育児と家庭

子供が「死にたい」と言った時:自殺志願の方に接する場合の覚え書き

2016年8月23日

職業柄、「死にたい」「いっそ殺してくれ」「私なんか生きていても仕方ない」という会話が日常的に交わされ、自身も友人らから、そうした悩みをいろいろ聞いてきた経験として追記します。

まず、自殺について考える時、「大人の自殺」と「子供の自殺」は分けて考えねばなりません。

大人の場合、「お金がない」「仕事がない」「頼れる家族も知人もない」「安心して住める場所がない」「健康でない」のように、いよいよ暮らしに行き詰まり、現実生活が立ちゆかなくなる理由が大きいです。過労が引き金になるとしても、理由の一つには「仕事を辞めれば、生活できなくなる」という不安が根底にあります。いわば、現実の生活手段と密接に結びついており、励ましや労りでどうにかなるものではありません。具体的に生活を保障し、仕事や地域の交流など、社会的に解決する事が非常に重要です。

子供の場合、「学校で酷いイジメに遭っている」「勉強もクラブ活動も、何をやっても上手く行かない」「大好きな友達に陰口を言われた」「親が嫌い(無視、非難、強制など)」のように、アイデンティティの危機に結びついています。多くは学校や家庭の生活環境を整え、心のケアで挽回できる部分が大きいです。

大人と子供の自殺を一括りにはできないし、その背景も千差万別です。

また長年精神的な問題を抱えている人と、中学から始まった酷いイジメや受験の失敗などで「死にたい」と思うようになったケースはまったく別です。

おそらく、この記事を見に来る人の大半は、「子供が『死にたい』と言うようになった。なぜ?」という理由だと思いますので、そこにフォーカスして追記します。

子供が自殺するのは、周りの大人に失望しているから

自殺する子供は、根本的に、親でも、教師でも、周りの大人に失望しているものです。

「お母さんはいい人。親のことは好き」であっても、根本的に信用してない。

相談しても、何の解決にもならないことを知ってるから、自分が死ぬ方を選ぶんです。

何かあった時、父親は巌のようにイジメっ子から自分を守ってくれて、母親はエジソンのママみたいに自分の能力を信じて、優しく導いてくれる……というなら、辛いことがあっても死のうとは思わない。

