高卒になる勇気を持とう → 職人を目指せ

昔から「家がビンボで進学できません」はありふれた話です。うちも父親は小学校卒、母親は中学校卒、読み書き終えたら、「裏の畑の野菜を荷台に積んで、街で売ってこい」「軍需工場で縫製してこい」で高等学校への進学なんて夢のまた夢。戦中・戦争直後に女学校や大学に行けた人って、都会の嬢ちゃん、坊ちゃんやと思います。田舎のビンボな家庭なんて、そら悲惨。

でも、完全に生きる道が絶たれていたかといえば、そうではない。

行儀がよくて、そこそこに読み書きのできる子は、地元の篤志家が学費の面倒見たり、都会の商家に丁稚奉公したり、とりあえず何かで身を立てていく術は見出すことができた。出来が良ければ、暖簾分けしてもらったり、器量のよい娘なら「ぼんぼん」に見初められて玉の輿にも乗ったり。どこかしこに庶民レベルの相互扶助はありました。

私が子供の頃にも、地方から出てきた高卒の娘さんが二人、住み込みでお手伝いされて(普通の家ですよ)、うちの母や祖母から技術を学び、年頃になったら、周りの大人が結婚の世話をして、支度金を持たせて、「きばりよし」と送り出した。

そこまで悲壮感はないし、周りの大人が本当によく面倒見てた・・という記憶しかないです。

一方で「ああ、野麦峠」みたいな史実もある。

京都の商家に奉公に入ったものの、苛められ、辱められ、鴨川に身投げした・・という話もあって、一概にはどれが正解とは言えないのですけど。

私はそういう「職人バリバリ」の家で育ったので、物心ついた時から、「私は何の仕事をしようかしら」といつも考えていたし、「職人(技術)最強」という印象も強かった。

一番なりたくなかったもの。それは「会社辞めたら、ただの人」です。

会社辞めたら、ただの人

私が子供の頃、「オレは松下の課長や」が自慢の人がいました。『松下』というのは今のパナソニック、松下幸之助が創設した「松下電器産業株式会社(旧称)」のことです。昔は一流ですよね。

で、その嫁も、「たくの主人は松下の課長でございます」が自慢でね。

ついでに息子も「僕のお父さんは松下の課長や。君らとは違うんや」みたいなところがあって。

一家揃って「松下」の看板で生きてるような感じでした。

でも、私は子供心にいつも思ってたんですよ。

「あんたが偉いのと違う。松下電器を創設した松下幸之助が偉いねん。他人の作った看板掲げて、何を威張ってんのや。松下辞めたら、ただの人やん」

実際、松下電器が倒産したら、この人たち、たちまち無職でしょう。

今日は課長でも、明日は失業者として、ハローワークの窓口に並ばないといけない。

「松下の課長」の肩書きで、次の職場が見つかったとして、前と同じようにふんぞり返れるか、といえば、決してそうじゃない。

でも、うちの母親は、売り上げが落ちて店が潰れても、技術は手に残るし、それを元手にまた取り返せる。いわば、自分自身が資本です。それは不安定に見えて、実は一番手堅いのではないか、と。

実際、うちの母親、もうすぐ80歳になりますけど、いまだに「お客さんに呼ばれた」と、いそいそと仕事に出かけて、(私よりたっぷり年金もらってるくせに)小銭を稼いで帰ってきますからね。

そして、「松下の課長」にも二通りいるんですよ。

「松下」の看板が外れても、よそでまだまだ通用する課長と。

「松下」の看板が外れたら、ただの人になる課長と。

そこを勘違いして、「松下の看板」だけ求めていくと、倒産や左遷や病気など、不測の事態で看板が外れた時、「こんなはずじゃなかった」と青ざめることになる。

そして、これからの世の中、松下幸之助や、うちの二人のお手伝いさんが助けられたような丁稚奉公や村の篤志家は消えて、収入が途絶えれば、路頭に放り出される時代が必ず来る。

