言葉の倉庫 人生

言葉の倉庫

人は何ゆえに「存在理由(レゾン・デートル)」に悩むのか。

これら、すべて、自己愛から派生した、極めて病的な自意識に過ぎない。

──なあんて、今だから言えるのさ。

もう理由探しにも飽きた。

理由が分かったところで、何の足しにもならないから。

自分の存在に理由を求めるなんて、人間だけ──

自分だけは特別と思う、人間だけのナルシスティックな哲学だ。

*
ニーチェは、20世紀のニヒリズムを読み解き、
その処方箋まで残してくれたけど、特効薬には至らなかった。

それは人間のどうしようもない弱さや愚かさを
『力』で克服し様としたから。

でもね、人間、そんなに強くも、賢くもなれないものなのよ。

*
私には人生の「記録」より、今日、明日、創り出すものの方が大事だわ。

記録に残すべきものなど何も無い。

ある意味、「記録に残せる人生」って羨ましいよね。

赤恥&青恥オンパレードの私には絶対に無理。

というか、自分の書いたものなんて、5秒後には過去だもん。
書き終わった時点で何もかも終わる。
何年も経ってから読み返して懐かしむ気もない。

私には未来に創るものが全てだわ。

過去のことなど、過去にまかせておけばいい。

と、寺山修司も言っていた・・

————

過去に書いたものを何年も愛でるほど、センチメンタルになれない。

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いろんな光がある。

人を導くもの、心を照らすもの、ただひたすら美しいもの・・・

人が光を追い求めるのは、

放っておけば、

人間の心などどんどん闇に蝕まれてしまうからかもしれない。

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毎日が発見の連続だ。

なぜこんな簡単な事に気付かなかったのかと、ただただ驚くばかりである。

私たちは、自分自身についても、他人の心についても、余りに複雑に考えすぎる。

欲しいものはいつでもただ一つのはずなのに、それを得るのが難しいばかりに──あるいは認めるのが苦痛なばかりに──私たちは回り道ばかりして、余計な苦しみを背中いっぱいにしょいこんでいる。

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私には、私の愛を糧にして生きてくれる人が必要だった。

貪りもせず、無駄にもせず、その全てを自分の血と肉にしてくれる人が。

どんな人間にも、魂に空白がある。

プラトン風に言えば、人は自分の魂の片割れを求めて彷徨っているわけだが、その空白に気付かなければ、片割れにも出会いようがない。

言い換えれば、自分の魂の空白に気付くことから幸福が始まるわけだ。

ところが、幾多の人が、その空白に気付きもしなければ認めもせず、無駄な回り道ばかりして人生を虚しくしている。

空白を意識するのが怖いからだ。

人間は自分の弱さや欠けを直視しないかぎり、決して幸せにはなれない。

幸せになるということは、その前に、非常に痛みを伴うものなのかもしれない。

*

思う通りに生きるだけが幸せではない。

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正直、人と人との差なんて、一つしかないと思う。

それは『この世』を知っているかいないかの違いだ。

知れば知るほど苦しみも増すけど、
知らなければ、何も得るものは無い。

悲しみ苦しみは、知ることの代償なのだ。

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感受性の強い人間は時に自分を滅ぼすが、

些細なことにも心が動く鋭敏さがなければ、

どんな事も糧にすることは出来ない。

*

少しずつでも、心を動かす。

心が動けば、行動が変わる。

行動すれば、物事が変わる。

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相手が知りたいのは、

出来るか、否か、ではなく

あなたがどんな人間か、ということ。

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歯を食いしばり、必死に頑張っても、

他人の目に『強い人』とは映らない。

心に必要なのは

力(power)ではなく

強さ(strength)

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弱いなら弱いなりに、感じやすいなら感じやすいなりに、自分の感情に素直に生きて行けばいい。
元から鋼になれないものが、鋼の真似をしたって、真ん中からぽっきり折れるのが関の山だ。

