幸福の80%はお金で買える 映画『マネーモンスター』

2017年9月15日映画, 人と社会

幸福の80%はお金で買える」と言ったのは私の知り合いです。

私も「80%」という数値は意外でしたが、同じような感想を持っていたので、「そうだよね」と頷きました。

「幸福はお金では買えない」という意見もあり、確かにその通りだけども、それは金持ちが口にする言葉。

今日食べる物もない、来月もこのアパートに住めるかどうか分からない、という人にとっては、お金こそ幸福ですよ。

衣食足りて初めて、幸福を感じる余裕ができるのですから。

ドストエフスキーの『罪と罰』でも言ってますが、「人間、洗うがごときの赤貧となるとね、そりゃもう罪悪ですよ」というのは全くもってその通りです。貧しさは心を蝕み、人間からあらゆる活力を奪ってしまいます。

お金があれば、この世の悩み苦しみの大半は解決できるし、「オレなんか生きる価値もない」という人も、100億円を手にすれば、かなりの確率で考えが変わると思います。

「幸福はお金では買えない」というのは、半分真実で、半分インチキ。

「幸福になりたければ、夢よりも、生き甲斐よりも、まずはお金を稼ぐ方法を考えなさい」というのが現代の教訓です。

認めたくない人も大勢いるかもしれないけれども、ホントの話です。

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アメリカの狂気のようなマネーゲームとそれをそそのかすメディア。オンラインでデジタルマネーを操作して、一人ボロ儲けを企む資本家と、情報を鵜呑みにして破滅する青年。

IT以前は考えられなかった現代のマネーゲームの本質をサスペンスタッチで描いたのが、ジョディ・フォスター監督の『マネーモンスター』。

同名の投資番組の人気司会者リー・ゲイツ(=ジョージ・クルーニー)は、人の生死を左右するお金の情報をまるで歌謡ショーのように演出し、オンラインシステムが弾き出すデータだけを根拠に「今が買い時」と個人投資家を煽ります。(ゲイツというネーミングは、ビル・ゲイツにもじってるのかしら。確かにIT時代の象徴ですからね)

その番組スタジオに、拳銃と爆弾を携えて乗り込んできた貧しい宅配員の青年カイル(=ジャック・オコンネル)。

出てきた瞬間、「だめだ、こりゃ」。先行きが見えてしまうような、ヘタレです。

それでも生放送中に乱入され、本物の銃を突きつけられると、さっきまで景気よく司会を務めていたリー・ゲイツも真っ青になり、命乞いをします。

スタジオ中が騒然とする中、一人冷静なのが、ジュリア・ロバーツ演じるディレクターのパティ。制作サイドのマイクを通じて、リー・ゲイツやカメラマンに指示を与えます。

その模様は、犯人の要求に応じてライブ中継され、アメリカ人大好き「劇場型犯罪」に発展。

同時に、スタジオと局の周囲は瞬く間にニューヨーク市警に包囲され、カイルとリー・ゲイツは狙撃手の標的になります。

高まる緊張の中、カイルは、リー・ゲイツの予想に反して株価が暴落したアイビス社の代表に釈明を要求し、CEOの行動に不審を抱く広報担当アイアン・レスターは独自に調査を開始します。

これらの経緯を見るうち、庶民はきっとこう思うでしょう。

現代のマネーは単なる「数値」であり、実体のないデジタルデータに生殺与奪を握られていることを。

このあたり、日本の銀行の周回遅れのITサービスしか知らず(昭和レベル)、いまだにレジで紙幣や硬貨を払うのが当たり前の日本国内ではなかなか実感しにくいかもしれません。

たとえば、海外のバンキング・システムは、『終日、ATM手数料、振り込み、各種手続きが無料』が標準で、一度、口座を開設すれば、海外送金や外貨両替、外貨積み立て、投資など、全てオンラインで気軽に行うことができます。そのへんの農家でも、日常的にユーロやポンドやリーブルでやり取りしてるぐらいですもん、日本の銀行みたいに、ちょっと手続きするにも「証明書もってこい、あれもってこい、これもってこい……」、店頭まで本人を呼び出して、実親の代理人も認めないような対応していたら、商売もできません。通帳と印鑑なんて、いつの時代の「和同開珎」、 おまけに利息0.0パーセント、出し入れの度に手数料が100円、200円……って、そりゃ、皆さん、海外の銀行にお金を移しますよ。

対して、あらゆる金融サービスがIT化で簡素化され、キャッシュレスが進んでいる国では、田舎の小さなスーパーでもカード払いや携帯アプリ払いが当たり前。その辺のおっちゃんでも、スマホ片手に、ドル買ったり、ユーロでローン組んだり、バルト三国の甥っ子にポンドで小遣いやったり、あの手この手で資産を守って、日常的に物凄い数のデジタルマネーが行き来してるわけですからね。

そこには「紙幣」や「硬貨」といった目に見えるやり取りはなく、オンラインで数字を操作しているに過ぎません。

では、デジタルでやり取りしている「数値」の正体は何? 