その時、身を助けるのは何か。『手に職(技術)』。

というのが、私が子供時代に学んだ最大の教訓だったのです。

もちろん、その傍らでは、町内の畳屋さんが廃業し(フローリング床の普及により、手作りの畳の需要が激減した)、染め物屋さんや呉服屋さん、絵師(陶器に絵を描く人)、着付け屋さん、昔ながらの職人が次々に姿を消して、「高度な技術をもっても、決して安心はできない」「もし自分の技術が世の中から必要とされなくなったら、どうやって生き残るのか」という事も考えさせられました。京都の呉服屋が次々に傾いて、「あそこもついに店をたたまはった」という話をしょっちゅう耳にしたことも大きいです。昔は花形でしたけども。

何より、この世の中では、資本を持たない人間は、一生、自分の労働力を差し出さないといけない。(高収入だろうが、高度技能者だろうが)

そして、その労働力は、病気、会社の倒産、家族の都合などで、あっけなく潰える・・ということを、ゆめわすれてはいけない。

自分たちの立ち位置が、いかに脆くて、不安定か、それをシビアに認識するところから人生設計を立てないと、思いがけないところで生活の支えを失って湯船に沈むのが、この世の中なのです(残念ながら)。

興味があれば、労働関係の本(自己啓発やノウハウではない)を読むことをおすすめします。骨のあるドキュメンタリーや、「ああ、野麦峠」みたいな小説、労働問題をテーマにしたハリウッド映画も取っかかりとしては最適ですし、もう一歩、突っ込んで、マルクスのような哲学的な側面もつ書物に触れてみるのもいい勉強になると思います(マルクスを読むからといって、皆が皆、共産党ではないし、共産主義社会が崩壊したからといって、マルクスの思想から何も学ぶものはないわけではありません)

人生の収支をプラスで始める

もし、あなたの実家が低収入で、どちらかといえばビンボで、あなたの成績もそこまで良くなくて、家族に何か起きれば(父の失業、母の病気、兄の借金、祖母の介護、等々)、親ともどもアップアップして、いつ路頭に迷うか分からない・・というような、淋しい経済状態であれば、思い切って高卒になる勇気を持って欲しいと思います。

借金してでも大学に行く意味があるとすれば、

1)そこでしか勉強できない学問がある、あるいは、そこで修得しなければならない学問

航空工学、船舶工学、宇宙物理学、医学、等々。

民間にはない設備とか、高度な訓練とか、そこでしか絶対的に無理な分野。

2)どうしても勉強したい学問がある

マイナーな外国語(アラビア語とかスワヒリ語とか、駅前の語学学校にはないもの)
西洋美術史、日本史、ドイツ文学、等々、ちょっとマニアックな世界。

3)一生、切り札として利用できそうな学歴

なんだかんだで、みな、一流の肩書きは好きですからね。

そんでもってね。

貧乏な嬢ちゃんにとって一番重要なのは、「自分が大学に通った分のコストを必ず回収する」、いわば人生の収支計算を必ずプラスに転じる気迫と努力と知識技術を身に付けられるか、ということです。

こういう言い方はまことに残酷ですけども、貧乏な自分と、裕福な嬢ちゃんと、同じように考えたら駄目。

向こうは、離婚しようが、退職しようが、病気しようが、親がいつでもウェルカムで、生活費から子供の面倒まで見てくれて、ついでに億単位の遺産も残してくれる。

裕福な嬢ちゃんの学費500万と、貧乏な自分の学費500万では、肩に食い込む重さが全く違うんですよ。

さらにシビアな事を言えば、数百万のロスは、埋まりそうで埋まらない。

私が学生時代に読んだ金融系のコラムで、「人間、500万円ぐらいの借金が一番苦しい。返せそうで、返せない。これが地獄の如く。逆に、10億や20億の借金を作ったヤツはけろりとしてる。500万円ぐらいの借金を抱えた人間が一番自殺する」というような事を書いておられて、本当にその通りだと思います。

