言葉の倉庫  学術、アート

人の心の不思議さを、リクツで解き明かせないから芸術が生まれた。
存在そのものが不可解だから、哲学が生まれた。
生きていくには指針が必要だから、宗教が生まれた。

万人が納得する正答など永久に見出せない。
だから人生は神秘だし、生きる価値があるということを
何故、教えられる人間が無いのだろう。

ニーチェは、20世紀のニヒリズムを読み解き、
その処方箋まで残してくれたけど、特効薬には至らなかった。

それは人間のどうしようもない弱さや愚かさを
『力』で克服し様としたから。

でもね、人間、そんなに強くも、賢くもなれないものなのよ。

*

良い文章が読みたいのではない。

良い言葉を語ってくれる人間に出会いたいのだ。

それが本屋や図書館に足を運ぶ最大の動機と思う。

もし、現在、寺山修司氏が生きていたら、
この社会を、人間を、どんな言葉で語ってくれるだろう。

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その時々は分かったような気になっても、知れば知るほど、自分の無知が身に染みる。どんな学問も海のように奥深く、その深淵は人間の目に見えないものだと、つくづく思う。きっとその果てまで辿り着く人など一握りだろう。

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海岸に打ち付ける波の一つ一つにも生命の営みがある。

波は微生物や細かな堆積物を運び、海岸の地形や地質を少しずつ変えてゆく。

それは時に人間社会に不便をもたらすが、こうした変化があればこそ、自然のシステムは生き続け、進化することができる。

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たとえ生きて行く為に漁が必要だとしても、

乱獲は巡り巡って人間そのものを滅ぼす.

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国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

「トンネルを抜けるとそこは雪国であった」この文ってどこが凄いんですか?

自分で実際にその場面を書いてみれば、どこが凄いか、よく分かると思います。

……というより。

一人で物思いに耽りながら、電車に乗って旅に出てみよう。

そういう経験がなければ、他人の書いてる文章の意味など永遠に分かりません。

名文であろうと、なかろうと。

*

外国の作品は、やはり原語で読まねばならない──。
それをつくづく思い知らされたのが
ランボーの名作『永遠』でした。

ただただ原語の響きを味わいたいがために、
輸入本のコーナーに行って、仏語の詩集を手に入れ、
仏和辞典まで買ってきたけど、
あまりの難しさに途中で挫折しましたねーーー。

ちなみに『太陽と番った』『太陽を伴った』などと
訳される原語は、連れ添った二つのものを意味する
アベック avec です。

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