ただ「一緒に居る」ことの幸せ

2017年9月15日

結局、保育園の一時預かりは、今週で一時見合わせることになった。

というのも、総重量20キロ超えのベビーカーを押して、往復1時間、送り迎え合わせて計2時間の道程は、妊婦の私にはかなりキツイものだからだ。
住まいが高台にあって、行きは楽でも、帰りは心臓破りの坂を上がっていかなければならないこともネックになっている。

おまけに、保育園から帰ってくると、「抱っこ、抱っこ」の嵐で、子供の気が落ち着くまで、あっちウロウロ、こっちウロウロ、あやして歩かなければならない。
それも私にはかなりの負担になっていた。

最初は、何とか勢いでこなせたけれど、木曜日、金曜日あたりから、下腹部が張って痛むようになり、これはマズイと思って、一時見合わせることを夫に相談した。

結論として、夫がアメリカから帰国する再来週、一時預かりを再開することにした。

出産予定日まで、まだ四ヶ月以上あるから、それまでになんとか慣れてくれればいい。
今、詰めて預ける必要性はまったくないし、「ぼちぼちいこうや」というのが、二人の選択だった。

それにしても、たった一週間の預かり保育で、母子とも疲れたこと、疲れたこと^_^;

私の負担を少しでも減らすために始めたことなのに、かえって心身共に疲労してしまったような・・。

夫が海外出張中で不在というのも大きいけれど、生活の変化に心を乱されたのは、母親である私も同じという気がする。

一週間ぶりに、保育園に行かない朝を迎えて、

「そうそう、いつもこんな風に、のんびりやってたんだよな」

と、思い出した。

保育園に行くとなると、朝はどうしても急かしてしまうし、食べたくないものも無理強いして食べさせようとしてしまう。
時間が来れば、居間のオモチャで遊び始めた息子の手を引き、不機嫌に暴れ回るのを押さえつけてでも、防寒具を着せて、外に出なければならない。

のんびりした生活に馴れている息子も、私も、それだけでなんだか消耗してしまったし、生活規律の必要な学童ならともかく、まだ時間のなんたるかも分からない一歳五ヶ月の息子を、時間、時間で追い立てるのも、気が引けて仕方なかったのだった。

そのせいか、土曜日は朝からとても機嫌が良かった。

ほんとに幸せそうだった。

その笑顔を見て、

「ただ『一緒に居る』ということの悦びを、もっともっと大事にしなきゃいけないんだ」

と思った。

以前は、子供と一対一になると、「さあ、絵本を読まなきゃ」「公園に連れて行かなきゃ」「たくさん話しかけなきゃ」と、気張ることが多かった。

「何かしなければいけないんだ」と無意識に思い込んでいた。いや、かなり強迫的に。

でも、子供の方は、そんなことに重きを置いていないのだ。

ただ、一緒に居てくれればいい。

振り返った時、いつでもそこにお母さんの姿があればいい。

求めた時、いつでもギュっと抱きしめてくれる位置に居てくれればいいのだ、と。

今回の一時預かり体験を通して、改めて認識したのだった。

私も、ちょっと前まで、フルタイム・ママでいるのが、辛くて、辛くて、たまらない時期があった。
本当に、どこかに逃げ出したいほど、しんどかった。

でも、「ただ一緒に居ることの幸せ」を味わえるのは、フルタイム・ママならではじゃないか。

そう思った時、自分がフルタイム・ママでいることが、不思議なくらいしっくりきて、前よりもっと積極的にそうであることを選び取れたのだった。

世の中には、ギュっと集約された愛情表現もあるのかもしれない。

でも、私は、ゆっくり、たっぷり、時間をかけて、愛することを選ぶ。

それが私と息子には合っているから。

もっとずっと息子一緒に居たいと思っても、もう10年もすれば、「ママより友達の方がいいや」と外に出て行くようになるし、20年もすれば、自分の人生作りで精一杯になる。
そして、いつかは、私がそうしたように、この国を離れ、外国に人生の新天地を見つけるかもしれない。
そうなったら、もう数えるほどしか会うことはない。

24時間一緒に居られるのなんて、長い人生のほんの少しだけなんだ。

そう思った時、私らしい生き方が見えた。

今では、フルタイム・ママでいられて良かったと、心から思う。

Posted by 阿月まり