何にでも意味がある ~恋愛の意義

「恋愛」というと、多くの人が「愛される」「結婚できる」事の問題として捉え、別れや失恋に至れば、それは「間違いだった」「失敗だった」と自分を責めたり、落ち込んだりするものですが、果たして、彼に熱愛されて、結婚できさえすれば、永遠の幸せが約束されるのでしょうか。

残念ながら、答えは否です。

結婚という形を取ろうが、取ろまいが、「彼との関係」というのは、距離を変え、形を変えながら、死ぬまで変化し続けるものです。

ある瞬間は、わっと燃えても、何かの瞬間には、がらがらっと崩れるかもしれない。「こんな事で……」と絶句するような事で、彼が機嫌を損ねることもあれば、バカみたいなことで仲直りすることもある。

その度に、「あーでもない」「こーでもない」と泣いたり、苦しんだり、落ち込んだりしながら、それでも二人が心地良く、幸せに感じられるものを求めて道を探るプロセスが、『愛』です。

「愛してるよ」と告白されて、きゃ~っとなるのは、一瞬の悦びに過ぎないんですね。

誰だって、苦しい思いはしたくないし、できれば毎日が天国のような幸せな日々を送りたいものです。

でも、誰かを愛したら、「温もり」と共に「すきま風」もやって来ます。
「幸せ」と「痛み」はワンセットであり、「幸せ」だけを選り好みすることは出来ないのです。

なぜなら、人間は完璧ではないから。

あなたも、彼も、どこか抜けていて、嫌なことがあれば、怒りも、泣きもするでしょう。そういう不完全な人間二人が顔を付き合わせている以上、「嵐」も来れば、「すきま風」も吹きます。

どんな人も、死ぬまで、「本物の愛」の為に、闘わないといけないのです。
自分とも、相手とも。

特に、遠距離中の方は、「彼と一緒になりさえすれば幸せになれる」「遠距離でなければ必ず上手く行く」という思い込みを持っておられるかもしれません。

確かに、二人の関係を築く上で、時差や物理的距離は大きな障害かもしれませんが、でも、近づいたら近づいたで、また別の問題が生じてくるものです。

遠距離でも、ご近所恋愛でも、二人の関係に『ゴール』というものはなく、『こうすれば幸せになれる』という形は無いのです。

私たちは、ただ、失望したり、傷ついたりしながらも、理想とするものに近づく努力を続けるだけです。

そして、その「心の努力」こそ、恋愛と結婚の意味ではないでしょうか。

右も左も分からず、好きな男性を追い回し、「いつまでも愛して欲しい」「私のこと嫌わないで」という思いで、必死に電話とメールにしがみついている皆さん。

頭では、「この恋はダメだ」と分かっていても、なかなか踏ん切りがつかずに、悩んでいる皆さん。

好きな彼との関係が一向に進展せず、「どうしたらいいの」「彼のことは諦めるべきなの」と、落ち込んだり、焦ったりしている皆さん。

どうしても答えが見つからなければ、一度、思いつく限りのことをやってみて下さい。
電話かけまくって、メール書きまくって、言いたいこと言って、大声で泣いて、「私と結婚してくれなかったら死んでやるぅ」って、思い切りわめいてご覧なさい。
そして、彼にめちゃくちゃ嫌われて、冷たくされて、バカにされて、ズタズタに傷ついて、これ以上落ちようのない所まで落ちてご覧なさい。

そうすれば、不思議と心が落ち着いて、自分がどうすべきか見えてきます。
自分の弱さ、愚かさが、骨の髄まで染みたら、「これではいけない。もっと強く賢い女性になりたい」と死に物狂いで努力しますよ。

私が見ていて思うのは、皆さん、今にも折れそうな一本の枝に必死にしがみついて、「落ちたくない」「傷つくのはいや」って、恐れ、脅え、身動きとれない所まで追い詰められてらっしゃる。