運よく高収入の仕事に就いて、万事順調に運べばいいけれど、私が学生時代より今の状況ははるかに厳しいし、社会が順境な時でさえ数百万の借金は庶民には重い。それを考えればね、「本当にその大学、行く価値ありますか?」という事を、とことん自分に問いかける作業は必要だと思います。

もちろん、社会全体では「貧しい家庭の子供にも均等な教育の機会を」と訴え、その援助もしている。

でも、それは「権利」という概念の中での話で、現実はそうじゃない。

制度が整って、自分に恵みが回ってくるのを待っていても、永久に来なかったりします。

政治家の皆さんがあーだこーだと論議している間にも、あなたは高校三年生になり、決断を迫られる。

残念ながら、それが現実。

ならば、現実は粛々と受け止め、自分で道を切り開く方に考えをシフトするしかない。

裕福な嬢ちゃんが大学のキャンパスで綺麗な服を着て、「いかにイケメンな彼氏をゲットするか」に花を咲かせている間にも、あなたは虎視眈々と自身が生き残る道を見据え、知識なり技術なり身に付けて、己の足で立って歩かないといけない。

不公平に感じても、それが現実。

でも、そんな不幸にもがいているのは、あなた一人ではない。

昔から、成績優秀でも、家が貧乏で進学できません、仕方なく働きに出てます、という女性は大勢いました。

それでも生きてきたし、皆が皆、ド貧民で終わったわけではない。

うちの母親みたいに、ぼけもせず、孤立もせず、いまだに小遣い稼ぎして喜んでるタフな婆さんもおれば、今では従業員を抱えて一店舗を切り盛りしている、我が家の元お手伝いさんもいる。その方も高卒で我が家に奉公に入って、うちの母親が夕食にハンバーグを作ったら、「こんなに美味しいものを食べるは生まれて初めてです」と涙目で食べたって。でも、結婚もし、自分の店ももち、いい暮らしなさってますよ。

そして、現実を生き抜くことは、権利うんぬんとは別次元の話。それを考えるのはお役所の仕事。うちらは、とにもかくにも食って行かねばならない、不公平でも、惨めでも、どこかですぱっと諦めて、上手に舵取りしないと、守ってくれる親も資産もないんですからね。

高卒のメリット

私もずいぶん悩みましたけど、まあ、そんなに頭もよくなかったし、「本当にこんな大学に300万円も400万円もお金払って行く価値あるのかな」と思ったら、案外、すっぱり見切りを付けることができました。

一応、願書も書き、郵便局まで行ったけども、郵便局の手前でつくづく思ったんですよ。

金の無駄遣い』って。

また、私は一日も早く自活したい気持ちが強かったですから、

・これから四年間、さらに親に頭を下げ、親にご飯を食べさせてもらい、数百万の学費を負担させて、家族共々、いっそう貧乏になるか。

・さっさと家を出て、働くか

どちらがベターか、聞くまでもない。

そしてまた、私が勉強したい事は一つしかなかった。

そして、それは「大学でしか学べないことか」と問われたら、そうでもない。

自分で勉強すればいい。

よし。

大学行かずに、働こう。

そして、最初の一年で100万貯めて、それを資本に学校に通うなり、商売するなり、次の手立てを考えよう。

ということで、願書はゴミ箱に捨てて、すぐに職探しを始めたのです。

とはいえ、18歳の高卒の娘が仕事を探すのも、なかなか難しい。

求人広告を眺めても、コレというものがない。

そんな時、親戚のおばさんに勧められたのが「看護婦」だったんですね。

看護職なら、18歳の娘でも、「住み込みで仕事しながら学校に通って資格を取得する」という道が開かれている。

今もそうだと思いますけど、看護職って、昔から、母子家庭や低収入家庭の困窮した子女の受け皿になってきたんですよ。もちろん、そこには人手を求める医師会の思惑や、イロイロございますけど、ここに行けば、とりあえず住まいは安価で確保できるし、学校にも通わせてもらえる(仕事と掛け持ちはキツイけど)。

