くたばれ! 読書週間&読後感想文
多分、君の親も、先生も、「本を読め」としつこく言っていることだろう。
「こんなくだらないマンガばっかり読んで! ●●君は、日本の歴史シリーズを全巻読破してるのよ!」
確かに、本を読むのはだるい。
字は小さいし、文字は多いし、漢字は難しいし、絵がないから、何がどうなってんだか、直観的に理解できない。
おまけに、学校で推奨される本は、いい子ぶった内容ばかりで、退屈きわまりない。
「●●」なんか読んでいるヒマがあったら、想像を掻き立てられるようなボーイズラブの同人誌でも読んでいた方が楽しかろう。
たまに、おそろしく上手な子がいるからね。
でもな。
そうやって活字が読めるなら、ちょっとだけ真面目な本にも目を向けてみないか。
いきなり世界文学なんか読む必要はないよ。
たとえば、軽いエッセー。
釣りの本。
旅行記。
きれいな写真の入った詩集でもいいし、パソコンの本でもいい。
本屋をぐるりと見渡せば、どんな退屈な人でも、気になるタイトルの一つや二つは見つかるものだ。
見つけたら、恐れずに手を伸ばしてみて。
たとえそれが君にとって恥ずかしいこと、関係ないと思っていることでも、気になったら手にとってみることだ。
「こんなの読んだらバカにされそう。自分が恥ずかしー」とか思ってるようなの。
でも、案外、そこに、君に必要な言葉が書かれているかもしれない。
人が意識的に避けるものの中には、君が本当に必要とするものが入っていることが多い。
だから、意外と、勇気を出して手を伸ばしてみたら、「ああ、そうだったのか」と納得するもんだ。
「本」だって、出会いなんだよ。
勉強じゃないの。
しかも、この出会いにはリスクがない。
裏切られることも、陰口をたたかれることもない。
好きな時に読んで、飽きたら横に置けばいい。
こんな都合良く付き合ってくれる友達はどこにもないよ。
だから、何でも気になるものは、一度手にとって読んでみたらいい。
面白くなければ、「なーんだ、つまらん」で閉じればいいだけの話。
本屋で買わなくても、図書館に行けば全部無料だよ。
今は図書館もゴージャスになって、綺麗なソファがいっぱい置いてあるし、貸し出しだってしてくれる。
リクエストすれば、図書館で購入してくれる。
一銭も使わずに、100冊でも200冊でも読み倒せるのが図書館のいい所だ。
書架の前で立ち読みしていても、本屋みたいに白い目で見られることもないし。
おまけに、みんな一人で来ている人が大半だから、「おひとりさま」でもちっとも恥ずかしくないよ。
ちなみに、今は、CDやDVD、漫画本だって置いてるから。
図書館って、難しい本ばかり置いてる場所じゃないんだよ。
お小遣いがなければ図書館に行ってね。ゲップが出るほど立ち読みすればいい。
そして、気に入った箇所があれば、カウンターの係員に頼んで、コピーしてもらえばいいんだよ。
そうすれば、あっという間に、君だけのアーカイブの出来上がり。
こんな安上がりで便利な場所はないよ。
さて、話を元に戻そう。
本を読む時、一番大事にして欲しいのは、「君自身の感じ方」だ。
学校に行くと、読書感想文の宿題があるよね。
あれって、先生が五重丸くれるような書き方が決まってて、それに添って書けば、みんな褒めてくれるよ、たいがい。
でも、本当に読書を楽しみたければ、そして自分自身の感性を大切にしたければ、五重丸な書き方にこだわってはいけない。
自分の書きたいように書けば、先生は君に三重丸しかくれなかったり、下手すれば、原稿用紙の裏いっぱい、「何故君はそういう風に考えるのか? 普通はこうじゃないか」という返事をビッシリ書き込まれたりするよ。
でも、それでいいんだよ。
中にはそれを面白がって、五重丸どころか、学校代表の作文に推薦してくれる先生も現れるかもしれない。
学校では三重丸でも、コンテストでは金賞を取るかもしれない。
あるいは、君の書くブログに、同世代の仲間がいっぱい共感してくれて、人気者になるかもしれない。
結局のところ、人を惹きつけるのは、五重丸のノウハウではなく、人そのものなのだから。
その場では理解されなくても、君の感じ方、考え方を大事にすればいいんだよ。
実社会に出れば、いろんな意味で、より「君らしさ」が要求される。
その時、いつも「ウケねらい」の考え方では、しまいに自分を無くすだろう。
時に、君の考えは、周囲には受け入れがたく、反抗的とみなされるかもしれない。
でも、反抗は、若い子の特権だから。
何にでも「イヤイヤ」するだけの反抗は、ただの子供の癇癪だけど、親や先生がムキになって反論してくるだけの意見を君がはっきり主張できるなら、それは「自分の意見」「自分の感じ方」として大切に持ち続ければいい。
いずれ、答えは出る。
そして、最終的には、それが君の最大の強みになるんだ、今は分からなくてもね。
本の読み方も人それぞれ。
「こう感じなければならない」という法則はどこにもない。
人間社会も、気の合うヤツもいれば、会わないヤツもいるのと同じで、本にだって相性はある。
ただ、頭から、「これは必要ない」と決めつける食わず嫌いは勿体ない。
興味が湧けば、どんな本にでも首を突っ込んでみよう。
読書はノーリスク、君が傷つくことなど何一つないよ。
そうして、心の琴線に触れるものをいっぱい読んでいくうちに、いつか君は気付くだろう。
君は本を通して、どんな人とでも友達になれる、ということを。
何千年も前に生きたギリシャの哲人、歴史に残る偉人や武人、現実には絶対に会うこともできない有名人。
本を読めば、そういう人達が、君に優しく語りかけてくれる。
困った時、辛い時、言葉の向こうから、きっと君を支えてくれる。
君がその文章を理解した時、今はもうこの世にないあの偉い人が、君に微笑みかけてくれるのを魂で体験するだろう。
「よくがんばったね、それでいいんだよ」って。
そういう魂の体験を繰り返すうちに、君はだんだん生きるのが楽しくなるし、人間に生まれてよかった、と心の底から思えるようになるだろう。
だって、もし君が金魚やメダカに生まれていたら、こんな素晴らしい体験はできなかったわけだからね。
人が死ぬ時、あの世に持って行けるのは、「魂の体験」だけだ。
幸福か不幸かは関係ない。
「美しい言葉に出会った」「こんな素晴らしい体験もした」──そういう実感だけが、死に際の君を本当に幸せにする。
そういう幸せの一つの入り口として『読書』がある。
大人が「本を読め」というのは、本当の意味は、「幸せを体験してね」という願いなんだよ。


