スマホ中毒 笑う子、悔やむ子、傷つく子

2017年9月15日子育てコラム

スマホ中毒に関するドキュメンタリーがシリコンバレーで話題に はあちゅうは、マクルーハン的な意味で、もう「向こう岸」に泳ぎ着いた先行者である”>スマホ中毒に関するドキュメンタリーがシリコンバレーで話題に はあちゅうは、マクルーハン的な意味で、もう「向こう岸」に泳ぎ着いた先行者であるという記事に、映画『スクリーンエイジャー』のポスターが紹介されていたのですが、私の知人の娘さん(14歳)もまさにコレ。
私の住んでいる地域はスマホ中毒が、というより、「子供にスマホを買い与えられる金銭的余裕がない」という理由で、スマホをいじっている子供の方が少数なのですが(iPhoneは大人のサラリーの一ヶ月分)、私の知人一家はアメリカの裕福な地域に住んでおられるので、14歳でiPhoneはデフォルト、身に付ける物もNike、Puma、Addidasと、ブランド物でなければ仲間はずれ、ああ、ほんと、バブル期に青春時代を過ごした私の学校生活と同じだなと思いました。
SNS戦国時代です。(私の時はデザイナーズブランド戦国時代)

スクリーンエイジャー スマホ

この夏、知人一家と三週間ほど一緒に旅行したのですが、現地に到着した時、娘さんの開口一番、「ネットはどうやって繋ぐの」。
現地で売っているSIMが上手に機能しないと、「友達と繋がらない!(あちらではdisconectという)」とパニック。
車で移動中も、気になるのはバッテリーの残量。
バッテリー確保のため、座る席も車の電源に近い助手席。
観光地に出掛ける前、夜中に充電に失敗して、自分のiPhoneのバッテリー残量が40%までに減っているのに気付くと、またもパニック。「こんなので出掛けられない、外出なんかイヤっ」。私が自分のパワーバンクを貸してあげて、ほっとするような感じ。

せっかくバルト三国に来たのだから、異国の風景や料理や文化に目を向ければいいのに、ひたすら、スマホ、スマホ、スマホ。
珍しい郷土料理のレストランに来て、料理が運ばれてきても、ひたすら、スマホ、スマホ、スマホ。
食べながらでも、友達とチャットやってる。

私もさすがに一言、言いそうになったけども、それはもう知人=ご両親もさんざん注意されていること。

まあ、ほんと、なんともかける言葉がないですよ。半分理解できますからね。私も高校生の多感な時期にデザイナーズブランド戦国時代を経験して、朝から晩まで友達とお喋り、もしくは手紙交換(まだITはなかったから)。
親子喧嘩の理由の8割は「友達付き合い」と「長電話」でしたもん。
友達と話してる時に、電話線を引っこ抜かれたことも何度あったことか。
その度に、私はありったけの10円玉をポケットに突っ込んで、厳冬期でも街角の電話ボックスに走り、ひたすら友達と喋りまくってた。で、夜の10時過ぎに帰宅して、またそこでバトル。

知人の娘さんは、それのポケット版ですよね。

ただ一点、大きく異なるのは、固定電話&お手紙の時代には「いいね!」の概念はなかったこと。

そして24時間、繋ぎっぱなしではなかったことです。

夜になれば友達は家に帰っちゃうし、それ以外の時間は、友達がどこで何をやってるのも分からなかった。

まして、望まぬ時に、友達の自慢げなファッション写真やグルメ写真が送られてくることもない。

もし、私が高校時代、これをやられたら、もう自殺者続出だったと思います。

その嫌な思い出から、食事中、娘さんがスマホを見せ、「これがティーンの仲間内で、一番話題になってる子。いいね!(Like)が500もついてる・・」と淋しそうに言った時、

「こんな写真、AdobeのPhotoShopでいくらでも加工できるのよ。肌色も変えられるし、顔のシワやシミも消せる。ウェストの肉のたるみも、目を大きく見せることも、何でもできるのよ」

