絶望の国の幸福な若者たち』という本が注目を集めているとのこと。

時々、チェックしているニュース系ブログの一記者が『朝日新聞の尾崎豊ネタ(新成人に贈る社説)』をこき下ろしていて、どんな内容だろうといろいろチェックするうちに行き当たったのが、この本に関する記事だった。

著書そのものは読んでいないので、それに関しては何ともコメントしようがないのだけども、著者のインタビューには正直、ガッカリした。

これがもし「はてなダイアリー」の人気ブロガーなら「よくあるタイプ」で納得しただろうけど、『社会学者』の肩書きをもつ人がこの程度の洞察力では・・というのが大きな理由だ。

著書の中でも『正直、出会ったことがない、行ったことがない、見知らぬ人や物や場所の事は「どうでもいい」と思っている。(P.295)』と書いておられるそうだから(Amazonのレビューによると)、言葉通り、そうなのだろう。

「この人の文章を読んでいるとイライラする」という感想が少なからずあるのも、リクツの割りには、物事、特に、人間に対しての洞察力や感受性が薄っぺらい印象があるからではないだろうか。

ちなみに、シニカルな理屈を並べて年長者の意見を切って捨てるスタイルは、この方の軽蔑するバブル世代や団塊の世代の若者とほとんど変わらない。清貧の思想を嗤い、戦中・戦後派の焼け野原&麦飯ネタを「じじいの思い出語り」で片付け、「だって豊かな時代に生まれたんだから、分かるわけねーじゃん」と開き直った私たちと、申し訳ないけど、根っこは同じだ。

ただ取り巻く環境が違うだけで、代が変わっても、若い子たちは、今の大人にイライラせずにいられないのね、みたいな。

若者不在の若者論、20代が反論 「絶望の国の幸福な若者たち」の著者、古市憲寿氏に聞く



そんな著者がTwitterに書き込んでいたツイート。

毎朝、ラッシュの電車に乗るサラリーマンは「あんまり自分で決めなくていい人生」を送っているそうですよ。

自分でまったく人生を決めることなく、責任も負っていないと。

26歳で、この意見か・・

寺山修司のこの言葉を思い出した。参照→寺山修司の『時速100キロの人生相談』~高校生の悩みに芸術的回答~

老人のうた(高校生の投稿作品)

光の中に顔をうずめ
老人がうつむいている

もう 何十年も前から
動かない石のようにすわっている

きみは想像したことがあるか
五十年後の世界を

————

(上記の詩に対し)

「動かない石のようにすわっている」などとは、何と非現実的で、人生にたかをくくった表現だろう。
恐ろしいことは、肉体の年よりも、精神が老衰してしまうことです。
この詩を書くときのあなたは、まさに、「動かない石のようにすわっている」のです。



それに、今の世の中、その『社畜』にすらなれない(かもしれない)若者がたーくさんいるわけでしょう。

それでいて、その若者世代を代表して「今の若者は幸福だ」と言っている。

「とりあえず、今、食べるものにも着るものにも困らないし、優しい仲間はいっぱいいるし、特に不満はないし……」という程度の幸福で、本当に人や社会が救われるのでしょうかね?

自分を掘り下げて見つめてみれば、不安で空虚な要素がボコボコと湧いてくる、それに対して、誰も処方箋を書いてくれない、口に出しても相手にされない、そうかと思えば「今ある幸せに感謝して」などと浮世離れしたアドバイスがかえってくる──。

一見、いろんな表現のツールをもっているようで、その実、自己充足とか自己実現などというものからは程遠い立ち位置にいる、それが今の若い子の影の部分じゃないのか、と。

そんな子たちに、「大志を抱かず、ほどほどに、自分の身の回りの幸せだけ考えて、ゆるく生きればそれでいいじゃん!」と訴えかけても、本当の意味で心に響かないと思うよ。表面的に「んー、そうかも」と同調できてもね。

なぜ、そう思うかと言えば、私は、人間とはそういうものじゃない──と思っているから。

よく言うじゃない。「たとえ明日、世界が滅びるとわかっていても、私はリンゴの木を植える」と。

どれほど冷めて消極的に見える子でも、傍から見ればクズみたいな人間でも、『高貴なものへの憧れ』って持ち合わせてるものだと思う。

だって、本当に、彼らのヤル気も希望も冷え切って、身体の芯から諦めきっているとしたら、、、

なんで「ゆるく生きて満足」みたいな層が、ライフハックに夢中になるの?

