遠い昔に作られた、美しい絵画や音楽に感動した時、その人の手を握りしめて「ありがとう!」を言いたい人は私だけではないはずだ。
現代なら、ファンサイトや出版社、展覧会などを通して、感謝や感動のメッセージを送ることが出来るけど、相手が古代ギリシャや十八世紀の芸術家となると、そうはいかない。
様々な伝記や史跡などを通じて、その人となりに思いを馳せるのが精一杯である。
が。
それだけでは物足りず、「歴史上の有名人の墓めぐりをする人がひそかに増えている」らしい。
読売ONLINEの記事によると、
Aさんが墓めぐりにのめり込んだのは数年前、花見の散策で寄った台東区谷中の墓地で、徳川慶喜の墓を見てからだ。「この下に『最後の将軍』が眠っているのか」。そう考えると気持ちが高ぶった。慶喜に興味がわき、登場する時代小説などを読みあさった。
知識が広がるのが楽しくて、有名人の墓がある都内や神奈川県内などの墓地を訪ねては、その人物を調べた。これまでに墓参した有名人は約500人。「有名人を独り占めできるような気になるんです」
人気を反映して、最近はインターネット上にも、訪ねた墓の感想を書き込むウェブサイトやブログが目に付くようになった。有名人の墓めぐりを趣味にする人たちを指す「墓マイラー」という呼び名も広まった。墓の場所にとどまらず、墓石の種類や墓碑の由来など、有名人の墓のうんちくを並べたガイド本も増え、人気に目を付けた豊島区は、霊園の散策マップの発行を始めた。今月13日には、墓マイラーたちに墓めぐりの魅力を語ってもらうイベントが東京・台場で開かれるという。
墓めぐりの人気の背景について、「生と死」を研究テーマにする国立歴史民俗博物館の新谷尚紀教授は「核家族化が進み、病院で亡くなる人が増え、葬儀も業者任せとなって、死のリアリティーが薄れている。このため、墓を記念碑のようにとらえて有名人に近づくスタンプラリーのような感覚が広がっているのだろう」と指摘する。
いやいや、そういう人はむしろ少数派でしょう。
ただただ、相手に、心からの「ありがとう」を言いたい。
その人がこの世に存在して、その手であの作品を創り上げたことをより身近に感じたい。
それなら、その魂が眠る墓地に赴くのが一番。
それが一番の動機ではないだろうか。
私もお墓ではないけれど、オランダのマウリッツハウス美術館を訪ね、晩年のレンブラントの肖像画を見た時、
「よく来たね」
と、声をかけてもらったような気がした。
そう、まさに、レンブラントと「目が合った」のだ。300年以上も前に亡くなった、一人の画家と──。
パリのロダン美術館を訪れた時、庭園の向こうに、ナポレオンの亡骸が眠るアンヴァリッド寺院の美しい天蓋を見た時も、軍馬にまたがり指揮を執る彼の姿がいまだかつてないほど身近に感じられ、思わずその場に跪きたくなったぐらい。
それは新聞やTVで話題になった観光地を訪れ、ピースサインで記念写真を撮るのとはまったく違う。
一生分の敬意と感謝と愛情を、その瞬間に捧げ尽くすような敬虔な気持ちだ。
その人の手を握りしめ、「ありがとう」が言えない分、その想いはもっと深く果てしない。
救われたものが大きければ大きいほど、その存在は「神」にも近くなる。
そして、その人の墓所を訪れ、「ありがとう」を言うことが叶った時、この世には「生まれてきてよかった、生きててよかった」と心の底から思えるような素晴らしい出来事があるということを心の底から実感できるのだ。
シルバー世代はともかく、日本には毎週教会に出かけて神と語り合ったり、祈りを捧げたりする習慣がないので、なかなか「心と心」で接する機会がないけれど、墓参りというのは、それに代わる魂の体験だと思う。
時を超え、文化や言葉の壁を越えて、ほんの一瞬でも偉大な存在を身近に感じ、感謝に満ちあふれた時、人は、この世に生きて在ることが、想像以上に価値あることだと確信するのではないだろうか。
東京・鎌倉 有名人お墓お散歩ブック―誰もが知っている104人の墓碑完全ガイド
非常に熱心な芸術ファン・カジポン・マルコ・残月さんの著作。
この方のサイトもものすごい迫力で、情報量と熱の入り方に圧倒されます。
カジポンさんのおすすめなら、本当に「おすすめ」です(笑)
アートなガイドブックとしても楽しめますよ。
完全ガイド有名人の墓巡礼 (扶桑社ムック SPA!ドキュメント)
こちらは手軽に持って歩ける文庫本。
ちょっとした散歩の共におすすめですね。
ツイート世界の偉人あの人の最期―アレクサンドロスから、ダイアナまで75人の知られざる晩年の姿と死に方…。 (別冊歴史読本 30)
死を見つめることで生き様が見える。興味深い歴史ムック本。
Comments
一寸言い訳をすれば・・・私はめったにコメントは残さない。
面白かったら『ありがとう』の意味を込めてポチっとボタンを押すくらい。
ここに来ていちいちコメントを残している。
「どっか体の調子でも悪いのかな?」
と自分を疑ってかかるほど用心深く出来ている。
この世に存在する大多数の『表現芸術』は、顔も見えない不特定多数を相手に商売をしている。売り手のみならず、買い手にもそれが当てはまる。
プログという形態もより強い傾向でこの範疇に該当し、書き手・読み手は白紙の状態で作品に対峙し、また批評に晒されることになる。
今回でこのブログの面白さの秘密を少しだけ理解出来た気がした。
「子宮の率直」「Raison d’etre des Uterus」
女も歳を取り人生経験を積んでいく。
だが、男のそれとは何処か違う。
思考の根っこを辿れば子宮から全て派生している。
この世の思想・哲学は誤解を恐れず言うならば、「男脳の賜物」に埋め尽くされている。(著名な女性の哲学者や思想家を御存じか?)
女性によるあらゆる芸術表現も、これを土台に批評、評価を受ける事になる。
日本文学に例を拾うなら、紫式部・清少納言・与謝野晶子・樋口一葉等の偉大な作家達も「男脳の賜物」の埒から逃れる事は出来ない。
これを「女性差別だ」と叫んだりはしない。積み上げられてきた人類の叡智を蹂躙する勇気は無い。
だが私の「男脳の賜物」が叫ぶ。
「少なくとも、或る一定の割合でフィルターが掛っている事は認めねばならぬ。」
何故、そんな譲歩が必要なのか?このままで良いじゃないか?
何故なら・・生きているうちに、「解放され大暴れする子宮」なるのを拝んでおきたいではないか。
女性は一生を通じて「変容」しますからねえ。。
たとえば、男性が父親になる衝撃度と、女性が母親になる衝撃度では、精神面のみならず、社会的にも変化を求められるじゃないですか。育休したり、キャリアを断念したり。
その中で絶えず価値観や生き方の調整を求められ(ほとんど強制的に)、周りと折り合いをつけることでしか立ち位置を確保できない、
そういう不安定な中で生きてるもんですから、男性のような物の考え方はできませんし、同じになろうとも思わない。
その違いを肯定的にとらえるか、競争するか、卑下するか、そこで女性の在り方も分かれます。
costinさんにとってこのブログが面白いのは、多分、私が、男性語に翻訳しないで書いているからですよ(笑)
日本語で書かれた外国語ブログなのでしょう、きっと。。。