味覚を育てる ~子供の食に関する誤解~

2017年9月15日子育てコラム

「子供の食事」って気を遣うし、疲れますよね。

何を作ればいいか分からないし、作れば作ったで「食べない」「グチャグチャにする」等々、食事時間が恐怖という方も少なくないと思います。

しかし、食に関するバトルは、ちょっと見方を変えればラクになるケースも多いんですよ。

たとえば、「何が何でもこれだけ食べさせなければならない」とか、「今、好き嫌いを許せば一生偏食になる」とか、親の思い込みから四苦八苦しているケースは特に、です。

大体、育児書の「離乳食・幼児食レシピ」も罪深いですよね。

「さあ、これだけ作りましょう。食べさせましょう。今、手を抜けば、一生偏食に苦しみますよ」
と言わんばかりの『脅し』が随所に散りばめられて、真面目なお母さんならひとたまりもないと思います。

参考にするのは良いけれど、「この通りにしなければ」と思い込んだら、たいていの場合、食卓バトルに引きずられ、食事の度に怒鳴る、睨む、当たり散らす…団らんどころではなくなると思います。

私も一時期、ヤバイ時があって、1歳半の長男がバナナやヨーグルト、ミルク粥みたいなものばかり食べたがり、それまでパクパク食べていた野菜やご飯に見向きもしなくなった時、食事時間になるとキーンと神経が張りつめるほどストレスに感じていたものです。

でも、今、振り返ってみれば、本当に『一時期』のことだったのです。

3歳7ヶ月の今、野菜もご飯もたくさん食べるし、つい最近まで全然ダメだったお肉も自分から「欲しい」と言うぐらいになりました(ほんと突然に)

子供って、「食」に関しては本当に気まぐれというか、動物的というか、「ダメなものはダメ」だし、時が来れば、サクサク食べるようになるし、一時期の良し悪しでは決して判断できないものです。

そこを焦って、無理に食べさせようとしたり、「この子は偏食だ」と決めつけたりすると、食卓はたちまちバトル・フィールドになり、頭が禿げるくらい悩むことになるのではないでしょうか。

私はこの際、ぜひに申し上げたいのですが、日本の育児書や習慣だけ見ていると「子供の食に関する誤解」って、結構多いのではないかと思います。

誤解というよりは、「ああでなければ、こうしなければ」という『思い込み』ですね。

たとえば、日本の育児書の中には、

「食事は夜8時頃までに切り上げ、就寝前の飲食は避ける」

みたいな事を書いてあるものがあります。

しかし、アメリカやポーランドでは、むしろ「就寝前の軽食が心地良い眠りを誘う」と考えられ、バナナやリンゴ、フルーツ粥やプディングなど、消化の良いものを与えるママが多いですし、それ専用の「おやすみシリアル」なんてものも売られているぐらいです。

基本的に、夜泣きの原因も「空腹」が指摘されることが多いですしね。
日本では愛情不足だとか、昼間の刺激だとかいう精神論になりがちですけども。

また、日本の育児書では、

「食事は一日三回。決められた時間に」

と書かれたものが多いですけど、こちらでは『分食』が取り入れられています。

たとえば、幼稚園の場合、「9時」「12時」「3時」とほぼ3時間おきに食事タイムがあり、「少量ずつ、分けて与える」のが基本です。

子供の胃袋なんて小さい上に、代謝が良く、しかも運動量が多いですから、大人のように一度にたくさん食べて、何時間も持たせるのは難しいでしょう。

日本では「ダラダラ食べ」とかいって嫌う人もありますけど、こちらでは、2~3時間おきぐらいに食べ物を与えるのが普通だし、小さな子がイライラして癇癪を起こす原因も、たいてい『空腹』を指摘されます。

「機嫌が悪いね。お腹が空いてるんじゃない」みたいな。

これも日本だと「親の躾が」「心の問題が」なんて、すぐ精神論になりますけど
ね。

このように、所変われば価値観も変わるし、習慣も違います。
でも、それでもちゃんと機能しているのです。

日本の育児書に書いてあることが必ずしも『世界のスタンダード』ではないんですよ。

日本に住んで、日本語の情報だけ拾って、日本人ママの話だけ聞いていたら、「それが全てだ」と思い込んでしまうでしょうけどね。
(バカにして言ってるわけじゃないですよ)

もちろん、日本には日本人の体質にあった食生活があり、日本の子供はその慣例に基づいた食の教育が必要――なのかもしれません。

しかし、私に言わせれば、『消耗的』だと。

やり方や考え方は決して一つではないし、その子にはその子にあったペースや方法があるんですもの。

「これが絶対だ」と決めつけて、何が何でも適用しようとすると、自分も子供も疲れるだけだと思うんですね。

たとえば、その子には3時間おきの『分食』が合っているかもしれないのに、「ダラダラ食べはいけない」と決めつけて、何が何でも我慢させたり、一度にたくさん食べさせようと頑張り過ぎるケースです。

