東京都の「青少年育成条例改正案」で、アニメやマンガのキャラクターを『非実在青少年』とみなし、これも規制の対象とする採決がなされようとしている。
これに対し、里中真智子さん、永井豪さん、ちばてつやさん、竹宮惠子さん、高橋留美子さん、萩尾望都さん、安彦良和さんといった、漫画・アニメ界の蒼々たるメンバーが反対を表しており、規制のあり方が問題になっている。
「どらえもん」の静香ちゃんの入浴シーンや、クレヨンしんちゃんのお尻だしが、青少年の性腺を刺激し、犯罪行為を助長するとは思えないけども、中にはこれは「行き過ぎ」と思うものがあるのも確かで、たとえ露骨な性描写がないにしても、小学生が愛読するような漫画雑誌で、12〜13歳と設定されたヒロインが同年代のBFと性交渉するのは当たり前、それはお洒落ですごく気持ちのイイことなんだ……というメッセージを送っているような内容も、読み方によっては、十分影響があるように思う。
もちろん、私も、小学校4年の時には、「ベルばら」のベッドシーンをドキドキしながら読んだクチだから、少女漫画誌のヒロインたちが彼氏とキスしたり、明らかに裸で抱き合ったことが分かる描写があったとしても、それを責められる立場ではない。
ただ、私が疑問に思うのは、小学生の読者相手に「性感」を掻き立てるような描写は早すぎるのではないか、ということだ。
オスカルとアンドレも革命前夜に肉体的に結ばれた。
でも、それは、長い道のりを経て、やっと真実に愛に気付き、身分の違いを超えてようやく結ばれた感動の行為であって、主人公が喘ぐような描写はどこにもなかった。
読んでいても、「わあ、綺麗だなあ、ロマンティックだなぁ」と、ただただ溜め息をつくばかりだった。
それに対し、12歳のヒロインがBFに突然唇を奪われて、「あ・・ん」と洩らす。
同じキスシーンでも、『性感』が絡むと趣が異なる。
そこだけ『ポルノ』に見えるのだ。
小学生、早ければ、7〜8歳ぐらいの女の子でも読んでいる作品である。
女の子が顔を赤らめて「バカっ」と怒ったり、「だって・・初めてだったんだもン」と涙をこぼしたり、あるいは惣領 冬実風に「●●くんの唇は、もっと冷たいと思ってた・・」という風なので十分に可愛いと思うのだが。
とはいえ、それも読む側の感性によりけりで、「あ・・ん、のどこがポルノなの?」と思う人もあるだろう。
たとえば、私は、池上遼一さんの性描写はもはや芸術の域だと思っているけども、見る人によっては下品で、過激で、18禁でも足りないぐらいかもしれない。
それほど微妙なものを、一括りにして規制しようとすれば、作者も異議を唱えて当然だ。
先に取り締まるべき対象は他にいくらでもある。
反対を表明した漫画家の中に、私の大好きな竹宮恵子さんの名前があった。
ニュース記事にも書かれているように、こうした法案が可決されれば、性愛と人間哲学を描いた名作『風と木の詩 』も、何らかの規制を受けるかもしれない。
竹宮さんいわく、
「新しい性に関する知識を少年少女に与えなくては危ないと感じて描いた。純粋培養では少年少女は“健全”にならない。漫画はエネルギーを逃がす弁として存在するはず。ある程度強い刺激でないと、弁を開けない人もいる」
「性」というものを考える時、大人はとかく医学的、あるいは倫理的立場から論じようとするけれど、本質はもっと人間くさく、生命の本能に根ざした凄まじい欲求であり、「性への理解」が目指すゴールは「真実の愛」である。「避妊」や「防犯」ではない。
そういう点で、『風と木の詩』は、一つの愛の形を描いた傑作だった。
確かに内容は過激かもしれないが、きちんと作品を読み込める読者の目には、数々のベッドシーンより、登場人物の台詞の一つ一つの方が心に突き刺さるはずだ。
「ジルベールは本能的に理解している。自分が他人と繋がれるのは、まさにその『瞬間』だけということを」
という言葉が象徴するように、この作品は、「性欲」の奥底に横たわる心の激しい飢えと、肉体的な結び付きを通して完全なものとなる愛の形を描いている。
登場人物が「少年同士」で、二人の結びつきが社会的にも宗教的にも、あらゆる意味でタブーであるからこそ、様々な葛藤を超えて求め合う姿が余計で胸に響くのだ。
知らない人の為に簡単に内容を説明すると──