そんでもって、その他の職種と決定的に違うのは、辛い学業を乗り越え、国家資格に合格し、晴れて正看護師になったあかつきには、高収入の安定職に一発逆転、寮生活で30過ぎには1000万以上の貯蓄、50代になってもまともな求人があり、女性にもどんどん出世のチャンスがあって、子育てしながら仕事を続ける環境もだんとつに良い、器量のいい子には「憧れのお医者さまとの結婚」というラッキーも付いてくる(これはあくまでオプション)、ウハウハの仕事、という点です。<夜勤や汚い仕事がいや・・という人もあるけど、それもまた抜け道がある>

高卒で、住み込みで働いて、学校にも通う、辛い数年間を、みなが堪え忍ぶのは、そこをくぐり抜けて正看護師になったお姉さま方が綺麗にお洒落して、レストランやら、エステやら、あちこち出掛けて羽振りがいい姿を間近に見てるからですよ。

それじゃ、私も一度やってみよう。どうしても合わなくても、金さえ貯めれば何とかなる、で、電話帳の「病院一覧」のページを広げて、片っ端から電話しまくったんですよ。「18歳の卒業したてですけど、こんなんで雇ってもらえますかぁ」って。

そしたら、たまたま良い病院とご縁があって、就職することが叶ったわけです。

基本給10万3000円、夜勤手当、特殊手当込みで、平均の手取り12万円。賞与夏1ヶ月、冬2ヶ月。

そんでも、寮費が月額800円(千でなく百)、光熱費タダ、共益費年額2000円、食事は病院食の残りものゲット、というインフラで、最初の一年で120万円貯めました。その時のお金は今も持っていて、私の人生の保険&青春の友として大切に預けています。

その後もちょっと寄り道して、最終的には看護学校に行ったのですが、当時の国立系の学費は、年額3万8千円(日赤は無料)、食費と寮費を足しても月額2万円以下、そこに遊び代が月2万円ぐらい。3年間で、生活費込みで、160万円ちょっと。日本育英会で100万円ほど借りたけども、正看護師で夜勤して、寮生活で慎ましく暮らしてたら、最初の一年で余裕で返せる額です。

そんでもって、看護学校に来る子は、基本的にいい人が多いし、クラスに数名は「子供の頃、お父さんが死んじゃったの。働くお母さんを早く楽にしてあげたい」という健気な身の上の子がいるから、肩身の狭い思いをせずにすむし。また、そういう子同志で励まし合って、本当に偉いですよ。

今はだいぶ変わってるでしょうけど、当時としては、良い選択だったと思います。はるかに濃厚な勉強もできましたしね。

で。

高卒の最大のメリットは何かといえば、「人生プラス収支から始まる」という点です。

たとえ手取り12万円でも、社会人人生の最初から数百万円の借金を抱えてスタートを切るのと、僅かでもプラス収入の中で知識や技術や経験を確実に身に付けていくのと、プレッシャーが違うわけです。

もちろん、大卒のメリットをいかして、その差をポンポンと埋める人もいらっしゃる。「これだけリスクを負って進学したんや、倍にして取り戻したる!」という気概の方もおられるでしょう。それはそれで良い燃料になると思います。

でも、自分の場合はどうか、そこをシビアに考えた方がいい。

三度の飯より情報工学が好き、ロシア語、最高ッス! で、心の底から何百万と借金してでも大学に行ってよかったと思えるならばいいけども、結局、何をしたいのか分からない、漫然と過ごして、マイナス収支だけが肩にのしかかるような生き方をするのであれば、そこはすぱっと考えを切り替えて、より現実的、より具体的に、生き残る術を考えた方が、のちのち後悔しないと思います。