では、なぜ死ぬのか。

親も、教師も、誰も頼りにならないから、自分の中に全て抱え込んで、背負いきれずに死んでしまうんですね。

最初のうち、子供にとって「死にたい」という言葉は、「今すぐ、この状況を何とかしてくれ。ボクを救い出してくれ」という悲鳴です。

子供にとって、『世界』といえば、学校と家庭ぐらいでしょう。

そこから離れて生きて行けますか? 20歳にもなれば、何なりと働いて自活もできますが、子供は仕事に就くことも、住まいを買うことも、何もできません。

いわば学校と家庭に繋がれた、無力な存在です。

そこで問題が生じれば、もう安心して暮らせる場所など無くなってしまうのです。

だから「死にたい」と考える。

だって、それ以外に方法がないからです。

誰かが学校に乗り込んで、イジメっ子に「やめろ」と??り、ピタリと止めてくれますか。

勉強、勉強を押し付けてくる親に、誰かが「お前の考えは間違っている」と改めてくれますか。

勉強もだめ、スポーツもだめ、そんな自分でも誰かが「お前は素晴らしい。みなお前が大好きだよ」と心から言ってくれますか。

誰も、何も、してくれない。

頑張っても、我慢しても、ポジティブシンキングを試みても、心が疲れてどうにもならない。

自身の力で、転校したり、親から離れて自活したり、それもできない。

どこにも居場所がない、逃げ場所もない、そうなったら「死ぬ」以外に選択肢など無いでしょう。

だから「死にたい」と考えるようになる。

自分がこの世から消える以外に解決法など無いからです。

いわば、大人の認識する「死」と、子供の「死にたい」は全く違う。

子供にとって「死にたい」は、「逃げたい」「何とか助けて」を一つの言葉で分かりやすく表現したものです。

大人のように語彙が豊富で、自己を論理的に分析する能力もないから、一番いいやすい言葉で自身の感情を表現しているに過ぎない。

二歳の子供が気に入らないことがあると「ママのバカ!」で済ますのと同じです。

何がどう気に入らないのか、どこをどうすれば気に入るのか、言葉で説明できない。

子供の「死にたい」もそれと同じ。

何がどう苦しいのか、誰に対して何を怒っているのか、どうなれば納得するのか、大人のように自己を深く分析する能力もなければ、多角的に物事を考察し、新たな糸口を見出すだけの経験も知恵もない。

だから、「死にたい」という。

それが「苦しい、、逃げたい、今すぐどうにかしてくれ」という気持ちをストレートに表せるからです。

(病的なものは別として)「死にたい」という気持ちも人間の一つの感情です。

大人が「あ~、仕事やめたい」「こんな夫嫌い、離婚したい」と思うのと同じ。

子供も学校や親に嫌気がさして、この世から消えたいと思ってる。

中にはそれを実行してしまう子もいるから大事なのであって、「死にたい」と思うこと自体、病気でも、異常でも、何でもありません。

「この世から消えてしまいたいほど心が疲れている」という意味です。

だから、子供が「死にたい」と言った時、すぐに病気や異常に結びつけ、心を直そうとするのは間違いです。

まずは「死にたい」と思う原因を具体的に解決すること。

イジメならイジメ、受験ストレスならストレス、引き金になっている要因を一つ一つ取り除いていくこと。これが一番重要です。

どんな子供も、朝起きたら突然「死にたい」と考えるようになった……というわけではありません。

必ず積み重ねがある。

「最近、友達が冷たい」「勉強が難しくなってきた」「親にガミガミ言われるようになった」、そこには必ず原因があって、プロセスがあります。

そこを具体的に解決しない限り、死にたい気持ちも消えません。

精神論で克服させるのは、釘の刺さった足にハチミツを塗るようなもの。

一時的に直ったような気がしても、釘が刺さっている限り、その痛みは永久に取れません。

「命を粗末にするな」「生きていれば、いいこともある」という精神論は、釘が取れた傷口を癒やすものであって、足に釘が刺さっている限り、根本的な解決にはならないのです。

子供が「死にたい」と言ったら、「すごく辛いんだな」と理解して、絶対に非難しないこと。

命は大事だし、親や周りに迷惑かけてはいけないことは、死にたい子供が一番よく分かっています。

ある意味、親や周りを思いやれる子供だから、周りの負担になるより、自分が死ぬ方を選択するんです。

そして、辛い気持ちが分かったら、その原因になっているものを見つけ出し、具体的に解決すること。

イジメならイジメ、成績に関するなら勉強、「彼氏に振られた」というメンタルなものでも、ちょっとショッピングに連れ出して、アクセサリでも買って「可愛いね、いい子ね」と励ますうちに、ちょっと上を向いてくるものです。

人生に行き詰まった大人の自殺願望と異なり、子供の「死にたい」は、これからどんどん伸びていく可能性も秘めています。何故かといえば、「死にたい」と思えるようなメンタリティは、それだけ感性が豊かで、周りを思いやる優しさがある証だからです。(どこの世界でも図太く、傲慢な人間がのさばっているのと逆)

そういう子は、スイッチが良い方に入れば、将来、「面倒見がよくて、懐の深い上司」や「人の痛みがわかる優しい娘さん」に成長して、誰からも愛される大人になるでしょう。

騒がず、慌てず、非難せず。

「誰でも、そういう時がありますよ。きっと今が一番辛い時なんですよ」
「誰でもそんな状況に陥ったら、死にたいと思いますよ。苦しくて当然です」
「自分のこと、弱い人間だとか思わないで下さいね」
「○○さん、今でも十分闘っておられますよ。すごいですよ」
「ここは誰もが弱音を吐いたり、挫けたりしていい場所です。立派な人間になろうなどと思わないで下さい」
「私ね、○○ちゃんの、そういうところが好きなのよ(死ぬほど思い詰めてしまうデリケートなところが)」

