「空気、読め」 空気に文字は書いてません。

よく「空気、読め」と言いますでしょう。

相手が何も言わなくても、周りの状況を理解して、その場に応じた振る舞いをせよ、みたいな。

確かに、場の雰囲気に合わせるのは大事だし、先日、交通事故で子供を亡くした人の前で、「子連れでファミリーランドに行ったら、うちの子が大喜びだった」なんて話は、どこの世界でもNGに違いありません。

一方で、「空気を読む」のが常識と決めつけ、自分が期待するような反応をしない人を一方的に断罪するのもどうかと思います。

「私が無言で俯いていたら、傷ついてる、って事ぐらい分かるだろ。空気読めよ」

「皆がしらーっとしてるんだから、喋るのを止めろよ。空気読めよ」

腹の中で呪いのように繰り返しても、相手には伝わらないし、何も言わなくても、私の気持ちや状況を相手が100パーセント理解して、私が好ましく感じる対応をすべき、という期待は、一方的な押し付けではないでしょうか。

こちらから何も説明しなくても、相手が魔法使いのように状況を察してくれて、慰めでも、励ましでも、あなたの欲しいものを何でも差し出してくれたら、これほどラクなことはないです。

また、その場で言いにくいことを口にすれば、反感や顰蹙を買って、あなたの立場が悪くなるリスクもあると思います。

だからといって、相手にだけ理解を求め、思う通りの反応が返ってこなければ、「あの人は空気が読めない」と、相手に全ての責任を転嫁するのは、ある意味、求める側の傲慢だと思います。

こちらが説明しているにもかかわらず、相手が聞く耳を持たない、まったく意味が通じない、というなら別ですが、自分からは何一つ口にせず、本音も要望も胸の奥にしまった状態で、相手に正しい理解を期待するというのは、イルカのテレパシーでも無理だと思うのです。

確かに、口で説明したところで、分からない人は永久に分からないし、必ずしも自分にとって快い反応が返ってくるわけでもない。中には、怒り、興奮し、あなたに突っかかる人もあるかもしれません。

それでも、自分の気持ちや考えを言葉や身振りで表現し、相手に伝える努力は必要です。

黙っていても、相手は理解すべき。

理解できない人は、空気が読めない駄目な人。

というのも、あまりに一方的だし、その人の言動に疑問を感じたら、気持ちを傷つけないように忠告するのも大事な気遣いだと思うんですよ。

誰も、何も教えずに、「あいつ、空気読めないよね、バカだよね」と陰で笑いものにするのは、もっとタチが悪いでしょう?

もちろん、人によっては相手にしない方が得策という場面もあるし(上司とか、ボスママとか)、言い方が悪いと人間関係にヒビを入れる恐れもあります。

だからといって、結果を恐れていては、誰にも、何も言えないし、腹の中に不満や怒りをため込んでも、あなた自身が毒されるだけで、少しも救いにならないと思います。

そうやって表面的には上手くやれても、心の底ではいつもモヤモヤして、結局、空しさや孤立感を覚えるだけではないでしょうか。

「空気を読め」というのは一つの社交術には違いないけれど、相手に理解や協力を求める事とはまた別です。

自分は発言するリスクを一切負わず、相手の理解力不足に全ての非を求めるとしたら、そう考えるあなたの方が間違いですよ。

だって、あなたは最初から相手とコミュニケーションを放棄して、一方的に、自分にとって都合のいいリアクションを要求しているだけなのですから。

*

私の好きな言葉に、「言わねば、神にも聞こえまい」というのがあります。

言葉にしない人間の願いは神様も叶えようがない、という意味です。

まして、人間相手なら、黙って見つめ合うだけでお互いのことなど分かるはずがない。

空気に文字は書いてないし、空気に書かれた文字(あなたの思念)も相手には正確に読み取ることができません。

「昨年、私が病気で苦労したのを知ってるでしょう」「夫が解雇されて、経済的に大変なのが分かるでしょう」という、自分の中の状況設定を前提に、相手に正しい理解や好ましい振る舞いを求めても、人間、瞬時に察せることと、まったく理解が及ばないことがあり、相手が正しく理解してくれないからといって、それは完全に相手が悪いわけでもないのですよ。何故かといえば、それが人間だから。あなたもまた、相手の気持ちや事情を100パーセント正しく理解できないのと同じです。

「言わなくても分かるだろう」という『無言の圧力』もまた、『空気が読めない』のと同じくらい、人間関係に躓く原因になりますよ。

自分のネガティブな気持ちや反対意見、「それ違うんじゃない」と相手に断りを入れるのは勇気が要りますけど、それも練習の積み重ね。『空気』に頼らず、自分の考えを伝える試みは大事です。

時に躓き、落ち込みしながら、少しずつ強くなればいいし、その末に手に入れた友情や信頼は、かけがえのない宝になると思います。

意思の表明と自己の尊厳

自尊心は、意思の表明と深く結びついています。

「意思の表明」というと大袈裟ですが、要は「これが好き」「これに行きたい」「これは嫌い」という、自身の気持ちですよね。

それを言語化し、周囲に聞いてもらうプロセスの中で、自尊心は育まれていくものです。

言い換えれば、幼い頃から何を口にしても無視され、否定され、周りに失望する体験が多いと、自尊心も低下して、ストレートな意思表明ができなくなる。嫌みを言ったり、遠回しに要求を述べたり、陰口に走るのは、その反動です。

