ずっと前から、若い人向けの原稿を書きたいな~と思っていたんだけど、
「若いキミたちへ」とか、「心のお話」とか、そういう堅苦しいタイトルを付けると、読む前からお腹イッパイになっちゃうじゃない。
なんか、いいのないかな~、と思ってたら、たまたまYouTubeで『魔界転生』の動画を見つけたので、そう言えば「我は求め、訴えたり」というセリフがあったなぁ、と、ついぞ思い出し。
これ黒魔術の呪文なんですが、「我は求め、訴えたり」というのは、まさに青春期の私の心象そのもの。
求めて、求めて、でも、誰も、何も、私が本当に知りたいことは教えてくれない、
そんな自我の嵐の中で、恋も仕事も過ぎていった・・という感じです。
「一つの答えに行き当たった」──という実感を得たのは、32~33才ぐらいにかけて。
女の厄年と言われるだけに、それは色濃い経験のオンパレードでした。
でも、その時、ばさっと心の殻が落ちる音がして、「あ、私が知りたかったのはコレだ」ということが分かった。
ここで自分の青春期は終わった、と、つくづく思いました。
それからは「実践編」。
まあ、いろいろありますが、これを突き抜けると次は何があるんだろう……という楽しみがあります。
人生半ばの私が言うのもナンですが、
上手く生きて行くには能力や運も大事だけど、それ以上に『希求』というものがないとダメです。
「いい車が欲しい」とか「かっこいい彼氏が欲しい」とかいう願望や欲求じゃなくて、「こういう生き方がしたい」「これについて知りたい」「これを完成させたい」みたいな、魂からの希みです。
人間の生き方には三つある。
肉体で生きる、心で生きる、魂で生きる。
どれも大事、どれも難しい。
でも、一番、偽ってはならないのは、自分の魂。
「心」の「魂」の違いはナニ? と聞かれたら、なかなか説明が難しいのだけど。
心で感じる以上に、もっと奥深い、根源的なものってあるじゃない? それのこと。
ラーメンが食べたいのに、見栄張って、ツナサラダで済ますとか。
本当は泣きたいのに、にっこり笑って見せるとか。
そういうのはいくらでも修正が利くけれど、自分で自分の魂を偽ると、これはもう何をやっても、何を得ても、満たされない。永遠の飢餓感に苦しむことになる。
そこで、どこまで自分の心の声に近づけるか、それが分かれ目なのね。
仕事や恋愛や、その他もろもろの理由で、たとえ思わぬ道に逸れたとしても、魂だけはしっかり掴んでおけば、どこかに隙間を作って、幸せのエネルギーを充填することが出来る。24時間多忙な人間にも、5分は、自分だけの時間と空間が与えられているものだから。
そういう魂の希みを知るためにも、青年期に感じる心の飢餓感、焦り、苛立ち、怒り、不条理感、それを大事にしないといけない。
怒らない人間が上等、この世に不満がないのが幸せ、なんて、絶対に思わないで欲しい。
それは60過ぎたシルバー世代の価値観。
10代、20代で、怒りもせず、不満もなく、わけのわからない苛立ちにガーっと心が騒ぐこともなくなったら、かえって道を外すの。見た目には真っ当でも、自分の魂からはかけ離れた道へ。
人生も、幸せも、求めるところから始まる。
昔から言うじゃない、「言わねば、神も聞きようがない」と。
『求めよ、さらば与えられん』とはそういうこと。
求めてもすぐには手に入らない、それこそ、10年、20年とかかるかもしれない、もしかしたら一生見つからないかもしれない、それでも、求めない限り与えられないのだから。
ゲーテの「ファウスト」のごとく、「悪魔の力を借りても、自分の知りたいことを知りたい」みたいな気持ち、忘れないで。
我は求め、訴えたり。
必ずどこかに答えてくれる神か悪魔がいるよ。
映画:魔界転生(沢田研二、千葉真一、真田広之、緒形拳、etc)