少し落ち着いたら、具体的な道筋を示すのも効果的です。

「今はこういう状態だから八方塞がりに感じるかもしれませんが、こちらで方策をとりますので、早ければ、三ヶ月後にはこうなる予定です」

非常に簡単な、具体的な目標を与えるのもいいです。

「とにかく、来週の火曜日には診察に来て下さい」のように、とりあえず「その日」まで生きてもらって、あとは少しずつ引っ張る。「頑張って生きましょう」はNG。

追記:2016/08/23

子供が「死にたい」と言った時 : 自殺志願の方に接する場合の覚え書き

《元記事》2008年6月3日

先日、「夜回り先生」で知られる水谷修さんのドキュメンタリー番組とTV講演をYoutubeの動画で見ました。

水谷先生は、私が日本を出てから一躍世間に知られるようになったので、TV番組も著書も拝見する機会がなかったのですが、最近、どなたかがYoutubeにアップされたので、ようやく見ることが叶いました。

動画はコチラにアップしています。【水谷修・夜回り先生のTV講演 ~夜にさ迷う子供たち / 10代の性について~】

一言で言えば、圧倒されました。

さすが、13年も現場に身を置いて、体当たりで子供たちと関わってこられただけに、言葉が「本物」ですね。

とやかく言う人もあるでしょう。

「自ら夜の世界に落ちたような自堕落な子供をそこまで美化するな」と。

でも、批判する人は、そうなった子供達の内面について、どれくらい知っているのでしょう。

水谷先生も「好んで夜の世界に落ちる子はいない」とおっしゃっていますが、今がどんなに悪くても、オギャアと産まれた時から、覚醒剤やろう、売春やろう、と思い続けてきたわけではないでしょうしね。

では、どの時点でそうなったか……を考えると、やはり親の顔が浮かびますし、「本人が自堕落なだけ」では片付けられないものがあると思います。

そこを考えることが、教育や社会の向上に繋がっていくのではないでしょうか。

「R30」というTV講演の中で、水谷先生は、

「少年に問題が起きると、学校は何をやっているんだ、国は、県は、その家庭はと、みんなが言う。

でも、そう言うあなた達は、子供たちの為に何をしてきたのですか?」

と問いかけます。

私は、この言葉は、とても大きいと思うんですよ。

今の世の中、「我が子さえ勝ち組に残ればそれでいい」「自分の家族さえ幸せならそれでいい」という利己主義が、どこかまかり通っていないでしょうか。

「補導されるような子供も、その家庭も、うちの知ったことじゃない」

「私たちには関係ない」

「ほら、見ろ、お前も勉強しなかったら、あんな風に落ちこぼれるんだぞ」

口では、思いやり、社会への貢献を説きながら、無駄に見える人間や物事は切り捨てることも同時に教えていないでしょうか。

私たちすべてが「夜回り」することは出来ないけれど、「なぜそうなったのか」を話し合うことはできますよね。

それは何でもない「家庭の話し合い」かもしれないけれど、子供の心には深く刻まれることもあります。

そして、その子が、いつか「一歩手前の子」に出会った時、

「弱いヤツは、落ちこぼれて、勝手に死ねばいい」

と突き放すか、

「どうしたんや、何があったんや、何か力になれることないか」

と言うかで、相手の将来も大きく違ってくるでしょう。

それも「夜回り」に匹敵する大きな家庭の力だと私は思うのです。

ところで、YouTubeには、水谷先生のドキュメンタリーと、「R30特別講演」の模様が何回かに分けてアップされているのですが、時間の無い方は、特別講演のPart2だけでもご覧になって頂けたらと思います。(10分ぐらいです)

Part2の動画の中で、水谷先生は言います。

「子供が、毎日怒られ続けたら、

『私なんか居ない方がいいんだ。

 私が居ることが、親に迷惑をかける。
 
 死んだ方がいいんだ』
 
こんな優しい子がいますか?!」 

この意味、わかります?

