映画

現実と魂の居場所 映画『ルートヴィヒ』とワーグナー

2015年11月8日

芸術とはエゴ

芸術作品とは、突き詰めれば究極のエゴです。

芸術というと、なにやら高貴で、立派で、偉大で、善良なもの、というイメージがあるから、作った人も無条件に仰ぎ見られるけども、本質的には「オレさま」の世界ですよ。

「我」への執着と情熱が人一倍強いから「作品」という形を世に残せるのであって、家族が泣いたぐらいで「じゃあ、止めます」と心が痛むような善良な人には絶対に無理。

家族が飢えようがが、女が何人自殺しようが、己が世界を構築し、自作を完成させることへの異常なまでの執着心がなければ成り立たない世界なんですよね。

そんな究極のエゴイストの代名詞みたいなリヒャルト・ワーグナーと出会ったが為に、心を奪われ、芸術こそ国を救うと信じ、国庫の予算も捧げて、人生全部狂っちゃったのがドイツの若き美青年王ルートヴィヒ二世。平和な世であれば、偉大な芸術の庇護者として称えられたであろうに、ドイツ動乱の時代に生まれ落ちたが為に、その気高い精神と美しい感性は、どろどろした現実の中で摩耗し、打ち砕かれ、ついには死へと追い立てられてゆきました。

世界の歴史において、引きこもり系の人物は少なくないですが、自分の夢を具現化する為にノイシュヴァンシュタイン城まで建てちゃった圧倒的スケールにおいて、ルートヴィヒ二世に並ぶものはないでしょう。

この究極のオタク&引きこもりを、ドイツ映画界がその威信をかけ、20億円の製作費を費やして作りあげた超大作!(Amazon)が、2012年公開の『ルートヴィヒ』。

壊れそうに繊細で美しい青年期のルートヴィヒ二世を、少女漫画から抜け出たようなザビン・タンブレアが好演しています。

ハイライト

オペラでワーグナーの楽劇『ローエングリン』を初めて鑑賞し、心を奪われる若きルートヴィヒ。

ええ、分ります。ローエングリンは全曲が煌めくように美しいですものね。まるで光で織り上げたシンフォニーみたい。私も何だかんだで一番『ローエングリン』が好きですもん。特にペーター・ホフマン(笑)

ルートヴィヒ ローエングリン

ワーグナーに心酔し、芸術こそが国を豊かにし、平和に導くと信じる純粋無垢なルートヴィヒ。
本当はそれで間違いないのですよ。世界が軍備も野心も持たないのであれば。
現実は金と銃で動いている。
その現実の前に、ルートヴィヒの理想など、リアリストの父親に無残に踏みつけられます。

ルートヴィヒ

ルートヴィヒ

ローエングリンのスコアを目の前でビリビリと……。まるで少女漫画のような一コマです。

ルートヴィヒ

そんな厳格で口うるさい父王マクシミリアン二世が死去。ルートヴィヒはなんと19歳の若さでバイエルン国王に即位します。(大学一回生ですよね)

こちらは戴冠式の前の練習。何度も決められた文句を口にしようとするけれど、ルートヴィヒの心はやはり美と平和に彩られた理想があります。
こんな重圧に耐えられるのか。
若い国王の苦悩をザビン・タンブレアが熱演します。

ルートヴィヒ

ルートヴィヒ

ルートヴィヒ

ルートヴィヒ

ルートヴィヒ

ルートヴィヒ

ルートヴィヒの迷いや葛藤をよそに、現実の統治は待ってはくれません。
国政について意見を求められると、「音楽の奇跡」だの、ローエングリンを持ち出すルートヴィヒ。

ルートヴィヒ

老獪な政治家にしてみたら「はぁ??」 こんな脳内・お花畑の国王に我が国の統治を任せていいのか。すでに暗澹たるものが漂います。

「ワーグナーは猛毒です」・・まさにその通り。
ルートヴィヒ

そんな臣下の不安と不満をよそに、ルートヴィヒはかねてからの夢である「リヒャルト・ワーグナー」の招聘を指示します。
命を受けて、重役をおおせつかったのが、見目麗しい高級士官リヒャルト・ホルコヒ。ドレスデン蜂起に失敗し、重犯罪者として追われていたワーグナーを探し出します。この時のワーグナーは死ぬことも考えていました(後述参考)。ワーグナーにとっては、まさに奇跡だったのです。

