「藤原紀香ちゃんが陣内君と結婚する」と知った時、私はてっきり「陣内孝則さん」と勘違いして、「まあ、年の離れたカップルやけど、紀香ちゃんの相手にはええかもしれんな」なんて思ってたんです^_^;
でも、どの記事を読んでも「格差婚」とか言うので、「え~、陣内さん相手に格差婚って、失礼じゃない??」と思っていたら、「孝則」でななく「智則」だった。そんな芸人さん、おったんか・・と、なんかズッコケたものですが。
紀香ちゃんも揺れる年頃だし、「この人」と思える人が見つかってよかったね♪ と思っていたら、今度の離婚報道。
大きな理由の一つは、「陣内君の浮気」ということですが、それ以外にもいろいろ難しいことがあったと思いますよ。
お互い忙しく飛び回り、普通の夫婦らしい生活など期待できない状態ですもんね。
まあ、ゴシップ記事をちらと読んだ限りでは、陣内君の浮気は一人、二人といったカワイイものではなく、あっちにもこっちにも状態だったようですが、そりゃ「紀香のダンナ」となればモテるでしょう。
あの天下の紀香から夫を寝取った──となれば、これほど女に優越感を感じさせるものはないですからね。
たとえ一夜限りの関係でも、相手が「妻あり」でも、夫を寝取って紀香の上に立てるとなれば、女の方から言い寄ってくるだろうし、男も「本当にモテる」と勘違いして、いくらでも図に乗ってしまう。
そんな中で、一度生じた亀裂を修復するのは非常に難しかっただろう、と推察します。
だからといって、紀香ちゃんが結婚に焦ったとか、愚かだったとかは思わないです。
あの年頃なら、「どこかに降り立ちたい」と思って当然。
今まで厳しい芸能界で第一線で突っ走ってきて、ふと立ち止まった時、「このままでいいのか、何か見失っているのではないか」と自問自答するのは誰しものこと。
そんな時、今まで目にしてきたギンギンの一流スターではなく、どこかニ、三本抜けたような、ずっこけキャラ(と言っていいのかな)に出会って、肩の荷が下りたような気持ちになり、ほとんど瞬間的に結婚を決めたとしても、それは女性として自然な感情ではないか、と私は思います。
紀香ちゃんだって、どこかに着地して、人生の新しい礎──人気で浮き沈みするようなものではなく、確たるものを築きたかったでしょう。
子供だって欲しかっただろうと推測します。
何か躓くと、「そんなの、結婚する前からわかりきっていたこと」と言う人もありますけど、でも、みんな「幸せになれる」と信じるのが当たり前じゃないですか。
たとえ、結婚前に大きな綻びが見えても、不安を感じても、「良い方」に賭けてみる──。
その女心を責めることは、誰にも出来ないと思います。
ところで、紀香ちゃんのブログには、こんな言葉があったとか。
「受験も就職も、失敗してやり直すと褒められるのに、どうして結婚だけは失敗すると許されないんだろう」
でもね。
結婚において、「幸せ」の対義語は「離婚」ではないのよ。
それはお互いが向き合った結果ですもん。
結婚における「幸せ」の対義語は「無関心」です。
自分の本心にも相手にも無関心。だから問題に目を向けないし、突っ込むこともない。
あの松田聖子と神田正輝が離婚したのも、多忙を極めた二人が久しぶりに夫婦だけで語り合う機会を持ったからだ、と言います。
その機会がなければ、あの結婚はもっと長続きしていたかもしれない、と。
だからカップルの歴史の最後に「決別」というオチが付いたとしても、それは今まで関係が生き続けた証拠。
「既に死んでいる関係」というのは、終わりもしなければ、深まりもしない、まさに抜け殻のような状態を言うんですよね。
人間関係はダイナミズム。
関係の本質は「関わること」であって、「仲良いこと」が全てではありません。
「失敗しない相手選び」と言ったところで、生きた人間と関わる以上は、嫌な所とも付き合わなければならないし、十年、二十年と年を重ねれば、価値観もライフスタイルも、ちょっとずつ変化していくものです。
まして結婚なんて、夫婦二人の都合で好きなように生きられるわけじゃなし、「前も、今も、この先もずっと同じ」なんて、期待するものじゃないんですよね。
言い換えれば、生活の変化や価値観の変化を恐れる気持ちがあると、何をやっても、誰と付き合っても、そこには不満が生じ、ただ幻滅を感じるだけだと思います。
そうならないように「関わってゆく」のが結婚の本質なのだけど、その関わり自体が機能しない、あるいは関わっても為す術ない……となると、それは悲しいけれど、幕を引くしかないのです。
でも、それは先に述べたように、お互いが関わりあって下した決断だから、負けでも失敗でもないんですよ。
ゆえに、紀香ちゃんだって、あれだけ日本中を騒がせながら終止符を打つ、というのは、やはり並々ならぬ決意だったと思いますよ。書類に判子をつくのは一瞬で出来るけども。
ま、そんな訳で、これから結婚を考えている人は、そこまで離婚を恐れることはないし、たとえそうなったとしても、それは一つのプロセスであって、勝ち負けではない、と思っておられたらよろし。
いずれにせよ、人間と人生の変化を恐れる限り、私たちは何処にも根を下ろすことは出来ないのです。

