書籍と絵画

森村誠一 人間の証明 / 野性の証明

2010年4月29日

多種多様な職歴を経て、推理作家の第一人者となった、森村誠一。
「推理」そのものを楽しませるエンターテイメント作家とは一線を画し、人間の本性やドラマが描ける、実力派の作家である。
「人間の証明」と「野生の証明」はいずれも角川映画で有名になったが、映画にならなくとも、氏の名作としていつまでも語り継がれる名作だと思う。
森村氏の著作はたくさんあるが、まずは入門編としてこの二つをお薦めしたい。

なぜ「人間の証明」は森村誠一氏の代表作となり得たのか

「人間の証明」には熱がある。

それは個人の欲や野心、「こうすればギャラリーが喜ぶだろう」といった手練手管からはかけ離れた、「一人の人間」としての熱である。

この作品の後書きで、

今から20数年前、大学の3年の終わり頃、私は一人で霧積温泉から浅間高原の方へ歩いたことがある。

なにげなく弁当を開いた私は、その包み紙に刷られていた「麦わら帽子」の詩を見つけた。

「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?」

という問いかけで始まるこの詩に私は激しく感動した。

<中略>

まだ海のものとも山のものともわからぬ私の可能性に角川氏は賭けてくれたのである。

私は氏の熱意に感激し、なんとかその期待に応えられるような作品を書きたいと思った。

その時ふと心の深奥にゆらりとゆれたのが20数年前の麦わら帽子の詩であった。

<中略>

『人間の証明』が一冊の本となって私の手許に届けられた時、その厚表紙で装丁された重みのある手応えを私の心の重さだと思った。
作者がそのようなことを言うのは、おこがましいが、やはりこの作品は20数年の沈着がなければ書けなかったと思う」

誰にでも「運命の一作」があるとすれば、森村氏にとってそれは『人間の証明』に他ならないだろう。

大学生の頃から心の奥に温めてきた一編の詩が、20数年後に、見えない手に導かれるように表に浮かび上がり、森村氏の名前はもちろんのこと、詩人・西条八十の存在も一躍世間に知れ渡ったことを思うと、一個人の創造力を超える力が働いたとしか思えないからである。

「麦わら帽子」の詩が森村氏を選んだのか、それとも、森村氏によって「麦わら帽子」の詩が新しい命を得たのか、それは定かではない。

ただ一つ、確信もって言えるのは、この詩の根底に流れる「母の温かい愛」――人間にとって普遍の感情の物語が、一つの奇跡を形作ったということである。

『人間の証明』を単なる推理小説として位置づけるのはあまりに勿体ないし、「どうせ犯人は分かっているのだから」と、はなから食いつかないのも大きな損失だと思う。

これほど一人一人のキャラクターが生き生きと描かれ、また、推理の「点と線」となるエピソードが、何の不自然なく結ばれていく作品も希少である。

この作品だけは、映画のことも、最近リメイクされたドラマのことも頭から離して、新しい気持ちで読んで欲しい。

そうすれば、作家・森村誠一氏に「ただならぬ力」が働いて生まれた名作だということが、きっと分かるはずだ。

みどころ

『人間の証明』の核は、何と言っても「刑事・棟居弘一郎」というキャラクターにあると思う。
後に、「棟居刑事シリーズ」という連作が何本か発表されている点からも、森村氏の思い入れの深さがうかがい知れる。

この作品は、「棟居」の心の変遷だけに的を絞っても十分面白く、犯人追及において「人間としての良心に賭ける」という、『罪と罰』的な展開に読み手が感動するのも、棟居という刑事の人間性が非常に丁寧に描かれているからだろう。

棟居弘一郎は、戦後の混乱の中、小学校教員である父の手一つで育てられた。
母は、早くに父を見捨てて若い将校と駆け落ちし、棟居は顔すら覚えていない。
にもかかわらず、父は愛情をもって棟居を大切に育て、棟居もそんな父に唯一の安らぎを見出していた。

