MAD MAX とパクリと北斗の拳

2017年9月15日映画

『北斗の拳』の原作者である武論尊と原哲夫先生を掴まえて「マッドマックスをパクりましたね」という人は皆無でしょう。

あの作品にインスパイアされて北斗の拳が生まれたのは誰もが知ってる話だし、先生自身も公言されている。

マッドマックスだけでなく、ケンシロウ=ブルース・リー、ユダ=ボーイ・ジョージ、ファルコ=ドルフ・ラングレン、王女サラ=三原順子、ハーハーハー息をするのもめんどくせ~の人は、やっぱジャバ・ザ・ハットですか??

というぐらい、元ネタも分かりやすい。

だからといって、パクリと思う人は一人もない。

あの時代、あの作品を観て、同じように衝撃を受け、心動かされた仲間なんだな・・と、身近に感じる人が大半でしょう。

http://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuryroad/reviews/

MAD MAX レビュー
MAD MAX レビュー

『銀河鉄道999』もそうですよね。

松本零士をつかまえて、「銀河鉄道のアイデア、宮沢賢治のパクリですよね」という人などありません。

インスパイアされた事は先生ご自身も公言なさってるし、宮沢作品へのリスペクトもある。

それが分かるから、999の世界も自然に受け入れられるのです。

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ジョージ・ルーカスも黒沢明に出会わなければ、ルークとダース・ベイダーは銃で戦っていたかもしれません。

黒沢明の世界に憧れ、戦闘シーンを描くなら、ガンファイトではなくライトセーバー(ちゃんばら)という拘りがあればこそ、です。

そのリスペクトがあるから、いっそう身近に感じる。

押井守の「攻殻機動隊」にインスパイアされたウォシャウスキー兄弟の「MATRIX」もそうだし、シェイクスピアのリア王の世界を戦国時代になぞらえた『乱』という映画もある。

アーティストが誰かにインスパイアされ、またその人自身も誰かを刺激して、新しい作品が生まれる。

本来、作品(才能)と 作品(才能)の出会いと融合って、非常にエキサイティングで面白いものなのです。

本物はコピーされる運命にある

ココ・シャネルの有名な言葉、「本物はコピーされる運命にある」。

時代の空気をいち早くつかまえるのがデザイナーの役目だとしたら、他の人たちが同じことをしたって不思議ではない。

あたしがパリに漂い、散らばっているアイディアにインスピレーションを得たように、他の人があたしのアイディアにインスピレーションを得ることもあるだろう。

-ココ・シャネル

シャネルはコピーされることを喜んでいた。ラシーヌやモリエールといった有名文学者の名を引き合いに出した。彼ら文学者は、自分たちの文章を引用する教師を、「コピーしている!」と訴えたりしなかった。これと同じなのだ。

コピーされることは称賛と愛を受け取ること。

つまり、「成功の証明」そのものだった。

このコピーに対する考え方は、次の信条にもつながる。

よくできた服は誰にでも似合う服である。

誰にでも似合う服だからコピーされるのだ。ということは自分が作り出した服は「よくできた服」なのだ。喜んで当然だ。

ココ・シャネルという生き方 (新人物文庫 や 1-1)より

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ここでいうコピーは猿真似や模造ではなく、「インスパイア」という言葉に置き換えるとわかりやすいと思います。

実際、それが素晴らしいから、人は影響されるし、似もする。

どこをどう辿っても、誰にも影響されず、誰にも繋がらない、「完全に独立したオリジナル作品」というのは、この世には存在しないでしょう。

人は目で見て、耳で聞いて、知識や感性を養っていくもの。

この世にある限り、誰かに影響されるのが自然だし、また深く影響されるからこそ何かを生み出す原動力になる。

似たり、真似たり、憧れたり、参考にしたり・・というのは、ごくごく普通の創作の過程だと思います。

影響を受けたものへのリスペクトさえ忘れなければ。

オリジナルへの道

今でも忘れられないのが、同人作家で有名だった、おおや和美さんと尾崎南のプロデビューです。

私も同人時代の作品を何本か拝見しましたが、構成、台詞、画力、どれをとっても、群を抜いて上手かったです。

特に名作とされる「おしえて」とか、そのまま週刊マーガレットに掲載してもおかしくないような出来映えでした。

プロデビューが決まったのは当然の成り行きだと思います。

あの方たちも、「キャプテン翼」(厳密にはやおい)の世界観を借りながら、自身のオリジナリティを育て、完全にはそれとは別の、独自の世界を構築しても遜色ないプロの漫画家に成長されました。

尾崎南さんのデビュー作『絶愛』も、「こりゃ、小次郎と若島津じゃないか」という感じでしたが、それでも同人誌時代の世界観やファンを大事にしつつ、自分の世界を磨きかけられたという印象があります。

