ゲゲゲの鬼太郎と登校拒否

子供の頃──特に目覚まし時計の鳴った後──いつもあの歌が頭の中で鳴り響きませんでしたか?

ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ

朝は寝床でぐぅ、ぐぅ、ぐぅ

楽しいな 楽しいな

お化けにゃ学校も 試験も何にもない

あれは私の憧れであり、モーニングコールでした。

学校嫌いだったからネ。

もうお化けが羨ましくて、羨ましくて。

私も一時期、登校拒否だったことあるけども、そんな時、あの歌が支えでした。

よし、今日はお化けになるから、私は学校に行かなくていい

学校生活において、「学校に行きたくない子供」なんてのは幽霊かお化けも同然ですからね(存在してはならない)。

唯一、それを正当化してくれるのって、水木先生の「ゲゲゲの歌」だけじゃないですか。

お化けには学校は無いから、朝も寝床でぐぅぐう寝てていいよ、って。(もちろん、私の得手勝手な解釈ですが)

どうせ学校に行っても幽霊みたいなもんだから、学校に行かずに寝ていて何が悪いんでしょう、と、途中から開き直りましたよね。

で、学校に行かない日は何をしていたかというと、学校に行く振りをして嵯峨野に行ったり、図書館に行ったり、映画館に行ったり、いろいろでした。

誰かに何か言われたら、

「学校の自由研究の資料を探してるんですぅ」
「中耳炎で耳が痛くって」
「おばさんが死にました。葬式の帰り」

等々、

言い訳はいくらでもできますからね。

で、実際、「京都 大原 三千院 恋に疲れた女が一人~♪」のノリで、歴史的文化財の説明書きを熱心に読んだり、ご本尊の前で熱心に手を合わせて「どーか私の生きる道が開けますように」とお祈りしたり、ベンチに腰掛けて文庫本を読んだり、傍目には本当に「自由研究中の生徒」という感じだったので、特に問題はなかったです。

で、帰校の時間になると、しれっと家に帰ってくる、と。

まあ、学校に行きたくない理由なんてイロイロですよ。

別にいじめられたわけでもなければ、深刻な問題があったわけでもない。

ただ「学校」という器に自分自身が馴染まなかっただけで、それを拒否する手立ては「学校に行かない」という選択肢しかなかった。それだけです。

もちろん、悪質なイジメを受けて、学校に行きたくても恐ろしくて行けないケースは別です。

今の子はどうかしらないけど、イジメでなくて、なんとなくフィーリングが合わない、価値観が合わない、学校教育に意義が見出せない(私の場合、これが一番大きい)、先生や周りの大人に聞いてもムニャムニャとありきたりの返事をするだけで大して参考にならない、等々、自分の枠に合わなければ、そんなに無理して行く必要もないと思うんですよ。

そりゃね、一日中、何をするでもなく、ゴロゴロしてるなら別だけど、自分なりに勉強して基礎学力はキープして、それなりの社会性も身についてるなら、一時期、学校に行かないぐらいで、人生に大差がつくわけではないです。

子供の頃って、学校に行かない=人生ヲワタ感が半端ないですけど、学校に行けば人生OKというなら、日本人の99パーセントは幸せな成功者のはずでしょう。でも、現実にはそうじゃない。

何が幸いして、何が災いするかなど、人生の最後まで分からないし、一時期、学校に行かないからといって、子供の人生がそこで完全にストップするわけでもない。とにかく、ある程度の勉強さえ続けていたら、何かしら道は開けるものです。

「勉強」というのは、日本史大全を読破したり、一日がかりでウェブサイトを構築したり、寝食を忘れて漫画を描きまくったり、何かしらクリエイティブな働きかけも含めてです。

ハリウッド映画だって、英語音声で1000本ぐらいガッツリ鑑賞すれば、かなりの英語耳になりますよ。洋楽もね。

多分、「学校に行く」という事に何の疑いもなく育った大人から見れば、学校に行きたくない子供の気持ち、もしくは、学校に意味が見出せない子供の不安や違和感って、得たいの知れないモンスターか怠け者みたいに映ると思うんですよ。