私が育児のサイトやメルマガを立ち上げたのも、

「日本ではそれが正しいかもしれないけど、こっちはこうなんだよ。
 こういうやり方でもイケるんだから、その情報だけに振り回されないで」

と言いたいからで、「食」に関することもその典型です。

*

「子供の食事」と言うと、「何でもたくさん食べる子がいい子」と思われているフシがありますよね。

実際、それが正しいに違いないし、多くのママさんはそれを目指して頑張っておられると思うのですが、もう一つ、肝心なことがあります。

それは『味覚を育てる』ということです。

料理の鉄人みたいなグルメに育てろ、という意味ではありません。

動物としての危機意識の問題です。

昨年公開されたアニメ映画『レミーのおいしいレストラン』はご覧になったでしょうか。

一流のシェフを目指すねずみのレミーが、ドジな若者リングイニと組んで、パリ一番のレストランを目指す物語です。

天才的な嗅覚と味覚の持ち主であるレミーは、仲間のねずみが残飯をあさっている時もケーキの材料を嗅ぎ分けるような情熱と才能の持ち主です。
しかし、レミー父親は彼の天分を評価せず、「何でも食べなければダメだ」と説教します。
そんなレミーに与えられた仕事は『毒味係』。
レミーだけが残飯に混じった殺鼠剤を完璧に嗅ぎ分けることが出来るからです。

これって、人間にも当てはまると思いませんか。

最近、冷凍ギョーザが問題になっていますが、外国産に限らず、何が入っているか分からないような「ヤバイもの」って結構多いでしょう。

殺虫剤とまではいかないにせよ、古い食材を使っていたり、化学調味料てんこ盛りだったり、気を付けないと、レミーの仲間みたいに、「知らない間に殺鼠剤が口に入っていた」なんてことになりかねません。

そして、そういうものは、やはり自然のものと、化学調味料バリバリの味の違いが分からなければ区別することができないのですよ。

宣伝では、『野菜たっぷりのパスタソース。本物のイタリアの味』なんてやってますけど、あのレトルト・ソースの中に本当に「野菜たっぷり」入ってるなんて思います?

一度でも、自分でトマトを湯煎してパスタソースを作ったことのある人なら、その騙し振りが手に取るように分かるはずですよね。

育児の掲示板で離乳食や幼児食に関するトピックスが出ると、すぐ「手作り派」VS「レトルト派」のバトルになり、「イライラしながら手作りする母親とベビーフードでもニコニコの母親とどっちが偉いか」みたいな不毛な議論になりやすいですけど、私に言わせれば、イライラとかニコニコとか、母親力うんぬんの問題ではなく、まともな味覚を育てるには、やはり家庭の手料理は欠かせないと思うのです。

つまり、好き嫌いしないのと同じくらいに、「インスタント味噌汁」と「手作り味噌汁」の違い、しいては、「出し昆布から作った味噌汁」と「かつお風味の素を使った味噌汁」の違いが分かるようになることです。

私だってインスタントやレトルトの全てが悪いとは思いません。
私も、ククレカレーや焼きそばUFOは大好きですし、麻婆豆腐の素やスパゲティのレトルトもよく使っていました。
カルビーのポテトチップスにいたっては中毒的に好きですしね。
マクドナルドも欠かせないアイテムです。

でも、その一方で、「ヤバイ」と感じる感性はありますし、毎日食べたいとは思わない、だって手作りの方が美味しいから。

この「手作りの方が美味しい」という体験が、後々、子供の食生活を完成させる上で、また年を取ってからは成人病を予防する意味で、とても大事だと思うんです。

いつか、コーラやカップ麺、居酒屋のコテコテ揚げ物料理の虜になっても、それを抑制するのは、「健康な食生活」という理屈ではなく、やはり研ぎ澄まされた味覚と嗅覚なのですよ。

だって、「本物」にはかなわないですからね。

惣菜屋や弁当屋もそう。

良心的な経営をしている店もあれば、「このカツ、二度揚げしてんじゃねーの」みたいな店もある。

でも、それを見分けるのは、自分の味覚と嗅覚でしょう。

「小さい頃から惣菜屋の煮物しか食べたことがない」「毎日コンビニ弁当」の何が悪いかと言いますと、それに慣らされて見分けがつかなくなってしまうからです。

精神性の問題以前に、「動物としての危機感を失ってしまう」という事ですね。

で、育児書などを読んでいますと、「何でもたくさん食べる子がいい子」で、あれが苦手、ちょっとしか食べないのは悪い子という構図になっています。

だから母親も、「何でもたくさん食べさせる」ことに躍起になって、食卓をバトル・フィールドにしてしまう。

でも、冷静に考えてみて下さい。

今、あなたが子供の口に入れようとしているその食物、本当にその子の体質に合っていますか?

味付けはどうですか?

