自殺について ~遺されたもの、遺すもの~

学校が始まりましたね。。。

新学期の始まる9月1日に子供の自殺が増えるということで、子供が「死にたい」と言った時:自殺志願の方に接する場合の覚え書きに追記しましたが、さらに補足する形で書いておきます。

上記の記事は、あくまで「死にたい側」の視点から書いたものです。

「死なれた側」には、また違った想いがあり、両者の言い分が一致することは、まず無いと思います。

そして、「死なれた側」には、「身近な人を死なせた」という罪悪感が死ぬまで付き纏い、それ故に、何も知らない傍から見れば、冷淡に受け取られる考え方が身につくのも自然なことだと感じます。それがまた、「身内の死をこんな風に感じる私は冷酷な人間に違いない」と、二重、三重の、罪悪感になっていくのでしょう。

私がいろんな人を見てきて、つくづく思うのは、自殺の多くは「衝動」だという事です。

いろんな悩み、苦しみが、パンパンに膨らんで、ある日、突然、プツーンと切れてしまう。

多分、自殺した本人も、「なんで、こんな事してしまったんだろう」という部分が大きいのではないでしょうか。
いわば、本人でさえ説明のしようがない「衝動」に駆られた、という意味です。

だからこそ、そこに至るまでの間に、周りの人がどうにかフォローして、最悪の事態を避けて下さい・・というのが上記の主旨なのですが、はっきり言って、人助けなど、片手間にできることではないです。特に、大人の自殺問題には、社会や暮らしの事情が大きく絡みますから、「命を大切に」と諭したところで、明日から安心して食べていけるわけではありません。それこそ福祉や医療の施策を総動員しないと、生き道など探せないのが現状です。現場にいる人なら、皆、知ってる事だけども、「人助け」って、壮絶、かつ、最後は自分との闘いですよ、本当に。(だから医療従事者は心を病む人が多い)

そして、それは家族や身の回りの友人、関係者にとっても同じでしょう。

たとえば、二十歳の女の子が「彼氏に振られた、死にたい」と、電話相談のレベルで言ってる分には、まだ救いがあります。

でも、その一線を越えて、いよいよ自己喪失や希死念慮や妄想、幻覚の域に入ってくると、他人の正論とか常識とか、まったく通用しない心理状態になってきます。

どの糸を、どうほぐせばいいのか、それこそ、その人の生い立ちを遡って、幼稚園ぐらいから人生をやり直す他ない、というところまできますから、家族や看護者がちょっと励ましたぐらいで生き甲斐を取り戻せるようなレベルではないです。

そして、そこに至るまでの間に、何か救いようがあったのではないか……というのが、多くの「自殺予防運動」の主眼であって、その域さえも越えてしまったケースについては、一般的な正論や美談が通用する世界ではないのです。

非常に微妙な言い方になりますが、ある意味、「死こそが救い」という部分も大きいのですよ。

それは世間の常識においては絶対的にタブーですが、本当にそうとしか言いようのないところまで暮らしも精神状態も追い込まれている人、いっぱいいらっしゃいます。

では、仮に、その人が、いろんな施策で生きながらえたとして、その人に再び幸福の光が訪れるかといえば、そうではない所もあります。
家族もない、仕事もない、失明し、片足も切断して、健康な身体もない、そういう人でも人間としての尊厳はありますが、では、実際、自分がそのような身の上で、これから先、20年も30年も生きていかねばならないことを思えば、「頑張って、生きろ」とは言えない部分があるのです。

こういう言い方はタブーだけども、「死ぬより他に救いがない」ということです。

「頑張って、生きろ」という人が、24時間、付きっきりで、その人の身の回りの世話をして、夫や我が子のように愛情を注ぎ、暮らしの保障もするかといえば、決してそうではない。

その場合、「生きろ」という説教は、むしろ無責任であったりもするからです。

そういう現実を思えば、周りの人も一概に責められません。

この世には、どうにも、こうにも、救いようのない部分もある。

自殺されたご家族や友人は、その域まで入ってしまわれたのでしょう。

それについて、「死ぬより他になかったのだ」という感情を持ったとしても、それは決して罪悪ではないし、それもまた遺された人の率直な気持ちだと思います。

遺された者は、ただただ、その人の願い通り、「冥福」というものが訪れることを願って、ひたすら御魂に手を合わせるだけです。

その人のため、自分自身のため、仏の手に委ねるのです。

そう、「仏」ですよ。その為に、宗教があるのです。

仏という言葉に抵抗があるなら、人間の理屈を越えた超然とした存在、宇宙の命の不思議、と考えて下さっても構いません。

自殺に関しては、当事者にしか分からない事がたくさんあります。

そして、その現実は、「命を粗末にするな」という言葉では、決して括れないのです。

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