と言ってやったわ。。。

実際、そうですからね。それを知らしめる為に、ハリウッドの有名女優やモデルが自分のスッピン写真を晒し、「女の子たち、これが現実だ。コマーシャルに踊らされてはいけない」とメッセージを出してますし。

そうなると、「害悪」というよりは、気の毒で仕方ない。

ご両親も、そのあたり、よくよく分かっておられるから、今は様観の状態。

そりゃあ、自分の娘が「学校で仲間はずれにされる」と分かったら、無理に取り上げることはできないですよ。

世界的にスマホの長時間使用が問題になっているけども、よほど子供に無関心でもない限り、「苦々しく見ている」親が大半ではないでしょうか。

*

思うに、子供の世界って、残酷ですよ。

イヤなものはイヤとはっきり言い、そこまで他人の気持ちを思いやる能力もない。

「子供は天使」の前提で考えていたら、痛い目に遭う。

私が小学校の時代から、トロくさいクラスメートに「死ね」はデフォルトだったし、汚物投げ、蹴り、シカト、凄まじい苛めが存在していました。

そんな子供時代を経験した人間が、今、社会の中核で部課長になり、母親になり、学校での出来事をそっくり再現してるのだから、今の子供の世界から苛めやマウンティングがなくなるわけがない。

私も子供心に「日本の未来は暗い」と思ってたし、小学校の学級会と同じ、誰かが正義感で「苛めはやめましょう」と訴えても、「いちびんなや、カス」と笑いものにして、この先、どうすべきかなど考えもしない。
それ、今もそのまんまでしょう。

ゆえに、娘さんの学校でも、SNS戦国時代で、自己アピールが下手な子や、自慢すべきものが何もない子(持ち物や能力、容姿)、控えめな子(自慢などできない)は、グループの最下層に押しやられ、最悪、苛めにあう。

そういう現状が容易に想像がつきます。

おそらくは、まだ「間」というものがあった私たちの時代より、もっとキツイ。

やっとSNSのやり取りから解放されて、さあ、食事でも、と思っていたら、友達から「キンコン♪」と着信する。

何かな、と気になるし、またチェックして、返信しなければならない。

「だって、今すぐ返事しないと、また友達リストから外される!」

もうパニックですよ。

自分がなぜ友達リストから削除されたのかも解らない、厳然たる『NO』がそこにあるだけですからね。

こんな現状に「スマホの利用を控えましょう」「外の世界に目を向けましょう」と呼びかけても、子供の接続を絶つことは友達社会の中で「死ね」と言ってるのも同じこと。子供に自分の居場所など簡単に見つけられるわけがない。

それに、総じて、今の子供ってヒマですよ。

昔みたいに、家事や野良仕事を手伝うわけでもなければ、幼子の面倒を見るわけでもない。

「勉強勉強で息つく間もなし」とか「幼少時からバイオリンや舞踊の英才教育を受けている」とか「LEGOやパソコンやマンガ制作みたいに、三度の飯より好きな趣味(生き甲斐)がある」というのでもない限り、朝から晩までヒマをもてあましてるのが庶民一般の感覚でしょう。特に夏休み。

私も高校時代、明治生まれのお爺さんに、「今の若い子は、家の手伝いもせんと、ロッテリアでハンバーガーか!」と怒られて、(ちっ、うるせーな)ぐらいにしか思いませんでしたけどね。「廻る因果の輪」ですわ。

ヒマなので、当然、友達付き合い以外に楽しいことがなくなってしまう。

実際、友達と出かけたり、お喋りは楽しいけれども、そこに「義理」や「競争」が発生すれば、生き地獄でしかない。

そんでもって、上記の記事では「突き抜ければいい」みたいな話だけれども、世の中には「突き抜けられない子」もいれば、「性格的にそういうの合わない」という子もいる。じゃあ、そっちの側はどうやってSNS戦国時代を生き延びればいいのか、落ちこぼれた子は一生惨めな、悔しい気持ちを抱えて生きていくしかないのか、という気持ちにもなる。

