親の愛を求め続けた果て

【婦人公論 2006/11/22】

『心の疲れはごまかせない』 読者手記より

私はいつから精神を病んでいたのだろう。
最初は中学2年の冬だった。
夕食の最中、突然、口と舌がしびれて身体がこわばり、ものが飲み込めなくなった。
トイレに走って、口の中のものをやっとの思いで吐き出した。
心臓が早撃ち氏、冷や汗で身体が冷たくなった。

トイレから戻った私を、母は冷ややかな目で見ていた。
私はいつも、母のこの目に覚えていた。

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母の冷たい視線と、父の厳しい叱咤から逃れるには、勉強しかなかった。
とくに母の愛情を得るには、もっとよい成績を取ることしか考えられなかったのだ。

試験中にたびたび、胸が苦しくなる発作が繰り返されてはいたが、表面的には優等生で中学を卒業し、進学校と言われる高校に入学した。
父は自尊心をくすずってくれる娘に、よりいっそうの期待をかけ、母は‘優等生の母’というステイタスに、よりいっそう酔いしれていた。
私はそんな母の態度が嬉しかった。やっと自分の存在を認められた気がして。

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高校卒業後、両親の勤務先の関連会社に就職した。
会社では“両親の愛情をいっぱい受けて育ったわがまま娘”を演じなければならず、家に帰れば、処分以来(高校退学処分)、無視と罵倒を繰り返すという両親の報復が待っていた。

朝、起きられない。身体が動かない。やる気が出ない。
自分の存在を認められない。
身体はもう立派な“うつ”になっていた。

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私は29歳で初めて精神科にかかった。診断は“うつ”だった。
投薬とカウンセリングを受けるなかで、「母親との関わり」が問題だと言われた。
自分でも驚いたのだが、私は必死で母をかばっていた。普通の母親です!と。

「母親の愛情を受けられなかった子供は、大部分がそうやって認めないんだよ」
カウンセラーの先生は静かに言った。

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親との関係を知られるのが怖くて、再婚だけは避けていたが、今の夫とは何かに導かれるように出会って、結婚した。
第六感のある夫は、社会的地位もある両親に会った瞬間、(何か変だ)と感じたそうだ。

私が親や病気について話す前から、「オレ、お前がかわいそうだ」と抱きしめてくれた。
夫は親が私たちの生活に入ってくるのを徹底して拒んだ。
今は、親とは離れた所で暮らしている。

「育ててもらった恩は、考えるな」
夫が言った時、やっと私は悟った。
うつの原因は、やっぱりあの二人だったのだと。

遠回りはしたけど、私の精神状態は快方に向かっている。
夫と子供たちに心から感謝している。

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