本来、子供だって、怒っていいんです。

親の態度に疑問や不満を感じるなら、それをストレートにぶつけて、問いただしていいのです。

でも、それが出来ない。

なぜ?

親を愛しているから。

自分のことで、苦しめたくないから。

親だから、尊敬しないといけない。

親だから、憎んではいけない。

親だから、否定してはいけない。

悪いのは、私。

私が悪いから、親に怒られるのだ――。

そうして、本来、親に向けるべき怒り、憎しみ、不満、不信といったものを、自分の中にドップリため込んで、「私はダメな子供なんだ、生きている価値もないんだ」と責め続けた果てが、『自殺』です。

親に怒りをぶつけて傷つけることより、自分を傷つける=『自殺』を選ぶのです

そういう心理状態の子供に「命の尊さ」なんか説いても、酷いだけです。

だって、この子たちは、今、この瞬間、自分が存在している、そのこと自体に耐えられないからです。

『自分で自分の存在する価値を見出せない』

いわば、親に豊かな自己肯定感を与えられることなく育ってきた子供にとって、「生きる」ということは地獄でしかありません。

彼らにとって「生きろ」という言葉は、

「いつまでも、その地獄で、もがき苦しめ」

「とりあえず死ななきゃいい。でも、その後のことは、知ったことじゃない」

と言われているのも同じなんですね。

私も、高校生の頃から、友達の「死にたい」という告白をしばしば耳にしてきました。

真夜中に突然電話をかけてきて、

「もう死んでしまいたい」

と泣いた子もいれば、普段の何気ない会話の中で、

「私なんか生きていても、しかたがないのかもしれない」

とつぶやいた子もいます。

「これを飲んだら、いつでも死ねる」と睡眠薬を持ち歩いていた女子高生もいましたし、首に包丁を突き刺した子もいました。

また、大人でも、患者さんの自殺に遭遇したことがあるし、あらゆる人から見放され、自暴自棄になって、死ぬほど飲み食いした挙げ句、孤独死した人も少なくありません。

「自殺なんて一度たりと考えたことがない」という人にはピンとこないかもしれませんが、この世には、「生きて存在すること」にまったく意味を見出せず、苦しみぬいた挙げ句に、プツンと糸が切れたように死んでしまう人がたくさんいます。

それは「弱いから」でもなく、「自堕落だから」でもない。

生きていることが、苦しいから。

言い換えれば、誰にも愛されず、必要ともされず、一番身近な人間からも見放されて、心の拠り所を無くしてしまった人間の、『ついに力尽きた姿』なのです。

かといって、「死にたい」と口にする人が、右手にロープ、左手にカミソリを持って、今すぐ本気で死ぬつもりで言っているか――といえば、必ずしもそうではありません。

「死にたい」という言葉は、一つの表現句。

つもりつもった苦しみや、行き場のない思いを「死にたい」という言葉に託して語っているケースが大半ではないかと思います。

人が「死にたい」という時、それは「死ぬほどの苦しみを分かって下さい」というSOSであると同時に、明日を生き抜く力を求めている瞬間でもあるのです。

だから、子供に限らず、大人でも、誰かが「死にたい」と言ってきたら、

「そうか」

と、まずは受けとめてあげて下さい。

驚かないで下さい。

逃げないで下さい。

茶化さないで下さい。

「死の願望」は「生きたい」という気持ちでもあります。

人がそれを口にする時、「死ぬ方法」ではなく、「明日を生きぬく力」を探しているのだということを、まずは理解してあげて下さい。

次に、その人が勇気をもって打ち明たことを褒めてあげて下さい。

「打ち明けてくれて、ありがとう。とても勇気がいったでしょう」

「よく言葉にして言ってくれた。本当にありがとう」

なぜかと言えば、それを人に告白するのは、大変勇気がいるからです。

ネットの掲示板のように、どこの誰かも分からない匿名で告白するのと違い、現実の人間関係においてそれを口にするには、打ち明ける方も多大なリスクを覚悟しなければなりません。

