化粧も女性の生き方も華麗に後退中 ?!

若い方はまったく御存知ないと思いますけど、私が少女の頃、資生堂のCMといえば、これだったんですよ。

私はベルばらファンでしたから、

男に生まれたかった……と思うこともあるけれど、(女に生まれてよかったと思う春なのです)。劇的な、劇的な春です、レッド

というコピーは少女心に非常に響きましたし、こういう紅色の似合う、自立した大人の女性になりたい、という憧れもひとしおでした。
ちなみに、()内は、確かどこかに掲載されていたフルバージョンです。私の記憶違いかもしれませんが、、、。

思い返せば、70年代後半から80年代にかけて、「女性のヒロイン」といえば、オスカルのように「女性も意思もって生きよう」「人生は自らの力で切り開こう」が主流でした。

秘密戦隊ゴレンジャーに「モモレンジャー」という女性レンジャーが登場したり。

女海賊エメラルダスが剣を片手に、男の戦士をバタバタ倒したり。

「アタックNo.1」の鮎原こずえや、「エースをねらえ」の岡ひろみが、か弱いながらも歯を食いしばり、男性並みのトレーニングに耐え抜いたり。(決して苛めではなく、練達の意味で)

女優の志穂美悦子が男性のスタント相手に背負い投げや剣術を決めたり。(深夜番組のパンチラ・アクションとは一線を画す、本格的な女性スタントです)

竹宮恵子が『地球へ!』を発表して、女性でも男性漫画家が顔負けの骨太なSFを描いたり。

まるで、それまで抑圧されていた意思や情熱が一気に解き放たれ、「強く、逞しく、自らの力で!!」と全力で叫んでいたような気がします。

そして、それらをTVアニメや漫画などで身近に親しんできたバブル世代の女性は、これらのヒロインをお手本に、恋に、勉強に、仕事に、頑張ってきたような気がします。

今の若い女性の目に「ガツガツしてる」ように映るのも、当時のヒロイン像がおおいに関係していると思います。

そしてまた、これらのヒロイン像を作りだした女性たち──いわば、私のお姉さま、おばさま世代というのは、戦後から高度成長期にかけて、「女は三歩下がって、黙って男の言うことを聞いておればよい」「仕事をする女は貧乏でかわいそう」、今よりはるかに硬直した価値観の中で生きてきた方たちです。

だからこそ、社会が安定して、サブカルチャーやメディアといった自己表現の手段を手にした時、「そんな考えはおかしい。女性よ、もっと強くなろう。自らで考え、自らで立ち、自分の人生を切り開こう」というメッセージが、強く、激しく、少女らの胸に響いたんですね。

一方、バブル時代の男性は何を追いかけていたかといえば、『みゆき』であり、朝倉南であり、ラムちゃん、かぼちゃワイン、キャンディーズ、松田聖子、あたり。

オスカルやエメラルダスなど、とんでもない(どっちも田島令子や)

「知性よりデカパイ」「かわいい」「けなげ」「男にかいがいしく尽くす」、旧態依然としたヒロイン像が支持され、あの頃から、男性と女性の間には、深い、深い、溝がございました。

「僕は働く女性の理解者」を標榜する男性でも、妻には仕事を辞めさせ、自分に献身させる、見事な二枚舌で、とてもじゃないけど、オスカルみたいに「自分の意思もったパワフルな女」が生きていける時代ではなかったのです。

ゆえに、現在の職場におけるパワハラ、セクハラも、非常に理解できます。

今のおじさん世代が小学校、中学校、高校時代にやっていたこと。

それは、

・スカートめくり
・更衣室のぞき
・学年美少女コンテスト → わざと結果を伝えて、女の子がガーンとする表情を眺めて笑う
・ブラジャーを付け始めた女の子のリスト作り
(ポーチを小脇にはさんでトイレに向かう女生徒に「お前、生理やろ」と言うヤツもおった)
・容姿がいけてない女生徒を蹴る、殴る、罵る
・運動会や学芸会の準備で女の子が重い物を運んでいても、知らんふり
・女の子に砂をかけたり、ホースの水を浴びせる
・ドッジボールで、わざと女の子を狙う
・女の子に平気で「ぼけ、かす、死ね」と言う
・成績のいい女の子を「いちびり」と揶揄する

等々。

今も職場で似たようなことをやってるでしょ?