秋元康がgoogle+で、AKB48の「非」選抜メンバーに贈った言葉が名言が、瞬く間にホットエントリに上がってくるの?

浅田真央ちゃんに喝采を送るのはなぜ?


わざとクールでシニカルなポーズを取る人を見るとね、私、いっつも思うのよ。

自分にないものを見透かされるのが怖いんだな、って。

詩人になりそこなった人が、「寺山、お前の詩は誰も救わない」って、もっともらしい理屈をくっつけて自分にないものを正当化してるような、そういう印象を受ける。

だから同類の若者は頷いても、ここから抜け出そうと死ぬ気でがんばってる若者の心には響かないし、「がんばるの、やーめた」と開き直ったところで、十年後に待ち受けてるのは、食うにも困る現実だろう。

そして、人が、食うにも困る現実に直面し、社会も誰も助けてくれなくて、いよいよ精神的にも荒んでゆく段階になって、本当に救いになるのは──一部の人は認めたくないだろうけど──『愛』なんだよ。詩的感性、とでもいうのかな。

それがオチかい! って殴られそうな結論だけどね。

それでも思うわけ。

満員電車のサラリーマンを『自分でまったく人生を決めることなく、責任も負っていない』としか感じられない人に、社会の目を開かせるような新しい思想は生み出せないし、同胞の慰めにもならないだろう、って。

介護をテーマにした本も書いておられるようだから、一度、訪問入浴のアルバイト、半年ぐらいやってみたらいいと思うよ。

その時、もう一度、この方の新著を読んでみたいものです。

§ あとがき

ほんと、本、読んでないから、なんともコメントしようがないのだけども、いくつかのインタビュー記事、ありゃいただけんな、という気持ちで書きました。

実際、会って、話してみたら、好感度大の青年なのかもしれないけれど、あまりに社会に対する洞察がね・・

ちなみに、この方が、「何の意味もなかった」とおっしゃる安田講堂占拠事件、そのベースである学生運動、そして彼らを語る上で不可欠なアイテム、カール・マルクスおじさんがエンゲルスと共同で『共産党宣言』を発表したのは、28歳の時です。

なぜそんなものを書こうと思ったのか、極貧の生活をしながらも自身の思想にこだわり『資本論』を書き続けたのか、ちょっとその背景を勉強してみてはどうかな? それとも、後で廃れるような思想を構築してるヒマがあったら、ちょっと実入りのいい事務員でもして、賢く立ち回ればいいのに、とか思うのかしら。

内容の是非はともあれ、彼の『共産党宣言』や『資本論』はこれからも研究や論議の対象になるだろうし、世界史における「すごいおじさん」の格付けも変わらないでしょう。

好きな格言は「人間にかかわることで、私にとってどうでもよいものはなにひとつない」、だそうですよ。

この方もシニカルに構えてないで、真剣に研究したらいいと思いますよ、今の若者がどうすれば幸せになれるかを。

§ 参考リンク

賛否両論あると思いますので、以下に参考リンクを列記。

震災後の日本社会と若者(2) 小熊英二×古市憲寿

小熊 別に学術書らしくないから不満だというのではなくて、著者が自分のなかに予めある見解をそのまま出しましたという本は、好きじゃないんですね。その作品を作る過程で著者自身が変化していったり、化学反応を起こしているものが好きです。そういう化学反応がない人は、何を書いてもみんな同じになってしまう。

あなたが今、日本で若者と分類されるぐらいの年齢で、ある種記念写真的に書いておきたかったというのであれば、それはそれでいいと思います。たぶん35歳になってオーバードクターの年限も切れ、学術振興会の助成金も取りそこね、時給800円の職しかなくて親の介護が必要になりはじめたら、「なんとなく幸せ」とは書かないでしょうから。