誰が利率を決め、商品の値段を決め、時給を決め、労働の価値を決めているのか。

世界規模で見れば、誰にも何とも答えようがないのではないかと思います。

作品の冒頭、司会のリー・ゲイツはこんな風に番組の趣旨を語ります。

皆さんが預けたお金はどこにあるのでしょうか。昔は取引銀行に行って、金庫室を開けると、そこに金塊があったものでした。今は違う。皆さんが汗水たらして働いたお金は、光ケーブルの広大なネットワークの中を駆け巡る、エネルギー粒子でしかありません。なぜでしょうか。スピードを求めたからです。金融取引はスピードが命。他人との競争です。しかし速さだけを求めて突っ走っていると、パンクしてしまうことがあります。

このセリフを冒頭に持ってきたのは脚本として素晴らしいと思います。この一言で、電子取引に疎い観客でも、問題の本質がすぐに理解できますから。

私も金融業界の深部までは分かりませんが、お金は既に実体のない「数値」に置き換わっていて(上手く表現できませんが)、「IT以前」とは完全に質が異なっているように感じます。

昔のヤクザは机に札束を積んで金勘定してたけど、今は札束なんて用意しなくても、オンライン送金で十分。

海外に持ち出すのも、クリック一つでOK。

アタッシュケースに何千枚も紙幣を詰めて持ち歩く必要もなければ、不正に得た数千万を庭先に埋める必要もない。

どこにでも瞬時に出し入れできて、どうにでも隠してしまえる。

それは不正なお金に限らず、企業の利益も、個人の貯金も、会社から支払われる給料も、何でもそう。

この世の貨幣価値も、商品の値段も、人の労働力も、デジタルデータの数値に置き換わっていて、みな、その数値に振り回されている。

昔みたいに「諭吉さま、聖徳太子さま」と、価値が紙幣という形で目に見えた時代と異なり、今は「デジタル空間を飛び交う数値」に生殺与奪されて、なおかつ、誰でもクリック一つで増やしたり、減らしたりできる、奇妙な状態になってしまっているのです。

本作において、ジョディ・フォスター監督は「こうあるべき」という答えは示していません。

マネーゲームに興じる人々の本音、破滅した者の嘆き、裏の仕組み、その為に誰が死のうと傷つこうとTVの前では見世物でしかない、という現実を淡々と描き出すのみです。

そして、これほどの尾撃も人々はすぐに忘れ、明日からはまた金儲けに奔走する。それが現代だ……と、半ば諦めたような感じで締めくくっています。

私としては、もうちょっと突っ込んだ話が欲しかったし、Amazonレビューでも似たような感想を持った人が散見されるので、どこか物足りないのは皆さん、共通の感想かもしれません。

でも、あまりに突っ込んだ話をすると、政治色の漂う、思想っぽい作品になってしまうし、役柄としてのジュリア・ロバーツも宙に浮いてしまいます(シリアス過ぎて)。

政治的思想に偏ることなく、現代のマネーゲームについて考えさせるのが狙いなら、これぐらいのタッチで丁度いいのかもしれません。

いずれにせよ、真面目に働いているのが馬鹿馬鹿しくなるテーマです。儲かる仕組みを知らないあなたはご苦労さん、みたいな。

真面目に働いておれば、いつかイイ事があるんじゃないかと額に汗する一般庶民は、あっけなく撃ち殺されるカイルと似たり寄ったりかもしれません。

クルーニー好きには新たな魅力発見です。
ちょっとばかし大人の恋愛も織り込んで、最後の締めは、さすがベテラン同士と感じました。
エンドロールに「ラップ」を持ってきたのもセンスがいいですよね。
マネー、メディア、SNS、国際政治と、下手すれば「詰め込み過ぎ」の印象を与えかねない要素をバランスよく配して、テンポのいい作品に仕上げています。
ジョディ・フォスターにはまだまだ頑張って欲しいですね(^^)

こちらは日本が誇るマネー映画『マルサの女』(伊丹十三・監督)。こんな景気のいい時代があったんだなーと、今では遠い眼差し。
酒場で語られる、「息子にそっくりお金を残す方法」が、途中で周りの雑音に掻き消える演出が秀逸。
まず、俺の名前で銀行から金を借りて、その金で子供に赤字会社を買わせる……で、続きはどうするんですか???
きっといろんな抜け道があるんでしょうね。バブル時代の作品ですが見て損はないですよ。