どこのヘルデン・テノールかとみまごう男前。よくこんなの探し出してきたな、おい・・
ルートヴィヒ

ワーグナーにとって、ルートヴィヒはまさに金蔓。純粋に仰ぎ見る初な青年王を手玉に取るのは赤子の手をひねるより簡単だったでしょう。

それにつけても、ワーグナーを自室に招くなど。。。世界最高の贅沢ではありませんか。ああ、羨ましい・・。

政治的に追い詰められ、死をも覚悟したワーグナーにとって、まさにこの出会いは奇跡。芸術にとっても。
ルートヴィヒ

そして念願の『トリスタンとイゾルデ』の上演に漕ぎ着ける(画像はリハーサル場面)。
ルートヴィヒの援助なくして、あの名作は日の目を見なかったんですよね。
そう考えると、ワーグナー・・・というよりは『トリスタンとイゾルデ』が「神に選ばれた作品」という気がします。

ルートヴィヒ

ドイツが威信にかけて制作しただけのことはある。とにかく全てがゴージャス。「本物」が惜しみなく登場します。建築が好きな方も楽しめますよ。

ルートヴィヒ

『愛の死』を聴いて、王さま、うっとり。分ります、分ります。

ルートヴィヒ

ルートヴィヒの夢はさらに膨らみ、芸術での統治に憧れる。
現実には宰相ビスマルク率いるプロイセンが今にも攻め込もうとしているのに、「オーケストラで敵に対抗する音楽を奏でよう。ワーグナーを聴けば、敵は武器を捨ててこちらに駆け寄るだろう」などと本気で言い出す始末。

ルートヴィヒ

国務そっちのけでワーグナーに浸るルートヴィヒに対し、廷臣らの目は厳しい(当たり前だ)。

ルートヴィヒ

おまけにワーグナーまでもが国政に口出しするようになり、若くて繊細なルートヴィヒの心はますます倦み、傷ついていきます。

ルートヴィヒ

周囲の不安をよそに、今度はバイロイト歌劇場の建設計画! 

すぐそこにプロイセン軍が迫っているのに、莫大な国費を注ぎ込んで、ワーグナー御用達の歌劇場を作ろうと訴えます。

ルートヴィヒ

好意的な実弟オットーまでもが「はぁ??」

ルートヴィヒ

父王の代から仕えてきた臣下も不満を通り越して呆れ顔。私が大臣でも半ギレだわ。。

ルートヴィヒ

ついには「ワーグナーと別れてください」と言われる始末。

ルートヴィヒ
 
「芸術で平和をもたらす」という理想がまったく受け入れられず、『戦争』という最も過酷で醜い現実の選択を迫られ、心身ともに疲弊するルートヴィヒ。
音楽や詩歌を愛するルートヴィヒにとって、大勢が武器をもって殺し合うなど、耐えられるものではありません。

ルートヴィヒ

高貴で善良な人間に軍を派遣し、発砲を命じるなど出来るはずがないのです。そんなことを嬉々としてやるのは、国民や兵士を道具ぐらいにしか思ってない悪徳政治家だけ。
本当に美しい魂をもったルートヴィヒにとって、戦争はただただ醜い現実でしかない。

けれども時代の流れ。廷臣らに押されて、ルートヴィヒは渋々、軍隊に命令を出します。

ルートヴィヒ

だけども、戦場で多くの兵士が傷つき、命が奪われる現実に、ルートヴィヒの繊細な神経は耐えられません。
自身の手で人を殺めているように自らを責め、錯乱します。

ルートヴィヒ

ルートヴィヒ(57)

ルートヴィヒ

そんなルートヴィヒにとって心の支えとなったのがリヒャルト。

ここからキャーキャー・モード。

ルートヴィヒ

キタ━━━(゚∀゚).━━━!!!

