「名誉が守られてこそ」の看護・介護と自衛隊

私が看護の現役だった時、周囲に言われたことで一番違和感を覚えたのが、

「看護婦さんは偉いなー。立派だなー。でも、うちの娘には絶対にさせたくないワ

この一言、全然褒め言葉になってません。

本当に「偉い」と思うなら、自分の娘にも推奨すればいい。「お前も、こういう仕事が出来る人間にならなあかんぞ」って。

『こういう仕事』というのは、病人の体動介助やオムツ交換、大小便や嘔吐や血液など汚物処理、深夜勤のある不規則な生活、精神的にも社会的にも荒れて暴言を吐いたり枕を投げつける患者さまのお相手、院内で自殺した患者に汗だくで心臓マッサージを施し(脳みそが飛び出してても法的にやらないといけない)、男性患者の猥談やボディタッチやパンチラ盗撮にも耐えて任務を遂行する(ホントに悪質です)、いろんな意味でハードなお仕事です。

*

80年代には将来の深刻な少子高齢化が問題視され、90年代の終わりには介護保険法も制定されました。

それと同時期に、医療や介護とはまったく無縁な企業までもが「訪問看護」や「訪問入浴サービス」といった在宅事業に参入して、一種、異様な光景でした。現場の者は「なんか、おかしいね」と、胡散臭さを感じていました。
要は「儲け」になるから参入するわけで、国の社会基盤としての「医療」「福祉」とは別のニュアンスがあったからです。
果たして、儲け主義の下に公への忠誠心をもった経営者や人材が育つのでしょうか。
ここで言う「公」とは、「一般市民」も含みます。
「お客さんとしての市民=儲かるから大事にする」と「共同体の一員としての市民=国として国民を守る」では意味も目的も動機もまったく異なるのです。

*

私が勤務していた病院でもいち早く訪問看護事業部が立ち上がり、方々の病棟や部門からベテランの看護婦が引き抜かれ、「訪問看護チーム」が結成されました。患者からも若手スタッフからも信望の厚い、生え抜きの人たちです。患者さんにしてみれば、「あの看護婦さんが訪問してくれはんのやったら安心や」。確かにその通りです。病院としてもいい宣伝になりました。その分、ベテランを持って行かれた病棟のスタッフは大打撃でした。

ほどなく衝撃の言葉を聞かされました。

「給料は外来看護婦と同じやって」

患者宅を原付バイクで何軒も周り、ガーゼ交換、オムツ交換、身の回りの世話、あれこれやる上に、オフの時までポケベル持たされて、何かあれば即出動。

それで外来の診療介助と同じ給与・・・。(外来の診療介助というのは、ドクターの横について、ガーゼ交換手伝ったり、検査伝票きったり、病院内では子持ち主婦ナースしにしか許されないジョブ・ヘイブンです。それなりに苦労はあるけど病棟看護の比ではない)

その後、まことしめやかな噂が巡ってきました。

「山田さん、いつ辞めようか、って言ってるよ」

「やっぱり・・・」

当たり前ですよね。

業務内容や拘束時間に見合った給与も払われず、雨の日も風の日も原付やバスで一軒一軒訪問しなければならないプレッシャーも完全無視で、「我が病院は地域医療に貢献している」という宣伝だけに使われて、むちゃくちゃな責務を要求されて。給与ランクが「外来と同じ」。外来スタッフも「有り得ない」と同情票でした。

そして、さらに聞けば、どこの訪問看護の事業所も似たような感じ、無資格のヘルパーさんに到っては新人OL以下。

OLすべてが無為というわけではないけれど、人の命を預かって、誰もやらない汚れ仕事を引き受けて、オフの日までポケベル持たされて精神的に従事させられる人の労力が、洋服を売ったり、携帯電話の契約を取り付けたりする人より『以下』なの? と思いますよね。

だから、当時、現場に従事してた者はみな口を揃えて言ってました。

どんな法律を整えて、税金も集めて、「あれもやります、これもやります」と公約したところで、こんな制度、人手不足であっという間に崩壊するよ、と。

それは訪問看護に限らず、医療・福祉全体に言えることです。

自動車やパソコンを作る工場ならともかく、医療・福祉は一に人手、二に人手、三も四も五も人手、その次ぐらいに電子体温計や薬剤がきます。

「人手」がなければ、医療機器メーカーや製薬会社がどんな高度な設備やサービスを持ち込んでも、何の助けにもならない。

介護ロボットが完全に人間の代わりを果たすまで、まだ何十年もかかるでしょう。

というより、それを設計できる人材が育っているのでしょうか?