薄味にこだわる余り、白湯みたいな野菜粥を食べさせていないでしょうか。

これは、長男の肉嫌いについて義姉さんと話していた時の事ですが、

「もしかしたら、生理的に受けつけないのかもしれないよ。人間の体って、体質に合わないものは受けつけないように出来ているからね。長男クンがベーッと肉を吐き出すのも、それを受け入れるにはまだ早過ぎるか、周りの者には分からない、アレルギー的なものがあるんじゃないかな」

なるほど、そうかもしれない……とも思いました。

長男はちょっとしたアレルギー体質で、味覚も敏感だし、見た目が悪ければ口にしない傾向があるんですね。
バナナの黒ずんだところとか、野菜の焦げ目だとか。

それを「ワガママ」と言えばそうだし、見方を変えれば、生理的に受けつけないものは身体が危険信号を出して、シャットアウトしてしまうように出来ているのかもしれない。

もっとも、お肉に関しては、ある日突然食べられるようになって、「今までの肉嫌いは何だったんだ~」という感じでしたけど、子供によっては、生理的な拒否機能があるのではないかと思うんです。

「臭いがイヤ」とか「味が気持ち悪い」とか。

それを言葉にして表現できないから、ベーっと吐き出したり、ネチャネチャこね回したりするだけで、大人以上に敏感なのかもしれませんよ。

また、大人の目から見れば、「必要不可欠な栄養素」でも、その子の身体がまだ受け入れ準備できていないものもあるでしょう。

「野菜なら何でもよい」という訳ではなく、冷え性には生野菜のアクが身体に良くなかったりしますしね。

子供の食生活を判断する時、何でもかんでも「ワガママ」や「偏食」で片付けるのではなく、「生理的に無理」という観点も必要だと思うのです。

牛乳を飲むと吐いてしまう子供に、「給食で出された物は絶対的に食べろ」と無理強いする話なんかその典型ですよね。

いずれにせよ、私は、子供の食生活というのは時間がかかるものだと思います。

中には、離乳食の頃からばくばくイケる子もありますけど、やはり持って生まれた体質、味覚や嗅覚、消化機能の強弱など、その子の身体的理由によるものも大きいのではないでしょうか(親の躾とか、子供の性格がどうとか言う前に)

うちは、上の子と下の子がまったく対照的なので、余計でそう思います。

知り合いのお子さんを見ていても、野菜嫌いで食卓の前でシクシク泣いていた男の子も3年後にはホウレン草やブロッコリーといったグリーンの野菜が食べられるようになったり、チキンナゲットとソーセージだけで生きていたような女の子が5年後にはオールマイティによく食べるようになったり、やはり時間がかかるし、その時がダメだからと言って、一生ダメってことはないんですよ。
お母さんが手作りの食生活を心掛けている限りは。

また、余りにも栄養や薄味にこだわり過ぎて、白湯みたいな煮物を出しても、それは子供でも食べないだろうし、味のバランスも考えずピーマンやら人参やら混ぜ合わせても、やはり美味しくないものは食が進まないと思います。

「子供が白ご飯しか食べない」といった悩みもありますけど、子供のワガママを疑う前に、自分の料理の腕を疑った方がいい場合もありますのでね。

子供に何でもたくさん食べて欲しければ、母親も料理の腕を磨くのが筋ではないでしょうか。

少ない量、少ない食材でもバランス良く食べることができ、なおかつ味の違いが分かるなら――たとえば、家で作ったミートソース・スパゲティは食べるけども、ファーストフードの脂ギトギトのもろインスタントなミートソースは食べないとか――子供の食事はそんなに急がなくていいように思います。

一品を何ヶ月、時には何年もかけてマスターするぐらいの気持ちでいいんじゃないか、と。

子供の好き嫌いに手を焼いている方も多いと思いますが、あまりに好き嫌いを無くすことばかりに囚われていると、『味覚を育てる』という肝心な部分を見失ってしまうでしょう。

「好き嫌い」というのは味が分かる証拠ですし、その過敏な味覚は、上手く導けば、将来、お料理上手になる可能性が大きいですからね。

好き嫌い→偏食→ダメ人間 

ではなく、

好き嫌い→味覚過敏→違いの分かる高級舌

この道を歩かせるぐらいの気持ちで、ママは手料理に励みましょうよ。

そうすれば、いつかその子の「好き嫌い」が「ワガママ」ではなく、一つの可能性だということに気付くのではないでしょうか。

ちなみに、うちの下の子は皿までしゃぶる大食漢で、傍から見れば、「何でも食るいい子」に違いありません。

しかし、下の子は、好き嫌いのはっきりしている上の子のように、新鮮なミカンと日にちの経ったミカンの味の違いが分からないのです(何でも食べてしまう)

これって、いいように見えて、案外そうでもないのですよ。

だから、近所のママさんの「うちの子は何でも食べるからぁ」の自慢話に翻弄されないでくださいね。

我が子の舌を信じましょう。