育児と家庭

貞子の『リング』 ~「自分さえ良ければ」の連鎖~

2005年12月30日

『「子供と三日以上一緒に居られない」という思い』

私がこの記事を書いたのは、某大手紙の育児系掲示板で、

「バンドに所属して、楽器演奏しています。週に三回、夜に二時間ほど、実家や義家族に子供を預けて、練習をしています。公演も頻回です。もっともっとレベルアップしたいので、練習時間を増やしたいのですが、子供を預けながら趣味に打ち込むことに躊躇いがあります。どうすべきですか」

という質問に対し、

「自分の趣味に打ち込んだ方が、お母さんも生き生きして、子供に優しくできます」
「そのうち子供も理解して応援してくれますよ」
「自分のやりたいこと我慢して、家にじっとしていても、虐待するだけです」

というレスが大半で、それにエクスキューズする声がほとんどなかったのがきっかけでした。

もちろん、自分の趣味に打ち込むのは本人の自由なのですが、私がどうにもこうにも気になったのは、その人の悩みというのが、「子供を預けて趣味に打ち込む事に対する世間体の悪さ」であって、「子供の気持ちがどうこう」ではなかった点です。

「子供も実家や義家族に馴染んでいるし、親も孫の面倒が見られて嬉しそうだから」

というのが理由だったのですが、だったら、親は、ばんばん外に出て、何をやってもいいのかな、って。

「子供もいろんな人に愛されて幸せそう」って言うけれど、それ、どこまでホントなの、って。

私はいろいろ疑問に思わずにいませんでした。

でも、今はこういう考えが主流で、「我慢→即、虐待」、だから私は自分のしたいようにする、というのが、一つの正義なんだなと思うと、ニートもリストカットも高校生売春も減ることないワ、って。

なんか、暗澹たる気持ちになってしまうのでした。

で、今回の記事に続きます。

数年前、日本で大ヒットした鈴木光司さんのホラー小説『リング (角川ホラー文庫)
』。

内容は知らなくても、「貞子」というお化けの名前は知っている人も多かったのではないでしょうか。

この作品は、日本ホラー・ブームの火付け役となり、ハリウッドでもリメイクされるほど話題を呼んだのですが、当時の私は全然興味が無くて、映画を見たのはポーランドに来てからでした。
知人が、「日本の映画だから」と、雑誌の付録にあったDVDをくれたのです。

映画の感想は、松嶋菜々子の素人っぽい演技と、貞子よりコワイ真田広之の絶叫シーンがやたら印象に残って、特別心を動かされることはなかったのですが、Amazon.comのレビューで、

「『リング』の根底にあるのは、『自分さえ良ければ、他人はどうなってもいい』という利己主義である」

というのを読んで、すべてが納得いきました。

貞子の怨念が込められたビデオの呪いを解く唯一の方法は、ダビングして人に見せること。

見せられた人は、また七日以内にダビングして人に見せないと、呪われて死んでしまいます。

そうして、貞子の呪いは人から人へ受け継がれ、リングのように永遠に続いていく……というのが、この作品のコンセプトなのです。

そして、レビューにもあったように、そこに「見せられた人」の気持ちや立場というのは、少しも考慮されていません。

つまり「自分さえ助かればそれでいい」、その利己主義の連鎖が、貞子の呪いそのものである、ということです。

映画のラストも、

「(ダビングして他人に回していたら)それじゃあ、キリがないじゃない」

「でもさ、自分が死にたくなかったら、やるでしょ?!」

という女子高生のやり取りで終わっていて、それに対する反論も救いもありません。

自分に置きかえてみても、やはり「そうせざるを得ないのか……」という結論しか導かれず、そこに『リング』のやりきれない恐怖や不幸があるように感じます。

私は、海外在住ということもあって、子育てに関する意見やアドバイスは、専門サイトや掲示板の記事を参考にすることが多いのですが、その中で、最近気になるのが、

「自分のやりたいことを我慢していたら、かえってストレスが溜まって、子供を虐待してしまう可能性がある」
「だから、母親も自分のやりたいことをやって、生き生きしてい方るが、子供にとっても幸せである」
「自分の輝く姿を見れば、子供も納得する」

といった主張です。

確かに、そうかもしれない。

もっともらしい意見だと思います。

でも、一つ考えて欲しい。

「我慢」は、そんなに害悪なのでしょうか。

苦しさに我慢できなければ、狂って、子供を殴り殺してしまうほど、あなたの人間性は薄っぺらいのですか。

私は、どんなにもっともらしい理屈を並べても、「子育て」と「自己実現」は対角上にあるもので、どちらか一方に傾けば、どちらか一方は浮き上がるものだと考えています。

実際、私がこうやって記事を書いている間は、子供のことは忘れているし、もし私がプロの文筆家で、締め切りが迫っているような状態なら、子供が泣こうが、喚こうが、子供を蹴り倒してでも、仕事を優先するでしょう。それが自分の社会的責任だし、仕事をする以上は、定められた義務と規則を優先しなければならないからです。