だが、4歳の時、父は棟居の目の前で駐留の米兵によってなぶり殺しにされ、返らぬ人となってしまう。
荒くれの米兵たちに暴行されかかった若い日本女性を救おうとしたのが原因だった。

父が瀕死の重傷を負っても、周りに居た人々は巻き添えを恐れて手一本出さず、警察も力にはなってくれなかった。
そして、暴行から救われた若い女性は、父に礼を言うことも、助けを求めることさえせず、我先にその場から逃げだしてしまう。

彼の人間に向ける不信と憎悪は、そのとき以来、培われたものである。
敵の顔と名前を一人一人おぼえているわけではない。母の顔すら知らない。
だから彼の怨敵は、あのとき居合わせた米兵、群衆、若い女、警官、そして医師と母に代表される人間のすべてであった。
彼は、相手が人間ならだれでもいい、一人一人ゆっくり復讐してやるつもりだった。

刑事は国家権力を背負って犯人を追うことができる。
社会正義のためではなく、人間をもはやどう逃れようもない窮地に追い込んで、その絶望やあがき苦しむ様をじっくりと見つめてやりたい。

復讐だから、要は、追いつめた相手をできるだけ苦しませればよいのだ。

そんな棟居が担当することになった、ハーレム出身の黒人、ジョニー・ヘイワード殺人事件。

「ストウハ」という言葉を残して異国で息を引き取ったジョニーの足跡を追ううちに、捜査線上に一人の女が浮かび上がる。

女の名は、八杉恭子。

「家庭問題評論家」として、テレビや雑誌に引っ張りだこの売れっ子で、自分の二人の子供たちとの「母子通信」という手紙形式で、青春期の微妙な年頃にさしかかった子供への母親の対応のしかたを書いた一種の育児日記を著して、一躍、マスコミの寵児となった人物である。
夫君は、次期政権リーダーを狙う辣腕代議士・郡陽平であり、いわばセレブリティの妻である。

だが、それは表向きの顔であり、実際は、家庭のことなどまるで省みない身勝手な母親であることを大学生の息子・恭平は知っている。

わかりきったことを巧妙な話術と、美しい微笑で説いていた母のさかしら顔が目に浮かぶ。
そのかたわらにひかえて、もっともらしく相槌を打つのが、恭平の役目だった。

恭平には母がありながら、もの心つくころから母との記憶はない。
彼に乳をあたえ、おむつを取り替え、そして幼稚園に通い出すようになってからの送迎、遠足の弁当づくりなど、すべて老いたお手伝いがやってくれた。
母が母親らしい顔をして現れるのは、PTAの会や授業参観日など大勢が集まる晴れがましい席だけである。
その日だけ美しく着飾ってやって来た。

母は、恭平のために遠足の弁当をつくってくれるでもなく、千円札を一枚よこした。
彼はその札一枚もっただけで遠足に行った。
リュックサックの中が空っぽでは格好がつかないので、入園時に幼稚園から贈られた気に入りの熊の縫いぐるみを入れていった。
よその子の付き添いの親が見るに見かねて、おにぎりとお茶を分けてくれたが、彼はそのときリュックの中身を見られるのが恥ずかしくて、もらったにぎりめしを独り離れた沼の畔で食った。
にぎりめしを頬張りながら、涙が頬を伝ってしかたがなかった。

そんな恭平は、母から買い与えられたマンションで乱交パーティーに耽る中、朝枝路子という若い娘と知り合う。
そして、彼女と連れだってドライブに出かけた際、恭平は、通りがかりの女性を轢き殺してしまう。

轢き殺されたのは、クラブ帰りの美しいホステス、小山田文枝。
彼女は、病気療養中の夫に代わって家計を支える為にクラブに勤めていた。

いつまでも帰宅しない妻に不審を抱いた小山田は、その足取りを追ううちに、新見という男の存在を突き止める。
新見は妻の文枝と不倫の関係にあり、これまでに何度も逢い引きを重ねていた。
しかし、新見は妻の失踪に関してはまったく無関係であり、ただならぬ事件の臭いを感じ取った小山田と新見は、一旦協力して、犯人を探し出すことを誓う。
彼らの唯一の手掛かりは、失踪現場に落ちていた「熊の縫いぐるみ」だった。