もしかしたら、嗤われ、軽蔑されるかもしれない。

親友だと思っていた相手に、冷たく突き放されるかもしれない。

その為に、今以上に絶望的な気持ちになるかもしれないのです。

にもかかわらず、あなたという人を選んで、打ち明けてくれた。

その勇気にまずはエールを送ってあげて欲しいと思います。

それは、その人にまだまだ「問題を解決する能力がある」という証だからです。

今、死ぬほど苦しんでいるにもかかわらず、死にたい気持ちをカミングアウトできたその強さにこそ、周りは希望をもつべきだと思います。

それから後は、ひたすら聞き役に徹すること。

間違っても、説教しないこと。

たとえば・・



※「命を粗末にしたらダメだ。がんばって生きないと」

命を粗末にしたのは、本人ではありません。

その人を粗末に扱ってきた人間がいるから、本人も粗末に思い込むのです。

がんばって生きられるのなら、誰も「死にたい」などと思いません。

がんばり続けて、今にも力尽きそうだから「死にたい」と思うのです。



※「この世には生きたくても生きられない人がいっぱいいるんだぞ」

「肉体の死」も「心の死」も重さは同じだと思います。

死ぬほど苦しんでいる人は、心がすでに死にかかっています。

「心で生きたくても生きられない人」にも苦しみを叫ぶ権利はあります。



※「みんな辛くても、頑張って生きているのに。甘えるんじゃない」

努力するには、ある程度、心の健やかさが必要です。

上記の言葉は、40度の高熱を出している人に、「お前もこの山道を登れ、みんな努力して歩いているじゃないか」と言っているのも同じです。

「死にたい」人の心は、高熱で死にかかっている病人と同じです。

まずは、熱を下げて、健康な状態に戻すのが先決です。

確かに、相手の話を聞いていると、「相手にも非があるのではないか」と思うようなことがあるかもしれません。

そういう時、

「その考え方はおかしいんじゃない。もっと気持ちを明るく持たないと」

なんて、説教したくなることもあるでしょう。

でも、それは言ったらダメなんだと思います。

私も、20代の頃、患者さんにそういう説教したことがありました。

慢性の病気になり、奥さんも、友人も、みんな彼から離れて行って、それまでは「お金で人に言うことを聞かせる」ような生活だったのが、生活保護を受けるまでになってしまった人です。

その患者さんは、治療開始から半年ぐらいで、自暴自棄になって、孤独死されました。

あの患者さんに必要だったのは、「頑張れ」「自助努力」などという正論ではなく「愛され感」だったのに、私はついつい厳しい態度を取ってしまったことがあったんですね。

一所懸命に療養指導しているのに、のらりくらりとして、全然やる気が見えないのに、ついイラッときてしまった……というのが理由です。

何かのきっかけで、自己評価がマイナスまで下がって、「オレなんか、いつ死んでもかまへんのや!」と言い放つ人に、「生きていても、いいかも」と思ってもらえるようになるまで、やはり何ヶ月、何年とかかりますし、小手先の情けや親切心で救えるものでもないです。