「これについて聞きたいけど、言ったら彼に嫌われるかもしれない」
「この話を持ち出したら、彼とは終わってしまうかもしれない」

そんな風に、恐れと願望の狭間で立ち往生して、いつまでもクヨクヨ考えていても、事態は一向に良くならないのです。

人間、時には、すべてを失う覚悟で、腹を据えて、相手に立ち向かわなければならない事があります。

その結果がどう転ぶかは、彼にも、あなたにも、誰にも分からないし、だからといって、その結果の責任を他の誰かに転嫁することもできません。

非常に厳しいといえば、厳しいでしょう。

ですが、そうやって、人と正面から立ち向かった数だけ、人間は利口になるし、強くもなるのです。

「嫌われたくない」「捨てられたくない」と、おどおど、ビクビクしながら、いつも背中と背中を摺り合わすようにして付き合っていても、それは「付き合い」であって、「真実」ではないのです。

ですから、もっと勇気を持って、人や物事にぶつかって下さい。
男にこっぴどく振られたからといって、命まで取られることはありません。

むしろ、「勇気をもってぶつかった」→「傷ついたけど、乗り越えた」、そのプロセスを繰り返すことによって、堂々たる自信もつくし、揺るぎない自我というものが出来上がるのです。

皆さん、恋にも人生にも、『新しい展開』を望まれますけど、破壊なくして創造はあり得ないんですよ。

ある意味、「枝から手を離す」ということは、一度死ぬ覚悟で、今までの行動パターンや考え方をぶち壊す、と言ってもいいでしょう。

皆さんが必死にしがみついている「枝」とは、彼そのものかもしれないし、結婚への憧れかもしれない。「この人を失ったら独りぼっちになってしまう」という不安かもしれないし、「今さら進路は変えられない」という思い込みかもしれない。

が、いずれにせよ、それはあなたの心に根を生やした「エゴ」や「迷い」の木の枝であり、真実ではありません。
「木」そのものを無くすことはできなくても、そこから派生した不安や思い込みの「枝」から手を離すことは出来るのです。

そして、多くの悩み、苦しみは、自分が必死にしがみついている「枝」から手を離した時、不思議なくらい簡単に解決するもんなんですよ。

近頃は、「傷つくこと」を過剰に恐れている人が多いです。
でも、「癒えない傷」なんてありません。
もし、「癒えない傷がある」と思う方がおられるとしたら、それは、あなたに癒す気がないか、いつまでも「傷ついた私」でいたいか、どちらかです。
必死で傷を直そうとするより、「傷ついた私って、かわいそう。誰か私をいたわって」と同情を求める方がラクだからです。

私も、配信中は、本当にたくさんのメールを頂きましたが、恐らく、来年の今頃は、自分がそんなメールを書いたということすら覚えてない人の方が圧倒的に多いと思います。

たとえ何かにぶつかって、結果が悪く転ぼうと、人間というのは、二、三年も経てば、「そういえば、あんな事もあったわね」なんて、ケロケロしているものなんですよ。

それぐらい、人間の心は、強く、逞しいんですよ。

だから、もっと、自分の心の力を信じて下さい。

そして、大きな時間の流れの中で、物事を見つめるクセをつければ、今、自分が必死にしがみついている枝も、人生を左右するほどの大きな問題ではないし、たとえそれが無くなったとしても、また別の新しいものが現れるということが分かってきます。
怨みや諦めの中に逃げ込みさえしなければ、人間というのは、いくらでも素晴らしい未来を作って行けるんですよ。

どんな辛い、悲しい、嫌な出来事も、必要があって、あなたの前に現れるのだということを忘れてはいけません。

あなたを傷つけ、こっぴどい振り方をした男でも、出会う必要があって出会ったのです。

全ての物事には意味があるんですよ。

その意味を見つけた時、傷も、痛みも、憎しみも、ウソみたいに消えて、心も楽になることでしょう。

「生きること」も、どんどん楽になっていきますよ。

耐えたり、悲しんだり、傷ついたり……。

恋をしていると、心は本当に忙しいものです。

でも、その忙しさを糧にして、どんどん女性としての知恵を磨いて下さい。

好きな彼と結ばれるにせよ、結ばれないにせよ、どのみち、心の努力は一生続くのですから。

★2003年発行のメルマガより抜粋

Site Footer