だから、どんなに綺麗事を言っても、二つのことに同時に時間や労力を注ぐことはできないし、どちらか一方に傾けば、必ず一方が浮き上がる。

それは中途半端とか、何とかではなく、そういうものなんだと思います。

それが「完全に悪い」という訳ではなく、自分の人生における「子育て」というのは、そういうものなんだ……と。

つまり、子育ての本質は、「自分と他者(子供)との折り合いをどうつけるか」という精神修養の部分にあって、それは「我慢」とか「犠牲」などとは、全く別の次元にあるのだということ。

働くお母さんなら、「仕事」と「育児」のバランスをどう取っていくか、という部分に意義がある訳で、悩み、迷い、工夫していること自体が、その人にとっての「子育て」なのだと思います。

誰だって、子供を育てていたら、イライラもするし、ストレスも溜まります。

だからといって、それを不幸の源、人生の害悪とみなし、取り除くことに必死になっても、前には進みません。

むしろ、それを突き破って、「何か掴む」ところに、子育ての意義があり、母親としての成長があるように思います。

もちろん、悩みやストレスを解消するのは、一人では出来ない部分もありますから、そんな時は、遠慮せずに周りに頼ればいいし、利用できるサービスは何でも利用して、心身のリフレッシュを図ればいいと思います。

でも、最終的に乗り越えていくのは自分自身だし、ジャッジを下すのは子供自身だから、一時的に心身の安楽を得ても、それが長期的にどう結実するかは、最後まで見ないと分からないのではないでしょうか。

もし、私が、母親に、

「自分のやりたいことを我慢したら、イライラして、あんたのこと虐待しそうだから、好きなようにさせてもらってるのよ」と言われたら、「母親の愛って、そんなものか」と思うでしょう。

「お母さんが生き生きと輝いている方が、あなたも幸せでしょう」と言われたら、「お母さんの生き甲斐と、私の幸せは別です」と答えると思います。

お母さんはお母さん、私は私。

その理屈は、子供だって一緒じゃないかな。

「お母さんの幸せ=子供の幸せ」とはならないし、人間って、そんな単純なものじゃない、と私は思います。

状況を変え、生き方を変えるばかりが、解決じゃない。

「自分の心が成長する」という、大きな糧もあります。

「あの時、あんなにつらかったけど、自分の生き方を積極的に受け入れられるようになった」
「こう考えれば、自分にも家族にもプラスになるのだということが分かった」
「こんな価値観もあったんだ」

そういう思いは、先の子育てへの自信にも繋がるし、何より、親としての自信になって積み重なっていくように思います。

この先、思春期の反抗や子供の進路など、ますます大きな問題が待ち構えていることを思うと、辛い時には辛いなりに、ぐっと堪えながら、母親として何かを突き抜けていく姿勢を、もっともっと重視すべきなんじゃないでしょうか。

いつか子供も、仕事や勉強や人間関係のストレスから、
「物事が自分の思うようにならない。イライラして非行に走りそうだ」
「こんな生活はイヤだ。苦しい。死にたい」
と思う日がくるでしょう。

その時、イライラやスランプを身をもって克服していない母親は、どうやって子供にその抜け方を教えるのでしょう。

「あなたも我慢してないで、自分の好きなようにすればいいじゃない」と教えるのでしょうか。

私は、近頃の考え方として、「我慢できなものは、我慢しなくていい」「ストレスの溜まらない方向に行けばいい」というような、重荷になるものは何でも切り捨てればいいじゃないか的発想は、どうも好きではないです。

世の中には必要なストレスもあるし、人間には踏ん張り時というものがある。

それを『我慢=害悪』として語ってしまえば、安楽以外に、魂で得られるものなど、何もないのではないかと。

最近の子供は、辛抱を知らないという。

でも、母親の世代が自分のやりたいことを我慢できないのだから、子供の世代が我慢できないのは、当たり前でしょう。

「子供も『お母さん、頑張って』と言ってくれます」

なんて、嬉々として語る人も多いけれど、その言葉、どこまで本当か、考えたことがあるのかな、って。

肯定的な言葉の裏に、どれだけの怒り、諦め、不満、不安が隠されているか、想像したことあるのかな、って。

育児的『貞子の呪い』は、母から子、子からまたその子へ、どんどん続いていくのでしょうけど、私はその流れの中で、時々立ち止まって考えたて行きたいです。

さだこ

映画もなかなか面白かったです。
「貞子」より、ギャーっと叫ぶ真田広之の顔の方が怖かった。
この作品の松嶋菜々子も秀逸です。

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