それを一ヶ月ぐらいの関わりで変えようとした私は、やっぱりバカだった、と。

今でも、苦い思い出の一つです。

その上で言うのですが、人が「死にたい」と口にする時、相手は「死にたい気持ち」も含めて、ありのままの自分を受けとめて欲しいと願っています。

「受けとめる」ということは、

責めない。

裁かない。

変えようとしない。

たとえ、相手の間違った思い込みが見えても、今はそれを口にすべきではないのです。

相手が「死にたい」と打ち明けた時は、問題解決へのまさに第一歩を踏み出したところですから、周りが解決を急ぐと、かえって仕損じるのです。

そして、一番重要なのは、相手に後悔させないこと。

「打ち明けてよかった」と実感してもらうことです。

なぜなら、そこから、自分への信頼回復、そして他人への信頼回復が始まるからです。

皆さんも、誰かに打ち明け話(愚痴、悪口も含めて)をした後、

「やっぱ、言わなきゃよかった」

と後悔したことないですか。

相手に打ち明けたこと、その事自体が、逆に心の重荷になって、後で苦しくなってしまうリバウンド現象です。

でも、相手からフォローがあったり、いつもと変わらない態度で接してもらうことで、

「ああ、言ってよかった、心が軽くなった」

と実感するのではないでしょうか。

死ぬほど思い詰めている人は、もともと、人に悩み苦しみを打ち明けるのが苦手という要素を持っています。

それだけに、打ち明けられた人間の態度の如何によって、それは死への引き金にもなってしまうのです。

でも、人に悩み苦しみを打ち明けることのメリットを実感してもらえたら、それは大きな自信につながります。

つまり、

死ぬほど苦しもうと、欠点だらけであろうと、自分は愛されるに値する人間だということ。

たとえ、人に弱み苦しみを見せても、嫌われたり、見放されたりするわけではないということ。

これが実感できれば、相手は自分を肯定し、自己の尊厳と信頼回復への大きな一歩を踏み出すのです。

とはいえ、聞いた方が、「死なないで」とストレートに言うと、相手には重すぎることもありますから、

「○○ちゃんが居なくなったら、淋しいよ」

「元気になったら、また一緒にカラオケに行こうよ」

「今、何か見たいビデオとかない? あの連ドラの最終回、見損なったって言ってたでしょ。レンタルして、とりあえず見てみない?」

そんな風に、「相手が生きて存在する」ということが、あなたにとってどれほど大切で、素敵な体験かということを伝えてあげたらいいと思います。

わけも分からず「死ぬな、死ぬな」と連呼するより、「あなたに居て欲しい」という気持ちの方が、相手にはよほど救いになると思います。

そして最後は、

「また死にたくなったら、いつでも話してね」

と言ってあげて下さい。

相手が全力を懸けて打ち明けたからには、自分も全力を出して応える、それが筋だと思います。

「2回も3回も聞かされるのはイヤだわ」
「こんな人、つきあいきれないわ」

それが見えたら、意味が無くなってしまいますから。

そう言えば、数年前、自殺防止の公共広告で、

「『死ぬな』と言うより、『好き』と言って欲しい」

というコピーがあったそうですね。(他人様のブログで読んだのですが)