だが、強くなる為に誰もが鋼になる必要があるだろうか。
それは断じて否だ。

世の中には、鋼の強さもあれば、草の根の強さもある。
感じやすいからといって、精神力まで劣るわけでは決してない。

本当の強さというのは、こういう時に思い切り泣けることだ。皆の前で弱音を吐いたところで、お前の価値が下がるわけでもない。

恥というなら、やれもしないことを『やれる』と言い、自分を十にも二十にも大きく見せることだ。
しかめっ面で歯を食いしばっても、誰の目にも『強い人間』とは映らない。
扱いにくい奴だと周りの心証を悪くするだけだ」

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四十代、五十代の、脂ののった頃ならともかく――彼は今、自分の引き際というものを強く意識しています。そういう時の人間は、思いがけなく感情的になることがある。人一倍利口で、達観しているようでも、妄執にとらわれるのよ。今のあなたには理解しがたいかもしれないけれど、時にはあなたの方が彼より大人にならなければならないこともある。「大人になる」ということは、二歩も三歩も譲って『赦す』ということよ。たとえ相手の間違いが明らかでも」

*

時には立ち止まって、心を休めるのもいいものよ。

それで物事の流れが変わることもあるわ。

上手く行かない時ってね、たいがい、きりきりに詰めてるの。

たとえは悪いけど、迷路の端っこに行き当たって、ひたすら壁を掻くネズミみたい。

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どんな正しい思想も行動しなければ無と同じだ。

自身の力をどう使うかで、何もかも違ってくる。

*

本当に必要なものは、「必要ない」と思っていた所にあるかもしれない。

*

「人間の判断には間違いもある。その結果、思わぬ方向に物事が流れることもあるわ。でも、今から過去に遡って、同じ場面をやり直すことはできない。過ぎたことをあれこれ悔やんでも、始まらないのではなくて?」

「ええ、でも……」

「誤りを反省の材料にするのはいいけれど、くよくよと考え過ぎて、気持ちの切り返しが利かないのは次の誤りの元よ。あなたも彼と一緒で、何かあると、すぐ亀みたいに手足が引っ込んでしまうのね。でも、お互い、手も足も出せない状態で向かい合っていても、何も始まらないのじゃないかしら」

*

私も彼も、今も答えを追いかけている。

本当にこれで良かったかどうかなど、誰も教えてくれないし、きっと最期の日が来ても、納得行く答えには辿り着けないかもしれない。

それでも生きて行く。

ただ、生きるために、生きて行くのよ。

*

君だって一所懸命に生きてる。

いつかはその意味が分かる日が来る。

*

人間というのは、突き詰めれば想念のものだ。
どれほど技能に優れても、淡泊な人間に大事は成せない。

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何を言っても自分の気に入らなければ反発し、プライドを守ることに躍起になる。
だが一方で、素直に聞き入れる面もある。
もう少し心を開けば、もっと多くのものを吸収することができるだろう。

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エベレストを踏破して自己実現する人もあれば、
家族で愛宕山に登って「飯ウマ~」と幸せに感じる人もある。
自分がどの山頂を目指すのか、しっかり心に決めておくこと。
でないと、途中で迷って、自分を見失う。

どの山に登ろうと、それこそ本人の自由であり、価値観の問題。

エベレストと愛宕山では遜色ありすぎるが、「飯ウマ~」な幸福にも価値はある。

己が肯定できれば、それでいいではないか。

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人ひとりを知ることは、そんな単純なものじゃない。もっと鼻につく欠点もあるかもしれない。その度にいちいち幻滅していたら、とてもじゃないが一生の付き合いなど無理だよ。

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誰かが『いい』と言えば『いい人』と思い、『良くない』と言えば不安になるようなら、そんなものは愛情でも何でもない。

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人間の道など、どこに繋がっているか分からない。
もうここで行き止まりだろうと思っていたら、意外な所から開けていったりする。