でも、そんな場合でも、少しずつでも「自分の本当の気持ち」を言葉にして、相手に伝える試みを繰り返すことで、克服できることがあります。その際、「相手を間違えない」というのが非常に重要ですが、どうしても会話が苦手なら、自分の得意な趣味や仕事で自己主張するというのも一つの方法だと思います。

これも海外の事例であれなんですけど、うちの子供たちが通っている幼稚園では「意思表示」というのを徹底的にやってました。

「トム君はどんな動物が好きですか」

「ネコです」

「どうしてネコが好きなのですか」

「にゃあにゃあないて、可愛いからです」

「トム君はどんな食べ物が苦手ですか」

「ピーマンです」

「どうしてピーマンが苦手ですか?」

「苦くて、ぴりぴりするからです」

いわば「気持ちの表明」と「理由の説明」ですね。

教室は、誰がどんな動物を好きでも構わないし、どんな食べ物が苦手でも問題ない。

それぞれに好きな動物が違うのは当たり前。苦手なことにもちゃんと理由がある。

誰が何を好きでも、どんな理由でも、一人一人の意思は尊い。

大事なのは「何が好きか」ではなく、自分の好みや理由をちゃんと言葉で説明できること。

それを身をもって体験するわけです。

子供の頃からそのように意思表示して、なおかつ個人として尊重される中で、自分も意思もった一人の人間として自己を尊重することができるし、また相手の意思も尊重できる。

その過程のどこかで、無視、否定、嘲笑を数多く経験すると、自尊心は損なわれるし、言葉や身振りで意思表示する訓練をしないと、自身の感情や考えを言語化する能力も失われ、情緒も知性も発達しにくくなるわけですね。

実際、言語能力というのは、自尊心と非常に深く結びついておりまして、吃音や難読症の方が強い劣等感を抱き、自分の殻の中に閉じこもってしまうのも、根本には、自分を上手く表現できない、また相手にも理解されない、という絶望感があるからです。そうした問題がなくとも、「言語化できない子供」と無視・無理解の体験は、自尊心の低下を引き起こし、何をやっても自信が無い、人間が憎い、世の中がつまらない、という感情に繋がっていきます。

『空気を読む』というのは、一見、正しい事に見えますが、見方を変えれば、集団の中で一方的に作り出される暗黙のルールでもあり、そんなものは、一歩、集団の外に出たら、常識でも正義でも何でもないんですね。

にもかかわらず、「言われなくても理解せよ」というのは、ある意味、個々の意見や感情を無視したファッショであるし、コミュニケーションの放棄でもある。

言葉でのコミュニケートを放棄した中で、真の理解や共感を求めても、それは一方的な要求であって、対等とは言えないでしょう。

リスク回避の目的から『空気』というものを都合よく利用しているとしたら、そんな集団に真の友情など生まれないし、まして個人の尊厳などありはしない、と思うのですヨ。

我慢することは、侮蔑すること

私の大好きな手塚富雄先生の著書に『いきいきと生きよ ゲーテに学ぶ (講談社現代新書)』に、こんな言葉があります。

寛容ということは、実はただ一時の心の動きであるべきだと思う。寛容は認知ということに移ってゆかなければならない。我慢することは、すなわち侮蔑することである。(「箴言と査察」)

それについて手塚先生はこのように解釈しておられる。

「寛容は結構なことには違いないが、考えてみればそれは優越感を伴っていることが多いだろう。すなわち相手の弱点を、高いところから見下ろして、それを我慢し、許すのである。ということは相手を軽く見ているわけで、侮蔑につながるのである。こういう寛容は、人と人との正しい関係でないことに、われわれは気が付いてくるのである。では、どうすればいいか。つねに相手を理解しようと努めることである。どんなに手に負えない相手でも、かれがそうなったことには、なにか境遇上の原因やその他の事情があるのかもしれない。もしそれがわかれば、われわれは、多かれ少なかれ、相手の立場を承認(認知)するだろう。そのとき人と人とは上下ではなく、平等の関係になるのである」

「空気を読む」という行為も、そこに無言の期待があり、圧力があるわけで、その場で自分の意見を口にするならともかく、「何も言わなくても、これぐらい理解しろ」と求めるのは、そもそも相手を一人の人間として尊重していない、という事でもありますよね。

なぜなら、そこに意見の交換や意思表示はなく、「場の一部」としての存在があるのみですから。

最初から、ちゃんと相手の話を聞き、自分もまた意見を述べて、一対一の人間同士、コミュニケーションをとる気持ちがあれば、空気が読めずに、場を乱す人がいたとしても、とにかく仲間として上手くやっていけるよう、やさしく諭したり、皆でフォローしたりするでしょうからね。

それが無くて、「あいつ、空気読めないよな」と陰で笑いものにするだけなら、そんなものはコミュニケーションでも何でもないし、そんな『空気』は無視して、集団から距離を置くのも一考だと思います。

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阿月まり

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