ルートヴィヒ

ルートヴィヒ

うわお♪♪♪

ルートヴィヒ

キスしたぐらいで神に赦しを乞わなくても・・(´。`)
若く美しい男たちが愛し合うのは自然じゃないですか。。

ルートヴィヒ

そしてバイエルンはプロイセンに敗北し、王の権利も厳しく制限されます。

ルートヴィヒ

さらにルートヴィヒな軟弱な態度は臣下を苛立たせ、溝を深めていきます。

ルートヴィヒ

そんなルートヴィヒはフランスのベルサイユ宮殿を訪れ、ここに夢の発露を見ます。

ルートヴィヒ

ルートヴィヒは政治から離れて、いっそう夢の世界にのめりこみ、自分の城で歌わせる歌手を自分自身でオーディションする始末。

ルートヴィヒ

ルートヴィヒの憧れは次第にエスカレートし、ついにはオペラの演出や配役にまで口出しするようになります。

ルートヴィヒ

ルートヴィヒ

まあ、気持ちは分かるけド(^^;)
ルートヴィヒ

「それに、あの作品(ローエングリン)は私のものだ」

ワーグナー相手に、なんちゅう恐ろしいことを。。。

こんなことを言われて喜ぶのは、権威に媚びを売る三流芸人だけ。当然のごとく、ワーグナーは激怒し、ルートヴィヒと袂を分かちます。

ルートヴィヒ

あれほど敬愛していたワーグナーが去り・・

ルートヴィヒ

唯一心を通わせていたオーストリア公妃エリザベートとも、妹との一方的な婚約解消をめぐって絶交してしまいます。

ルートヴィヒ

ますます孤独となり、内にこもるようになるルートヴィヒが遺した有名な言葉。「わたしは永遠の謎でありたい」

ルートヴィヒ

さらには愛する弟のオットーが戦争による心の傷や、バイエルン公国の行く末を憂い、精神に異常をきたすようになります。

ルートヴィヒ

ルートヴィヒ

でも、異常というよりは、愛国の想いと、頼りない兄への怒り、やるせなさなのですよね・・(映画で見る限りは)

もはや、この世のどこにも居場所を見いだせなくなったルートヴィヒは、ワーグナーのオペラの世界を具現化するノイシュヴァンシュタイン城に魂の救済を求め、自分の世界に閉じこもってしまいます。

ルートヴィヒ

ベルサイユ宮殿を彷彿とするような美しい王宮で、ルートヴィヒは昼に眠り、夜に起き出し、人と顔を合わすことを避け、厭世の暮らしを送ります。

ルートヴィヒ

ルートヴィヒ

自分専用の劇場で、お抱え歌手にローエングリンを歌わせるルートヴィヒ。究極の贅沢。
船遊びも浮世離れしています。

ルートヴィヒ

ルートヴィヒ

リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城など、ルートヴィヒの贅を尽くした心の城で夜ごと繰り広げられる浮き世の宴。。

こうした小道具、美術も素晴らしい。こんなクオリティの高い映画がさらりと作れてしまうのがヨーロッパ映画の凄いところ。

ルートヴィヒ

ルートヴィヒ

ルートヴィヒ

国王といえど湯水のように国費が湧いて出てくるわけではない。当然のこと、かかる経費は莫大。ルートヴィヒに願いに添っていては、今に国庫は空っぽになってしまう。

ルートヴィヒ

日記や建設計画の資料からルートヴィヒは国賊扱いとなり、精神科医らの診断により「偏執病」「統治能力ゼロ」とみなされます。

ルートヴィヒ

ルートヴィヒ

ルートヴィヒは夢の城から連れ出され、古いベルク城に一室に監禁されます。

ルートヴィヒ

ある日、ルートヴィヒは精神科医のフォン・グッデンと湖畔に出かけます。

ルートヴィヒ

映画では、制止する精神科医を払いのけ、自ら湖に入水したように描かれていますが、真相は未だ謎のまま。

ルートヴィヒ

ルートヴィヒは「ノイシュヴァンシュタイン城を破壊せよ」と言い残しましたが、そんな事が出来る人間がこの世にあるでしょうか。。
夢の形骸だけが時を超え、今にルートヴィヒの心の世界を伝えます。