その原因の一端を大人が握っているとしたら、やはり何かしら処方箋を考えないといけない。

そして、子供からスマホを取り上げるより、「納得させる」方が、何倍も、何十倍も難しいんですよね。

幸い、娘さんのところは家族仲がよく、娘さんがSNSの「いいね」や友達リストに一喜一憂する度に、励ましたり、慰めたり、一所懸命にフォローしておられますから、SNSが原因でノイローゼになったり、放心したり・・というのはないだろうと思います。

お母さんともずいぶん話しましたが、「いつかは目を覚ますと信じている」と仰っていたのが印象的でした。

恐らく、スマホもSNSも無かった時代には戻れないし、これからティーンエイジになる子たちも、国籍や人種を問わず、同じような光景を展開するでしょう。

そして、スマホがこの世から無くなっても、TVづけ、マンガづけ、その他もろもろ、子供が中毒になる要素はたくさんあるし、彼らが朝から晩までヒマにしてる限り、自分たちのヒマを潰してくれるものは何だって依存症の原因になる。かといって、薪割りや幼子の子守にいそしむ戦前に戻るわけじゃなし、子供にいろんな娯楽や刺激を提供しようにも、何でもバカみたいにお金がかかって、一般庶民のキャパシティを越えています。
もう救いようのないところまできている、というのが、現実かもしれません。

そんな中でも、今日からでも確実にできることがある。

それは「いいね」の数が少なくても、仲間内に自慢するものがなくても、SNS弱者でも、身近な人間が「あなたはいい子よ。素晴らしいよ」と支え続けることです。知人がまさにそれです。だから、今、一日6.5時間なんてものじゃない、まさに目覚めてから眠りに就くまで、片時もスマホが外せず、友達のレスや投稿に神経質になっている娘さんも、いつか、どこかで、SNSの罠から抜け出して、上手に付き合える日が来るのではないかと思います。

彼らが大人になった時、学生時代を振り返って、「ああ、バルト三国に旅行したのに、スマホばっかりいじって何も見なかった。惜しいことをした」と悔やむのか、「あの時もキャシーとチャットで盛り上がって、面白かったな」とほのぼのした気持ちになるのか、それは親にも、本人にも、誰にも解りません。

そして、私も、親に叱られようと、成績が下がろうと、「朝から晩まで友達と喋りまくって、面白かったな」という思い出が一番強いです。

スマホをやめれば、すぐさま世界が広がり、熱心に勉強するかといえば決してそうではなく、ヒマな子は大人になってもヒマだし、スマホをいじってても、飛び立つ子は飛び立つし。その分かれ目は何かといえば、やはり身近な人間の支えや慰めでしょう(その中にはSNS繋がりの友人も含まれる)。

私は、皆が皆、セルフブランディングや積極的な情報アダプターになって、イケイケの人生を送る必要はないと思ってますし、そうできない子には、そうできない子なりの価値や能力があって、そんなのとは無関係なところで、自分の羽を伸ばしてくれたらと思います。

所詮、ネットですもん。

自分から接続しなければ、存在しないのも同じこと。

まったく無視する理由もないけれど、それが全てと価値判断の基準を置くこともない。

スクリーンエイジャーが大人になる頃には、また別のサービスが台頭して、その下の世代から「イイネだの、セルフブランディングだの、老害だよね」とバカにされる日がきっと来る。

その時、”あの頃”をいい思い出として人生の糧にできるのは、SNSやネットとは違う何かを持ち続けた子、その源泉は何かといえば、本当の意味で、よい家族や友達に恵まれた子だと思います。

その子にとって、自分がそんな「一人」になれば、スマホやSNSを使うことの意味も自ずと変わっていくと思うのですが、いかがでしょうか。