書籍と絵画

「非実在青少年」アニメ・マンガ表現規制 と 竹宮恵子「風と木の詩」

2010年4月1日

東京都の「青少年育成条例改正案」で、アニメやマンガのキャラクターを『非実在青少年』とみなし、これも規制の対象とする採決がなされようとしている。

これに対し、里中真智子さん、永井豪さん、ちばてつやさん、竹宮惠子さん、高橋留美子さん、萩尾望都さん、安彦良和さんといった、漫画・アニメ界の蒼々たるメンバーが反対を表しており、規制のあり方が問題になっている。

「どらえもん」の静香ちゃんの入浴シーンや、クレヨンしんちゃんのお尻だしが、青少年の性腺を刺激し、犯罪行為を助長するとは思えないけども、中にはこれは「行き過ぎ」と思うものがあるのも確かで、たとえ露骨な性描写がないにしても、小学生が愛読するような漫画雑誌で、12~13歳と設定されたヒロインが同年代のBFと性交渉するのは当たり前、それはお洒落ですごく気持ちのイイことなんだ……というメッセージを送っているような内容も、読み方によっては、十分影響があるように思う。

もちろん、私も、小学校4年の時には、「ベルばら」のベッドシーンをドキドキしながら読んだクチだから、少女漫画誌のヒロインたちが彼氏とキスしたり、明らかに裸で抱き合ったことが分かる描写があったとしても、それを責められる立場ではない。

ただ、私が疑問に思うのは、小学生の読者相手に「性感」を掻き立てるような描写は早すぎるのではないか、ということだ。

オスカルとアンドレも革命前夜に肉体的に結ばれた。

でも、それは、長い道のりを経て、やっと真実に愛に気付き、身分の違いを超えてようやく結ばれた感動の行為であって、主人公が喘ぐような描写はどこにもなかった。

読んでいても、「わあ、綺麗だなあ、ロマンティックだなぁ」と、ただただ溜め息をつくばかりだった。

それに対し、12歳のヒロインがBFに突然唇を奪われて、「あ・・ん」と洩らす。

同じキスシーンでも、『性感』が絡むと趣が異なる。

そこだけ『ポルノ』に見えるのだ。

小学生、早ければ、7~8歳ぐらいの女の子でも読んでいる作品である。

女の子が顔を赤らめて「バカっ」と怒ったり、「だって・・初めてだったんだもン」と涙をこぼしたり、あるいは惣領 冬実風に「●●くんの唇は、もっと冷たいと思ってた・・」という風なので十分に可愛いと思うのだが。

とはいえ、それも読む側の感性によりけりで、「あ・・ん、のどこがポルノなの?」と思う人もあるだろう。

たとえば、私は、池上遼一さんの性描写はもはや芸術の域だと思っているけども、見る人によっては下品で、過激で、18禁でも足りないぐらいかもしれない。

それほど微妙なものを、一括りにして規制しようとすれば、作者も異議を唱えて当然だ。

先に取り締まるべき対象は他にいくらでもある。

*

反対を表明した漫画家の中に、私の大好きな竹宮恵子さんの名前があった。

ニュース記事にも書かれているように、こうした法案が可決されれば、性愛と人間哲学を描いた名作『風と木の詩 』も、何らかの規制を受けるかもしれない。

竹宮さんいわく、

「新しい性に関する知識を少年少女に与えなくては危ないと感じて描いた。純粋培養では少年少女は“健全”にならない。漫画はエネルギーを逃がす弁として存在するはず。ある程度強い刺激でないと、弁を開けない人もいる」

「性」というものを考える時、大人はとかく医学的、あるいは倫理的立場から論じようとするけれど、本質はもっと人間くさく、生命の本能に根ざした凄まじい欲求であり、「性への理解」が目指すゴールは「真実の愛」である。「避妊」や「防犯」ではない。

