路上では、人も、車も、信用するな

8月 27日, 2009年 in 東欧の片隅 エッセー

走り慣れた道の、いつもの交差点。

信号が青に変わったので、発進しようとしたが、なぜか足が重くて、アクセルを踏み込めない。

いつもより一つ呼吸、遅れて発進したら、目の前を左折車がかなりのスピードで横切っていった。

もう一秒、発進するのが速かったら、横面に当てられていただろう。

下手すりゃ即死、運が良くても、左上半身骨折か。

たまに居るんだ、「左折する時は、交差点の真ん中で一旦停止し、対向車が来ないのを確かめてから発進する」という、当たり前のことが守れないヤツ。

「なんとなく」発進し、上手く渡れたらラッキーと思う。

「このワゴン車の影から対向車が来るかもしれない」──そういう予測さえ立てずに、場面場面をするりとかわし、今まで運だけで生き延びてきたようなドライバーだ。

それにも増して恐ろしいのが、こういうドライバーの巻き添えになることである。

車は、自分一人が法を遵守していれば、100%安全というものではない。

相手の不注意、横暴、技術不足で、いつ何時、自分も事故に巻き込まれるかわからない。

「路上に出たら、人も、車も、信用するな」と言うけれど、まったくもってその通りである。

相手が、

気付いてくれるだろう。

止まってくれるだろう。

譲ってくれるだろう。

こういう期待は、いつか命取りになる。

「こいつは突っ込んでくる」。

常にそれぐらいの意識で運転していた方が、何かの時に役に立つ。

残念だけど、善人だからといって、車の運転も「善」とは限らず、時と場合によっては、善人だって、不注意な悪質ドライバーになる可能性は常に存在するのだ、もちろん、私だって。

あの偉大なお方も言ってたよ。

Marx

ハンドルを握れば、いかなる時も、油断禁物である。

sanmarie.com

ついでに、スピリチュアルな話になるが・・

こういうの、何度かあるね。

なんか、ふっと、足やハンドルが重くなって、「あ、出遅れた」と思ったら、その『遅れ』が身を救うケース。

トロトロ走ったせいか、右折信号を逃して、一旦停止線の前で「ちぇっ」と思っていたら、次に右折した時、事故ほやほやの現場に出くわしたこともある。

もし、先の信号で右折していたら、巻き添えになっていたのは私の方だったかもしれない。

時々、思う。あの「出遅れ感」、得も言われぬ足やハンドルの重みは、何なのだろう……って。

「守護神」「天使」「主導霊」「超能力」etc

いろんな言い方があると思うけど、確かに何か不思議な力はあるね。

あるいは、これこそが動物の本能なのかしら。

そういう時は、宗教によらず、心の中でそっと手を合わすことにしてるけど。

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