女の子を幸せにしたければ / 乱れる性行動 「間が持たぬ」と相手変え

【溶けゆく日本人】乱れる性行動 「間が持たぬ」と相手変え

私が看護学生の頃、生徒の年齢は18歳から21歳が主だったこともあり、『いつ、どのように処女を捨てるか』ということに、みんな興味津々だったものです。今を基準にすれば、遅いのか普通なのか、分かりませんけれど。

全寮制だったこともあり、土日になれば、「寮で友達と過ごしている」ふりをして、交際中の男の子の下宿に泊まりに行ったり、車やラブホで一晩過ごしたり……というのが当たり前でしたし、この『寮生活』という美味しい環境を利用して、処女を卒業した生徒が結構多かったように思います。

それでも、「間が持たない」からと、次から次に相手を変えるような子は無かったです。
みな、それなりに、笑い、泣き、落ち込み、考え、恋愛のプロセスを心と身体で一生懸命に乗りきろうとしていました。
中には、性体験が豊富なことを自慢して、仲間内の女王様みたいになってる人もありましたけど、それでも彼女等の究極の目標は愛し愛されの信頼関係であり、そういう意味では恋に真面目だったな、と記憶しています。

それだけに、こういう記事を目にすると、「情けない」というよりは、とても淋しく、もったいないように感じます。
一番柔軟に恋愛できる時期に、取っ替え引っ替え――というよりは、すぐに投げてしまうわけでしょう。
本当の醍醐味はその先にあるのに、表面だけかじって、中の核に行き着かないということは、相手を捨てているのではなく、自分自身を捨てているのですもの。

なぜ間が持たないのか-。インタビューで若者たちは、こう返答した。
「テレビドラマのように、スマートに相手とおしゃべりができない」
「あの女優さんのような雰囲気が醸し出せない」…。
思春期の男女はぎこちなくなったり、話題に困ったりしながら、お互いを理解し交際を深めていくものなのに、それを「間が持たない」と勘違いしてしまうという。

愛情を確認するために、性関係を持つ。
理解を深めたと思うが、それでも間が持たないからと、もっと自分に合いそうな相手を探す…。

テレビや雑誌、インターネットなどで性関係を急(せ)かすような情報があふれ、先輩や友人らの性体験にも左右され、強迫観念や焦りが性衝動へと駆り立てる面もあるだろう。
だが、木原准教授は「親や教師らとの関係が薄れるのに伴い、性に関する正しい情報やモラルの伝達力が衰え、性行動の乱れを一層助長しています」と指摘する。

そんななかで今、家庭ではどんな対応が必要なのか-。
木原准教授は言う。
「温かくて頼れる人間関係の心地よさを感じられるように育ててほしい。それを知らないと、ほかの人間関係もうまく築けない」

こういう傾向に走る大きな理由の一つは、やはり親の責任と家庭の在り方にあると思います。

日本の子育てって、小さいうちはベタベタ可愛がるけれど、ある年齢に達したら、いきなり距離を置いて、知らぬ存ぜぬの希薄な関係になってしまうでしょう。
親は家にいるのかいないのか分からないような幽霊社員だし、子供は休みになれば、さっさとどこかへ出掛けていって、どこで何をしているのか、さっぱり分からない。
「親と一緒にお出掛け」なんて気持ち悪いし、まして「親と触れ合う」など、天地がひっくり返ってもありえない。
今までベタベタと繋がっていたものが、いきなりブツンと途絶えて、子供だけ宙ぶらりんに放り出されてしまい、それを「自立」と勘違いして、お互いに関わらなくなってしまう――子供が中高生にもなると、そういう家庭が多いのではないかな、と推測します。

私も、海外生活始めてからつくづく思いましたけど、日本の若い子たちって、とにかく人の温もりに飢えてるのね。

誰に触れられることもなく、愛情もって抱きしめられることもない。

こちらだと、子供が30歳になろうが、40歳になろうが、ママは愛情もって子供の身体を抱きしめるし、パパだって肩を抱いたり、一緒に酒を飲んだり、その愛情の手を緩めることがありません。

高校生にもなると、「お父さん、近寄らないで」と気持ち悪がって、スキンシップどころではない日本の家庭の在り方を見ていると、彼女たちが人肌に飢えて、セックスに走るのも分かるような気がします。

私も、子供が生まれてから、育児本や育児サイトに親しむようになりましたけど、育児と言えば、0歳児から未就学児童がメインで、中高生を対象にしたチップスみたいなものはほとんど目にすることがありません。
手が掛からなくなるから、悩みもなくなる――という事なのでしょうか。
しかし、人間対人間の関わりとしては、一番難しい時期なのに、どうして幼児期の育児ばかりがメインになるのか、不思議だなあと思わずにいないのです。

そしてまた、「心の優しい子に育てましょう」とか「小さいうちにしっかり躾ましょう」とか、育児書に書いてあることをきっちり実践しているような親御さんは多いですし、このままいけば、さぞかし日本はよい子天国になるだろうと思いきや、中高生にもなれば、リストカットだ、引きこもりだ、拒食症だと、やおら心の問題が増加するのは、どういうことなのかと首を傾げたくなります。