同人誌といえば「パロディ」「二次的」のイメージが強いですが、その中にも、その作者にしか描けない、強烈な個性を持ってる方がたくさんいらっしゃいました(私の時代には。・・今はどうか知りません)

ああいうのも、一種の「才能と才能の出会い」だと思っています。

小次郎・受&若島津・攻の世界観を借りつつ、自分というものを強く押し出していく。

オリジナリティとは何かと問われたら、それを作ってる人の好みや考え方や生き方までもが目に浮かぶほど個性が際立っている。自分という人間を隠そうにも隠しきれないほど、作品の中に投じられることだと思います。

それが見えないから、人は偽りのエピソードに欺されもするし、盲目的に権威を有り難がったりもする。

ある意味、あれこれ注釈を付けなければ成り立たない作品や、権威のお墨付きがなければ良いか悪いかも分からない作品は、既に個性を欠いているのかもしれません。

漫画でも、小説でも、音楽でも、ぱっと見て、「これ、誰それさんの作品でしょ!」と分かるのは、上手い下手を抜きにして、案外、すごいことなんですよ。

荒木飛呂彦と吉田戦車を見間違える人など、まあ、ないでしょうからね。

パクリと言われないために

これからどんな分野でも、『パクリ』と難癖つけられる時代がやって来るかもしれません。

でも、あなたが本当に誰かの作品を心から愛して、影響されて、尊敬もしてるなら、それを恥じることは絶対にない。

何となく似たとしても、それは当然の成り行きであって、あなたが出所を偽りさえしなければ、それは必ず理解されるはずです。(誰それに影響を受けた、という話)

もし武論尊センセが「マッドマックス? ん~、そんなものは観たことも聞いたこともねぇ」とか言い出せば、みな怒るけども。

それでもパクリ疑惑が怖い人のために、一つ、ヒントを差し上げましょう。

あなたが創作の過程でメモしたもの、参考にしたもの、全て、逐一、保存することです。

最初から完成稿に辿り着く人など皆無なのだから、こういう落書きまがいの下絵でも、メモでも、きっちり残しておくこと。

ウェブサイトや本を参考にしたら、必ずその出所を記録しておく。

私はEVERNOTEを愛用していて、料理レシピもよそで活用する時、こうやって保存しておくと、「こちらのレシピを参考にしました★」とすぐにリンクが貼れます。料理レシピ

レシピをまるまる真似て、しらっとするから、パクリと言われるのであって、「いつも栗原はるみ先生にはお世話になっています」とか「きょうの料理、最強」とか、一言添えればずいぶん違ってくるものですよ。

もちろん、レシピの応用には一捻りが必要ですが。

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物にもよりますけど、ほんのちょっとの気遣いで理解されること、かえって観た人が親近感を持ってくれること、いっぱいあると思います。

でも、そんな気遣いも、「○○先生、最高!」「この作品なくして、今の私は有り得ない!!」という、愛と感謝と思い出があれば、元ネタへのリスペクトを欠くことは決してないと思います。

そして、観る人にも必ず伝わるはずです。「この人、よっぽど夢中で北斗の拳を読んでたのね」。ええ、本当にその通り。私の時代はAMAZONもネット通販もなかったからね。アダルトビデオをレンタルする兄ちゃんみたいに、顔を隠すようにして本屋で買ってましたよ(そして足早に立ち去る) 店員にクスっと笑われたら、「いや、これは弟に頼まれた」と自分の中でストーリーを作ってね。

ゆえに、偉大なもの、素晴らしいもの、心底感動したものに強く影響されること。

それがどうしても作品に出てしまうこと。

それが観る人にも伝わってしまうことを、決して恐れたり、恥ずかしがったりしないで下さい。

あなたが強く影響されるということは、それだけ元ネタが素晴らしいという証。

そしてまた、あなたが影響を受けながら何かを作り出すことは、元ネタをいっそう広め、ファンを増やすことにも貢献します。

そんなあなたの作品を観た人が、また同様に影響されて、新しい何かを作り出す。

本来、創作というのは、イトコとハトコを混ぜ合わせ、クロスワードパズルを組み上げるような、「出会いの産物」ですよ。

そこには必ず自分を生み出した「核」があって当然なのです。

そして、芸術に対する本物の愛は、きっと観る人にも伝わるでしょう。

私も北斗の拳の後半で、「こりゃ、映画コブラ(シルベスタ・スタローンの)のポスターにそっくりじゃん!」と分かった時には飛びそうになったけど、その時、その時の流行を上手に取り入れ、遊び心もある原哲夫センセと武論尊サマが大好きでしたよ★ あ、やっぱり、観てらっしゃったのね♪ みたいなノリで。