「玻南(はな)ちゃん」 無戸籍1歳 親に子供の権利を守る義務は無いのか??

11月 16日, 2009年 in コラム 子育て・家育て

子ども

うちの子は、上も、下も、「ポーランドではあり得ない名前」が付いています。

上の子の時は、周りの人に話すと、「それはウクライナの名前じゃないか」とビックリされて、私も最後の最後まで迷って(出世届けの期限である14日目の昼過ぎまで)、無難な方に傾きかけたのですが、やはり強烈な思い入れがあったこと、それしか考えられなかったことから、希望の名前を届け出ました。

そして受理されました。

最初、役所の人は「え??」という反応でしたが、「あ、お母さん、日本人なの。じゃ、いっか」という感じだったそうです。(アバウト ポーランド)

下の子の名前は非常にポピュラーなポーランド名ですが、日本式の綴りにしています。

それも、「あ、お母さん、日本人なの。じゃ、いっか」という感じで受理されました。(思いっきりアバウト ポーランド)

おかげで、スペルミスはしょっちゅうです。

二人とも幼稚園に通っていますが、上の子は未だにスペル間違いされ、正しく知っている先生の方が少ないし、下の子も、最初は必ずポーランド式の綴りで表記され、後で気付いた先生によって訂正される──というDQNネーム状態になっています。

表だって、「なんで、そんなややこしい名前にしたんだ」と言われることはありませんが、内心、「ワケわかんねーな」と思っている人はたくさんいるでしょう。

でも、うちの場合は、「あ、お母さん、日本人なの」という免罪符があって、それで誰もが納得する。

姓も、夫(父親)とは異なる、ポーランドー日本の複合姓が付いています。

フルネームを見れば、誰もが「純系のポーランド人じゃない」と分かる仕組みになっているのです。

だからといって、100%、納得してるわけじゃないんです。

親の強い希望で、アンチポーリッシュな名前にしましたけど、掲示板に貼られた名簿や、作品の隅に書かれた先生の署名の綴りがいつも間違っているのを見ると、「やっぱ、普通の名前にしときゃよかったなー」と胸が痛まずにいません。

きっと、これから、一生、スペルミスと闘っていくんだろうなぁと思うと、名付けというのは『親の願い』だけで成り立つものでは絶対にない、と思うんですね。

少なくとも、私は、幼稚園の先生方がスペルミスされるのを見て、「うちの子の名前は誰にも正しく綴れないわ。ふふ」なんて悦に入るタイプではないです。

「親の願いがこもっているから」「お母さんが日本人だから」

そんなものは、社会全体の前に、いかなる言い訳にもならない。

仮に、戸籍を作る時、役所のミスで本来と違うスペルで登録されたとしても(そんなことは絶対にあり得ないが)、100%、相手の非を問うことはできないんですよね。

だって、法律で、「ポーランド人の名前は、このリストの中から選びましょう」と決まっているわけですから。

その名付けで社会的な弊害が出たとしても、ルールから外れて名付けした者は、それについて異議を唱えることはできない、それがルールを犯した者の背負うべき業というか宿命です。

「ルール適用外は認めろ、でも社会的な権利は守れ」と言うなら、それはやはりジコチューと呼ばれても仕方ないのですよ。

ドライブで言うなら、飲酒運転で車を全損した、でも保険は寄越せ、というようなものです。

たとえ、お猪口一杯でも、「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」なのですよ。

そういうルールがあるから、「おまわりさーん、今日、どーしても大事な飲み会だったのよー、上司の手前、飲まないわけにいかなかったのよー、ねー、ボクの立場もわかってよー、この事故チャラにしてよー」なんてリクツが通らない、ゆえに、道路の安全というものが守られているわけです。