実体を捨てて魂だけとなったルートヴィヒに果物を捧げる臣下。
ルートヴィヒ

Götterfunken(ゲッテルフンケン)=神々の火花で幕を閉じるところがドイツ風ロマンでしょうか。

傍目には狂ったように見える、切ない一生ですが、本当に最後の瞬間まで、この世では絶対に叶うことのない美しい夢を見ていたのかもしれません。

ルートヴィヒ

現実と魂の居場所

実際にルートヴィヒ二世に会ったわけではないし、文献が全てを正確に伝えているとも思わないので、ここからはあくまで映画を通した私の感想です。

思うに、ルートヴィヒという人は、いたって普通の人だったと思うのですよ。

ただ、他よりも繊細で、感性豊かで、純粋真っ直ぐであっただけのこと。

ルートヴィヒが次男なら、あるいは現代のオタクなら、狂王と呼ばれるような生涯は送らなかった。むしろ善良なパトロンとして、ワーグナーのみならず、音楽、美術、文学、建築など、様々な芸術を庇護して、後世に多大な恩恵をもたらしたことでしょう。芸術などまったく解さぬ日本の統治者と首をすげ替えたいぐらいです。

だけども、ルートヴィヒの豊かな感性や芸術を愛する心は、国政という最もリアルな世界には通用しなかった。

すぐ隣に敵軍が迫ってるのに、軍備そっちのけで「歌劇場を作ろう」だの、「ワーグナーを聴かせれば敵が逃げる」だの、真顔で訴えるような国王を戴けば、私でも口ポカンになります( ゚д゚)

だけども、ルートヴィヒの願いは正しいのですよ。

美しい音楽で人々が憎しみを忘れ、互いに手を取り合うことができれば、これほど幸せな世界はありません。

間違っているのは武力で敵を制圧し、累々たる死体の山を築いても「国の正義」とする考え方で、神の目から見ればルートヴィヒが正しいのですよ。

だけども、現実ではそれが間違いで、そんな事を真顔で言う人間は脳内お花畑と嘲笑される。

そんな現実の歪みに気付きもしないほど、人間の感性も価値観も曲がってしまってる。

そして、それに何の疑念も嫌悪も抱かず、こと現実社会においては「現実的であること」を重視して、真に正しいものや美しいものには見向きもしないのが「現実を生きる人々」なのです。

夢や理想との接点はありません。

ルートヴィヒのように「美しい音楽で平和を実現しよう」などと考える人間は現実社会から駆逐され、破滅するしかないのです。

だけども、「現実」が全てとしたら、人はどこで神なるものを見出すのか。

現実にそぐわないというだけで、真に正しいことや美しいものが排除されれば、この世は人間のぎすぎすした欲望や野心で満たされてしまう。嘘が正義としてまかり通り、優しさや素直さは人に利用されるだけの踏み台になってしまう。

たとえ、それが一銭にもならなくても、敵の砲弾をかわす楯にならなくても、人間には決して忘れてはならないものがある。

獣と人間を区別するもの。

それがルートヴィヒの心から愛した世界です。

本当に理解されたかったのは、自分自身ではなく、自分の愛する世界の「美しさ」ではないでしょうか。

確かにルートヴィヒは自身の夢の世界を具現化する為に、バイエルンの国民の血税を湯水のように使い、一国を破産寸前まで追い込んだ、身勝手で、無責任な国王かもしれません。

だけども、自身の愛する芸術が世界を変えると本気で信じ、その理想を国民と分かち合いたい願いもあったでしょう。
プロイセンと交戦したのも決して本意ではなく、民への愛深きゆえに、苦悩も人一倍だったのです。

