加藤諦三の『愛される法則 ~愛はこんな小さなことで確かめられる~』

タイトルや表紙は女の子向けの癒し系っぽいけれど、中身は鋭い一文がフルに詰まっている。
1ページに数行書かれているだけの、一見子供だましのような本だけれど、ここに書いてあることが理解できれば、間違うことはないと思う。
恋愛はもちろん、仕事にも、育児にも、あらゆる場面に応用が利くお薦めの本です。

抜粋

【愛を探して 回り道をしないために】

あなたが「仕事、仕事」と言いながら、いつもいつも満足していないのは、あなたの真に求めているものが仕事の成功ではなく、愛だからである。

あなたは愛を育てる土壌の上に、仕事の花を咲かせようとしている。

だから仕事をしているときに、いつも心のどこかで、「これじゃない、これじゃない」と思っている。

悩んでいる人は、自分が愛を求めていることに気がついていない。

悩んでいる人は、愛を得ればすべては解決するのに、勝利や成功や復讐で悩みを解決しようとしている。

だからいつになっても苦しみは解決しない。

苦しみの原因が分からないから、努力が意味を持たない。

*

「誰も私を愛してくれない」と嘆く人は、実は、訴える相手は誰でもいい。

とにかく哀れみを訴える。

そして「あなたの悩み、分かるわ」という人が出てくると、その人が「いい人」になってしまう。

これで人生につまずかなければ、つまずかない方がおかしい。

相手を見ていないから、いつも騙される。

部下が「この馬に乗って逃げてください」と言えば、その馬が谷越の危険な方角に走っていっても、喜んで飛び乗って逃げていくようなものである。

*

人によく思ってもらいたいと願っている女性がいた。
大きなダイヤを身に付けた。
「すごーい」と周りの人が言った。

人がたくさん集まった。
でも、その女性に集まっているのではない。
そのお金に集まっているのである。

そして人々は本心では、その女性をバカにしている。

*

自分はブドウになりたい。
でも、自分がブドウかリンゴかわからない。

そこに「あなたはブドウよ」と言ってくれる人が来た。
すると嬉しい。
その人を「いい人」と思ってしまう。
その人を好きになってしまう。

そしてリンゴなのに、ブドウのように振る舞いだす。

でも、何か苦しい。

恥をかくことも多い。

何か、すべてがうまくいかない。

そこに「あなたはリンゴよ」と言ってくれる人が来た。

すると、その人を恨む。

そこに、あなたを利用しようとする人が現れる。
そして、「あなたはブドウよ、うまくいかないのは、皆が悪いからよ」と言う。

あなたは、その人に利用されて燃え尽きる。

燃え尽きた人の周りには、誠実な人がいない。

*

悪魔が好きな餌は、「辛い、辛い」と騒いでいるだけで、治そうとしない人である。
心理的に病んでいる人は、「その辛さ、分かる」という人を待っている。
そして悪魔の餌食になる。

心理的に病んでいる人は、自分の問題を解決してくれる人を嫌がる。
自分が自分を治す努力をしていないから、自分が痛くなければ、その人を「いい人」と思う。

だが、心理的に病んでいる人の周りには、その人を利用しようとする人ばかりが集まる。
心理的に病んでいる人は、それに気がつかない。

*

「あなたが幸せなら、私はそれでいいの」というようなことを言う女がいる。

それは、愛のないときに言う言葉。
それは、自分が努力していないときに言う言葉。

これは子供をダメにする母親の言うセリフである。
子供をピーターパン症候群にする母親は、これを言う。

まず、このようなセリフを言う女は、自分のすることをしていない。
他人のフンドシで勝負するような人間である。

自分が魚料理を食べたい。
しかし、自分は魚を釣ってきていない。
料理もしてない。

そんなときに、「あなたが食べる姿を見て、私は嬉しいわ」と言うだろう。
もし、自分が苦労して魚を釣ってきて、料理をしていれば、「一緒に食べようね」というだろう。

あるいは、母親は子供に、「あなた、先に食べて、私は残りを食べるわ」と言うだろう。

つまりなぜ「あなたが幸せなら、私はそれでいいわ」というようなことを言う母親が子供をピーターパン症候群にするかというと、この母親は本当に子供のためになることをしていないからである。

そして、このセリフを言う母親は、自分が幸せの体験をしていない。

だから、「私はこれでいいの」と言う。
「あなたが幸せなら、私はこれでいいわ」と言うセリフは、怠けて不幸になった人の恨みのセリフである。

自分が何もしていないときに、自己犠牲の「いい人」を演じるためのセリフが、「あなたが幸せなら、私はそれでいいわ」というセリフである。

だから、このよなことを言う母親は、子供をおかしくする。

*

愛を知らない人は、騙される。

お漏らしをした子供がいる。
おむつただれができている。
子供は気持ち悪い。

でも、お風呂に入れて、きれいにして、おむつただれを治してあげようとする人を嫌がる。
しみて、痛いから。

おむつただれをほうっておいて、付き合ってくれる人が「いい人」になってしまう。
面倒を見ない人を、子供は「いい人」と思う。

しかし、この「いい人」は、赤ん坊が泣き出せば、逃げてしまう。

*

愛には悩みがない。
欲が消える。

愛することは待つこと。
花が咲くのを待つ、
夕陽を待つ、
朝日を待つ、
氷が溶けるのを待つ、
それぞれのことをしながら、待つ。

幸せは大股で歩くものではない。
幸せは、こんな小さなこと、というようなことの積み重ね。

今日をきちんと生きているものに未来がある。
明日が来れば、明日は今日になる。
今日をきちんと生きられないものに未来はない。

本の感想

癒し系とか、幸せになるための本とか、いろいろありますけど、自分の陥っている心の罠に気付かない限り、「前向きに考えたり」「頑張ったり」「明るく振る舞っても」意味無いです。

墓穴に銅像を建てるようなものです。

本当の「癒し」は、「自分を直視する」という痛みを伴うものだと思うのですが。

だから、「痛いの嫌い、私の辛さを分かってくれる優しい人が好き」という気持ちでいる限り、それを利用する人に弄ばれる――ということなのでしょう。

『谷越の馬に乗って逃げる』とは、本当に上手いことを言う。

たった一度の勇気で、すべては良い方向に回り出すのだけれど。

※こちらの記事もぜひご参照下さい。『加藤諦三の本