女性と恋愛

マリーの哀しみが心に流れてきた日

2006年12月15日

私と夫が遠距離恋愛にあった時代、一緒にパリを旅したことがありました。

たまたま、私がイギリスのケンブリッジに語学留学していた時、それまでフロリダに住んでいた夫が、自身の事業の立ち上げのため、ポーランドに一時帰省したので、「お互いヨーロッパに居るなら、また会おうよ」ということで、ロンドン→パリと、一週間の日程を組んで、念願のパリ観光を果たしたのでした。

が、何と言っても、私の目的は『ベルサイユ宮殿』。

当然ですよね。

少女の頃からの愛読書ですもの。

「ベルばら」なくして、私の少女期はなかったし、またオスカルなくして、今の私はあり得なかった。

オスカルが、6巻のあそこで、「女でありながら、これほどにも広い世界を……人間として生きる道を……このような、ぬめぬめとした人間のおろかさの中でもがき生きることを……」と言った時から、私の生き方も、そのように定められてきたのです。

さてさて、むずがる彼(夫)の手を引いて、ベルサイユ行きの電車に乗り込んだ私たちですが、
「宮殿なんか見て、何が面白いの」
と真顔で言われた時には、ちょっとムカっときてしまいました。

子供の頃から、城や教会など見飽きている東欧人の彼にしてみれば、はるばるパリまで旅行に来て、またも宮殿に引っ張っていこうとする私の行為は、退屈きわまりないこと。

「そんなヒマがあったら、エッフェル塔にでも登ろうや」という東欧系お上りさんの彼にしてみれば、理解しがたいお姫様趣味だったのだと思います。

とはいえ、好きなものは好きだし、ベルサイユを訪れずして、私の人生は終わらない。

長年の夢が叶って、憧れのベルサイユ宮殿に足を踏み入れたのはいいですが、豪華なシャンデリアや調度品、目もくらむような美しさの「鏡の間」や「王妃の間」を見るにつけ、ロココの女王として咲き誇りながら、最後は断頭台の露と消えたマリー・アントワネットの哀しみが、心に流れ込んでくるようで、観光ルートを一巡した後、私はとうとう階段の踊り場で、人目もはばからず、ぼろぼろ泣き出してしまったのでした。

それまで大輪のバラのように栄耀栄華を謳歌し、光り輝く存在だったのが、歴史の必然からベルサイユ宮を追われ、地位も財産も家族も奪われたあげく、カビくさいコンシェルジュリの牢獄に閉じこめられ、大勢の市民の前で処刑された事を思うと、あまりにも哀れで、切なく思うんですね。

私は、その時代を生きていないので、マリーの犯した罪がどれほどのものかは分かりませんが、楽しいことが大好きで、普通の家庭人にすぎなかった、一人の平凡な女が、死をもってその罪を贖うには、あまりにも荷が大きすぎるような気がするからです。

「私が一体どんな悪いことをしたというの?」

絢爛豪華なベルサイユ宮殿には、そんなマリーの戸惑いが、今もさまよっているように見えました。

目を見張るほど豪華だけれど、どこか淋しい感じがするのは、落陽のぼんやりとした光を思わせるからかもしれません。

日程の都合から、コンシェルジュリーを訪れることは叶いませんでしたが、行っていたら、多分、目が真っ赤に腫れ上がるほど、泣いていたことでしょう。

民衆に憎まれ、晒し者にされて死んでいったマリーだけども、世界にたった一人ぐらい、あなたの為に泣く人間がいても、罪にはならないでしょう?

今も、あなたを見つめ、理解したいと願う女の子が、日本にはたくさんいます。

だから、天国で、いつまでも、バラのように咲き続けて下さい。

今回の記事はこちらからインスパイアされました。

ベルばらkidsプラザ 
~マリー・アントワネット最後の日々~コンシェルジュリ~

マリー・アントワネットのおすすめ本

アントワネットやフランス革命を理解するための基本の書。
クラシックな翻訳も手伝って、当時のフランスを体感できること間違いなし。
マリーは本当に悪い女王であり、愚かな人間だったのか。
その答えがきっと見つかるはず。

歴史のみならず、文化や習慣にも多大な影響を与えたマリーのライフスタイル。
その華やかな生涯を美しいオールカラーのイラストと写真で紹介するビジュアル歴史本。
さらりと読めます。

ベルばらやその他の歴史本には詳しく書かれていないルイ・シャルルとマリー・テレーズのその後の運命。
虐待され、孤独のうちに衰弱死した王子の生涯があまりにも哀れ。
今は遺骨も発見され、愛する父と母の墓の側に眠っている。

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