何も欲しいものがないという幸せ

今回は、みどりときいろさんの記事を読んで、ふと思ったことを書いてみたいと思います。

以前、私の知り合いの姉弟(小学生)とそのお母さんと、私、夫、うちの息子の六人で、行楽地に出かけたことがありました。

姉弟と会うのは久しぶりだったので、私も成長した二人の姿を楽しみにしていたのですが、実際の二人は、私の思い出とは程遠いところにありました。

珍しい所に案内するから、さぞ子供らしく喜んでくれるだろうと思ったら、二人とも、目的地に着いても、他の物には目もくれず、土産物屋に一直線。

母親が何かを買ってくれるまで、その場を動こうとせず、姉弟のどちらか一方が、何かをゲットすれば、もう一方はたちまちムクれて、口も聞こうとしない。

うちの夫が気を利かせて、露店に並んでいる木彫りの笛を買ってあげたけど、それも10分と経たないうちに、どこかに無くしてしまって、後は思い出しもしないのです。

で、あちこち観光に連れて行っても、

「お姉ちゃんだけ、ずるい」
「こんなの、約束と違う」

と、文句ばっかり。

せっかく珍しい所に来たのだから、あちこち歩き回って楽しめばいいのに、二人の頭の中には、

「何を買ってもらうか」

それしかなくて、美しい町並みも、大自然も、何も目に入っていないのでした。

見るに見かねて、私がその子達のお母さんに、

「我慢させたら?」

と言うと、

「私もそうしたいけどさー。後で、おばあちゃん(姑)にチクるんよ。『何も買ってもらえなかった』って。
そしたら、私が、おばあちゃんに、『そんなもんぐらい、ケチケチせんと買ってあげなさい、可哀相に』って、怒られるんよねー。
それに、人前で、ギャーギャーごねられるのも、鬱陶しいし。
100円か200円で済むなら、もうええわ、と思って、つい買ってしまうんやー」

気持ちは分からないでもないけれど、でもなあ……って。

確かに、その子達の欲しがるものなんて、羽根の付いたボールペンとか、動物をかたどったキャンディ・バーとか、観光地名の入った筆入れとか、駄菓子に毛の生えたようなものが大半だし、数百円程度の出費で済むのなら、人混みでわーわー駄々をこねられたり、後で姑に嫌味を言われるよりは、買い与えた方が、親もはるかに楽だと思うのだけど。

でも、その数百円の積み重ねで、何か大事なものをスポイルしてないか・・と、私は思わずにいませんでした。

とはいえ、姑に、後でネチネチやられる母親の立場を思うと、そう強い事も言えず、彼らのやり取りを黙って見守るしかなかったのです。

しかし、そういう立場のお母さんって、世間に大勢いるんじゃないかなー、と思うと、なんか、その姉弟が、今の日本の子供を代表しているような気がして、何とも複雑な気持ちがしたものでした。

結局、その子達は、最後の最後まで「お土産」一辺倒で、「ありがとう」も「さよなら」も言わず、去っていきました。

その後ろ姿を見ながら、私は、もう取り返しのつかないところまで来てるんじゃないかと、情けないような、哀しいような気持ちになったものです。

今度のクリスマスも、子供達に何をプレゼントしようか、頭を悩ませたお母さんも少なくないと思いますが、「あれこれ買ってもらえる子供」が幸せなのではなく、「特に何も欲しいものがない」という子供の方が、実はうんと幸せなのではないかと思います。

もちろん、あればあったで嬉しいけれど、無ければ無いで、それでも構わない。

「あれ欲しい、これ欲しい」「あの子だけ買ってもらって、なんで私だけ・・」みたいな状態に比べれば、精神的には、はるかに満ち足りているように感じます。

ずっと彼氏に愛して欲しい女の子は指輪を欲しがり、自分の生き方に自信のない主婦は、となりの奥さんが持ってる物が欲しくなる。

子供に限らず、恋人でも、夫婦でも、「これといって欲しいものがない」という状態
が、実は、最高に幸せなのではないでしょうか。

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