合うシーンから始まります。

前の2部作を観ていないので、ヒロインのベラをめぐる人間関係やヴァンパイア同士の対立がいまいち理解できず、話に入ってゆくのに時間はかかりましたが、狼族のジェイコブとエドワード君の間で、竹内まりやの『けんかをやめて』状態になってから、ああなるほど、と納得し、一気にエンディングへ。

結局、二股というか、「なんか煮え切らん女やなー」というのが私の正直な感想でしたが(ファンの皆さん、ごめんなさい。このヒロインにはいまいち共感できませんでした)、若い恋人たちが欲望のままに突っ走ることなく、理性でもって葛藤を乗り越えてゆく姿には好感がもてました。

原作がティーンに人気のベストセラーということもあり、流血の少ない、抑えたアクションシーンもよかったですね。

本作の見所は、普通の人間の少女であるベラが、エドワードと幸せになるために同じヴァンパイアになる道を選ぶのか、あるいは、別れを決意するのか、この一点に尽きると思うのですが、途中、二人の想いが高じて、肉体的に結ばれようとする場面があります。

しかし、エドワードは、はやる女の子の気持ちを振り切り、行為を中断します。

ベラがエドワードと肉体的に深く接触することは、ヴァンパイアの汚れた血を取り込み、意図せず変身してしまう恐れがあるからです。

愛してはいるけれど、迷いの段階でベラをヴァンパイアにしてしまうこと、また、彼女が望んだとしても、ヴァンパイアになることが本当のベラの幸福と言い切れるのか、という点で、強い不安と恐れを抱くエドワード。

愛しているという気持ちだけでセックスするのは簡単だけど、その後、『二人に起こるであろう出来事』を思うと、気持ちだけで突っ走ることはできない、という彼の気持ちは、確かな愛情と誠実さを感じさせました。

そしてまた、この作品を観るアメリカのティーンエイジャーにとっても、エドワードの心遣いは、大人の説教よりも分かりやすい、深く、優しいメッセージになったのではないかと思います。

育児の掲示板など見ていても、中高生の我が子の性体験におののく親の声が寄せられていますし、これだけ性に関する情報が氾濫している中、「なぜいけないのか」という理由を諭すのは容易ではないでしょう。

日本に根強く存在する「好きなもの同士がセックスするのは当たり前。誰にメーワクかけるわけじゃなし、何が悪いの?」という開き直りにも似た考え方。

それに拍車をかけているのが、精神的な淋しさを肉体的な接触でまぎらわす中毒的な一面と、性的コンプレックスを裏返すようなオーガスム信仰。

いわば「たくさんセックスして、オーガスム体験の豊かな子が一番エライ」的な考えが若い層にも浸透しているんじゃないかと思います。

もっと突っ込んだ言い方をすれば、「セックスがよければ、男が逃げない」、そう思い込んで、依存と孤独の恐怖から、自分の肉体をエサに愛情を繋ぎ止めようとしている女の子も多いんじゃないでしょうか。

そういう風潮にあっては、「愛しているからこそ、君を抱くわけにはゆかない」という男の誠実は理解できないであろうし、男性側でも、セックスして女性を悦ばすことが男らしさであるような考えがあるかもしれない。

この快感至上主義的な考えがある限り、エドワードやベラのように「理性でもって、二人の置かれた状況や相手の立場を冷静に考え、先を予測する」という心の努力は面倒以外の何ものでもなく、『快感=愛』という構図の中で、女は不感症に不安を覚え、男は不能感に苦しむ、それがハウツー本の氾濫する所以ではないか、とも思ったりします。

そもそも、回数を重ね、テクニックを身につければ「気持ちいいセックスができる」、そう思い込んでいるところから業界の思うツボではないですか。

その論法でゆけば、風俗で働いている女性がこの世で一番セックス上手なはずですし、女性としても幸せなはず、でも、そんな話は聞いたこともないし、快感をきわめたいからという理由でこうした職業を選ぶ女性もないですよね。

ということは、愛とセックスの至上の価値観は、世間でいうところとはもっと別の次元にあるわけで、そんな簡単に伝授したり、体験できるぐらいなら、誰もそんなことで悩んだりしないのです。

『愛』の本当の幸せ。

それは、相手を所有したり、セックスを極めたりすることではないし、「好きだからいいじゃない」で済むこともあれば、済まされない事もある。

それは相手の立場や幸福というものを真剣に考えれば、自ずと答えが見えてくることです。

そして、ベルとエドワードは、彼らなりに一つの葛藤を乗り越え、新しい愛の形を見出そうとしました。

ティーンのセックスにどう対処するか──という話になると、性病や妊娠の問題が特に強調され、もちろん、それが主軸ではあるのだけども、基本的に彼らが学ばなければならないのは『愛』の何たるか、ですよね。

性病や妊娠について知識があっても、男の関心を繋ぎ止めるために「セックスのいい女になろう」とするなら、それもやはり誤った情報の犠牲なのですよ。

そして、それを考えるのがティーンの恋の醍醐味であり、誰よりも早く、たくさん経験したからといって、必ずしもセックスで幸せになるわけではないことを彼らが理解できれば、十分に価値があるのではないでしょうか。

将来的にベラとエドワードが肉体的に結ばれるのか、その時、二人の間に何が起こるのか、それは誰にも、彼ら自身にも分かりません。

でも、高校卒業を前にした今、それについて彼らなりに必死に考える──そのこと自体に意味があるのだと思います。

そして、お互いに、自分の身に起きたことを自分自身で受け入れ、納得行く答えが見つかるまでは行為に及ばない。

これも一つの勇気ある決断ですよね。

ティーンに大きな影響力をもつこの作品、大人が考える以上に、学生同士の恋やセックスについて語りかけるものが深いのではないでしょうか。

もしかしたら、この映画を観て、ちょっぴり冷静になった女の子や男の子も少なくないかもしれませんね。

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