昨年末、最も心を打ったニュースは、俳優・緒形拳さんの訃報だった。
拳さんは、「高倉健」「松平健」と並んで、日本男性の魅力をぎゅっと凝縮したような「三大ケンさん」の一人で、若き日に演じたNHK大河ドラマ『国盗り物語』の本能寺の変、織田信長自決のシーンは、子供心にも鬼気迫るものであったことが思い出される。
そんな拳さんの名演が光る作品の一つに、松本清張の『鬼畜』がある。
小さな印刷屋を営む宗吉の前に、突如、妾の菊代が3人の子供を連れてやって来る。
事業が落ち込み、十分な生活費を手渡せなくなった宗吉に対して、「責任をとれ」とわめく菊代。
7年間、騙され続けたことを知った妻のお梅は激しく憤り、菊代も3人の子供も冷然と突き放す。
宗吉の優柔不断な態度と、お梅の冷淡さについに線が切れた菊代は、「この鬼! 畜生!」と言い放ち、3人の子供を置いて行方をくらましてしまう。

夫の不倫に怒りが収まらぬお梅は、日に日に不満をつのらせ、子供たちに対する虐待が繰り返されたが、父親である宗吉は妻への負い目から止めることすら出来ない。
そうこうするうち、1歳の庄二が不自然な事故で窒息死し、それに味をしめた夫婦は、今度は、4歳になる娘・良子を町中に捨てることを計画する。
住所も名前もろくに言えないのをいいことに、東京タワーの展望台に幼い良子を置き去りにした宗吉は、次に、お梅にそそのかされ、長男・利一を青酸カリで毒殺を試みる。
だが、これに失敗すると、お梅は「沈めば何日も死体が上がらない」断崖絶壁から利一を突き落とすことを提案し、宗吉は気持ちの定まらぬまま、息子を連れてあちこちをさ迷う。
そして、ついに、能登金剛の絶壁に辿り着いた宗吉は、とうとう利一を海に投げ捨ててしまう……。
この概要を読んだだけでも、気持ちのやさしい人なら、怒りを覚えるだろう。
だが、この作品は、子捨て・子殺しを実践した夫婦二人を糾弾するのが目的ではなく、彼ら──とりわけ、真面目な小市民で、よき父親でもあった宗吉が、なぜ『鬼畜』へと変貌を遂げたのか、その弱さ哀しさを真正面から描いている。
もしかしたら、その鬼畜の部分は、あなたの中にもあるかもしれない。
そういうことを、静かに教えてくれる作品である。
この作品で特筆すべきは、緒形拳(宗吉)、岩下志麻(お梅)、小川真由美(菊代)の名演と、容赦ない演出にある。
とりわけ、凄まじいまでの女二人のぶつかり合いは、「妻と妾」を超えて、「子のある女と、ない女」の罵り合いにも見え、菊代が最後に言い放つ「あんた、自分が産めなかった子供を、私が3人も産んだもんで、悔しいんだろ」という捨て台詞は、
子供のない女性にとってまさに臓腑をえぐる刃に他ならない。
女として徹底的に侮辱されたお梅が鬼女と化し、菊代が置いていった子供たちに容赦なく憎しみをぶつける様は、男から見たら残酷かもしれないが、同じ女性の立場に立てば、理解できる部分がある。
本来なら憎むべきは亭主なのに、その亭主を引きずった女と、その女の子供に八つ当たりするのは、まさに屈折した女の情念であり、だからこそ、それに抗えない宗吉の弱さにも納得が行くのである。
妻が子供を虐待しても、何も言えない宗吉。