そこから割り出されたのは、幼稚園の頃から縫いぐるみを肌身離さず持ち歩いていた八杉恭平だった。
轢き逃げの後、恭平は朝枝路子とともにニューヨークに身を隠していたが、彼を直に問いつめるべく、新見もニューヨークに飛ぶ。

新見は、いま自分に最も忠実に行動しているような気がした。
中流の上の部類に属する家庭に生まれて、エリートコースに乗せられてから、なにか自分というものを見失ってしまったような生き方であった。

その自信を揺るがしたのが、小山田文枝であった。
だが、文枝とともにあるときの心身の打ち震える喜びと、別れている間の空白感は、四十過ぎた分別をも狂わせそうであった。

これまで他人のためばかりに生きてきたので、生まれて初めて、自分のために生きているような気がした。

一方、ニューヨークでは、市警のケン・シュフタン刑事が、日本で殺害されたジョニー・ヘイワードとその父ウィルシャーの身上調査に当たっている。
貧しいハーレムの出身で、日稼ぎのトラック運転手に過ぎなかったウィルシャーが、自分の身を犠牲にしてまで金持ちの車に飛び込み、日本行きの旅費を工面した動機に、シュフタン刑事は惹きつけられた。

「日本か……」
ケンはふと遠い目をした。
それは彼にとってまんざらかかわりのない国ではない。
いや、かかわりがないどころか、野放途な青春の足跡を残した所である。

ケンの知っている日本は、戦いに敗れた直後の荒廃した焦土であったが、あの国の風土には、いまのアメリカがとうに失ってしまった「人間の心」のようなものが残っていたような気がする。

そんなシュフタン刑事が得た情報が、ジョニーが日本に発つ前、ハーレムの住人に言い残した言葉、「キスミーに行く」だった。

情報を得た棟居刑事は、ジョニーの遺品である古い麦わら帽子と、最後に乗ったタクシーの中に置き忘れた西条八十の詩集から、「霧積」という地名を割り出す。

そして、その「霧積」と深い関わりがあったのが、八杉恭子だった。

八杉恭子は、夫の郡陽平と結婚する前、日本に駐留していたウィルシャー・ヘイワードと結ばれ、息子ジョニーを産んでいた。
だが、ウィルシャーに帰国命令が出た為、家族は離散前の最後の思い出として霧積を訪れたのだ。

母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?
ええ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、
渓谷へ落としたあの麦わら帽子ですよ――

西条八十の詩と、恭子が買い与えた麦わら帽子こそ、ジョニーにとって「瞼の母」の象徴だった。

日本に居る母に、もう一度、会いたい。

その思いを叶えるために、ウィルシャーは金持ちの車に体当たりし、金を工面して、ジョニーを日本に行かせたのである。

だが、有名人である八杉恭子にとって、突然目の前に表れた黒い肌の息子は、名声を脅かす邪魔者でしかなかった。

その事実を知った棟居は、

私はね、このごろジョニーがロイヤルホテルのスカイレストランへ胸にナイフを差し込まれた瀕死の身で上がっていった心根が哀れでたまらなくなったんです。
もの心ついたかつかないころ、父親と母親に連れられて行った霧積は、ジョニーの記憶に焼き付けられた。
おそらく彼の想い出の中で最も貴重で美しいものだったでしょう。

実の母によって胸に刺し込まれたナイフ。
これがはるばる日本へ母をたずねて来て得たものか。
ジョニーはどんなに絶望的なおもいでナイフを受けとめたことだろう。

それを八杉恭子は保身のために虫のように殺してしまったのだ。
自分の腹を痛めた子供を殺したんだ。
私はあの女が憎い。彼女は人間じゃない。母親の仮面を着た獣なんだ。
あの女には、人間の心なんかないんだ