小熊 しかし、こういう若者は30歳を過ぎると苦しくなってきます。まず、可処分所得の半分ぐらいを家賃で費やしてしまう。親と同居だとしても、給料が上がる目処がないから家を買えない。結婚ができない。親元から出られない。子供が作れない。勢いで子供を作ったら、高等教育はできない。今の日本で子供を大学まで卒業させるには、だいたい一人3000万円。全部私立に行って私立の医科歯科大に進めば6000万円以上します。到底そんなことはできるはずはない。

ブログ『読んだ本の内容まとめ』
本の内容を分かりやすく要約。

『絶望の国の幸福な若者たち』の小気味よい居直り

社会学玄論

さて、これらの区別ではもはや社会や若者は捉えきれない。意味や目的にとらわれず、終わりなき日常をまったりと生きることが成熟社会に適合的な生き方であると主張した「まったり革命」なるものが挫折したことはあまりにも有名である。社会の過剰流動性の中で、まったり革命の希望の星であったコギャルたちがリストカットやメンタル系に走り、決して自身の承認不足感を埋めることができなかった現実が見落とされている。近代社会の人間は、今が楽しければそれでいいという生き方だけでは、破綻するのである。幸福な生を営むには、最低限の自身を保証する安定的なものが必要なのである。

ブログ『基本読書』

本書の中で注目を受けているのは多分「若者は不幸だと言われるが実は幸福度は高い」ことを揚げて色々と仮説をあげて検証しているところだろう。内閣府の「国民生活に関する世論調査」によれば、2010年で二十代の70.5%が現在の生活に満足していると答えているそうだ。

この数字は上の世代と比べても、過去の若者世代と比べても高い数字だ。未来になかなか希望がもてないと云われる現代だと、なかなか不思議な数字に思える。一方で「日頃の生活の中で、悩みや不安を感じているか」という設問に対しては20代の63.1%が悩みや不安を感じていると回答しているそうだ。

幸福だが未来に対して不安を感じている若者たちはいったいどういう状態なのか。これへの納得できる回答が、大澤真幸さんという方の推察が凄い。本書からちょっと引用する。

 元京都大学教授の大澤真幸(五二歳、長野県)は、調査回答者の気持ちを以下のように推察する。人はどんな時に、「今は不幸だ」「今は生活に満足していない」と答えることができるのだろうか。大澤によれば、それは、「今は不幸だけど、将来はより幸せになれるだろう」と考えることができる時だという。
反対にもう自分が今以上に幸せになることはないと考えたときに、私たちは今は幸せであると結論づけるのだろう。それはたしかにそうだろうなあ、と思った。悪くなる未来しか思い描けないんだったら今が一番幸せに決まっている。

それを裏付けるように高度成長期やバブル期には若者の生活満足度は低い数字だった。今日よりも明日が良くなると思えたから今はまだ幸福ではないと答えたのだ。

そして現状を満足して受け入れたときに、今の「若者」像として定着している「変わらない友人たちとあまりお金を使わないで楽しむ」、仲間や友達を大切にして小さなコミュニティで楽しむうち向きな思考が現れてくる。

と、ここから「若者は今はもう拡散しすぎてしまって明確に定義することができない」といった面白い話や「日本」のために立ち上がるファッションナショナリスト若者たちの話が続くわけだけどそのへんは読んで確かめてもらいたい。

50台60台が自分のイメージを押し付けたクズみたいな若者論が多い中で、若者から出てきたちゃんとした若者論はとても貴重だ。おすすめ

ちかおばちゃんの生活と意見

彼にとって「健康で文化的な最低限度の生活」とは、
WiiやPSPが買えて、それを一緒に楽しむ恋人や、
モンスターハンターができる仲間がいるということ。

貧困は未来の問題で、承認は現在の問題。
SNSやツィッターなどのソーシャルメディアでお手軽に承認欲求を満たし、
家族というインフラに、経済大国としての遺産もある。
「今ここ」を生きているかぎり幸せ。

格差が固定してしまえば、反対に幸福度はたかまる。
財政破綻?侵略?それが何?
日本が戦争を始めます、といっても、
みんなで逃げちゃえば戦争にはならない。

これからの日本の道筋は彼らに任せればいいんだと思う。

『絶望の国の幸福な若者たち』のその後はどうなるか
今は幸せでもいつか家は老朽化し、親も年取って死にますよ──それでも幸福は続くのでしょうか──といったまとめ。

古市憲寿の若者論

古市憲寿の言うように今が一番幸せだと感じてアクションを起こさない若者が多ければ多いほど私の生存は有利になる。だから世の若者よ。余計なことは考えなくていい。今の現状にとどまっていなさい。