ところで、最近、「玻南(はな)ちゃん」という名付けをめぐる高裁の判決がおり、それを不服とする両親によって最高裁に上告されたそうですね。

「玻南(はな)ちゃん」 無戸籍1歳 「人名漢字外」出生届受理されず YOMIURI ONLINE

「玻(は)」という漢字を使った名前を付けた次女(生後11か月)の出生届を、名古屋市が「人名用漢字ではない」などとして受理しなかったのは不当として、同市東区の両親が、裁判所に受理を求めたが、名古屋家裁に続き、名古屋高裁は先月、「明らかに常用平易とは認められない」として訴えを退けた。次女は戸籍がないまま23日に1歳の誕生日を迎える。両親は近く、最高裁に抗告する方針だ。

 次女は矢藤(やとう)玻南(はな)ちゃん。母親の清恵さん(38)はクリスチャンで、旧約聖書に出てくる模範的な女性(ルツ、ハンナ)を参考に、ことわざの「瑠璃(るり)も玻璃(はり)も照らせば光る」(つまらないものと混じっていても、素質の優れたものは輝いてすぐにわかるの意)から引用し、夫婦で命名した。長女(16)は「瑠都(るつ)」という名前だ。

 戸籍法では、「名」に使う場合は「常用平易な文字を用いなければならない」と定め、戸籍法施行規則で常用漢字と、人名用漢字の約2900字を使用できるとしている。同市はこれに「玻」が含まれていないことを理由に、出生届を受理しなかった。

 これ以外の文字でも常用平易と認められれば、家裁が出生届の受理を命じることが出来るため、両親は名古屋家裁に審判の申し立てを行ったが、1月に却下。即時抗告した両親は「玻を知らなくても、波や破などから類推して読むことは容易で、パソコンや携帯電話で容易に漢字変換できる。インターネットで検索すると、使用可能な漢字のヒット件数と比べ、玻の件数は上位に入る」と主張した。

 しかし同高裁は10月27日、「玻が名前として使われているのは、芸名やペンネームなどの例に過ぎず、新聞などで多用されているとは認められない」と指摘し、「明らかに常用平易と認められない以上、戸籍上で使えないことはやむを得ない」と判断した。

 矢藤仁さん(40)、清恵さん夫妻は、「子供をおとしめる公序良俗に反する文字ではなく、意味のない当て字をしたわけでもない。批判もあると思うが、思いを込めた名前をつけてあげたい」と話している。

 人名用漢字を巡っては、最高裁が2003年12月、「曽」について「社会通念上、常用平易なことが明らかな字を含めていない施行規則は違法、無効」とする初判断を示した。法務省は最高裁の決定を受けて見直しに着手、04年に人名用漢字を488字増やした。

 家裁では「琉、獅、毘、瀧」などの使用が認められたケースがある。

 元文化庁長官の三浦朱門・日本芸術院長の話 「子供の名前に対する親の愛情は理解できるが、難しい名前は将来、子供と社会との摩擦を生む恐れがある。パソコンが普及して難しい漢字への抵抗は少なくなったが、普遍性を考慮して使用可能な漢字を法律で決めることには意味がある」

(2009年11月2日 読売新聞)

裁判所は却下でも「玻南ちゃん」命名に賛成9割

 「玻南(はな)」と命名した次女(生後11か月)の出生届を巡り、「玻」の文字が「常用平易とは認められない」とした名古屋高裁の判断を不服として、最高裁に抗告した名古屋市東区の矢藤仁さん(40)、清恵さん(39)夫妻が、アンケートで一般から意見を求めたところ、400通近い回答が寄せられた。

 有効回答(11~81歳の男女)のうち、〈1〉使用は「いいと思う」が9割、「思わない」が1割〈2〉「常用平易な漢字と思う」が7割、「思わない」が2割だった。20日まで回答を求め、集計結果を抗告理由書とともに最高裁に提出する。

 容認派には、「読みが想像できる」「パソコンや携帯電話で変換できる」という理由が多かった。「無意味な当て字ではない」「水晶の意味で、倫理的問題がない」など、意味を重視する指摘も目立った。