あいつら、小学校の時から、そんなんよ。

ちっとも進化してない。

サルがネクタイ締めてるようなもの。

図体だけ大きくなって、頭の中は、悪のりの小学生のまんま。

だから、若い女性に平気で「女子力がどう」とか言う。

女の子が苦しみ、傷つきしても、なんとも思ってない。

そのように甘やかされ、他人を嬲ることが「イケてるギャグ」と勘違いするような風潮の中で青春期を過ごしてるからよ。

五十代だから、課長だから、「大人の男」なんて思ってはいけない。

無条件に仰ぎ見る必要もない。

あの人たちは、小学生の時からああで、五十を過ぎても、何も開悟しなかった、哀れな洟垂れよ。

間違っても、自分が悪い、女性として劣ってる、など、自分を責めないで欲しい。

あなたの職場で威張り散らしている上司が小学校や中学校で何をしてきたか、想像すれば分かることです。

で。

先日は、資生堂の新しいCMが批判を浴びて、取り消しになりましたけど、あれも女性が実のところ、何に対して怒っているかを、まったく理解してないのではないかと思います。

二十五歳を過ぎたら「女の子ではなくなる」のは、世の女性の大半が身に染みて知っていること。

年を取っても、おばちゃん顔になっても、堂々と生きられる強さや知恵や魅力を身に付けたい。

でも、どうやったら身に付くのだろうと、誰もが試行錯誤する中で、「男性からチヤホヤされること」「結婚していること」「幾つになっても(男性に)可愛いと思われること」が、いまだに『いい女の基準』になっていることに、違和感を覚えたのではないでしょうか。

25歳の誕生日を迎えた女性に、「チヤホヤされない」「毎週送られてくる結婚式の写真=まだ結婚してない、結婚を前提にお付き合いしている彼氏もいない」「カワイイという武器も使えない=この場合、男の目から見た可愛さ」と脅すということは、「それに該当しない
貴女は女性として終わってる」と宣言しているも同然ですからね。

「25歳」という昭和な価値観もさることながら、「男に愛される=男社会に認められる」ということを基準にしている点で、それはちっとも女性へのエールになってない。

本当に女性にエールを送るなら、男性のルールから逸脱した女性でも、一人一人素晴らしい。

結婚してなくても、容姿コンプレックスがあっても、男社会でブス呼ばわりされても、家事と育児に疲れきっても、資生堂はあなたの本来の美しさを引き立て、幾つになっても胸を張って生きられるお手伝いをします……というところを強調して下されば、みな拍手喝采したんですよ。たとえ「25歳を過ぎたら、女の子じゃない」というセリフが出てきても、です。

私も長らく日本の女の子を間近に見てないので、確かなことは言えませんが、その時々にもてはやされるアイドルやキャラクターを見ていたら、男社会の求めるものは何となく伺い知れます。

その背景には、経済不況や社会不安から、再び男性の経済力や社会力に寄りかからずにいない女性の恐怖心、また、それに胡座をかく男性の傲慢もあるでしょう。

オスカルをはじめとする当時のヒロインが「自立せよ」と声高々に叫べたのも、社会が右肩上がりで成長していた時代の勢いもあるかもしれません。

私が少女時代には、倍賞美津子、倍賞千恵子、田中裕子、桃井かおり、大竹しのぶ、W浅野といった、大人の女性のローモデルがたくさんいました。

完璧な美人ではないけれど、高倉健と居酒屋で一杯飲んでいる姿が粋だったり、記者会見での照れっとした笑みが十代から見ても愛らしかったり、「湯上がり、卵肌と言われた桃井がよー」と溜め息つく姿に共感したり。
こんな風になれるなら、三十代、四十代も、決して悪くない、と、心の底から思えるような大人の女性像でした。

さらに、その上をゆくと、小森のおばちゃまとか、塩沢トキとか、重量級の熟女(?)がいて、それはそれでまた味があり、そこまで露骨に年配の女性が蔑まれることもなかったような気がします。

対して、昨今は、「年をとっても、アイドル」みたいな口調で語られることが多い。
小泉今日子も、森高千里も、やっぱり「男の求めるアイドル像」をそのまま引きずる──あるいは、引き摺らされているような印象です。

その価値観の大本になっているのが、小学校時代、女の子のスカートをめくり、美少女コンテストで下位の女の子の自尊心を踏みにじり、いつまでも『みゆき』の面影を引きずっている「バブルのおじさん」だとしたら、本当に情けない話。
当時の学級会やクラブ活動と同じ、自分より弱い者は踏みつけにして、集団で苛めて、「勝てば官軍」でやってきた。

あんなので、女性を尊重する気持ちや、社会を思いやる気持ちなど育つわけがない。

その為に苦しんでいるお嬢さんがたくさんいるなら(中年男の不倫も含めて)、私も謝ります。

あんなの野放しにしてきた私たちにも、責任の一端はありますからね。

でも、一方で、価値観の異なる若い男性も育ってきているように感じますし、まだまだこの世の終わりではない。

またこの反動で、今の小学生、幼稚園ぐらいの女の子が大人になった時、反撃ののろしを上げるかもしれないし。

どんな時も自分を見失わず、また卑下することなく、お洒落で少しでも自信が取り戻せるならお洒落して、たくましく生きていって欲しいと願っています。

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