棟居の胸に、父と自分を見捨てた生みの母への憎しみが交錯する。

そんな棟居は、捜査部長に申し出る。

「彼女の中に人間の心が残っているかどうか賭けてみましょうか」
「人間を賭ける?」
「八杉恭子にもし人間の心が残っていれば、必ず自供せずにはいられないように追い込んでみるのです」
「どういう風にするつもりだ?」
「麦わら帽子を彼女にぶつけてみたいのです。
私も、幼いころに母親から捨てられたのです。私は、自分を捨てた母が憎い。でもその憎しみの底に、母を信じようとする心があるのです。いや、母を信じたい。八杉恭子の中にも、きっと母親の心があるはずです。私はそこに賭けたいのです。人の子の母ならば、きっと自供するはずです。私は、自分を捨てた母親と対決するような気持ちで、八杉恭子と対決してみたいのです」

棟居は、「麦わら帽子」の詩をもって八杉恭子に迫り、それまでシラをきり続けた恭子も「麦わら帽子」の前についに崩れ落ちる。

同時に、息子・恭平は轢き逃げ犯として逮捕され、もう一人の娘・陽子も、シンナー遊びの乱交パーティーに加わっていたところを補導された。
夫・郡陽平からは離婚の申し出を受け、ジョニーを殺しても守ろうとしたものはすべて喪われてしまった。

だが、彼女がすべてを喪った後にも、ただ一つ残しているものがあったことを知っている捜査員がいた。
八杉恭子は、自分の中に人間の心が残っていることを証明するために、すべてを喪ったのである。

棟居は恭子が自供した後、棟居自身の心の矛盾を知って、愕然となった。

彼は人間を信じていなかった。
そのようにおもいこんでいた。
だが決め手をつかめないまま恭子に対決したとき、彼は彼女の人間の心に賭けたのである。
心の片隅で、やはり人間を信じていたのだ。

日本の警察から、ジョニー・ヘイワード殺しの犯人を検挙した報せを受けた時、ケン・シュユタン刑事はほっとした気分になった。
そうして、いつものようにハーレムにパトロールに出掛けた時、行きずりの男にナイフで腹を刺されてしまう。

「なぜ、なぜなんだ?」

ケンはつぶやきながらも、その理由を知っていた。
自分を刺した犯人には理由なんかないのだ。
あるとすれば、人生に対する怨みであろう。

遠い日、兵役で日本へ行ったとき、無抵抗の日本人に小便をかけたのにも、明らかな理由はなかった。混血というだけでつねに前線に駆り出された怨みを、日本人へ八つ当たりしたにすぎない。

日本人のそばでその男の子らしい幼児が、自分に燃えるような目をしてにらんでいた。
あの目が、それ以後、日本に対して負ったケンの債務になったのである。

死ねば、あの借りも帳消しになるだろう――とおもったとき、ケンの最後の意識が切れた。

ケン・シュフタンの息絶えたハーレムの一角は、ニューヨークの営みから切り放されたように信じられない静寂の底にいつまでも沈んでいた。

ジョニー・ヘイワードの死と、八杉恭子。

息子・恭平の轢き逃げ事件と、それを追う小山田と新見。

そして、幼い頃、父を米兵になぶり殺しにされた棟居と、それに加担していたケン・シュフタン刑事、父を見殺しにして暴行の現場から逃げだした若い女=八杉恭子。

一見、何の繋がりもないこれらの登場人物が、見えざる糸で繋がれていく様は非常に流暢で、説得力がある。
普通に考えれば、これだけの符号が偶然に揃うわけがないのだが、それを読み手に納得させるだけの人物設定や心理描写の巧みさがこの作品にはあるのだ。

クライマックスに近づくにつれ、なぜこの作品のタイトルが『人間の証明』であり、棟居という刑事が状況証拠ではなく自供によって犯人を追い詰めようとするのか、読み手は自ずと理解する。

そして、人殺しの母=八杉恭子が、棟居にとって憎しみの対象であると同時に救いの主でもあるパラドックスに心打たれる時、森村氏が描きたかったのが単なるサスペンスではなく、人間にとって根源的、かつ普遍的なテーマであることに共感するだろう。