そんでもって、人生なんて、最後の最後まで生きてみないと分からない。

私も、まさか海外に暮らすとは夢にも思わなかったし、その他にもいろいろ不思議なことがあって、高卒で三年だぶったことをハンデに感じたことは一度もないです。

確かに「大学行かない」と決めた時、多少の怖さはありましたよ。学歴社会の真っ只中でしたし、それがハンデになることも覚悟しました。

でも一方で、大学に行かなくても、仕事や伴侶を得て、まっとうな暮らしを送ってる人もたくさんいる。

私は気持ちをそちらにフォーカスして、良いように考えるようにしてきました。

その決断は間違いではなかった、と今も思っています。

高卒には余計なプライドがない

高卒のメリットは、余計なプライドがない、ということです。

もとから裸一貫ですから、何でもやれるし、何にでもなれる。

「○○大学まで出たこのオレが」という気負いがないから、「すんません、分かりません」と素直に頭を下げられるし、生活に必要とあらば、どんな職業でも体当たりでぶつかっていける。

そういうところが、お客さんや上司に気に入られて、どんどん取り立ててもらえる部分もあるし、必ずしも高卒だから損ということはないです。

元々、「食えればいい」が目標みたいなところがありますから、そこそこに収入が安定して、人並みな暮らしができれば御の字、あとは人生楽しもう♪ にシフトして、案外、気楽です。

「○○大学まで出て、この程度」ではなく、「高卒だけど、ここまでやれたな~」という満足感で生きていくので、自分を追い詰めることもないしね。

これは案外、強みです。

高卒はチヤホヤされる

「18歳で働いています」というと、

・クラブやブティックのお姉さんに「この子、働いてるんだって! きゃ~、カワイ~」となぜか可愛がられる。「ほっぺたがツルツル! きゃ~、触らせて~」と、撫でられたこともありましたよ。なんでかしらんけど。

・タクシーの運転手に「嬢ちゃん、18歳やのに働いとるんか! うちの娘は大学生やけど、どーたらこーたら、あんた、頑張りや~」と応援される。
(寮に帰る時、「○○病院まで」と言うと、「嬢ちゃん、病気なの? お母さん、入院してるの?」と聞かれる。「いや、ここで働いてるの」と答えると、こういう会話になる)

・大和証券で「今回も頑張りましたねっ! 次も頑張って下さいねっ!」といろんな人に励まされる。まあ、商売といえば商売だけど、18歳の女の子が10万円貯まるたびに、中期国債ファンドを買いに来る姿が微笑ましかったんじゃないでしょうか。

・商店のおっちゃんに「嬢ちゃん、住み込みで働いてるんか! おっちゃんの昔を思い出すなー。小銭はええわ。これも持って行き」と、果物一個、プレゼントされる。

というような感じで、18歳=働いてます時代が、人生で一番チヤホヤされましたよ。

世の中、蔑む人ばかりやない。見てる人は、ちゃんと見ていて、いろんな形で応援してくれるから、大丈夫。

後悔しませんか?

人間、何を選び、どう生きても、いつかは一度は後悔するものです。

「我が生涯に一片の悔いなし」が理想なのでしょうけど、それは人生の最後の最後に感じることであって、生きている途中は、迷い、後悔し、歯ぎしりするのが当たり前。

そこを辻褄合わせて、最後に「ドォォォ~ン」と昇天するのが、人間の知恵というものです。

就職でも、結婚でも、やる前から、後悔しませんか? は愚問です。

「人間、いつかは後悔するもの」と思っておれば、何でもないです。

後悔も迷いもない、完璧な人生を送ってる人など、稀ですよ。

水商売(ホステス系)はなぜダメなのですか

女の子が「高卒で自活する」というと、いわゆるお水系も視野に入ってくると思います。

求人広告も「ノルマなし、住まいあり、一日でこんなに稼げちゃう♪」と、世間知らずな少女が見たら「わあ、すごい。私もやろう」と思わせる謳い文句がいっぱい並んでる。それを真に受けて、足を踏み入れる子の気持ちも分からなくはないです。