また、制作側も、よくぞこの演出を許した。
(現在、発売されているDVDケースには『一部不適切と思われる表現がありますが、著作物のオリジナル性を尊重し、製作当時のまま収録しております』という断り書きがある)
上の画像にもあるように、今時、こんな演出をしようものなら、どこかの団体の猛烈な抗議を受けて、上映禁止か、下手すれば製作そのものがストップするだろう。
また、演技とはいえ、容赦ない岩下志麻の役者根性も凄まじいとしか言いようがない。
たとえ一瞬にせよ、普通の女の心、母の本能を忘れて、1歳の子供の口に白ご飯を詰め込む場面は、彼女の女優としての力量を物語っているように思う。
こうして、真面目な小市民、平凡な一人の父親であった宗吉は、お梅の「あんたに似てないよ。他の男の子供じゃないの」という一言で、あっけなく父親らしい気概を失ってしまう。
母親なら、誰に何を言われても、「これは自分が腹を痛めて産んだ子だ」という絶対的な確信があるけれど、全身全霊で妊娠・出産を体験していない父親は、どうしても繋がりの部分で脆いものがある。
「あんたの子じゃない」と強く言われれば、「そうかもしれない」などと考えてしまう。
実の父親のはずなのに、「自分の子供ではない」と思えば、殺すことも厭わなくなる。
このあたりが、男親の弱さ、哀しさを非常に巧みに描いており、ゆえに、宗吉という人間がどこか憐れむべき存在に思えるのではないだろうか。
子殺しの鬼畜と化してゆく宗吉

それにしても、菊代というのもひどい母親である。
いとも簡単に子供を捨てて出て行ってしまう気持ちが、普通には理解できない。
私は、『鬼畜』という作品はフィクションで、清張さんは男だから、母親の子に対する想いがいまひとつ分からず、こういう状況を頭で書いたのかな、と思っていたけれど、gooの映画情報によれば、実際にあった事件をベースにしているそうで、そうなると、いっそう救いがたい気持ちに落ち込んでしまう。
本当の『鬼畜』は誰? と問われたら、一時の感情であっさり3人の子供を捨てた菊代ではないか……と、思わずにいないからである。
もちろん、妻に押し切られたにせよ、子供に手をかけた宗吉は悪い。
夫に子殺しをけしかけたお梅も、同様に。
だが、それにもまして罪深く感じるのは、やはり生みの母・菊代の態度なのである。
母親にもいろんな事情がある。
精神的・肉体的疲れ、周囲の無理解、仕事との板挟み、夫との不仲、経済状況、etc。
いつもいつも完璧に「母親」でいられるわけではないし、毎日毎日、子供にこんなことをされれば、

こうなってしまうストレスも理解できる。

が、様々なプレッシャーに打ち崩されてなお、「母であろう」とする心一つで立ち上がるし、「つらい」からといって簡単に捨てられるものでもない。
子供捨てるのと、ストレスまみれの生活と、どちらが取りなさい、と言われれば、おそらく99%の母親がストレスまみれの生活を選ぶだろう。
母親というのは、そういう風に出来ている。
だからこそ、母も子も、生きて行けるのである。
だが、もし、母親が、母であることを放棄すれば、どんな形にせよ、それは子供の死に繋がる。
肉体的な死はもちろん、心もまた死ぬと言える。
直接的に殺したのは宗吉でも、子供を死に追いやったのは菊代であり、一番罪深いと言えば、やはり3人の子供を見捨てて行方をくらました母親だと思わずにいないのである。
清張さんの原作は、小さな石版の欠片から犯人の足がつく場面で終わっており、映画は、宗吉が逮捕された後のエピソードをクライマックスに描いている。
映画のラストで語られる、「今は子供の養護施設も、どこもいっぱいでね。子を育てる能力が無い、というか、子育てを放棄する親が増えているんだよ」という台詞が登場したのは、この映画が製作された1978年のこと。
その頃から、親の弱さはちっとも変わっていないだと思うと、なんともいたたまれない。
にもかかわらず、母親であろうとする者、本能で立ち上がろうとする人たちを、たとえ今が過ちだらけであっても、私は心の底から応援したいと思うし、清張さんも、そういう気持ちがあればこそ、宗吉という人間を創作したのではないかと思う。
これがただ糾弾するだけの話なら、それこそ、宗吉というのは人間的な心をいっさい持ち合わせない、悪魔のごとき父親として描かれただろうから。
時には、自分の中の鬼畜に負けそうになるかもしれない。
でも、決して子供を捨てたりはしない。
一人でも多くの親が、今日、この時を、歯を食いしばって耐えた時、拳さんも、清張さんも、「この作品を創った甲斐があった」と満ちるような想いで迎えて下さるのではないだろうか。
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緒形拳、岩下志麻、小川真由美の、まさに鬼のごとき名演が光る傑作。
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犯罪の中に人間がいる、というよりは、人間の中に犯罪がある、という感じの筆致は、推理小説という枠を超えた、リアルな人間物語と言っていい。
原作『鬼畜』の、人間の内側に切り込むような描写は白眉のもの。
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