西条八十の「麦わら帽子」の詩は、この作品の根底に流れる、母の深い愛、そして少年の憧憬を見事に言い表し、不滅の輝きを添えている。

「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね」――というフレーズは、ジョニーでなくても、優しい母の面影を呼び覚まさずにいないのである。

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「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?」西条八十の詩集をタクシーに忘れた黒人が、ナイフで刺され、ホテルの最上階に向かうエレベーターの中で死亡した。棟居刑事は被害者の過去を追って、霧積温泉から富山県へと向かい、ニューヨークでは被害者の父の過去をつきとめる。日米共同の捜査の中であがった意外な容疑者とは…!?
映画化、ドラマ化され、大反響を呼んだ、森村誠一の代表作。

私も、レビューにあるように、どうせ宣伝先行で誇張された安っぽい推理モノだろうと思っていたら、推理小説の型を取った奥深い人間ドラマだった。
彼女に人間の心があるならば、必ず自首するはずだ
この一言が、作品の全てを物語っている。
単なるミステリーにとどまらず、「母とは」「親子とは」を考えさせられる感動的な物語である。

この作品の松田優作は、心に深い傷をもつ棟居刑事のイメージそのもの。
犯人の八杉恭子を追い詰めるために、西条八十の詩を語る場面が非常に印象的だ。
また伊丹十三映画では、とぼけたインストラクター役(『お葬式』や『タンポポ』)を演じていた岡田茉莉子も、この作品では、野心的ながら、温かな母の面影を残す犯人・八杉恭子の役をクールに好演している。
ジョー山中の主題歌も非常に効果的に使われ、日本映画史に残る名作の一つである。

作品と主題歌をコラボで売り出して大ヒットさせたのは、角川映画が最初だそうだ。
こうした手法は、その後の映画界や音楽界の企業戦略に非常に大きな影響を与えた。
主題歌となった『Mama, Do you remember, The old strawhat you gave to me …』は、西条八十の詩をそのまま英訳したもの。
山中氏の哀しい歌声が、哀れなジョニーと母の胸の内を交錯するようである。

ジョニー山中さんの歌が素晴らしかった。
出だしの、Mama, Do you remember? は何度聴いても心にしみますね。


『野性の証明』について

元自衛隊特殊部隊の味沢は、ある集団殺人事件の唯一の生き残りである娘、頼子を養女として引きとり、育てていた。しかし、彼の住む街に巣くう大物実力者一味の陰謀に巻きこまれてしまったことから、味沢のなかに眠る野性が再び呼び起こされていく…。
人間の心奥に潜んだ野性を鋭く追求し、映画化され大反響を呼んだ傑作“証明”シリーズ。

映画と原作は細かな設定や展開が若干違っているので、映画のインパクトが強い人は、「別の作品」として読んだ方が面白いかもしれない。

*

本作の見所は、やはり不思議な予知能力を持つ頼子と、元自衛隊工作隊員、味沢との心の触れ合いだろう。
味沢に思いを寄せる女性新聞記者の存在(映画では中野良子が演じる)も、ベタつかず、また淡泊すぎることなく、ハードボイルドな本作にしっとりした彩りを添えている。
また、地元で絶大な権力をふるう大庭親子の醜悪さも絶妙だ。(三国連太郎&舘ひろしのバカ父子ぶりに拍手)
実に手応えのある作品である。

高倉健の存在感と薬師丸ひろ子(デビュー作)の初々しさが光る、角川映画の代表作。
「お父さん、こわいよ。誰かが大勢でお父さんを殺しにくるよ」
「おと~さ~ん」という薬師丸ひろ子のセリフと叫びが非常に話題になった。
高倉健と共に事件の真相を追うヒロイン、中野良子のしっとりした魅力も秀逸。
それと同じくらい強烈なのが、町を牛耳る悪党、三国連太郎のバカ親ぶりと、これまた三本ぐらいネジの切れたようなバカ息子、舘ひろしのイカレっぷり。(舘ひろしは地でやってるんじゃないかと思うくらい(笑)
が、何と言っても秀逸なのは、舘ひろしが高倉健に斧で頭を割られた時、日本の名悪役、成田三樹夫が「若~~~っ」と叫ぶシーンでしょう。あんなドスのきいた声、めったに出せるものじゃないですよおぉ。
いやはや、角川映画も、良い役者を揃えて、面白い作品をいっぱい作ってましたよね。
大半をリアルタイムで見られた私は、けっこう幸せ者かも♪