そういう点で、『風と木の詩』は、一つの愛の形を描いた傑作だった。

確かに内容は過激かもしれないが、きちんと作品を読み込める読者の目には、数々のベッドシーンより、登場人物の台詞の一つ一つの方が心に突き刺さるはずだ。

「ジルベールは本能的に理解している。自分が他人と繋がれるのは、まさにその『瞬間』だけということを」

という言葉が象徴するように、この作品は、「性欲」の奥底に横たわる心の激しい飢えと、肉体的な結び付きを通して完全なものとなる愛の形を描いている。

登場人物が「少年同士」で、二人の結びつきが社会的にも宗教的にも、あらゆる意味でタブーであるからこそ、様々な葛藤を超えて求め合う姿が余計で胸に響くのだ。

知らない人の為に簡単に内容を説明すると──

時は19世紀、フランスの伝統あるラコンブラード学院(男子校)に、子爵の肩書きをもつセルジュ・バトゥールが転入する。

彼と同室になったのは、悪魔のように美しいジルベール・コクトー。
高貴な生まれでありながら、娼婦のように上級生とベッドを共にする、スキャンダラスな少年である。

そんなジルベールに対しても、セルジュは誠意をもって付き合おうとするが、彼の「善意」や「正義」はことごとく軽蔑され、心を開いてもらえない。

いつも飢えたようなジルベールに振り回されながらも、見捨てられないセルジュ。

そんなジルベールを唯一、自由に操れるのが、叔父のオーギュスト・ボウだった。

詩人で、優雅な独身貴族で知られるオーギュストだが、幼少時、義理の兄に性的虐待を繰り返された過去をもつ。

その経験から、オーギュストは、「本当の息子」であるジルベールを幼い頃から調教し、性的快楽を教え込んで、自分に服従するように仕向けてきたのだった。

そうしてジルベールは、性行為の中でしか愛を実感できない少年に成長し、オーギュストに十分に愛されない心の飢えを、がむしゃらな上級生との交わりによって紛らわしていたのだ。

それに気付いたセルジュは、なんとかジルベールを「まともな人間」にしようと試みるが、プラトニックな愛では彼を説得することはできない。

悩み抜いたあげく、セルジュは、社会的にも宗教的にも『罪』とされる、肉体的な交わりをもって愛を証明した。

そうしてはじめてジルベールも心を開き、二人の愛はこれから豊かに花開くかのように見えたが、オーギュストは二人を引き離すべく、ジルベールを退学させようとする。

思い詰めたセルジュは、ジルベールを連れてパリに逃げ、貧しい屋根裏部屋で同棲生活を始めるが、麻薬や売春の元締めである男がジルベールの美しさに目を付け、闇の世界に引きずり込む──。

*

ここから先は、号泣。

マンガを読んで、声を上げて泣いたのは、これが最初で最後だったのではなかろうか。

Amazonのレビューにもあるように、読後は数日ぼーっとして何も手に付かないぐらい。

衝撃とか感動なんてもんじゃない、心の底までえぐり取られるような、芸術的感銘だ。

しばしば「少年愛マンガ」と位置づけされるけども、ここに描かれているのは、人間の凄まじい欲望と渇愛であり、一般の少女漫画をお菓子の国にたとえるなら、この作品は修羅である。

これでもか、これでもか、と見せつける、人間の生々しい本性。

たとえば、真面目な優等生カール・マイセは、誰もが納得するような正論をもってジルベールを諭そうとするが、逆に、内側に秘めた性的欲求を見透かされ、「ジルベールを説得するには、その肌をすり抜けてゆくしかない」と言わしめる。