言い換えれば、小さいうちは十分にやっても、その後のフォローがまったく出来てない――あるいは、やってきたつもりだけど、どこかで方向を間違っていた――という事なのでしょうか。

私は、今の若い子の書いているものとかを見ていて、いつも思うのだけど、とにかく自分に自信がないというか、生きている実感がないというか、「何をしていいか分からない」「何の為に生きているのか分からない」みたいな、虚しさとか無力感が大きくないですか。

自分で自分の存在を疑う――とでもいうのでしょうか。

「今、ここに生きている自分」に対して、肯定できない人がとても多いのね。(私の読み違いかもしれませんけど)

でも、それこそが親の役目であり、育児の目的のはずなんです。
これだけ育児情報があふれかえって、「いいママ」を自負する人が多くて、躾にも心の教育にも厳しいような見かけとは裏腹に、「実は出来ていない」というのが本当ではないかと、懐疑的になってしまいます。

私はもう、日本には住んでないし、これからも多分、住むことはないから、今の日本の若い子がどうなろうと「余計なお世話」なんですけど、しかしね、私は本当にもったいないと思う。
自分で自分の存在を疑うなんて、人生最大の不幸じゃないか、って。
まあ、そういう自分に満足して、それがカッコいいと思っている人もあるかもしれないけれど、親としては責任を感じますね。
人間が生きていくために不可欠な「YES」を、我が子に言えなかった訳ですからね。

子育て系の記事の中でも繰り返し書いているけれど、子育てにおける最大の失敗は自殺であり、最大の不幸は、子供が「何の為に生きているのか」と虚無感にとらわれることです。

どれほど頭のいい子に育てようが、性格の優しい子に育てようが、「生きていても意味がない」、まして「何のために存在しているか分からない」と、生きる意欲も目的も見出せずにいたら、その子育ては失敗なのだと思います。
(もちろん、哲学的考察は別として)

言い換えれば、多少の欠点があろうと、思うような道に進めなかろうと、「生きていて楽しい」と思えたら、それで成功なのではないでしょうか。

「間が持たぬ」と相手を取っ替え引っ替えするのも、別の見方をすれば、自分で自分のことを大切に思えないから、相手と一緒に自分の気持ちも簡単に捨ててしまえるのだろうなと思います。
人間関係うんぬんの前に、心の底に絶対的に巣くっている疑いや虚しさみたいなものが克服されない限り、誰と恋愛しても上手くは行かないでしょう。

女の子が自分自身というものを大切に思えたら、自ずと慎重になるし、相手との関係ももっと建設的に頑張れるはずなんですけどね。
そこで自棄的になるということは、やはり、誰にも愛されない、自分なんか生きていても仕方ない、みたいな投げやりな部分があるからでしょう。

そして、女の子が、そのような心持ちになるのは、やはり親の責任であるし、スキンシップの欠如が大きいと思います。

本当は、心と身体がアンバランスで、何かと不安定な思春期にこそ、「ぎゅっと抱きしめる」が必要なんですけどね。

日本の親や家庭はそれをしないから。

恋愛下手でセックス好きな女の子が増えていくんじゃないかな、と私は思います。

まあ、今の若い子達を間近に見てないので、どうだか分かりませんけどね。


心理学者の河合隼雄先生の育児コラムに、同じような指摘がありましたので、コピペしておきます。
(他にもいいコラムがたくさんありますので、ぜひ見て下さい)

飢えている子 2006/7/4   ~抜粋~

ところが、最近、日本でも「飢えている子」が多いという言葉を聞いて、ドキッとしたことがあります。それも、災害が起こったとか、虐待する親のため、などというのではなく、普通の幼稚園や保育所にいる子どもについての話のなかで、こんな言葉がでてきたのです。

滝口先生が子どもたちが「飢えている」と言われたのは、どういうことでしょう。
先生が幼稚園や保育所に行かれると、子どもたちがわっと集まってきます。子どもたちは滝口先生が好きなのです。
そして、そのときに、少しでも先生との体の接触があったり、せめて服に触れるだけでも、何とか先生に直接触れたがる子が実に多いのです。その様子を見ながら、「今の子どもたちは、愛に飢えている」と感じられた、と言われました。

それなら、その子たちの家庭の親は愛情が薄いのでしょうか。決してそんなことはありません。
多くの親は自分の子どもの幸福を願って一生懸命です。
しかし、子どものためと思うときに、どんな服を着せるか、車で送り迎えをするのか、食事の栄養はどうか、旅行に連れていってやらねば、などと、することも考えることも多いのです。その上、経済的に恵まれてくると、他の家でしていることがいろいろ目についてきて、それに負けずに、などと努力することになります。