私はドクターに連れられて祇園の会員制のバーやクラブにちょくちょく通ってたし(慰労です、ほんとに)、知人は「あんた、よく今まで生きてきたな」というような夜の修羅場をくぐり抜けていた、たたき上げのホステスで、いろんな経緯から人格者のママに可愛がってもらったこともある。

その上で言うんですけどね。

やばい理由は二つある。

一つは「ヤクザ」、もう一つは「一度、時給数万円の世界を知れば、簡単に抜けられなくなる」。

私の知人は後者の理由ですごく苦しんでました。それでも一所懸命に勤めて、昼の世界に戻りましたけど、金銭感覚のズレって、簡単には修正できないものです。いったん昼のアルバイトもするけど、ちょっと辛いと、「アホらし」と感じて、すぐ夜の世界に戻ってしまう。また、そっちの方が周りと気心が合う、という理由もあって、一回入ってしまうと、抜けるのが大変なんですよ、いろんな意味でね。

それでも、必死に勤めて、自分の店をもつなり、雇われママになるなり、何かしら形に成して、将来に繋げていけるなら、それも確かに一つの生き方ですよ。漫画『女帝』の立花彩花みたいにね。

でも、そこまで行ける人も、本当に数少ない。

そして、昼の世界と決定的に違うのは、福利厚生だの、社員教育だの、労働法だの、いろいろ整っているわけではなく、商品としての期限が切れたら、一夜で切って捨てられる、ということです。いつものように出勤したら「あんた、今日で終わってくれる」と言われて、明日からどうやって生活すればいいんですか? の世界ですよ。

そういう中をくぐり抜けて、目抜き通りに『クラブ 都』とか出してる女性って、ほんとに凄い。顔とか性格の話じゃない、人間としての器というか、世渡りのセンスというか、中小企業の社長になっても成功するタイプです。

そういうの見てると、「一時間でこんなに稼げちゃう♪」で気楽に入っていい世界ではないのは、私にも分かります。

元々、OLや女子大生で、「海外旅行に行きたいから、三ヶ月だけ」と、すぱっと割り切ってやるなら別としてね。

そんでもって、一番注意しなければならないのが「ヤクザ」。

ヤクザというと、入れ墨して、「オラオラ~」とすごんでくるのがヤクザと思われてるけども、あれはチンピラ、もしくはDQNと言われる層。

本物のヤクザは、ネクタイ締めて、上品な顔で近づいてくるのね。「よかったら、相談に乗りましょう」「お金を貸しましょう」「有力者に口利きしてあげましょう」。やれ助かった、と安心していたら、後でそれ以上の見返りを求められ、拒否したら風呂に沈められる、あの手この手で骨の髄までしゃぶり尽くすのが本物のヤクザです。

一般人にはなかなか見分けがつかないし、まして世間知らずな女の子には「親切なおじさん」ぐらいにしか見えない。

そして、夜の世界でも、「ヤクザ系」を徹底して警戒している店もある。なぜかといえば、一席数万、数十万するような会員制の店になれば、客筋も、社長、役員、有名人、社会的に地位の高い人が多い。そういう優良な客は、ヤクザとの関わりを非常に嫌います。下手すれば会社の信用に傷がつくから。

自分の店に「ヤクザが出入りしている」という噂が立てば、優良な客はさっと引いて、ヤクザ系ばかりが寄ってくることになる。そうなったら、もう縁切りなど不可能で、そっちに取り込まれてしまうんですね。

それを弁えて、堅実に営業して、優良な客筋をキープしている店に雇ってもらえたらいいけども、これまた素人の女の子には、看板や求人広告を見るだけでは、ヤクザ系かそうでないかの判断はつきません。