【Amazon レビューより】
共産主義者の森村誠一原作とあって、実に奥深い内容の映画となっている。違憲の軍隊と呼ばれる自衛隊の存在意義を、巧みな肯定と否定の技術で鑑賞者はそのことを考えさせられる。国民を守るための自衛隊が、国民に銃を向ける矛盾。そして、自らの犯した残虐性に疑問を持ち、除隊した味沢(高倉健)の持つ人間愛。一度は味沢を憎んだものの、その無差別な愛情に名台詞「おとうさーん」を叫んだ頼子(薬師丸ひろ子)の熱演は、今でも私の心に響いている。キャスティングも内容も実に豪華そのもので傑作といえる一枚だ。有事法制にゆれる現在に問題提起する、堂々たる森村誠一の力作。

原作の小説はこちら。

ひろ子ちゃんの「おと~さ~ん」。胸に焼き付いて離れないですね。

町田義人さんの主題曲も大変ヒットしました。メロディも歌詞も素晴らしいです。


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大ヒットした、町田義人さんの「戦士の休息」が収録されたベスト盤。
『男は 誰もみな 無口な兵士 笑って 死ねる人生 それさえあればいい』と、究極のヒロイズムを歌った、非常に美しい曲です。
映画では、娘・頼子との幸せな回想シーンに非常に効果的に使われ、思わず涙がポロリ。
キャッチコピーの、
『狼は生きろ ブタは死ね』
『男はタフでなければ生きられない 優しくなければ生きていく資格はない』
(↑ これはアメリカの有名なハードボイルド小説の一節なんですよね。「探偵マイク・ハマー」だったかな。
名前を忘れました、すみません)

『Never give up』も時代の流行語となりました。

ちなみに、戦士の休息の歌詞は、こんな感じでした。(うろ覚えで申し訳ない。詳しくは上の動画をご覧下さい)


ありがとう 温もりを  ありがとう  愛を
可愛いお前の……

男は 誰もみな 無口な兵士
笑って死ねる人生 それさえあればいい

ああ まぶたを開くな
ああ 美しい人よ

無理に向ける この背中を
見られたくはないから

この世を去る時 きっと
その名前 呼ぶだろう 

生まれて初めてつらい
こんなにも別れが …… ♪

まさに男の唄ですよね。

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角川映画ファン垂涎の品。
タイトルを眺めているだけで、当時のことが鮮明に思い出されます。
1. 人間の証明のテーマ/ジョー山中
2. 戦士の休息/町田義人
3. 蘇える金狼のテーマ/前野曜子
4. 戦国自衛隊のテーマ/松村とおる
5. セーラー服と機関銃/薬師丸ひろ子
6. 汚れた英雄/ローズマリー・バトラー
7. 探偵物語/薬師丸ひろ子
8. 時をかける少女/原田知世
9. 里見八犬伝/ジョン・オバニオン
10. メイン・テーマ/薬師丸ひろ子
11. 愛情物語/原田知世
12. Woman 『Wの悲劇』より/薬師丸ひろ子

こちらの方が収録曲は多いです。

こちらも懐かしのTV・映画主題歌が勢揃い。

「大都会PART III」~大都会PARTIIIテーマ (高橋達也と東京ユニオン)
「探偵物語」~華麗なる追跡 – 探偵物語BGM – M-12A (SHOGUN)
大都会 (クリスタルキング)
「Gメン’75」~Gメン’75のテーマ (菊地俊輔)
「鎌田行進曲」~恋人も濡れる街角 (中村雅俊)  ……etc。

70~80年代の思い出にどっぷりつかれそうです☆

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