 一方、反対派からは「法律には従うべきだ」「願いはわかるが、無戸籍にするべきではない」という意見が多かった。電話オペレーターの女性からは「仕事上、なぜ読めない名前を付けるのか疑問に思う」という声も寄せられた。

 矢藤さん夫妻は「漢字の持つ意味や読みやすさを重視する意見が多かった。無戸籍であることは苦しいが、家族で考え抜いた名前を贈りたい」と話している。
(2009年11月16日15時56分 読売新聞)

うちも、強いこだわりをもって、アンチポーリッシュな名前を付けたクチなので、「この名前にしたい。これしか考えられない」という親の気持ちは分かります。

でも、法律が受理できないという。

最高裁でもやっぱりNOとなれば、その時は代替案を出すなりして、ルールに従うべきであろうと私は思います。

「この名前しか絶対にイヤ」とい理由で子供を無戸籍のまま放置するのは、子供の権利の侵害でしょうに。

他のネットの住人も書いている、医療保険とか手当とか予防接種とか、たとえ赤ちゃんでも受けるべき権利はいっぱいあるし、無戸籍ということは、その地域の住民として社会的に認められていないということでしょう。

家の中で平和に暮らしているとはいえ、社会的な扱いは、母国も戸籍ももたない難民と同じですよ。

そんな無権利状態で放置して、ビザ無しの「パスポート移民」が、病気をした時、事故に遭った時、その社会でどんな扱いを受けるか、説明しましょか?? なんて思うわけです。

私もビザ無し「パスポート移民」を数ヶ月経験したので、余計でそう思います。

ビザが下りるまでは、絶対に病気も事故もできない、って心境でしたね。

赤ちゃんだから、ずっと家の中に居るから、では済まされないと思うんですけど。

確かに「個人」の存在は大切。

でも、同じくらい「社会」の存在も大事なはず。

だったら、「その社会で生きること」を前提に、子育てするのが当たり前ではないかしら。

「名付けに対するこだわり」と「子供の権利を守る」ことは、同じ次元の話じゃない。

まずは、子供の無権利状態を何とかするのが親のつとめではないのかと思う。

名付けに対するウンヌンは、後からでも訂正が利くでしょう。

一応、仮の名前で登録して、社会に正否を問うてから、願いが通ったその時に改名することも出来るのではないかな、と。

「無戸籍でもしかたない」なんて、甘く見ないで欲しい。

私も産後、めちゃくちゃしんどい中で、ちゃんと日本大使館に出生届けの手続きもしたし、パスポートの準備もしたよ。

それぐらい『籍』というものを重く考えているから。

出生届け=『籍』とうのは、いわば、「この社会の一員として生きていきます」という宣誓でもあるわけだし。

それは、「こんな名前付けたい」という気持ちよりはるかに深く、大きい。

厳しいようだけど、

子供の籍より、名付けの方が大事と思っているのなら、あなた方も日本の戸籍を抜きなさい。

戸籍の無い中で生活しなさい。

「どこの誰でもない」難民状態を、子供と一緒に体験しながら、名付けのために闘いなさい、と言いたい。

その時、はじめて、籍の重さ=社会に属することの重大さが分かるんじゃないかしら。

ま、アンチポーリッシュな名前を付けて、綴りに関しては子供に苦労させている私がエラそうに言える立場ではないけれど、この親が子供に対してしていることは、そういうことだ、と気付いて欲しいですね。

子供の権利を守った上で、どうしても『玻』という漢字を常用平易のリストに載せたいと争っているのなら、「なるほどなぁ」とも思うけども。

ちなみに私、役所で蹴られたら、やっぱ付けてないですよ。

「母親が日本人なんだから、日本風でいいじゃん」なんて思わないです。

だって、この子達はポーランドの社会で生きていくんだから。

その社会がNoと言ったことに対し、「親の願いがこもってるんですよ! なんで拒絶するんですか! アメリカなら、スリとか、ポンゴとか、何でもありじゃないですか!」なんて主張するのはねえ(他の事柄ならともかく)、やっぱ親として出来ないです。