このために親は大変忙しくなってきて、子どものために動きまわることが多く、ゆっくりと子どもを抱いてやる、手をつないで散歩するなどと、身体接触を伴ないながら、子どもの心が一番安定する時間が、ぐっと少なくなるのです。
そこで、親の愛情はありながら、滝口先生の言われるような「愛に飢えた子」が多くなってきます。
この愛は子どもをまるごと受けいれることだ、と言ってもいいでしょう。
物があまりに豊富になったので、日本人の目が物にくらんで、親と子の愛情において一番根本になる、身体接触を伴なって時間を共有する、ということが忘れられていないでしょうか。
これが不足すると、子どもはどうしても不安定になり、落ち着きを失います。幼い子を持つ親御さんによく考えていただきたいことです。

「女の子を幸せにする」――と言うと、「これからの時代は、女性も手に職をもって自立して生きていけるよう、いろんな能力を開発して……」という考えの親御さんが多いだろうと思います。

まあ、確かに、それも一理ありますけどね。

でも、女の子を幸せにしたければ、『恋愛の仕方を教える』。
これが最重要項目ではないかと私は思います。(時代に逆行するようで悪いけど)

カワイイ、カワイイで大事に育てて、いい学校にやって、「どこに出しても恥ずかしくないお嬢さん」に育てても、つまらない男に引っ掛かって、一生を棒に振る可能性は十分にあるし、バリバリのキャリアウーマンになっても、男性とまともに恋愛ができなくて、失恋のショックから鬱や拒食症になったり、男嫌いの反動で意固地になったり、人間として損することだって大いにあるのです。

中には、鉄人28号みたいな、仕事や自身の栄達にしか興味のない人もありますけどね。

でも、多くの、普通の女の子は、素敵で優しい男性と「愛し、愛され」の幸せを求めるものだし、それが上手く行かないと、落ちるところまで落ちてしまう。
そんな時、語学能力や経理の能力なんて、何の救いにもならないんですよ。――愛がなければ。

逆に言えば、それが上手くできる女の子というのは、仕事もプライベートも充実して、能力はあるけど誰にも愛されなくてグラグラしている女の子より、うんと伸びて行くんです。

ですから、ある時期になったら、自分の娘に「恋の作法」というものをキッチリ教えてやる、そして何より、『人肌に飢える』ような状況に置かないことです。

人肌に飢えれば、男を見る目も誤るし、その場その場で流されやすい女になって、結局、ゴミみたいに捨てられるのが関の山。
それが積み重なれば、自尊心も傷つき、自己評価も低くなり、自分で自分を愛せない、自分の価値も分からない、いつも男にすがるしかできない、みじめな女になってしまいます。

我が娘を、そんなみじめな女にしたいと思いますか?

職場でトップに立つような能力はあっても、いつも心の奥底で「淋しいよう、誰か構ってよう」と怨念が渦巻いているような、孤独な女にしたいですか?

娘を『幸せな女性』にしたければ、まずは『人肌に飢えさせないこと』。

そして、幸せな恋愛の仕方をきっちり教えてやることです。

先にも書きましたが、日本の家庭はとにかく、小さいうちはベタベタと可愛がるけれど、ある年齢に達したら、「もう何でもできる年齢でしょう」と、抱きしめることはおろか、触れることさえしないでしょう。

それでは、心の不安定な中高生ぐらいの娘さんが、「私なんか生きていても仕方ない、誰にも愛してもらえない」と思い込むのも当然だと思います。
いくら口で大事大事と言っても、心のこもったスキンシップに勝る愛の表現はないと思うんですよ。

かといって、いきなりガバっと抱きしめるのは抵抗があるでしょうから、背中をさすったり、肩を揉んでやったり、リボンを勇のを手伝ってあげたり……小さなことから始めたらいいと思います。

あるいは、お料理したり、買い物に出掛けたり、一緒に何かする機会を増やすとか。

それはお互いに依存しているピーナッツ母娘とは違うと思います。

「お母さんが好きだから」「娘が可愛いから」、自然に寄り添っていく、そういう仲の良さがあれば、娘が親の愛情を疑い、自分の存在を疑い、そのスキを埋めるように男に走ることも無くなるでしょうに。

よく育児アドバイスなどを読んでいると、「一日一回は、『大好きだよ』の気持ちを込めて、ギュッと抱きしめてあげて下さいね」というのがありますが、それをどうして中高生になってもやってあげないのかな、と不思議に思います。

むしろ、心と身体が不安定で、「自分が何者かわからない」、心の拠り所がなくなる思春期にこそ、こうしたスキンシップが大事だと思うんですけどね。

ともあれ、娘を幸せにしたければ、『人肌に飢えさせない』。

これが基本かと思います。

能力というのは、安定した心があって、初めて伸びていくもので、心の不安を埋めるために能力を開発すれば、それは自滅に繋がるということを、親は心しておくべきだと思います。

first edition : 07/06/01
last update : 07/06/12
・河合隼雄先生のコラム抜粋を追加
・「女の子を幸せにしたければ」を追加(記事後方)

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