みんな、訳知った顔で正しいことを説こうとするけれど、そんな人の心の奥底にさえ欲望はあり、本心を認めようとしない。

「清潔ぶるな」

一見、無関心で、浅慮なように見えて、本当は誰よりも人間の内側を知り抜いているジルベール。

そんな彼の振る舞いは、自分自身を知ろうとしない人にとって、挑戦的にさえ見えるだろう。

中でも「性欲」というのは、誰もが目を背けたくなるものの一つに違いない。

そこをあえて強調し、「正論を言う側」を否定することによって、読者は自分自身に問いかけずにいなくなる。

人間の本性とは何なのか、ということを。

確かに、性描写は生々しく、男性器を握ったり、裸の下半身を重ねたり、真面目な人なら目をおおいたくなるような場面もたくさんある。

しかし、それが読者受けや話題作りを目的としたものでないことは、一目で分かる。

というか、台詞の方があまりに深く、美しいので、そういう場面は淡々と過ぎ去ってしまうからだ。

上記で紹介した、「他人と繋がれるのはまさにその『瞬間』だけ」というのは、性の本質はもちろん、心の飢えが性行動へと繋がる理由をよく表しているし、オーギュストを手玉に取ろうとして、逆に薬を飲まされ強姦される、白い王子ロスマリネに対する「みたくれだけは綺麗な人形。この私を牛耳ろうなどと思ったことを死ぬまで後悔するといい」とか、オーギュストの汚い仕打ちを知ったジルベールが雪の中で嘆く「憎しみで人が殺せたら……!」とか、ラスト、ジルベールが他の貴族とオーギュストを見間違い、両手を拡げて馬車に向かって走って行く「連れて帰って、海の天使城へ! まだ誰をも知ることのなかった春へ……」とか、何でもない台詞なのだけど、卓越した画力と相成って、ページごと心に焼き付くような場面がたくさんある。

とりわけ美しいのが、ジルベールへの想いを語ったセルジュの言葉。

誇らしい――

一緒にいるのが 奇跡のようだ

君は誰にもつかまらぬ 蝶だったのに

君は 夢にも考えないのだろう

ひとが君といるだけで

幸福になれることなど……

「恋」という名にふさわしい恋。

純粋で優しい情熱が作品の隅々にあふれている。

キスシーンも非常に美しく、二人の心が盛り上がった先にある。

それこそ、「あ・・ん」なんて書いてない。

これが本当の愛の口づけ、と、ただただ感嘆するばかりである。

あと、もう一つ好きなのが、パリの屋根裏部屋で同棲を始めた二人が、ベッドの中で重なり合うシーンに書かれた詩。

あのひとが――

あのひとが わたしを胸に抱いてくれるとき
そっと話しかけてくれるとき
すべての事が忘れられる

あのひとさえ わたしを満たしてくれるなら
あなたの愛の言葉が 私の薔薇色の人生

あなたゆえにわたしがいて
わたしゆえにあなたが在る

あのひとはそう言って やさしく誓ってくれた

だからあの人の姿が見える
そのときに いつもわたしは感じる
この胸がときめくのを

それだけで すべての事が忘れられる……

一瞬、有名なシャンソンかと思ったら、竹宮先生による創作。

私もいろんなラブストーリーを読んだけど、これほど満ち足りた想いを綴った言葉もないと思う。

通して読めば分かる話で、生々しい性描写はテーマを掘り下げるためのエッセンスでしかない。

これを、性描写のみ問題視し、「不健全な少年愛マンガ」で片付けたら、作者でなくても怒る。

*

どんなジャンルでも、「規制」というのは難しいものだ。

これは有害、これは無害、キスシーン一つとっても、感じ方は人によって大きく違う。

ただ一つ言えるのは、「性」の問題は、マンガやアニメ、ゲームといった、ただ一つの要因だけで引き起こされるものではない、ということだ。

エッチなマンガや同人誌に読み耽る女の子が、こぞって性行為に走り、犯罪に手を染めるかと言えば決してそうではないし、そんなものにはまったく興味のない女の子が、淋しさやイライラ、親への不満などから、不特定多数との性行為に耽ることもある。

動機と欲望の元を辿れば、もっと別の理由に行き着くのではないだろうか。

*

「規制」もいいけれど、「風と木の詩」のように哲学的でロマンティックな質の良い作品がもっと理解され、世に出るようになれば、自ずと「下品なもの」「中身のないもの」「暴力的なもの」等々は、淘汰されていくと思う。

読者はいくらでも作品を選べるのだから、読み手を育てることが『健全な社会』への近道だ。

作家を糾弾するより、下品なものを売って一儲けしようとする業者を厳しく取り締まればいい。

作家がどれほどエロいマンガを描いても、商品化されなければ、誰の目にも触れることはないのだから。

§ 竹宮恵子のおすすめ

漫画家・竹宮恵子の天賦の才をまざまざと見せつける永遠の名作。
今後、これを凌ぐ「性愛」をテーマにしたマンガは出ないだろうし、今ドキのボーイズ・ラブなど足元にも及ばない。
のっけから少年同士のベッドシーンで始まるため、馴れない人が読んだら目が点になるかもしれないが、それが本来のテーマでないことはすぐに分かる。
ネームも美しいし、絵のセンスも、30年以上前の作品とは思えない。
人によっては立ち直れないほどショックを受けるかもしれないが、少女漫画ファンなら一読すべき。

