テーブルのない生活 子育ての自由、不自由 

その昔……子どもが生まれる前──。

我が家にもカフェテーブルという洒落たものがありました。

お客様用の大きなシングル掛けのソファもありました。

長男が生まれたのを気にシングル掛けのソファを撤去したのはともかく……

ご覧のカフェテーブルが凶器になるとは夢にも思わなかった。

昔はここに透明なガラス板がはめこまれていて、お客様がいらしたら、お洒落なランチョンマットを引いてお茶を出したり、キャンドルだけでディナーを楽しんだり、けっこうヴァンサンカンな暮らしをしておったわけです。

ところが。

長男が一歳過ぎた頃からテーブルによじのぼって、ガラス板の上でダンスをするようになり、急遽、ガラス板だけ撤去しました。

そして、娘が生まれると、このテーブルの下にもぐりこんで昼寝するようになり、3歳&1歳になる頃には、ご覧のようにテーブルはジャンプ台と化し、何度言っても止めないので、とうとうテーブルごと撤去。

今ではお客さんが来ると、「いや~、すいませんね~、テーブル、片付けちゃったんですよ~」。

夫の仕事用の四脚机にテーブルクロスをかけて何とかしのいでいるのですが、居間にテーブルも置けない子持ちの暮らしって何だろう……と、いつも思わずにいないのです。

って、子持ち家庭のみながみな、テーブルを撤去した生活してるわけじゃないですけどね。

見事なほど片付いているお家もあるし。

それにしても子どものやることは本当に際限がない。こっちが到底思い付きもしないことを平気でやらかす。

1~3歳児をかかえて、24時間、1年365日、神経を張り詰めているママさんの気持ちは、ほんと、体験した人にしか分からないと思います。

でも、最初は「子育てなんて誰にでも出来る」って思うんだよね。

お風呂入れて、ご飯食べさせて、なんでこれぐらいのことが出来ないの、何がそんなにしんどいの……って。

「実際体験するまで分からないこと」ってたくさんあるけど、子育てはその骨頂。

毎日毎日散らかったオモチャを片付けて(それも1日何度も)、夜もろくに眠れない日が続いて初めて分かる、「隣のママさんが、ヒステリックに子どもを怒鳴り散らす気持ち」。

それに気付いた時、人間の幅も大きく広がるのだと思う。

おそらく、子育てしている人間のおおらかさ、ふくよかさ、というのは、我が子に鍛えられたものなのだ。

それは優しさというよりも、他人に対するキャパシティの広がり、自分の能力に対する謙虚な気持ちも含まれる。

こうしよう、と思っても出来ない、その「出来ない気持ち」が、他人に対する評価をやさしくする。

そう考えると、無くした自由より得たものの方がずっと大きいことに気付くだろう。

「不自由」というなら、小さな物事にこだわって、自分も他人も追い詰める心の癖の方がうんと不自由かもしれない

とはいえ、居間にテーブルも置けない生活は、時々、物悲しいっすよ(´ヘ`;)

あと2~3年もしたら復活できるかな、とは思うけど。

最初はお客さんが来る度に、「すいません、テーブルないんです」と言うのは恥ずかしかったけど、「いいのよ、それで。ケガしてからじゃ遅いし、あと数年もすれば、普通に生活できるようになるわよ」と励まされながらここまで来たという感じ。

もっとも「あと数年」が、どこまで続くかは神のみぞ知る、だけども。

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