言い訳は女性の幸せを遠ざける

前回、三十代シングルの『言い訳』について触れましたが、今回は、それを更に突っ込んで書いてみたいと思います。

私の前の職場に、Mさんという32歳の女性がいました。
ルックスは抜群、仕事も真面目だし、コンパにでも参加すればたちまち男性の注目を集めそうな、華やかな人でした。

が、お気の毒なことに、お父さんは白血病、家には出戻りでアルコール依存症のお姉さんとその二人の子供が同居して、同年齢の女性にしては何かと厳しい環境にあったのです。

そんな彼女の最大の欠点は、自分が独身で、彼氏もいない理由を全て家庭環境のせいにしていたことでした。

人に聞かれれば、
「私はお父さんの看病をしなければならないから」
「私はお姉さんに代わって、甥っ子姪っ子の面倒を見なければいけないから」
「こんな私と付き合える男性は、世の中にそうそういない。婿養子になるぐらいの覚悟がなければ、私の相手は務まらない」
等々。
自分が独身である理由、また独身でいなければならない理由を、百でも二百でも思いつくような人だったのです。

確かに、お父さんやお姉さんの事は、大変なご苦労かもしれません。
だからといって、彼女が独身を通さなければならない理由はどこにもないのです。

彼女一人がお父さんやお姉さんの世話をしなければならないならともかく、家にはお母さんもおられるし、お姉さんも依存症とはいえ日常生活が全くままならないほどの重症ではありません。
甥っ子姪っ子の世話といっても、すでに高校生と中学生です。
土日には、二番目のお姉さんが嫁ぎ先からちょくちょく戻って、家のお手伝いをされているとのことですし、周囲には伯父さん、伯母さんなど頼りになる親族も大勢いて、決して彼女一人が全ての苦しみを負わねばならない状況ではなかったのです。

病人の世話というなら、私の知り合いの看護婦さんにも、彼女が二十五歳の時にお父さんが末期ガンに冒されて、大変な思いをされた方がおられました。
でも、その方は、お父さんの看病と自分の恋愛を上手に両立しておられたし、調子の良い時には彼氏と二泊三日の沖縄旅行に出かけたりもしていました。
娘が生き生きと幸せそうな姿を見て、お父さんも安心してあの世に旅立つことが出来たのではないかと思います。
その方は、お父さんの喪が明けてから、その彼と結婚されました。

Mさんの場合、人に聞かれる度に、自分が独身である理由を「お父さんの世話をしなければならない」で通していたのですが、それではお父さんが気の毒なのではないか、と、しばしば思うことがありました。
もし、私がお父さんの立場なら、自分のせいで娘が嫁にも行かず、また周囲もそのように認識していると知ったら、すごく悲しいだろうと思うからです。

「私には家族を見る責任がある」と豪語する割には、自分が遊ぶこともしっかり考えているMさんの様子を見て、
「コンパに行ったりしないの?」
「お稽古事とかする気はないの?」
というような話を二、三度したことがありました。

もし、彼女が本当に家族の不幸に打ちひしがれているなら、
「今はとてもそんな気分になれない」
「私だけ楽しい思いをしていいものか」
という答えが返ってくるでしょう。
何より、飲みに誘うのも気が引けるような、憔悴しきった雰囲気が漂っているのではなでしょうか。

ところが、彼女の不可解なところは、家族の不幸話をさせれば、「今こそ私の出番」とばかり、嬉々としだすところでした。
もちろん、内心では傷ついているのでしょうが、「私は不幸だ、大変だ」と言う割には、それを周りに聞こえるような声でことさら強調するところに、私は納得行かないものを感じていたのです。

しかし、家族の不幸な境遇を盾にされたら、それ以上、突っ込んだ話をすることは出来ません。

私が聞きたかったのは、にもかかわらず幸せになりたいという気持ちがあるかどうか、Mさん自身は自分の将来や人生をどのように考えているかという事だったのですが、少しでも「恋愛」や「結婚」を匂わすような話になると、たちまち態度を硬化させ、「そのうち私は玉の輿に乗って、あんたらを悔しがらせてあげる」みたいな、幼稚ともハッタリもつかない発言を繰り返してはその場をごまかす為、誰も何も言えなかったのです。