そうして思いがけない出来事の連続が自分の人生かと思っていたら、すべて「予測された出来事」であったりする。

その場その場では、「ままならない」ように思うことも多々あったが、なんてことはない、私は私の望んだ通りに生きている。

思いがけない出来事など何一つない。

*
 この世の何処にも万人が平等に幸せに暮らせるパラダイスなどありはしないのだろう。
 それでも一人一人は懸命に生きて行く。

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日々、浮かんでは消える雑念が人を迷わせ、疑い深くさせる。

どんな人間も賢明になれるが、賢明であり続けることは難しい。

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幾千の教えを語って聞かせるより、恋の痛みや悦びの方がはるかに多くのことを学ばせてくれる。そして、思いがけなく人を愛して戸惑っているのは、あなただけではないはず。

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「マニアでなくても、PCの記憶デバイスに自分の人生をコレクトする人は少なくない。人間の記憶とちがってPCの記憶は体系化できて、半永久的に保存が利くからね。誰かの実体をより詳しく知りたければPCの中身を覗くんだ。時として、それは家族や友人の証言よりはるかに勝る」

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「あなたの言う通り、私はあなたのことなど何も分かってないかもしれない。でも、あなただって、私のことを何も分かってない。まだお互いのことをよく知りもしないのに、一人で結論付けないで」

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私が花に惹かれるのは、動いていないように見えても、日々、確実に成長しているからだ。

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「ともかく、考えろ。

考えて、考えて、考え抜いて、答えを見つけ出せ。

そこで得た知恵は永久にお前のものだ。

誰にも奪えないし、揺らぐこともない」

*

何にでも白黒つけたがるのが屁理屈。

白黒、相反するものにも共通項を見出し、

新たな価値観を創出するのが知性。

*

本当の意味で『自分を大事にする』ってどういうことさ? 

自分の信念を曲げないことだろう。

多分、俺はそうやって、皆の前で磔になるタイプだ。

だからといって、それがあながち損な生き方とも思えないんだよ。

*

死を思うのは、現実に死が遠いから。

死が近くなると、人はかえって『生』について真摯に考え始める。

皮肉なことに、生の本当の意義が分かるのは、

まさに死の足音が聞こえ始めた時。

生きる時間がたっぷりある時に、死にたい、死にたいと思い、

いざ残り時間が少なくなると、人は途端に『生きたい』と願い出す。

*

自分で料理を作るのも、一人で食べるのも苦痛ではない。

帰る家もなく、食卓を囲む家族もなく、自分だけが誰に対して何の責任も果たさず、

浮き草みたいに生きているのが惨めに感じるのだ。

*

右を向いても、左を向いても、『自分』にこだわる人が多い。

ところで、あなたの『自分』って、そんなに大層なものなの?

*

私の可愛い姪っ子が、肖像画を描いてくれました。
姪は感性豊かで、ボキャブラリー豊富な子です。

夜空に輝く満月を見て、「月が追いかけてくる~!」と
走り出したその驚き──

道端に転がった丸い石を見つけて、「わあ、可愛い石」と
拾い上げたそのときめき──

雑草を摘みながら、
「お花を摘んでいると、ふわふわした、いい気持ちになるの」と
語ったその悦び──

人間の唯一無二の才能にして、最高の財産は、
『感性』だということをいつまでも忘れないようにね。

*

前に、友人と口喧嘩になった時、言われた事が、
「Marieは、すぐそうやって『リクツ』で考えようとする。 物事は『リクツ』やない。人間、本当にその意味が分かったら、『リクツ』なんて並べんもんや。黙って、その渦中に身を置くもんや。 『人生とはぁ~~』とか『恋愛というものはぁ~~』なんて リクツを言うてる間は、実は何も分かってへんのやで」

リクツを説く人は多い。
そのほとんどが、他者の言葉の引用か分析だ。
心ではなく、頭で書いている。
語るべき自分の人生を持たないからだろう。
だから説得力も無い。

言葉だけがご立派で、中身は空っぽとくる。

今、巷では、『なぜ人を殺すのはいけないのか』という議論が流行っているらしい。

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