子育てコラム

「親」というより「監察者」

2008年5月21日

先週、息子の幼稚園(3歳児クラス)で保護者参観がありました。

午後3時から1時間ほど、クラスの様子を見せて頂いたのですが、自分の子供がどの程度デキるのか、よその子と比べてどうなのか……というのは、やはり気になるところです。

うちは、マルチリンガル家庭ということもあり、やはり「言葉の遅れ」が気になりますし、ハーフということで、イジメやからかいの対象になっていないか……といったことも気がかりです。
 (↑ こっちにはそんな意地悪な子はおらんのですが・・親バカですね)

また、息子は、自分の遊びに没頭すると、それに集中してしまい、周りが声を掛けても気が付かないところがあり、先生の言う事を聞いているのか、クラスのみんなと「共同作業」が出来るのか、等々、あれもこれも気になり、参観の機会があると、どうしても『監察者』の目で見てしまいます。

他のお母さん方が、ニコニコ笑っておられる時でも、なんか、「うちの子だけは問題があるんじゃないか」とか思って、じい~~~っと見てしまうんですよね。

まるで「ヘビ」のようだ・・と自分でも分かっているんですけど、やはり「よそ様とは違うものを持っている」(言葉の事など)と思うと、うちの子だけが大きく逸脱するのが不安で、問題の芽があるなら今のうちに――なんて考えてしまうんですね(´ヘ`;)

「言葉の遅れ」と「自分の世界に没頭してしまう」ことに関しては、幼稚園の先生から、

「まだ3歳なのですから、焦らないで下さい」

というお言葉を頂いていて、プロの先生が「これぐらいなら大丈夫」と判断しておられるのなら、それにお任せしようという気持ちなのですが、まあ、それでも「親」というのはアホゥなもので、顕微鏡並に問題を拡大して見てしまうんですよね(笑)

傍から見れば、ゴマ粒程度の出来事なのでしょうけど。

それにしても、「『親』より『監察者』」というのはよく言ったもので、自分でも気付かないうちに、子供の出来・不出来を監察するだけのオブザーバーになってしまっているな、と思うことがあります。

  →「観察」じゃなくて、「監察」ですよ。この違いは大きい・・
  

最近も、幼稚園教諭の方が書かれた記事に、

「監察者になっている親は、学芸会に来ても、運動会に来ても、母親らしい笑顔がない。目だけが、子供を監視するようにベッタリと張り付いて、子供もその視線を意識するせいか、普段は上手にできる歌も、演技も、ゴチゴチに緊張して、失敗することがある。

そして子供が失敗すると、母親の表情がみるみる不機嫌になるのが分かる。

母親が監察者になってしまっている子供にとって、保護者参観や学芸会は針のムシロのようだ」

といった一文がありました。

確かに、「子供がちゃんと出来ているか、どうか」を監察している時、その目はギロリと光って、厳しいだろうと思います。

「あらあら、上手に歌えるようになったのねぇ」

と、子供の成長を喜んでいる親の顔は、たいがいほころんでいますけど。

参観日の後、先生が私を呼び止められて、

「3歳なんて、まだまだ小さいですよ。神経質にならないで下さいね」

と仰ったのも、笑顔よりは、監察者の目が光っていたからかもしれません。

  → 深く反省しました (_ _;)

「母親」というのは、日常のことを一手に引き受けているせいもあって、どうしても「近視眼」になりがちです。

傍から見たら何でもないことを「虫眼鏡」で拡大し、自分の中で大騒ぎしてしまう。

今日1日の失敗が、永遠に続く不始末に思えたり、隣の子供なら全く気にならないことが、自分の子供に関してはものすごく気になってしまったり……。

そういう時は、傍からどれだけ「大丈夫よ」と言われても、そうとは思えないのです。

なんか、「自分の子供だけがどこか傷んでるんじゃないか」という気がして、結果を急いでしまうのです。

私の場合は、息子のトイレ・トレーニングがそうでした。

完全にオムツが取れる前の一ヶ月ぐらいが、イライラMAXでした。

それまで「オシッコ」だけはちゃんとトイレで出来ていたのに、遊びに熱中するうちに漏らすことが多くなり、

「せっかくここまで進んだのに、どーして後戻りするの?!」

と、カッカしてました。

でも、今から考えたら、ほんの一ヶ月ぐらいの後退劇だったんですね。

アメリカの義姉さん宅に滞在して、環境が変わってしまったのが大きな理由だったと思います。

自宅に帰ってから、ある日突然、ほんとに突然、ウンチもオシッコも100%トイレで出来るようになり、

「え? これだけのこと?」

で終わってしまいました。

イライラしていた自分がバカみたいに思えました。

でも、イライラMAXの時は、そういう「近視眼」に気が付かないんですね。

今日一日の失敗が、永遠に続くように思われたり、なんでもないお漏らしが、「うちの子だけ特別にデキが悪い」と思えたり。

私も、今でこそ、他人さまのトイレ・トレの悩みを掲示板などで読むと、

「そんなん全然大丈夫やのに~。まだ2歳やん」

と、微笑ましく感じますけど、渦中のお母さんはまさに「必死」で、永遠に抜けないトンネルに投げ込まれたような気分なのでしょう。

お母さんの気質や置かれた状況(姑にちくちく嫌味を言われるとか)にもよると思いますが、あまりに子供に近く寄りすぎるがために、あるいは「標準」や「結果」にこだわるあまり、顕微鏡並の近視眼になってしまうことは、やはり避けなければならないと感じます。

自分もしんどいし、子供はそれ以上に負担でしょうから。

「一所懸命やってるつもり」が、「強迫」にならないよう、本当に気を付けたい
ものです。

「人生80年」。

子供の人生も長いです。

親子で過ごす時間も、50年以上はあるでしょう。

そのうちの、最初の何年か。

もう二度と戻り来ない月日を、「監察者」や「教育者」として過ごしてしまうの
は、やはり淋しく感じます。

子供の参観日だって永遠にあるわけではないですしね。

その希少な機会を、「ちゃんと出来ているか、どうか」というチェックだけで終わっていいのか、改めて自分に問わずにいません。

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