『●●被災地への募金、よろしくお願いしまぁ~~~す』

日本でもお馴染みの光景だし、ポーランドでも連日、「復旧作業に必要な資金が足りません。募金をお願いします」という呼びかけがメディアでなされている。

資金難はどこも深刻、特に今度の洪水被害で最も大きなダメージを受けたのは、低所得世帯や老夫婦だけが暮らすシルバー世帯であり、家を修復するための資材一つ買うのも大変な出費である。

農業や地元の観光産業で生計を立てている世帯にとっても死活問題だ。

だからといって、個人が100円、200円寄付したところで焼け石に水、あまりに被害が広範囲なので、末端の人々まで十分な援助が行き渡るとはとても思えない。

そして、問題は「今」でなく、「厳冬」の季節。

暖房に必要な自宅の設備が損壊した家も多いだろう。

冬までに修復しなければ、厳冬期、マイナス20度にもなるポーランドの冬はとても越せない。

働き盛りの主人がいる世帯ならまだしも、老夫婦だけの世帯はどうなるのか。

家をなくす。

人間にとって、これほど辛く、恐ろしいことはない。

30代、40代なら、「また頑張ればいい」と気力で乗り越えられる部分もあるが、70代、80代になって、家もない、収入もない、これまで築き上げたすべての財産を破壊されたら、どんな気持ちになるか。

それも天災、自己責任ではない。

それほど裕福でなくとも、美しい自然と美味しい食べ物に恵まれた穏やかな老後があっただろうに、あまりに酷いと思う。

毎日のように、TV画面の向こうで、ポーランドのバプチャ(おばあちゃん)が泣いている。

私はこの国のバプチャが好きなので(マトリョーシカのように可愛くて優しい、手料理が上手)、バプチャに泣かれると、いてもたってもいられなくなるのだ。

そんな訳で、今の自分に出来ることをいろいろ考えてやってるわけだが、正直、個人が100円、200円、募金したところで、いったいどれほどの力になるのだろうと思うと、無力感ひとしお (´゚ω゚`)

1万円でも、ペンキ買うのがやっと。

ガスや暖房設備を直そうと思えば、ポーランドでもやっぱり3~4万円は要る。

そして、ポーランドの低所得世帯では、その3~4万円が1ヶ月の生活費。

ジャガイモ2キロ、100円。

数万円稼ごうと思ったら、何百キロと売らないといけない。

そんな力は、小さな農家にはない。

先日も教会のボランティアで信者さんが募金する光景が報道されていたが、あの募金箱1つで家庭用の湯沸かしガス装置が一つ買えるかどうかだなぁ、と思ってしまった。

人々の小さな好意も、大きな社会問題の前には風の前の塵のよう。

なぜ人ひとりの力などこうも知れているのだろう、と思うと、「募金なんて、くそっくらえだわ」という気分になってくるのである。

が、しかし。

100円を募金する人が1000人いれば、それは10万円になり、10000人いれば100万円になる。

けっこうすごい金額になるのだ、当たり前の話だが。

一人の人間の100円は世界を変えることはないけれど、10000人の100円は、収入の途絶えた人に食料品を届け、腰の曲がったおじいさん夫婦の家をせめて住めるように修復することができる。

たかが100円、されど100円なのだ。

コーヒー1杯分の手間と関心。

実は、皆が思い描いているよりずっと大きい。

助けられた相手が直接「ありがとう」を言う事はないけれど、世界のどこかで着実に何かを変えているのではないだろうか。

あるいは、自分の中の『何か』──。

YouTube Preview Image

関連する記事