優しい人なんですよね。

でも、そうした優しい人、真に芸術を理解する人、現実の歪みに疑問を抱いている人、あるいは歪みが見えてしまう人には、この現実に居場所はなく、行き着く先は心の崩壊か、現実の破壊です。

そして、ルートヴィヒは自身の崩壊を選び、ついに現実には戻ってきませんでした。

その生き辛さ、息苦しさこそが、現実の歪みであり、現実に踏みしだかれる美と善の悲鳴であるのだけれど、現実的な人々は、その苦しみを見ようともせず、あたかも我らが現実世界の神であるかのように、自らの尺度でこちら側の人間を測るのです。

現実に適応できず、夢みたいな事を口走る人間は、現実社会においては常に驚異であり、嘲笑の的です。

この世の何処にも居場所はなく、ただただ美しい夢を見させてくれる音楽や絵画や詩の中にしか安らぎを見出せません。

だからといって決して不幸なわけでなく、あちら側の人間には決して辿り着けない美と創造の高みまで旅することができる。

この世に生まれた本当の意味を理解し、至高のものを分かち合うことができる。

それはほとんど神の領域であり、そこまで到達できるのは、本当に限られた一部の人だけなのです。

そういう意味では、ルートヴィヒも常人には達し得ない高みまで上り詰めた人なのかもしれません。

もしかしたら、ワーグナー以上に。

今も「狂王」と呼ばれ、歴史の上では決して褒められた人ではないかもしれませんが、ノイシュヴァンシュタイン城を見ていると、それでも自分の理想とする美と平和の世界を伝えようとするルートヴィヒの真摯な願いを感じずにいないのです。

ワーグナー・そして奇跡が起こった

それに比べて、ワーグナーは究極の俗人──というより、エゴイストですわな。

自作を自分の思う通りに上演する為に劇場まで建てさせる人は、なかなかないです。ビートルズやマイケル・ジャクソンでさえ、そこまでいってない。ビヨンセもレディガガも、まあやらない。

それでも狂ったように聴いてしまうのは何故か。

私もわからんわ・・

こちらは私の家宝。ちょうどバブルの末期。

三大テノールがまだまだ健全で、ベルリン・ドイツ・オペラの「ニーベルングの指輪」の引っ越し公演とか景気よくやってた頃に発刊されたオールカラーのワーグナー本です。

もうこんな書籍は二度と発刊されない。原稿を書く人さえないでしょう。

ルートヴィヒとの出会いは、こんな風に紹介されています。

サリエリに言わせたら、「神はなぜこんなエゴイストを自らの代理人に選んだのだ」と恨みたくなるのでしょうけど、ここまでゴリゴリに押せる人間だから『リング』みたいな大作が書けたわけで、なまじ心やさしい善人だったら、『オランダ人』で終わってたかもしれません。

残念ながら、神に選ばれるのは善い人ではなく、強い人なの。

強くなければ、作品を完成させることもできない。

才能じゃないよ。

我の強さと執念ゆえ、人はそれを成す。

これ、本当に完成度の高い大型判なんですよ。
私もこの一冊でいろいろ勉強させてもらったし。
本屋で買う時迷ったけど(お値段高いから)、一生の値打ち物になりました。

ワーグナー 三宅 幸夫 サントリー文化事業部 1992-11

DVD

こちらが本作のDVD。

お値段高いけど、美術は豪華絢爛、ドイツ語も美しく、「動く教科書」みたいな良作です。
同性愛とか、俗っぽい要素は排して(キスシーンはあるけど♪)、あくまで「孤高の王」「現実に添えなかった心優しい悲劇の人」として気高く描いているのがポイントです。

ちなみに、主演のザビン・タンブレアは、次のような事を仰っているよう。

ザビン・タンブレア

原動力、モチベーションをなくしてしまうという理由から、夢が実現したときを人生におけるもっとも悲しい瞬間だと語る。『ルートヴィヒ』の主演が決まったときも悲嘆にくれた。

気持ちは分る。

幸せって、幸せを追ってる時が、一番幸せなんだよね☆

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