Notes of Life

「うざい」「ムカつく」「死ね」「殺す」の表現を言い換えよう

2014年10月9日

私が小学校四年生の時、「いじめ」をテーマにした学級会で担任教諭が言ってました。

どれほどお友達に腹が立っても、「死ね」「殺す」という言葉は絶対に使ってはいけない。

あなたにどんな嫌なことをした人間でも、「死んでいい」ということは絶対にない。

これはいい教えだな、と、ずっと心の中に残っていました。

でも、最近は、「死ね」「殺す」という言葉のハードルがだんだん下がっているような気がします。

小さな子供が読む漫画にも「死ね」「殺す」が平気で使われる。

これだけハードルが下がれば、みな、何の抵抗もなくなってしまうのは当然ですよね。

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私の持論に、「人間は言葉を使う。だが、やがて言葉に人間が作られるようになる」があります。

たとえば、Facebookなどで「仕事もプライベートもきらきら輝いているママ」を言葉で演出していると、そのイメージを崩せなくなるでしょう。

あるテーマについて自分の見解を固めてしまうと(いわゆるポジショントーク)、そこから抜けられなくなります。

それを「ワタシの秘密日記」の中でやってるなら、「三年前のワタシ、こんな青臭いこと書いてるわ、カカカ」で笑い飛ばせば済むけれど、公にスタイルやポジションを作ってしまうと、それを変えられなくなる。

清純派女優がいきなりヌードになって「濡れ場も演じられる大人の女優」になろうとしても、なかなか難しいのと似たような感じです。

自分が言葉を操っているつもりが、そのうち、自分の言葉に、自分自身が操られるようになる。

ゆえに、頭の中で「うざい」「ムカつく」「死ね」「殺す」を繰り返していると、思考もだんだん単純化して、そこに固まっていく。

言葉に人間が作られているわけです。

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人間は朝から晩まで言葉で考え事をしますね。

今日は何を食べようか、何時のバスに乗ろうか、何を着ていこうか、そろそろ寝ようか。

その言葉の数は一日で何十万語か、何百万語か、ものすごく膨大な言葉が大脳で処理されているそうです。(そんな科学向けの記事を読んだことがある)

ところで、言葉には二つの役割があります。

一つは、感情の表現。

もう一つは、考察のツール。

「親、ムカつく、うざい、死ね。いつか殺したる」 これは『感情』です。

「なぜ私は親にムカつくのか。それは私にも私の大事な友だち付き合いがあるにもかかわらず、頭ごなしに『門限は八時』『あんな不良っぽい子とは付き合うな』と言うからだ。では、どうすれば、私の都合を理解してもらえるか。あるいは、我が親は、そういうことに全く無頓着なのか。この縛りから逃れるにはどうすればいいか。親に怒りを覚えるのは自然なのか。他の皆は、どのように考えているのか」 

これが『考察』です。

自分が怒りや不満を感じた時、「親、ムカつく、うざい、死ね。いつか殺したる」しか表現する術がないと、その先に心が降りて行かない。

感情の塊だけが心に渦まいて、その中にがんじがらめになってしまう。

だから、語彙を増やして、表現の幅を広げ、感情から思考へ進めるようにする。

それが「国語」の勉強の目的であり、新聞や小説、詩集など、いろんな文章に触れて、心にわだかまるモヤモヤやイライラを理知でもって整理するのが、人間の一番手軽な成長手段なわけですね。

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子供に「人を殺したい」「死んで欲しい友達がいる」と言われたら、命の大切さを説くのも大事ですけど、まずは『言い換えの練習』をしてはどうかと思います。

クラスメートのA子に死んで欲しい。

その元になってるのは、「A子に酷いことを言われて心が傷ついた。悲しくて、悔しい。でも喧嘩しても私には絶対に勝てない。A子はクラスのリーダーで、A子に逆らえばクラス全員に無視される。そんな事は恐ろしい。だから目の前から消えて欲しい」という感情でしょう。

でも、子供にそれだけの語彙、表現、感情を整理する為の言葉がなければ、「A子、死ね。殺してやる」というのが一番手軽で分かりやすい。

二歳の子供が理不尽や悔しさを感じても、「ママのバカ」「ママ、嫌い」しか言えないのと同じです。

これは発達心理学で言われてることですけど、人間がオギャアと生まれた時、人間の感覚には「快」と「不快」しかない。お腹が空いた、オムツが濡れた、抱っこされて気持ちいい、そういう単純な感覚から始まる。

それが脳の発達に従って「喜怒哀楽」に分化し、さらに「悔しさ、妬み、達成感、誇らしさ、恥じらい、躊躇い」といった感情に幅を広げていく。

その表現の土台になっているのが言葉です。

語彙の豊富な年長者ほど、自分の感情を表現するのに長けているし、また感情を整理するだけの語彙や論法も持ち合わせている。

ひたすら「ママのバカ」「ママ、嫌い」を繰り返す子供も、「僕だって一所懸命にやってるよ。そんなに急かさないで」「どうして突然、怖い顔で怒ったりするの。そんなママはいやだ」という言葉を知ってはじめて、表現し、相手に伝え、ストレスを発散し、そこで受け止めてもらったりする過程を経て、さらに感情を分化させていく。

そこから更に進んで、「バカ」「嫌い」の感情を昇華する理性や思考力を持つようになる。

その手助けをするのが『言葉』です。国語力というのか。

ところが、「うざい」「ムカつく」「死ね」「殺す」といった感情の単語の中に留まると、気持ちもそこに固定される。

人間が一つの感情や思考から抜け出すには、その橋渡しとなる国語力が必要だし、自分で自分の気持ちが説明つかないものは、やはりその中に閉じ込められやすいのです。

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そんなわけで、学校では『言い換えの練習』をなさるといいと思いますよ。

「死ね」「殺す」以外に、自分の今の気持ちを表現する、いろんな言い回しがあるでしょう。

あんなこと言われた。でも、あの子には勝てない。悔しい。

あの子と毎日顔を合わすのが苦痛でたまらない。お願い、助けて。

親がうざいなら、うざい以外に、何がどう鬱陶しいのか、言葉にして書き出してみましょうよ。

そして、何故、自分がそこまで追い詰められ、苛立つのか、その理由を探ってみましょう。

それが「考察する」ということ、「ママのバカ」しか言えない二歳児との違いです。

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人間というのは、自分の知っている言葉以上のものにはなれないし、いつしか自分自身が、自分の使う言葉に操られていくものです。

学校で文法や漢字の書き取りを教えるのも大事だけど、ぜひ、この『言い換えの練習』をして頂きたい。

少し手助けするだけで、「死ね」「殺す」に凝り固まっている子供の気持ちも、ほぐれていくと思います。

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