時は19世紀、フランスの伝統あるラコンブラード学院(男子校)に、子爵の肩書きをもつセルジュ・バトゥールが転入する。
彼と同室になったのは、悪魔のように美しいジルベール・コクトー。
高貴な生まれでありながら、娼婦のように上級生とベッドを共にする、スキャンダラスな少年である。
そんなジルベールに対しても、セルジュは誠意をもって付き合おうとするが、彼の「善意」や「正義」はことごとく軽蔑され、心を開いてもらえない。
いつも飢えたようなジルベールに振り回されながらも、見捨てられないセルジュ。
そんなジルベールを唯一、自由に操れるのが、叔父のオーギュスト・ボウだった。
詩人で、優雅な独身貴族で知られるオーギュストだが、幼少時、義理の兄に性的虐待を繰り返された過去をもつ。
その経験から、オーギュストは、「本当の息子」であるジルベールを幼い頃から調教し、性的快楽を教え込んで、自分に服従するように仕向けてきたのだった。
そうしてジルベールは、性行為の中でしか愛を実感できない少年に成長し、オーギュストに十分に愛されない心の飢えを、がむしゃらな上級生との交わりによって紛らわしていたのだ。
それに気付いたセルジュは、なんとかジルベールを「まともな人間」にしようと試みるが、プラトニックな愛では彼を説得することはできない。
悩み抜いたあげく、セルジュは、社会的にも宗教的にも『罪』とされる、肉体的な交わりをもって愛を証明した。
そうしてはじめてジルベールも心を開き、二人の愛はこれから豊かに花開くかのように見えたが、オーギュストは二人を引き離すべく、ジルベールを退学させようとする。
思い詰めたセルジュは、ジルベールを連れてパリに逃げ、貧しい屋根裏部屋で同棲生活を始めるが、麻薬や売春の元締めである男がジルベールの美しさに目を付け、闇の世界に引きずり込む──。
ここから先は、号泣。
マンガを読んで、声を上げて泣いたのは、これが最初で最後だったのではなかろうか。
Amazonのレビューにもあるように、読後は数日ぼーっとして何も手に付かないぐらい。
衝撃とか感動なんてもんじゃない、心の底までえぐり取られるような、芸術的感銘だ。
しばしば「少年愛マンガ」と位置づけされるけども、ここに描かれているのは、人間の凄まじい欲望と渇愛であり、一般の少女漫画をお菓子の国にたとえるなら、この作品は修羅である。
これでもか、これでもか、と見せつける、人間の生々しい本性。
たとえば、真面目な優等生カール・マイセは、誰もが納得するような正論をもってジルベールを諭そうとするが、逆に、内側に秘めた性的欲求を見透かされ、「ジルベールを説得するには、その肌をすり抜けてゆくしかない」と言わしめる。
みんな、訳知った顔で正しいことを説こうとするけれど、そんな人の心の奥底にさえ欲望はあり、本心を認めようとしない。
「清潔ぶるな」
一見、無関心で、浅慮なように見えて、本当は誰よりも人間の内側を知り抜いているジルベール。
そんな彼の振る舞いは、自分自身を知ろうとしない人にとって、挑戦的にさえ見えるだろう。
中でも「性欲」というのは、誰もが目を背けたくなるものの一つに違いない。
そこをあえて強調し、「正論を言う側」を否定することによって、読者は自分自身に問いかけずにいなくなる。
人間の本性とは何なのか、ということを。
確かに、性描写は生々しく、男性器を握ったり、裸の下半身を重ねたり、真面目な人なら目をおおいたくなるような場面もたくさんある。
しかし、それが読者受けや話題作りを目的としたものでないことは、一目で分かる。
というか、台詞の方があまりに深く、美しいので、そういう場面は淡々と過ぎ去ってしまうからだ。
上記で紹介した、「他人と繋がれるのはまさにその『瞬間』だけ」というのは、性の本質はもちろん、心の飢えが性行動へと繋がる理由をよく表しているし、オーギュストを手玉に取ろうとして、逆に薬を飲まされ強姦される、白い王子ロスマリネに対する「みたくれだけは綺麗な人形。この私を牛耳ろうなどと思ったことを死ぬまで後悔するといい」とか、オーギュストの汚い仕打ちを知ったジルベールが雪の中で嘆く「憎しみで人が殺せたら……!」とか、ラスト、ジルベールが他の貴族とオーギュストを見間違い、両手を拡げて馬車に向かって走って行く「連れて帰って、海の天使城へ! まだ誰をも知ることのなかった春へ……」とか、何でもない台詞なのだけど、卓越した画力と相成って、ページごと心に焼き付くような場面がたくさんある。