私は、この言葉がすべてを物語っているように思います。

やはりね、『愛』なんですよ。

使い古された言葉ですけど、その一言に尽きます。

そして、この『好き』を、一番身近に、一番確かに伝えられるのは、やはり『親』ではないでしょうか。


お腹を痛めてこの世に産み落とした子供が、「生きていたくないから」と自ら命を断ってしまう――。

オギャアと産まれた時は、あんなに「可愛い、可愛い」してもらった子供が、「私なんか生きていてもしかたない」と死を思い詰める――。

その意味を、当事者であっても無くても、深く考える必要があると思います。

そして、そのことを、ぜひ子供さんと話し合って下さい。

いつか、皆さんのお子さんも、「死にたい」という人に出会うかもしれない。

その時、その人を救えるのは、「自殺」に対する正しい認識のある人なのです。

自分の身近な人、知っている人に自殺された思い出は一生残ります。

そして、もう一度、その人と関わりたい、あの場面をやり直したいと思っても、その機会は永久に来ないのです。

こちらの記事をぜひ読んでみて下さい。

加藤諦三のホームページ 「人を育てる」より


『子供が死んで行くときに「死ぬほど苦しい」と親に言えない親であった』
http://www.kato-lab.net/education/edu19.html

☆★  ★☆

上記の記事は、あくまで私の経験に基づいた「覚え書き」です。

自殺願望が、重度の鬱や精神疾患に起因する場合。

その判断が、素人には難しい場合。

必ず専門家の指示を仰いで下さい。

また、相手に、カウンセリングや治療をすすめる場合は、言葉を選んであげて下
さい。

たとえば、

「心も風邪を引くのよ。風邪を引いたら、お医者さんに行くでしょう。
 心の風邪は、心のお医者さんに看てもらおう」

「お母さん一人で対処するのは、不安なの。お母さんのやり方が間違っていたら
○○ちゃんがもっと悪くなってしまうかもしれないから。

こういうことを専門にして同じような子供をたくさん見ている人に相談に行った
方が、いいアドバイスが聞けるんじゃないかな」

などなど。

やはり、ストレートに「精神科に行け!」みたいなことを言われたら、心にグサ
っときますしね。

現代では、「うつ状態」が、脳内における神経伝達物質の不足によって引き起こされることが判ってきていますし、薬物で諸症状を緩和することも可能です。

でも、傍はもちろん、本人でさえ「怠けだ、甘えすぎだ」と、『心の持ち方』のせいにしていることが多いので、「子供の様子がおかしい」と気付いた時点で、やはり疑ってみた方がいいと思います。

マタニティ・ブルーもそうですよね。

ホルモンの急激な変化によって引き起こされる無気力・情緒不安もあるのに、「頑張らない私は、ダメな母親」と自分で自分を奮い立たせようとして、かえってこじらせてしまう事がありますでしょう。

それも、ホルモン剤や漢方薬の内服などで緩和できるのですが。

子供の「うつ状態」も、「あれ?」と思った時点で、適切な指導や治療を受ければ、立ち直りも早いと思います。

今は、ホームページを持っているクリニックも多いですし、まずはメールや電話で相談してみてはいかがでしょうか。

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以下、自殺に関する小ネタです。

※ 「自殺」に関する正しい認識をもつ ※

最近は、化学物質を使った自殺が相次ぎ、まったく無関係な人まで巻き沿いになるなど、大きな悲劇になっています。

また、それについてセンセーショナルに報道されることもあり、家庭で話題になることも少なくないのではないか、と思います。

でも、その際、子供の前で、

「自殺なんて、心の弱い人間のすることだ」

「無関係な人まで巻き添えにしやがって、バカな奴等め」

というような発言は、慎んだ方がいいと思います。

なぜなら、親のそういう考え方が、子供の救いの道を断ってしまうことがあるからです。

親は「自殺」とはまるで無縁の人生を生きていても、子供はいつ、何時、そういう気持ちになるかわかりません。

いよいよ「死のう」と思い詰める段階になって、親の顔を思い浮かべた時、

「親に言っても、バカにされるだけだ」

と思えば、そこで一つの道が閉ざされてしまいます。

自分の帰る道が無くなってしまうのです。

でも、親の顔を思い浮かべた時、

「お父さんは、『人間、死ぬほど辛い時もある』と言っていた。お父さんなら分かってくれるかもしれない」

と思えば、そこに救いの道が開けます。

親にも言えない死の苦しみを子供一人で背負ってしまったら、そこから立ち直るのは容易ではないです。

その為にも、人の死や苦しみを軽視するような言動は慎み、人間的な懐の深さを見せてあげて欲しいな、と思います。

親の態度としては、

「自殺」という行為を肯定はしない。

でも、その心情は理解する。

どうしたら、死にたいほどの苦しみから立ち直れるのか。

そういう人に対して、何が出来るのか。

そこを話し合われたらいいのではないかと思います。

我が子が不幸を体験しなくても、自殺志願の人に出会う可能性はあります。

周りの誤った態度がさらなる不幸を呼び込まない為にも、自殺に関する正しい認識を持っておくのが、これからの常識ではないかと思います。

※ 親も勉強する ※

子供が産まれた時、「母乳育児のコツ」とか「すこやか離乳食レシピ」とか「1歳から始める躾の本」とか読んで、勉強されたお母さんも多いのではないかと思います。

でも、子供が大きくなってからはどうですか?