*

今も昔も、自分から進んで医療・福祉に従事しよう、まして一番厳しい24時間・対人看護の現場を選んでくる若い女性は数パーセントです。

需要と地位向上の必要から看護学科を新設する大学も増えていますが、卒業生の何パーセントが十年、二十年と勤続することか。

周囲は相変わらず「看護婦さんはエライなー、でもうちの娘には絶対させたくない」と言い続けるけど、自分の娘や息子には絶対させようとは思わない。

何故か。

人生の成功者の定義が「金持ちか、格好いいか」みたいに偏っているからです。

まだ18歳なのに、福祉施設や病院見習いで、おじいさんのオムツを替えたり、血液の処理したり、深夜も寝ないで詰め所でガーゼの準備をしたり、誰もやりたくない仕事をいろんな事情でやってる女の子は今もいっぱいいるでしょう。
そんな子が社会に尊敬され、憧れられることなど絶対にない。
「立派だなー」という言葉も表面だけ。
職業として「ワケあり子女の最後の選択」ぐらいにしか思われてないから、サービスも親切もやって当然、タダで寄越せ、という感覚になる。

「自分でその道を選んだんでしょ」と言われたら確かにその通りだけども、それなら、医療従事者も、「あんたらの老後も、病気も、知らんがな」。そう思って、みな辞めていくわけですね。

「看護婦さんはエライなー。でもうちの娘にはさせたくない」ことは、他人の娘だって、やりたくはないのです。

*

で。

なぜ自衛隊かというと、医療・福祉の現場に似てると思ったからです。

こちらの記事が私の気持ちを代弁しています。

「徴兵制は嫌だ!」という皆さんへ 梶井 彩子

自衛隊入隊も就職先の選択肢の一つである以上、元々第一志望でなかった場合もある。公務員という大枠の志望の中で選んだ人や、自衛隊、警察、消防のうち、最もリスクが低いとみて自衛隊を選んだ人などは、「リスクが高まるなら転職を」と考えるのも、組織(や国)としては困るだろうが、止めることはできない。自衛隊に入って覚悟を鍛えられはするが、入る前は私たちと何も変わらない普通のお兄さん、お姉さんなのだ。

また、「危ない」「死ぬぞ」「憲法違反」の大合唱を耳にした時、既に覚悟が出来ている自衛官ならともかく、入隊を考える志望者は確かに減る可能性はある。本人にはやる気があっても、家族が止める場合も出てくるだろう。安保法制反対派が展開する「死者が出るぞ、死者が出るぞ」の大合唱や具体性のない大掴みのリスク論は、実害が出る前から自衛隊の士気と戦力を削ぐ利敵行為に近い。

<中略> 自衛官は自分の仕事が日本の独立と国民を守ることにつながることを信じて、任にあたる。「徴兵制反対論者」には分からないのだろうが、世の中には、たとえ殺し、殺されることになっても「俺がやらなきゃ誰がやる」「身を危険にさらしても、他の人を助けたい」という精神で、あえてその仕事を選ぶ人達もいる。(だからこそ、自らのメンツのためや、過去のトラウマ解消のために無理にでも自衛隊を「使おう」とする動きには嫌悪感を覚える) 「自衛官が死を覚悟できるのか」とリスクを言い立てる側は言うが、警察官も消防士も、みな少なからず死や身の危険を覚悟して任務に当たっている。「誰かがやらなければならないなら、私がやる」「助けを求める人がいる限り、たとえ身の危険があろうと」という自己犠牲的意識は、この三つの仕事に共通しているのではないか。 <中略> こういう「公に殉ずる覚悟」を持って仕事をされているすべての人を私は尊敬する。「うちの息子にだけはさせたくない!」「私だけは死にたくない!」「国のために死ぬなんて絶対いや!」「誰よりも私のことを助けて!」と考える利己的な人たちにはまるで理解できない心理だろう。 自分の身にたとえ危険が及んでも、人のためになる仕事がしたいという若者はそうは減らないと信じたい。だがそれはあくまでも「国民から認められる存在であってこそ」、つまり名誉が守られてこそだ。

改憲の是非は私には断言できません。

でも、一つだけ、言いたい。

改憲しようと、護憲を貫こうと、

じゃ、何かあったら、自衛隊の皆さん、ヨロシク! では通用しませんよ、と。

「じゃ、何かあったら、介護士の皆さん、ヨロシク」とニュアンス的には同じですからね。

何かの時には、国民一致団結して自衛隊をバックアップする。
それは皆が銃をとって応戦する、という事ではないですよ。

どんな形であれ、応援する、ということです。

傷病者のケアや退職者のサポート、お父さん不在家庭の支援、ミリタリー割引(米のディズニーワールドやケネディ宇宙センターなどはミリタリーとその家族は割引価格で入場できる)、市民レベルで出来る事はいろいろあります。

*

実際に現場に従事する人間が安月給で叩かれ、社会的に尊敬されることもなければ、どうにか道義心で続けている人もいずれ心が折れて脱落するでしょう。優秀な人材も次々にやめて、後に続く人も無くなります。

それは制度以前の問題で、従事する人間がなければ、どんな法律、どんな装備も無意味です。

内野も外野もデキる選手がいないのに、リーグ優勝を目指す野球監督みたいなものです。

そっぽを向かれた野球チームに、どんな未来があるのでしょうか。

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