草食系毒舌キャラ世代 その(1)

彼らが言っていることはただ一つ。
「自分のことは自分でちゃんとやってるんだから、僕のことは放っといてくれ」
――彼らの“毒舌”の背後にあるものはそれだけである。

読んで面白くないわけじゃないけど、ネットで著者のインタビューとかを読めば概ね把握できる内容。若者が幸か不幸かは人それぞれとしか言えない。幸せと思ってる人多いよっていわれても、不幸な人を救わなくていいという話にはならないし。

Amazonレビュー

今の若者は「君たちは不幸だ不幸だ」と言われまくっている感があるので、確かにそこまでそれに同意していない人はこの本を読んでピンとくるものがあるのかもしれません。しかし、「幸福と思っているかどうかにかかわらず、やはり今の若者は改善の余地のある問題にさらされているのではないか」と感じている当事者、傍観者から見ると、「この本を読むことはそれらの若者にどういう助けになるのか(ならないのではないか)」と考えざるを得ないのではないでしょうか。

上記のような危機感のある読者には、代わりに山岸俊男さんの一連の著作、特に「リスクに背を向ける日本人」をおすすめいたします。タイトルからはそちらのほうが「若者バッシング」に聞こえてしまうかもしれませんが、実際は「今の若者が直面する問題は単なる精神論で片付けられるものではない」という信念を元に、「昔は良かった」「今の若者はかわいそう」という単純議論以上のものを展開しています。「気のもちよう」論の行き詰まりや功罪、「現実には(海外に脱出するなどの)逃げ場の無い人が大部分という事実」をふまえているからです。迷ったら、併読をお勧めいたします。



最後に寺山修司の言葉。

幸福はもっと、たけだけしいものだ

現代人が欲しいのは「幸福」そのものではなく、「幸福論」であり、だれもが幸福とはいったい何であろうかということを捜しているのです。ルナアルは、「幸福とは幸福を捜すことである」といっています。
「規則なり約束なりを守り、それをもとにして人の為に何か役立つ」というのはキレイゴトであり、管理され飼育される小市民的な発想のような気がする。

幸福とは、もっとたけだけしいものだ、と僕は思いたい。

幸福とは、何かを守ることではなく、新しい価値を創造することです。

§ 本

絶望の国の幸福な若者たち

絶望の国の幸福な若者たち (単行本)
by 古市 憲寿

価格: 1,890円 15点の在庫あり 中古価格 1,890円より

「今、ここ」が幸せであればいい――。W杯の深夜、渋谷で騒ぐ若者たち。ネット右翼の主催するデモに集まる若者たち。そして震災を前に、ボランティアや募金に立ち上がる若者たち。すべての現場に入り調査を重ねた末に見えてくるものは? 最注目の若き社会学者が満を持して立ち上げる、まったく新しい「若者論」

[asa comment="ベストセラー『おひとりさまの老後』を残して、この春、東大を退職した上野千鶴子・東大元教授。帯の名文句「これで安心して死ねるかしら」に対して、残された教え子・古市憲寿が待ったをかける。親の老いや介護に不安を覚え始めた若者世代は、いくら親が勝手に死ねると思っていても、いざとなったら関与せずにはすまない。さらに、少子高齢化社会で、団塊世代による負の遺産を
手渡されると感じている子世代の先行きは、この上なく不透明。だとすれば、僕たちが今からできる心構えを、教えてほしい......と。
これに対し、「あなたたちの不安を分節しましょう。それは親世代の介護の不安なの? それとも自分たち世代の将来の不安なの?」と切り返す上野。話は介護の実際的な問題へのアドバイスから、親子関係の分析、世代間格差の問題、共同体や運動の可能性...etc.へと突き進む。30歳以上歳の離れた2人の社会学者の対話をきっかけに、若者の将来、この国の「老後」を考える試み"]4334036473[/asa]

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