「やれやれ、やっと手が離れたワ」

あとは育児書なんか読むこともなく――でしょうか。

私は、やはり、思春期から青年期にかけてが重要な鍵だな~、と思っている方です。

確かに、幼児育児も、人格形成や社会生活の基盤を作る上で大事な時期かもしれませんが、思春期というのは、幼児期までに育んだ人間的能力を基礎に、いよいよ「人生」という応用編に足を踏み出す第一歩でしょう。

幼児期には親の配慮で回避できるトラブルも多いけど、ティーンにもなれば、なかなか。

娘が失恋したって、親は彼氏の代わりになれるわけじゃないし、学業の振るわない息子の為に代理で大学受験できるわけでもない。

「ブス」と言われて傷ついて、新しい顔に取り替えるわけにもいかないし、独りぼっちで淋しい我が子に、生涯の親友を見つけてやれるわけでもない。

そう考えると、親の手の届かない問題の方がはるかに多いわけですから、その時何ができるだろう――と考えると、やはり「サポートの仕方」なんです。

その為には、親も勉強しないといけない。

思春期の心理、対応のポイント、ありがちな問題……などなど。

離乳食を始めるにあたって、

「6ヶ月の赤ちゃんに食べさせてよいもの、悪いもの」

を勉強したように、

「思春期の心と身体に何が起こっているのか」
「思春期の娘に言っていいこと、よくないこと」
「ウツっぽい息子に対する対応の仕方」etc

やはり基礎的なことを知っておくのは大事ではないか、と。

今は、思春期心理の本をはじめ、家族病理、性教育、少年犯罪の現場で活躍する専門家のルポルタージュなど、いろんな本が出回っていますし、関連するブログやホームページもたくさんあります。

たとえば、完全に鬱状態の子供に、「頑張れ、努力しろ」と励まし続けた結果、自殺に追い込んでしまうような『周囲の無知から来る悲劇』を避ける為にも、正しい認識や情報は必要だと思います。

ネットで手軽に・・となれば、以下のサイトがあります。


※ あなたの子どもを加害者にしないために
http://nakaosodansitu.blog21.fc2.com/

家族カウンセラーのブログです。


※ 柔らかい思春期ブルー
http://blogs.yahoo.co.jp/aiaikidsclinic

家族カウンセラーのブログです。

書籍は、河合隼雄さんの本が面白いですね。

私の一押しは、「家族関係を考える」。名著だと思います。

ここにレビューが載っています。


河合隼雄の「家族関係を考える」を読んで。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ishitobi/shinsyo/shinsyo02/kawai2.html

亡くなられたのが本当に残念でなりません。。。

◆━━━【 編集後記 】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

「生まれてきてよかった」

子どもにはそう感じて欲しい。

「お母さん、生きるって楽しいね」

それを知って欲しい。

「生きていてもしかたない」

「私なんか生きている価値もない」

それがどれほど哀しい言葉かと思うとね。

私は、この言葉だけは、絶対に言わせたくない――と思っています。

そうは思っていても、いつ、何時、そういう問題が生じるかわからない。

そういうものだ――とも、一方で思っています。

まあ、先のことは、わからん。

わからんけども、やるだけのことはやってみる。

いろいろ振り返り、立ち止まりしながらの今日この頃です。

§ 関連アイテム

わが子の自殺により身を砕く衝撃と悲嘆に襲われ、絶望の淵に立たされる親たち。逃れられない冷厳な事実と向き合い、残された者としてどう生きるかを模索する真摯な体験記を交えて、自殺の意味と死別の影響を考える。

自分の心の痛みを訴える子どもたちが急増しているのに、近くの大人たちに相談するという声はほとんど聞かれない。子どもの問題に取り組む著者が、大人の欺瞞と子どもの心の弱さから今日の教育問題を解き明かす。

「学校に行きたくない」「食べられない」「死にたい」など、の危機のメッセージ!家族が立ちすくむ現場から、子どもに対する親の態度やことばが呼び起こす“日常の病理”を徹底して解析。親と子がまっすぐに対面することばの論理と、「いま」をひとつひとつ生きることの倫理を語る。

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