だから怖いんですよ。

そんでもって、優良な店ほど、審査が厳しい。「私、可愛いからオッケーですよね♪」みたいなノリでは到底無理。

こんなリスキーで、競争の激しい世界に入るぐらいなら、住み込みで看護の仕事やって、数年、辛い時期を乗り切って、正看護師の免許を取った方がよっぽど堅実。中には、労働条件がどうかなーみたいな所もあるけども、それこそヤクザの情婦と違うんですから、免許とって、三年奉公すれば、自由になれる。そこから先の数十年は、人並み以上の年収とって、役職を目指したり、専門職を目指したり、学校の先生になったり、結婚して子育てしながら近所のクリニックで仕事を続けたり、私みたいにオタク道を追究したり(書道や絵画の世界で活躍している看護師さんもおりますよ)、計り知れないようなメリットがあるのですから、安易に美味しい求人広告に流されず、こっちに来て欲しいな、と思います。

学歴よりも運

この世のことって、突き詰めれば『運』です。

学生時代、私もこの言葉は嫌いで、成功者のインタビューとかで「上手くいくか否かは、運が70%ですよ。能力とか、努力とか、カンケーないです」みたいな話を目にすると、「何それ? 努力は無意味ってこと?」と、むかむかと腹が立ったものですが、今ならその意味が非常によく分かります。

いろいろ振り返ると、ほんと『運』としか言いようがない巡り合わせの連続でした。

じゃあ、努力しても無意味なのか、といえば、決してそうじゃない。

たとえば、高収入のイケメンと知り合う機会があっても、性格ダメダメでは、絶対に恋愛なんて成就しない。シンデレラみたいに「王子さまと出会う前は、毎日、継母に苛められながら、掃除、洗濯してました。ネズミや小鳥にも親切でした」という積み重ねがないと、運は生かせない。

いつか訪れれるその日の為に、やっぱり努力なり研鑽なりは必要なのです。

では、王子さまの心を掴めなかったシンデレラはどうなるか。

掃除、洗濯、料理と、手に職はありますし、ネズミや小鳥も心からの友人ですから、まあ、その先も生きて行ける。

継母もいつかは死ぬし、ブサイクな義理姉もいつかは嫁に行っていなくなる(家に居続ける恐れもあるが)。

何より、逃げだそうと思えば、逃げ出せる。

あの器量と家事能力なら、どの男と結婚しても、そこそこ幸せにやっていけるし、むしろ、いい男に見初められる確率が高い。

たとえ王子さまと結婚できなくても、パン屋の息子に愛されて、「ああ、今まで掃除洗濯がんばって、良かった」と心の底から思うでしょう。

ひねくれて、ネズミや小鳥を虐待し、顔付きも鬼ババみたいになったら、それこそ人生詰みますけどね。

魔法使いの力で、王宮の舞踏会にでかけ、王子さまにお目通りが叶ったのは『運』だけど。

そこから先は、シンデレラの『実力』ですよ。

一緒に踊って、魅力をアピール。

片方の靴を残して、名前も告げずに去って行く。

これが出来ない女が、案外多い。

仕事でも、優良なパートナーに巡り会うのは『運』。

でも、そこから先、信用と実績を作るのは『実力』。

そして、その最初の『運』を掴めるか否かは、必ずしも学歴は重要でない。

高学歴だと運が巡ってくる確率が高い、というだけでね。

そこから先の幸せや成功までは保証されない。

そういう意味で、高卒にも『運』を掴んで、上手く生き残っていくチャンスはある、ということです。

意を決して、高卒を選択された皆さんに、シンデレラの幸運が訪れることをお祈りしてます(^^)

アイテム

こういう史実もあった・・ということで、参考になると思います。蟹工船・党生活者 (新潮文庫)もおすすめ。

こちらは丁稚奉公から「経営の神様」まで上り詰めた方の自伝。
この方は現代に生きても、なんだかんだ手がけて、結果を出したと思います。

これは教養の一環として読むべきものです。

Photo : http://kids.disney.co.jp/character/cinderella.html

Site Footer