育児と家庭

子育てのゴール ~子供が「大人になる」ということ~

2008年4月17日

皆さんは、『子供の自立』に対してどのようなお考えをお持ちですか?

私は、「子供が大人になる」=「自立」とは、与えられる側から与える側に立つことだと考えています。

「愛してちょうだい」という立場から「愛する側」に回り、親を一人の人間として理解し、受け入れられるようになった時、大人としての人生が始まるのです。

「愛してちょうだい」の気持ちを引きずったまま、愛する側に回ろうとしても、求める気持ちの方がいっそう強いですから、愛する行為は、自分の身をすり減らすような、はなはだ消耗的ものでしかありません。

親を一人の人間として、許し、理解し、受け入れる過程は、すなわち、親に育てられた自分自身を受け入れる過程でもありますから、これを飛ばして、形だけ大人になろうとしても、やはり無理があるのです。

「自立」と言うと、「経済的に一人で生活できる」とか、「責任をもって社会生活が営める」とか、『何でも一人で出来ること』が自立だと思われているフシがありますが、自分で買ったマンションに一人で暮らしして、年収も人並み以上にあって、会社でも責任ある役職に就いていても、いつまでも『子供時代に満たされなかったもの』を引きずって、「自分に自信がもてない」「幸せに感じない」という人も少なくありません。

親の価値観に支配されたまま、あるいは、自分で自分を肯定できないまま、ずるずると年だけとって、いまだに「否定した親」「否定され続けた自分」と和解できずに苦しんでしまうのです。

こういう事は、普段、本人の中では意識されませんけれど、恋愛した時、仕事で揉めた時、「常に不安である」「いつも同じパターンで失敗する」といった心の癖として現れ、本人がそうと気付かぬ限り、じわじわと、長く、人を苦しめるものです。

そうならない為にも、精神的に自立し、自分に対する根本的な信頼感を獲得しなければならないのですけれど、『自立』の意味を履き違え、中途半端なところで大人になってしまうと、そこから人生の青写真を書き換えるのは容易ではなくなるのです。

では、どの時点で子供っぽい思い込みから卒業し、大人の物の見方が出来るようになるかと言えば、大きなターニングポイントは、やはり「親」と「私」が分離する時ではないかと思います。

子供というのは、「親」と「私」をワンセットで捉えます。

親の価値観は私の指針であり、親の世界の一部に私がいます。

だから、親が「ダメ」と言ったことは他が認めても「ダメ」だし、「正しい」と教えられたことは何かヘンだと感じても「正しい」。

気持ちの上では反抗しながらも、その価値観に支配されます。

ここから脱却することは、すなわち親に背くことであり、親に背けば、自分の居場所を失ってしまいます。

この恐怖と、「しかし離れたい」という思いが交錯するのが、思春期の始まりだと思います。

第二の分離不安みたいなものですね。

思春期はまた、物事がだんだん見えてくる時期でもあります。

いろんな情報を知るにつれ、この世が「正直者が報われる」ようなものではないことが分かってきますし、小学校で習った「ハキハキと意見するのは良いことです」という教えも、中学校に上がればイジメの対象になるということも分かってきます。

また、立派だと思っていた親が、実は虚栄心のかたまりで、自分の体裁しか考えない人間だということも分かってきますし、明るく陽気な親が、実は本の一冊も読まない、無知無教養な人間だということも分かってきます。

すると、今まで自分の信じてきたことが、いわば「間違いだった」と気付くわけですから、当然、子供は周囲の状況に合わせて物事の指針となることや、価値観の修正をしなければなりません。

その時、親に、

「急に言うことを聞かなくなった。お前は悪の道に走っている」とか。

「親の言うことに従っておれば、間違いない」とか。

あるいは、「好きにすれば」と突き放されたり、はなから無関心だったり。

心の拠り所を失うと、子供はどこに自分の指針を定めたらいいのか分からなくなってしまうし、自分の成長が必ずしも歓迎されていないということが分かれば、親に期待することも止めてしまいます。

反抗し、悪態をつき、ワケのわからないような迷走を繰り返しているとしても、子供は子供なりに必死に答えを求めて、日々成長していることを認めてもらえたら、いつかは高いステップに着地して、親に感謝できるようになるのです。

とはいえ、親もそうそう「親らしく」していられるものではないですし、手本を示しているつもりが子供にはバカにされていた……なんて事もたくさんあると思います。

でも、親のイヤな面が見えたとしても、子供は親を愛したいし、尊敬もしたい。

それがホンネです。

嫌いは嫌いだけど、どこか臍の緒で繋がった部分があって、たとえ親にこづかれ見放されるようと、信じていたいんです。

だから、思春期の子供の扱いに失敗したからといって、すぐさま親としての自信を無くしたり、慌てて余計で高圧的な態度に出たり、右往左往する必要もないのではないかと私は思うのです。

なぜなら、子供には子供なりに自浄作用というものがあり、たとえ親を死ぬほど憎んだとしても、一方で、理解し、受け入れようという気持ちが働くからです。

それに成功すれば、子供はある日突然、びっくりするほど大人になるし、一番ワルそうに見えたのが実は一番頼もしかった……なんてことになるのではないでしょうか。

私は、『自立の目標』というものを、「愛してちょうだいの立場から愛する側に回ること」、つまりは「親を一人の人間として理解し、受け入れること」に設定すれば、ある程度のことは子供自身に任せて大丈夫ではないかと思っています。

むしろ、親が表面的な自立にこだわって、思春期の大事な時期に、「ああしろ、こうしろ」と枠にはめようとすることの方が、かえって自立を阻害するのではないかと感じます。

大学に入ったから、一段落した。

社会人として真面目に働いているから、自立した。

それが全てと思うと、思春期の子供の迷走が「無駄な寄り道」のように思えてイライラするし――たとえば、子供だって一人で考え事をしたい時があって、親に話しかけられたら疎ましく思えるような時期があるのですけど、そういう行為が離反や異常に思えて、必要以上にカリカリしてしまうような場合です――親の求めるコースに添ってさえいれば満足、という風になってしまうでしょう。

そうではなく、自立というのは、子供にとっては一種の心理的革命であり、その為には多くの踏み台、多くの思索、多くの試行錯誤が必要なのだと理解していれば、そこそこに距離を置いて、見守って行けるのではないかな、と思うのです。

親にとっては失敗と思うことも、子供にとっては大きな成長の糧になることもありますし。

何が子供の毒になり、薬になるかは、子供にしか分からない部分の方が多いのではないでしょうか。

俳優・穂積隆信による著作で、突然非行少女になった娘との壮絶な闘いを描いた『積木くずし』というドラマが話題になりましたけど、親子のことって、まさに「積んでは崩れ、積み直してはまた崩れ」の連続なのかもしれません。

そうであったとしても、子供には子供自身で成長する力がありますし、自立のゴールをしっかり見据えていれば、寄り道、回り道がどんなに長くても、いつかはそこに辿り着けるのではないかな……と思っています。

 

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