恋と女性の生き方

『No』と言わせない女 ー無言の圧力ー

2003年6月19日

ある帰国子女の話で、
「アメリカの友達付き合いは、『No』と言えるから楽でいい。友達の誕生パーティーに誘われても、行きたくなければ『No』と言っていいし、『No』と言ったからといって、後で仲間はずれにされるような事はない。でも、日本はそれが通用しない。『No』と言ったら、次の日から、口も聞いてもらえなくなる」

日本人が、『No』と言わないのは、相手に対する気遣いでもあるし、場の調和を乱したくないという日本人独特の感性でもあります。

が、一方で、『Noと言わせない』雰囲気があり、『No』を言ったがために痛い目にあった経験が、どんどん人を『Noと言えない』人間にしていくという一面もあります。

たとえば、
「金曜日の夜、みんなで飲み会するんだけど、あなたはどうする?」
と、相手の都合を聞きながら、『私の誘いを断ったらどうなるか、分かってるわね』と暗に脅しをかける人、けっこう多いでしょう?
そして、飲み会に行けば、来なかった人の噂話から始まる。
それが怖いから、渋々、付き合っている人も多いのではないかと思います。

本当に信頼できる関係は、お互いに『No』と言い合える関係です。
「いい人なんだけど、付き合っていて、しんどい」と思われる人の大半は、『No』と言われるのが怖いか、『No』と言わせない人ではないかと思います。

では、『No』と言い合える関係というのは、どういう関係を言うのでしょう。

たとえば、アメリカなんかでは、飲み物をすすめても、要らなければはっきり『No』と言いますし、どんな親しい間柄でも、「好きなものは好き、嫌いなものは嫌い」と、割にはっきり意見する人が多いです。

じゃあ、彼らの全てが、気の強い、自己主張の激しい人かといえば、決してそうではありません。

彼らは、自分が主張する代わり、相手の主張も受け入れる器を持っています。 相手が自分と違う意見や答えをもっていても、それでOKなのです。

だからこそ、お互いに安心して『No』と言い合えるのです。

『No』と言わせない人、あるいは『No』と言われるのが怖い人は、「私は誰にも愛されてない」という不安や劣等感が強く、自分を拒否されたり、否定されたりするのを極度に恐れています。
相手がお茶を断っただけで、自分の全存在を否定されたような気持ちになるのです。
こういう人は、相手を思いやっているようで、その実、自分の快・不快しか頭にありません。
相手の自由意志を尊重するよりも、自分を受け入れてくれるか、否か、の方に重きを置くのです。

たとえば、五時間かけてケーキを作っても、相手が満腹で要らないと言ったら、相手の『No』を尊重する人は、「じゃあ、食べたくなったら言ってね」と取り下げるものです。
でも、自分を受け入れてくれるか、否か、に重きを置いている人は、相手が「要らない」と言ったら、自分がどんなに手間暇かけて作ったか、食べないあなたは薄情だ、という事を暗に知らしめて、相手に罪悪感を持たせることで、「Yes」と言わせようとするのです。

自分の作ったケーキを食べてもらうことよりも、相手の「食べたい」か「食べたくない」かの気持ちに添う方がずっと大事だ、という事が分からないのです。

「私のこと、どう思ってるの? 迷惑なら、はっきり言って」と聞くのも、相手にとっては大変な負担です。
普通の人は、面と向かって「嫌い」と言えるわけがありませんし、腹で何か思っていてもストレートに言えるものではありません。
そして、女性が、こういう事を口にする時は、たいてい男性の気持ちが遠ざかっている時ではないでしょうか。

だけど、相手にも、あなたの愛情を拒否する自由があるのだ、という事を理解していたら、相手の気持ちが離れようとしている時、「どう思っているの?」という聞き方はしないのです。
相手が離れたいなら、離れたいままに、何も言わずに黙って引き下がるのが、度量のある大人の証です。

もし、あなたが、相手に物をすすめたり、会合に誘ったり、メールの返事が欲しい時など、相手に「Yes」か「No」かの選択を迫る時は、相手に『No』と言える自由を与えて下さい。
それだけで、あなたの無理なお願いも、印象がぐんと良くなりますし、相手も楽に感じるものです。