親=社会人だから。

sanmarie.com

「追記」

私がこういう報道に違和感を覚えるのは、「子供のことを真剣に考えているから」「親の願いがこもっているから」を免罪符に、肝心な問題を後回しにして、『闘う親』をヒーローに奉りあげているからです。

しかし、子供を無戸籍にまでして名付けにこだわることが、果たして親として本当に正しい姿なのでしょうか。

名付けにこだわるのは個人の自由ですから、納得行くまで争われたらいいですけど、「子供を無戸籍にしている」という事実については厳しく責任を追及すべきだと思うのですけどね。

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Comments

  1. nyao 11月 29, 2009

    初めまして。この件でニュースを検索していてたどり着きました。
    私も全く同じ考えでしたので、思わずコメントさせていただいています。

    >きっと、これから、一生、スペルミスと闘っていくんだろうなぁと思うと、名付けというのは『親の願い』だけで成り立つものでは絶対にない、と思うんですね。
    >少なくとも、私は、幼稚園の先生方がスペルミスされるのを見て、「うちの子の名前は誰にも正しく綴れないわ。ふふ」なんて悦に入るタイプではないです。
    >「親の願いがこもっているから」「お母さんが日本人だから」
    >そんなものは、社会全体の前に、いかなる言い訳にもならない。

    全くその通り、とモニターに頷いてしまいました。
    私は子どもはおろかまだ結婚すらしていませんが、昨今の個性的な命名の流行には非常な違和感を持っています。
    「読めないでしょ~?変わってるんですよね。ふふ」ってまさに悦に入っている親御さんのまぁ多いこと!
    読めないこと、変わっていることにどんないいことがあるんでしょうか。
    「人と違う=個性」だとか「個性的=特別」とか、極端な感覚で名付けをされている人が多いような気もします。

    私の知り合いには、こういった風潮に対し「槇原敬之のせいだ」という人がおります。
    「ナンバーワンにならなくていい、もともと特別なオンリーワン」
    この歌詞のような考えを主張する雰囲気が、広まったからだというのです。
    (しかし、この歌詞もよくよく見ると「もともと」オンリーワンなわけですから、
    わざわざ特異な名前をつけてオンリーワンに仕立て上げようとしなくてもいいのですよね。)

    それよりも私も問題だと思うのは、
    ただの親のエゴで争っていていつまでも我が子は宙ぶらりん、まさにそこです。
    もし「玻南」という名が許されたとしても、
    その玻南ちゃんは一生、「裁判で争ってまで付けられた名前の子か~」って言われ続けるんですよね。

    初めましてなのにいきなりの長文、失礼しました・・・。

    • 阿月まり 11月 30, 2009

      nyaoさん、こんにちは。丁寧なコメントをありがとうございます(^^)

      私が第一にこの報道に違和感を覚えたのは、子供の無戸籍問題を横に置いて、
      「我が子のために闘っている親」というヒロイックな印象で語っていた点なんです。
      当事者もそうですよね。

      もし、親御さんが、とりあえず子供の戸籍をちゃんと整え、
      その上で、自らの価値観をかけて裁判を起こしているのであれば、
      「それもアリかな」と思うけど、これは親の離婚で無戸籍になる問題とは根本が違いますから。
      やはり市民としての最低限の義務は果たした上で、個人の価値観を主張なさいませ、と思ってしまうんですね。

      それを「我が子の名付けのために闘っている親」とヒロイックに持ち上げるのは大いなる誤解のもとではないか、と。

      名前というのは、やはり、周りの人に親しみを込めて呼びかけられてナンボのものだと、私は思います。

      綴れない、読めない、挙げ句に親の知性を疑われる、それでも幸せと思うならそうなんでしょうけど。

      自分の感性だけで名前を決められる神経が、どうにも分からないこの頃です。

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