これも文句なしの名作。男性顔負けの筆致に構成力。
コンピューターが支配する未来社会は、ネット漬けの現代に通じるものがある。
単なる超能力モノではない、人間と社会、意志と自由、母性、生命、あらゆるテーマが盛り込まれた非常に読み応えのある作品。

年若い読者から「この歴史本はどこで買えるのですか?」という質問が殺到したほどリアルに描かれた、エジプトの歴史もの。
随所に架空の壁画を取り入れ、まるで実在の人物や戦闘であるかのような演出が素晴らしい。
4人の主要人物の恋と葛藤も読み応えがあり、最後は文句なしに泣ける。

ニュース記事;

「改正案が通れば、文化の根を断つことになる」――アニメ・漫画に登場する18歳未満のキャラクターは「非実在青少年」だとして、性的描写などの内容によっては不健全図書に指定して青少年への販売を禁じる「東京都青少年の健全な育成に関する条例」(青少年育成条例)改正案に反対する漫画家などが3月 15日、都議会民主党総務部会を訪ねて意見を伝え、都庁で会見を開いた(漫画・アニメの「非実在青少年」も対象に 東京都の青少年育成条例改正案)。

 会見には、漫画家の里中満智子さんや永井豪さん、ちばてつやさん、竹宮惠子さんなどが参加。里中さんは「青少年を健全に育てたいという温かい気持ちから出た規制だろうが、表現規制は慎重に考えないと恐ろしい世の中になる」、ちばさんは「文化が興るときにはいろんな種類の花が咲き、地の底で根としてつながっている。根を絶つと文化が滅びる」などと強い懸念を示した。

 4人に加え、この問題についてmixi 日記で指摘し、周知の火付け役となった漫画評論家の藤本由香里さん、日本漫画学会長で評論家の呉智英さん、社会学者の宮台真司さん、明治大学准教授の森川嘉一郎さん、「松文館事件」で被告側弁護人を務めた弁護士の山口貴士さん、日本書籍出版協会の矢部敬一さんも会見に出席し、意見を述べた。

 改正案に反対する漫画家として、あだち充さんや藤子不二雄Aさん、高橋留美子さん、萩尾望都さん、安彦良和さんなど約60人のリストも配られたほか、講談社や集英社、小学館などコミック発行10社も反対を表明している。

 改正案の問題点として、(1)あいまいな規定でいくらでも恣意的に解釈でき、幅広い作品が対象になり得ること、(2)漫画などの表現に対する萎縮効果が高く、日本のコンテンツ産業に大きなマイナス影響を与える可能性があること、(3)審議期間が極端に短く、拙速に成立に向かっていること――などが指摘された。

 藤本さんは「都は、過激な性表現のある作品のみが対象と言っているようだが、条文を照らすとそれは事実ではない」と指摘。現行条例でも不健全図書の規定がある中、改正案では「非実在青少年」に関する規定を新設しており、青少年の性を肯定的に描いたさまざまな作品が対象となり得ると懸念する。

 永井豪さんは、40年前の「ハレンチ学園」発表当時、「めちゃくちゃに叩かれた」と振り返る。「当時も、青少年は異性への関心を持つのが健全な精神の育成だと思って描いていると説明した。異性に関心を持つことが罪悪と思って育つと、大人になった時の衝撃が強すぎる。成長段階に応じて少量ずつ与えていくことが重要」(永井さん)

画像 京都精華大マンガ学部長も務める竹宮さん

 「わたしの作品『風と木の詩(うた)』は対象になるだろう。都は『対象ではない』と言うかもしれないが、自分自身は対象だと感じてしまった」―― 竹宮さんは漫画表現への萎縮効果を懸念する。「新しい性に関する知識を少年少女に与えなくては危ないと感じて描いた。純粋培養では少年少女は“健全”にならない。漫画はエネルギーを逃がす弁として存在するはず。ある程度強い刺激でないと、弁を開けない人もいる」(竹宮さん)

 里中さんは「表現がエロと感じるかそうでないかは見る人次第で、人はそれぞれ別個の感性を持っているのに、それを全体の意思のようにして網をかけるのはナンセンス」という。