私も日本を出る時、いろんな方からお餞別を頂きましたが、その中に、『お返しなどのお気遣いは不要です』と書き添えてくれている人が二人ほどありました。

確かに、物をもらったら、お返しをするのが礼儀かもしれませんが、最初から「お返しするべき」という前提に物をもらっても、嬉しくも何ともありません。
何万もする高価な食器セットをもらっても、負担に感じるだけなのです。
それよりは、街の雑貨屋で売ってるような手頃なお茶碗セットでも、「お気遣いは不要です」という言葉を添えて贈られた方がうんと有り難いのです。

つまり、ギフトにしても、飲み会の誘いにしても、メールでも、電話でも、
『あなたはNoと言ってもいいのです。あなたがNoと言ったからといって、私はあなたを責めたり、嫌ったりしません』
という気持ちが、そこにあるかどうかです。

メールも、どんなに優しい言葉が綴られていても、『私のことを大事に思うなら、返事して下さい』『私も時間をさいてメールを書いてるんだから、あなたも同じように時間をさいてメールを書けるはず』という気持ちが込められていると、相手は非常に負担に感じます。

相手にとって本当に優しいメールというのは、『あなたは返事を書いても、書かなくても、どっちでもいいのです。あなたが返事を書かなかったからといって、私はそのことで態度を変えたりしません』という気持ちが入っているメールです。

そして、そういうメールを受け取った時に、相手も、「優しいな」「ありがたいな」と思うわけです。

優しい言葉をつらつら書き綴っても、相手に返事を催促しているメール、あるいは、自分と同等の努力を求めているメールは、重たいだけなのです。

私も遠距離中、彼とたくさんメールや電話のやり取りをしましたが、一つだけ心掛けたのは、彼から返事がなくても、約束の時間に電話がかかってこなくても、決してそれを責めなかった、という事です。
電話があろうが、無かろうが、メールが来ようが、来よまいが、私は一貫して態度を変えませんでした。
なぜなら、励ましのメールも、お見舞いの電話も、返事を期待してするものではないし、そもそも、メールや電話というのは、相手を喜ばせる為にするもので、愛情を取引するものではないからです。
相手にも同じように優しい言葉をかけてもらうことを期待して送るメールや電話は、ただの脅迫です。

男女関係に限らず、人が「付き合いやすいな」「ありがたいな」と感じる相手は、『Noと言ってもいい人』です。あれこれ世話を焼いたり、物を与えてくれる人ではありません。

そうして、あなたが相手との違いを受け入れ、『No』と言ってもいい自由を与えた時、あなたは初めて、相手にとって「心を許せる、かけがえのない人」になるのです。
アメリカでは、しばしば、『make a difference』という言葉が好んで使われます。

それは、「目立つことをしましょう」「自己主張しましょう」という意味ではなく、人は、一人一人、違う顔、違う性格、違う才能を持っていて、それぞれが、それぞれの持ち味を生かしながら、人生の可能性を広げていくことができるんだよ、という意味だと私は思っています。

そして、そのベースには、「私とあなたは違うけど、それでOKなんだ」という考え方があるのではないでしょうか。

アメリカは、ちょっと街を歩けば、ホワイト、イエロー、ヒスパニック、ブラックと、世界中のありとあらゆる人種、民族に出会います。
アメリカで生きていこうと思ったら、どんな国の、どんな人とも、価値観や習慣の違いを受け入れて、上手にやっていかなければなりません。
「あの人は、私と違う価値観を持っている」というだけで、いちいち目くじらを立てていたら、とても生活などしていけないのです。

先の帰国子女の言葉にもあったように、アメリカでは、『No』と言っていい代わりに、相手の『No』も、自分の『No』と同じように受け入れます。

『No』と言うのに馴れていない、あるいは、『No』を受け入れてもらえない社会に生活している日本の女の子が、「個人」というものに対する考え方が根本から異なる外国人の恋人に対し、どこまで許容範囲を広げられるか、国際恋愛や結婚の幸・不幸は、その一点にかかっているといっても過言ではありません。