そんなMさんも、一度だけ、
「なんだかんだ言って、私は自分に言い訳しているだけに過ぎないのかもしれない」
と、もらしたことがありました。

そこに気付いているのなら、どうしてもう一歩踏み込んで自分を省みないのか。
「愛が欲しい」という自分の気持ちに正直になろうとしないのか。

よほど切り出したかったですが、その場が社内旅行の車内であり、彼女の周りには、彼女をヨイショする、これまた言い訳大好きの三十代シングルが聞き耳を立てていましたので、私はとうとうそこまで話し及ぶことが出来ませんでした。

やがて彼女のお父さんは亡くなり、彼女が自分を省みるチャンスも遠のきました。
最近聞いた話では、彼女はやはりあのままで、これまた変わらぬ取り巻きと共に、相変わらず、「結婚とはー」「恋愛とはー」という大演説会を繰り返しているそうです。

額に青筋を立てて、「結婚だけが女の人生ではない」「女の生き甲斐は恋愛以外にもある」と力説している三十代シングルを見ると、私はいつも思わずにいません。
じゃあ、一生、誰にも愛されず、必要とされなくても、平気なのね、と。

前回、話題にとりあげた酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』の中に、「独身であるということは、誰にも必要とされていないということなのだ」という一説があります。

もちろん、親兄弟とは仲良いし、一緒に遊んでくれる友だちもたくさんいる。でも、「それ」と「これ」とは違うのだ――と。
親兄弟や友だちから得られるライトな愛情と、一人の男性に「君が一生必要なんだ」と思われる事実とは、全く質の異なるものなのだということを、この一説は見事に物語っているような気がします。

多くの人が勘違いしている事ですが、『結婚』というのはあくまで制度であって、それ以上のものでもそれ以下のものでもありません。
『結婚』という社会的な結びつきが重きを持つのではなく、「一人の男性が、誠実な気持ちから、一生の伴侶として自分を選んでくれる」、そして「長い道程の中で、二人で力を合わせて何かを作り上げていく」というところに意義があるのです。

はっきり言って、面倒の多い結婚生活を男に踏み切らせ、長続きさせるには特別な愛と動機が必要ですし、よほど相手のことが気に入らなければ、一つ屋根の下で一緒に暮らしていくことはできません。

だからこそ、女性はお付き合いしている男性がそれだけの決心をしてくれたことに感謝感激し、「結婚式」というお披露目の舞台で安らかな、満ち足りた輝きを放つのです。

「私は結婚なんかしません」「結婚だけが女の人生ではないです」。
そう思うなら、それで良いのです。

でも、愛されない自分、誰からも必要とされない自身のことはどうするのでしょう。

もし、あなたが、独りの自分に苛立ちや淋しさを感じているなら……、カップルで生きている女性を羨ましいと思うなら、やはりそうした自分の感情と真剣に向き合う必要があるのではないでしょうか。

私が言い訳固めに走る三十代シングルを見ていて、一番救いようがないなあと思うのが、本当は愛が欲しいのに、その気持ちに素直になれない部分です。

ぽっかりあいた心の隙間を埋めるために、あるいは、見まいとするために、次から次からいろんな言い訳を用意して、自分の生き方は正当だと主張する、その見苦しいまでの空威張りに、世間の人は「女がいつまでも独りでいると……」と、ついつい侮蔑の目を向けてしまうのです。

前に、国際恋愛のエッセーを配信していた時、「女性も結婚しなければなりませんし」という一文を書いたことがありました。

この書き方は一部の人を刺激するなと思いつつも、訂正せずにそのまま配信したら、案の定、『自由を愛する者より』を名乗る人から抗議のメールが来ました。

「阿月さんも、女性は結婚しなければならないとお考えになる一人ですか。私は、結婚は、自由を奪うものだと認識しておりますので、一生結婚はしません。阿月さんのお考えをお聞かせ下さい」

というような内容のものです。

まず、最初に思ったのが、結婚もしていない『自由を愛する者より』さんが、どうして「結婚とは自由を奪うもの」と結論づけることができるのかな、という事でした。

大方、家事や育児に明け暮れる近所の奥様方や知人・友人を見て、そう断定したのでしょう。
他人の生活を外から眺めて、ああだ、こうだと決めつける、頭でっかちの三十代シングルによくあるパターンです。