それこそ実生活においてはゲゲゲの子供ですよね。

だからといって、そんなことしてたら人生終わるぞ、一生負け組だぞと脅して、無理矢理に行かせるのもどうかなと思うんですよ。

心を消耗して、ウツや無気力になるほど強制する必要があるのかな、と。

ちなみに、学校に行かない間、その子が何をしているかで意味合いは全然違ってくると思います。

また一見、ボーっとしているように見えて、心の内側では暗いトンネルを必死に掘って、なんとか光のある方に抜けだそうとしている場合もありますしね。

そういうのを外から見極めるのは難しいですけど、サインはあります。

それは、子供自身が「自分」というものを大切に思っている限り、メシも食うし、風呂にも入る。多少の焦りもあるし、知的好奇心も失ってない、という事です。

自分に対する愛着や尊敬の念が消えれば、「いつ死んでもいいや」「どうなってもええわ」で、見た目も、周りも、どんどんグチャグチャになってきますからね。

ゆえに、イジメが理由を除いて、子供が「学校に行きたくない」「学校なんて、意味あるの」と言い出しても、読書や史跡巡りや映画鑑賞、等々、何かしら生産的な事をやってる限りは、そんなに驚かず、それこそ季節の病と思って、あまり追い詰めないで欲しいなと思います。

ちなみに、あなた、学校生活を完遂して、立派な大人になりましたか?

40、50にもなれば、皆、似たり寄ったりだと思いますよ。

真面目に勤めたって、いつ何時、仕事をなくして、貧困層に転落するか分からん時代ですしね。

人間、無理してでも頑張らねばならない事は二つしかない。

一つは、それが確実に金になる。

一つは、それで確実に夢が叶う。

前者は金の亡者と思われるかもしれないけど、実際問題、お金がなければこの世では生きられない。
一銭にもならないことに身も心も磨り減らしても、誰も助けてくれないし、「いい人」になる必要もないのです。

後者は、お金にならなくても、それで自分の夢が叶うなら頑張れという意味です。

合唱が好きで好きで、今年も「第九」頑張ります!
漫画が上手になりたいから、1万枚でも描きます!
たいした儲けにならなくてもパン作りが好きだから今日もキッチンに立ちます!

みたいなね。

子供でもすっぽり心のエアポケットに嵌まることはあります。

ただ、子供の場合、「学校に行かなければならない」というのが大前提で、今の日本には「行くか、行かないか」の二択しかない。

そして、学校に行かなかったら、多くの場合は脱落者のレッテルを貼られる。

考えたら、とても不自由で、恐ろしいことです。

死ぬ以外、家にも社会にも逃げ場がないのですから。

こういうと、能力主義、差別主義と誤解されるかもしれないけれど、子供の世界にも棲み分けは必要だし、良いも悪いも一つの箱に押し込めて、「お互いに理解しましょう」なんて拷問以外の何ものでもないと思っています。(それで上手く行くケースは稀)

これだけITが発達して、海外の研究論文でもオンラインで無料でばんばん閲覧できる時代に、「何が何でも学校に行け」なんて本当に意味ないし、心の死をもたらすような「友達づきあい」や「社交性」にどんなメリットがあるのか。

それなら、自宅、もしくは数人の小グループで、e-ラーニングを駆使して、とりあえず何らかの職について食って行けるだけの能力は身に付けた方が、心は楽に感じる子も多いのではないかと思います。

学校に行くほど自分が嫌いになるなら本末転倒ですしね。

そういう意味でも、ゲゲゲの鬼太郎の歌は、私の心の支えでしたわ。

「学校に行かなくてもいい世界があるんだな」って。

ちなみに、子供が朝、毛布をかぶってベッドから出てこないのは、家にも居場所がないからですよ。

怠けてベッドにこもっているのではない。

親の顔も見たくないし、自分の姿を見せたくないから、毛布かぶってるだけ。

無理に引っぱがせば、親はその場で子供の心を殺す。

「とりあえず、ご飯だけでも食べにおいで」

そこから始めるのが無難です。

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私の励ましソング↓

学校に行かないお化けは病気にもならないし、死にもしないと歌ってるぞ。


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