彼の全てを肯定する必要はないです。

でも、彼に『No』と言わせる自由は与えて下さい。

あなたが、彼の『No』に、いちいち反応しなくなったら、彼のあなたに対する見方も大きく変わるはずですよ。

あと、二つ目のお題目として、『自立』と『強さ』について、少し触れておきます。

人が、「あの人は強いね」という時、三つの意味があります。

「我が強い」「強がり」「心が強い」の三つです。

我が強い人は、周りに煙たがられます。
強がりは、周りを疲れさせます。
心が強い人は、周りに勇気を与え、感動させます。

その違いを見分けるコツは、『自分の弱さを潔く認め、周りに表現できるかどうか』です。

ウサギとライオンを思い浮かべて下さい。

ライオンは、「強く見せよう」とか「強くならねば」なんて思いません。元が強いから。
たとえ木から落っこちて、サルに笑われても、本当に強いから何とも思わないんですよ。

でもウサギは自分を強く見せようと頑張るし、「私は弱いです」なんて絶対に言いません。強くないからこそ、「強さ」にこだわるのです。

人間も「強く見せよう」「強くなろう」と意識している時は、強くありません。

そして、「我が強い」と「強がり」は、人より優れていたい、弱みを見せるまい、と必死に頑張るから、周りを疲れさせてしまうのです。

『自立』というのは、他人を当てにしないことです。

「私は、仕事もできるし、自活だってしてる。何かあっても、誰にも頼らず、一人で何でもこなせるわ」

と張り切っていても、

「彼氏が優しくないと不満に思う」
「彼氏が思った通りにしてくれないと、愛されてないと思う」

こんなのは、とても『自立』しているとはいえません。

彼に優しくしてもらわなければ安心できない、というのは、単なる『依存』です。

『依存』と『信頼』は違います。

『信頼』は、相手があなたの要求に「No」を言い、思う通りにしてくれなくても、責めたり、不安になったりしない気持ちです。
毎日電話がなくても、「愛してる」と言わなくても、彼の心を信じて、安心していられる事です。

『依存』は、「No」を許しません。
彼があなたの思う通りにしてくれないと、不安になったり、満たされない気持ちになります。「彼が愛してくれなかったら、私は幸せになれない」という前提があるのです。

『信頼』は、たとえ彼が自分の元から去っていっても、彼の誠実を信じて、感謝することができます。
でも、『依存』は、憎しみに変わります。

そして、『精神的に自立する』というのは、彼の心や行動がいかにあろうと――たとえ彼があなたを愛さなくなっても――、あなた自身に影響しないことです。

悲しんだり、落ち込んだりしても、次の日からは、自分で自分を立ち直して、また元の生活に戻っていけることです。

『自立する心』に、不安も不満も無いのです。

そして、あなたが、「強くなろう」「自立しよう」と思わなくなった時、それさえも意識しなくなった時、あなたは本当の意味で、自立した強い女になったと言えるのではないでしょうか。

補足として・・・

男性が、別れ際に、「お前は強いから」というのは、「強がり」のニュアンスが濃いのではないかと思います。

男性は、「自分が男として必要とされてない」と分かると、女性に対して気持ちを無くします。
「男として必要とされる」というのは、「愛してちょうだい、かまってちょうだい」という『依存』ではなく、男の持つ知恵や力、人間としての力量を頼られることです。

しばしば引用される話に、男性はドライブしていて、道を間違えた時、女性に、「道が分からなかったら、地元の人に聞けばいいじゃない」というような言い方をされるのを非常に嫌うといいます。
男性は自分の力で道を見出し、目的地に辿り着きたいのです。
女性にしてみたら、「他人に聞く方が手っ取り早いじゃないの」と思うかもしれませんが、男性にしてみれば、これは「能なし」と言われるのと同じくらい、屈辱なんですね。

男性に愛想を尽かされる人は、そういう事を無意識のうちに積み重ねているのではないかと思います。

男が「お前は強いから」という捨てぜりふを吐く時は、「自分が男として愛されていない」ことへの不満が込められています。

「私は振られた」と言いながら、その実、あなた自身が、『彼を男性として愛してなかった』のではないでしょうか。

メルマガ『外国人に恋してしまったあなたへ 第19号』より抜粋

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