あえて言うなら、既婚者は、さして親しくもない独身者に面と向かって「私は幸せよ」なんて言いません。多くの場合、「結婚もいろいろあって大変よ。自分の時間もなくなるし。独身の人が羨ましいわ」というような受け答えに終わるのがオチです。

それを真に受けて、「やっぱり結婚は大変なんだ、不自由なんだ」と断定するのは、不倫親父のボヤキを愛と勘違いする若いOLと一緒です。

外の女の前では女房の悪口を言い、いい格好しつつも、家に帰れば「かあちゃんの作る飯が一番」とホクホク顔の不倫親父と同じく、亭主の愚痴、子育て音を上げながらも、けっこう満ち足りているのが既婚女性なんですよ。

でも、そういう建前は、独身のうちは分かりません。

だから、髪を振り乱し、色褪せたスウェット・スーツでスーパーをウロウロしているような主婦を見て、「ああはなりたくない」と侮蔑の視線を送ることができるのです。

「結婚は不自由」「主婦になれば堕落する」と考える独身女性は、そんなボサボサ頭の主婦の後ろに、それでも彼女を頼りにする旦那がいて、彼女の手料理を楽しみにする子供達がいる事など考えもしないでしょう。
独身のうちは、どんなに綺麗に着飾って、華やかにしていても、そうまで必要としてくれる人はないものですけど。

もちろん、中には、根っからズボラな主婦もいます。
が、ある意味、既婚女性や子持ち主婦の落ち着きというのは、「自分が必要とされている」という自信の表れであり、それ以上飾らなくても、「あるがままの自分を受け入れてもらっている」という安心感があるからなんですよ。

恋愛中の女性が必要以上に飾り立てるのは、「男がいつ去っていくか分からない」「美しくなければ飽きられる」という不安があるからでしょう。
もし、あなたという人間が、ただ「あなたである」というだけで愛されるとしたら、ごてごて飾り立てる必要などなくなると思いますよ。

雑誌や噂話から得た先入観を持って、他人の生活を外から眺めていても、実際、そこに何があるかは、他人には分かりません。
そして、まともな人間なら、本当のことは家の外には見せないし、誰にも言わないものなのです。

第二に、『自由を愛する者』さんは、自由を愛すると標榜しながら、少しも自由ではありません。
どこの誰が書いたかも分からない、たった一行の文句に反応し、いちいち抗議のメールを送ってくるぐらいですから、よほど「結婚」というものに囚われているのでしょう。

「私は自由を愛する」「結婚は不自由である」と言いながら、結婚していない自分自身に誰よりもこだわっているのは、他ならぬ『自由を愛する者』さんであると私はお見受けしましたので、返事はしませんでした。

そしてまた、こういう人がいるから、迷いながらも頑張っている三十代シングルが十把一絡げに見られて、迷惑するのです。
自分一人がキイキイするのは勝手ですが、真摯に三十代シングルを応援する気持ちがあるなら、仲間を貶めるような愚行に走ってはいけませんよね。

でも、実際には、このような『自由を愛する者』さんタイプが多いのです。
もっともらしい主張をしながら、自己矛盾に全く気付かない、意固地な女です。

三十過ぎの独身主義者が煙たがられるのは、「シングルである」という事実ではなく、心の潤いも柔軟性も無くして、ピリピリ、パサパサしているからではないでしょうか。

私もまたそうであったから言うのですが、現実から目をそらし、気持ちを誤魔化し、自分で自分に言い訳を続ける限り、人は決して幸せにはなれません。

「愛が欲しい」と素直に認めた人が愛をつかみ、「孤独が怖い」と口にして言える人がそこから立ち直って行くのです。

言い訳は、幸せの道を閉ざす、悪魔の囁きです。

恋愛、結婚に限らず、人に何かを指摘された時、抜けかけの歯みたいにグラグラし、「でも」「だって」「~だから」と言い訳に走るようなら、あなたの病巣は相当深いと言わざるをえません。
というより、あなた自身、そこに不幸の病巣があると認識していないのではないでしょうか。

「これは言い訳だな」と気付いたら、なぜそうまでして虚勢を張らなければならない理由を考えてみましょう。

原因が分かったら、ほんの少し、改善に向けて、努力してみましょう。

穴だらけの心を必死に直そうとする人間を、幸せは決して見捨てないものです。

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