 「文化や芸術はその時代の倫理や教育とかい離がある場合があるが、それを描くことも役割だ」――呉さんは文化論を展開。「例えば井原西鶴の『好色一代男』は、6歳の少年時代からの性の遍歴を描いている。1つの人間の姿を描いているのだから、単純に倫理の問題として裁断し、政治が介入するのは危険」(呉さん)

 改正案が「子どもを健全に育てたい」という善意の発想から成り立っていることへの危険性の指摘もあった。「規制側は、目の前の正義感や倫理観で話すのだろうが、表面的な正義が見えないところで闇を大きくする。キャラクターまで対象にするのは、子どもの環境をあまりに狭く考えすぎている」と里中さんは懸念する。

 宮台さんは、「青少年の性行為を描いたコンテンツが青少年に悪影響を与えるという素朴な悪影響論は学問的には否定されている」とした上で、「誰と見るかなど、コンテンツの受容文脈をコントロールすることが最善」と指摘。「最善の策を取らずにいきなり次善の表現規制に飛び込むのは怠慢」と批判した。

 条例では18歳未満を青少年と規定しているが、日本では女性は16歳で結婚でき、「高校3年生の半分近くが性体験をしている」(宮台さん)という状況で、高校生の性行為を肯定的に描写した作品が対象になれば表現への萎縮効果は高い。「普通のことをしている人に対して、『お前達は悪いことをやっている』というメッセージを出すことになり、副作用は大きい」(宮台さん)

 山口弁護士は、「青少年性的視覚描写物」のまん延の防止を都の責務と規定した条文に絡み、「何を見て何を見てはいけないかについて、都が口を挟むのは非常に危険」と警鐘を鳴らした。

画像 「死ぬ前にひと言言っておかないと危ない」と冗談めかして語るちばさん

 「文化が興るときにはいろんな種類の花が咲き、地の底で根としてつながっている。根を絶つと文化が滅ぶ」(ちばさん)――関係者には、漫画やアニメなど日本の文化やコンテンツ産業の発展を阻害するという危機感も強い。

 「ハレンチ学園がなければ、その後の『マジンガーZ』もなく、各国に呼ばれて漫画やアニメについて講演することもなかった」と話す永井さんは、「自由な漫画の発想があったからこそ日本の漫画やアニメは発展し、世界に注目されてきた。表現規制を行った韓国は、漫画の発展が遅れた」という見方を示す。

 「規制側には、良い漫画と悪い漫画を区別できるという暗黙の前提があるようだが……」――森川さんはその考え方自体が間違っていると指摘。青少年の性行為を描いた漫画や同人誌を描いた漫画家が、「文化庁メディア芸術祭」で受賞するケースも多いなど、多様な表現を許容する環境が漫画家のすそ野を広げていると紹介し、「改正案が通った場合の副作用がほとんど検討されていない」と危惧した。

 「この条例を、『東京国際アニメフェア』を主催している都がやっているという意味は大きい」と藤本さんは指摘。会見やその後の集会では、享楽的な若者を描いた都知事の小説「太陽の季節」を皮肉る発言も複数の参加者からあった。

 改正案は2月24日に提出され、3月19日の都議会総務委で採決、3月末にも本会議で採決というスケジュールにも批判があった。「異常とも言えるほど短く、このような決め方は民主主義の原則に照らして大いに問題がある」(藤本さん)

 都議会会議室で開かれた集会には、会見の出席者に加え、漫画家のさそうあきらさんや齋藤なずなさん、都議の吉田康一郎(民主党)さんや福士敬子さん(無所属)、前衆院議員の保坂展人さん(社民党)など政治家も参加。用意された100席に、メディア関係者や出版関係者、一般市民など約300人が詰めかけ、立ち見の参加者で会場が埋まった。集会の様子はUstreamやニコニコ放送でもライブ配信され、注目を集めた。

 改正案のベースとなった答申が出た段階から問題を感じていたという吉田都議は「児童の性的搾取を止めるためという手段の正当性の前に、方法論が議論されず、問題がなし崩しになっている。状況はまだ厳しいが、当たり前の妥当な結論が出よう頑張りたい」など話していた。

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