とりわけ美しいのが、ジルベールへの想いを語ったセルジュの言葉。
誇らしい――
一緒にいるのが 奇跡のようだ
君は誰にもつかまらぬ 蝶だったのに
★
君は 夢にも考えないのだろう
ひとが君といるだけで
幸福になれることなど……
「恋」という名にふさわしい恋。
純粋で優しい情熱が作品の隅々にあふれている。
キスシーンも非常に美しく、二人の心が盛り上がった先にある。
それこそ、「あ・・ん」なんて書いてない。
これが本当の愛の口づけ、と、ただただ感嘆するばかりである。
あと、もう一つ好きなのが、パリの屋根裏部屋で同棲を始めた二人が、ベッドの中で重なり合うシーンに書かれた詩。
あのひとが――
あのひとが わたしを胸に抱いてくれるとき
そっと話しかけてくれるとき
すべての事が忘れられるあのひとさえ わたしを満たしてくれるなら
あなたの愛の言葉が 私の薔薇色の人生あなたゆえにわたしがいて
わたしゆえにあなたが在るあのひとはそう言って やさしく誓ってくれた
だからあの人の姿が見える
そのときに いつもわたしは感じる
この胸がときめくのをそれだけで すべての事が忘れられる……
一瞬、有名なシャンソンかと思ったら、竹宮先生による創作。
私もいろんなラブストーリーを読んだけど、これほど満ち足りた想いを綴った言葉もないと思う。
通して読めば分かる話で、生々しい性描写はテーマを掘り下げるためのエッセンスでしかない。
これを、性描写のみ問題視し、「不健全な少年愛マンガ」で片付けたら、作者でなくても怒る。
どんなジャンルでも、「規制」というのは難しいものだ。
これは有害、これは無害、キスシーン一つとっても、感じ方は人によって大きく違う。
ただ一つ言えるのは、「性」の問題は、マンガやアニメ、ゲームといった、ただ一つの要因だけで引き起こされるものではない、ということだ。
エッチなマンガや同人誌に読み耽る女の子が、こぞって性行為に走り、犯罪に手を染めるかと言えば決してそうではないし、そんなものにはまったく興味のない女の子が、淋しさやイライラ、親への不満などから、不特定多数との性行為に耽ることもある。
動機と欲望の元を辿れば、もっと別の理由に行き着くのではないだろうか。
「規制」もいいけれど、「風と木の詩」のように哲学的でロマンティックな質の良い作品がもっと理解され、世に出るようになれば、自ずと「下品なもの」「中身のないもの」「暴力的なもの」等々は、淘汰されていくと思う。
読者はいくらでも作品を選べるのだから、読み手を育てることが『健全な社会』への近道だ。
作家を糾弾するより、下品なものを売って一儲けしようとする業者を厳しく取り締まればいい。
作家がどれほどエロいマンガを描いても、商品化されなければ、誰の目にも触れることはないのだから。
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天才・竹宮恵子の『地球へ・・』の先見性 〜コンピュータの支配する社会〜
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漫画家・竹宮恵子の天賦の才をまざまざと見せつける永遠の名作。
今後、これを凌ぐ「性愛」をテーマにしたマンガは出ないだろうし、今ドキのボーイズ・ラブなど足元にも及ばない。
のっけから少年同士のベッドシーンで始まるため、馴れない人が読んだら目が点になるかもしれないが、それが本来のテーマでないことはすぐに分かる。
ネームも美しいし、絵のセンスも、30年以上前の作品とは思えない。
人によっては立ち直れないほどショックを受けるかもしれないが、少女漫画ファンなら一読すべき。
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これも文句なしの名作。男性顔負けの筆致に構成力。
コンピューターが支配する未来社会は、ネット漬けの現代に通じるものがある。
単なる超能力モノではない、人間と社会、意志と自由、母性、生命、あらゆるテーマが盛り込まれた非常に読み応えのある作品。