「好きなことをして生きる」は正解か?

最近、「子供にどんな人生を歩んで欲しいですか」といったアンケートを採ると多くの親御さんが、

『好きなことをして生きて欲しい』

と答えるそうですね。

私も教育系のサイトで見たことがありますが、「自分の好きなことをやって、自由に生きる」のが一番幸せな生き方だと考えられているのかな――という印象を受けます。

確かにそうかもしれません。

自分の「やりたいこと」「好きなこと」が分かっている人間は強いです。

人生の基軸がぶれないから生き方に迷うことがないし、他人の価値観に惑わされることもありません。

苦難にみまわれても、それが支えとなって乗り越えて行けるし、基本的に「それさえ出来れば幸せ」なので、どこでどんな暮らしをしようが、それで満足です。

「生きたい、生きていたい! 演劇がある限り……!!」

という、『ガラスの仮面』の北島マヤちゃんみたいなものですね。

ある意味、自分のやりたい事がはっきりした時点で、その人の人生は90パーセント成功だと言えるのではないでしょうか。

(それから先の人生が無駄になりませんからネ)

しかしながら、中にはそうした可能性の芽を親が摘み取ってしまう――という話もありますね。

それは、「死ぬほど好き」という気持ちも一つの立派な才能であるということを周りが理解していないからだと思います。


「絵が上手い」のと「絵を描くのが死ぬほど好き」というのは似て非なるものでどちらが本物の才能かと問われれば、私は間違いなく後者を選びます。

最初は下手でも、「死ぬほど好き」という気持ちがあれば、技術は必ず後から付いてくるからです。

そして、何年、何十年かかっても、それだけが永遠に人間を向上させます。

「たまたま描いたら上手かった」というのは、才能とは呼ばないのです。

ちょっと話が飛びますけど、私は一時期、絵画教室に通ったことがありました。

そこで先生が「同じ教室で学んだ生徒の絵」として、一枚の素晴らしいデッサン画を見せて下さったことがあったのです。

それはもう、どこの美大生が描いたのかと思うぐらい完璧なデッサン画でした。

その時、先生がおっしゃいました。

「この人は、このレベルに達するまでに、1万枚のデッサンを描きました」

その言葉を聞いて、「あたしには絵の才能はないな」と痛感しました。

なぜなら、面白くも何ともない、彫像の頭部のデッサンを1万枚も描くほどの情熱はなかったからです。

その「1万枚」を苦しいとも、つらいとも思わず、毎日黙々とこなしてしまう「好きな気持ち」、これこそが才能です。

そういう情熱をもった人だけが美術の世界に道を切り開き、自分の好きなことを貫いて生きていくことができるのです。

それを理解せず、「得意なんだからもっと伸びるはずだ」と親の方が一方的に入れ込んだり、「そんなことして何になるの」「下手なくせに、何を夢みたいなこと言ってるの」と嘲笑したりするから、子供も自己無価値感に苦しんだり、自分を押し殺しても親の期待に応えようとするのだと思います。

「好き」と「上手」は道が違っていて、「死ぬほど好き」という気持ちだけが一生の財産になるのですよ。

「上手」を支えに生きると、他のもっと凄いヤツに出会った時、下手すれば潰れてしまいますからね。

それほどの心の財産を、なるべく若いうちに見つけて欲しい、それを支えに充実した人生を生きて欲しいというのは、親ならば誰しもが願うことですよね。

しかし――。

この「好きなこと」も、方向性を誤れば、人生を狂わせる「野心のシロモノ」と化します。

「好きで始めたこと」も、やはり世間を知るにつれ、

「もっと人に認められたい」
「あの人より偉くなりたい」

という欲望に変わっていくからです。

たとえば、「お洒落が好き」で、美容師の仕事に就いたとしましょう。

最初は、お客さんの髪をセットしたり、カットしたり、お洒落な仕事で楽しいなと思っていても、そのうち「もっと指名をとりたい」とか「彼女より認められたい」とか、いろんな野心が湧いてきます。

あるいは、自分はこんなに頑張って技術もあるのに、彼女より地位が低いのは解せないとか、店長と考えが合わないとか、そういう悩みも出てくるでしょう。

そうなると、「好きで始めたこと」もだんだん苦痛になるし、自分の存在意義も見出せなくなってしまいます。

好きなことが不幸の種になってしまうのです。

この泥沼から抜けだして、「私は私、今のポジションで精一杯がんばろう」と思えるようになる秘訣は一つしかありません。

それは、「人の役に立つ」ということ。

自分の満足の為ではなく、「自分の好きなことを通して人の役に立つ」を目的とすることです。

「コンテストに優勝する」「支店長になる」といった目標は潰えたり、見失ったりすることがありますが、「人を喜ばせ、幸せにする」という目的に限りはありません。

そして、それだけが唯一、真に生きた実感として自分に跳ね返ってくるのではないでしょうか。

たとえば、ピアニストのフジ子・ヘミングさんの演奏に心動かされる人はたくさんいるでしょう。

「私の演奏を通じて、苦しんでいる人、悲しんでいる人を励ましたい」

そうした温かい気持ちがピアノを通じて響いてくるから、多くの人が涙するのだと思います。

「私ってこんなにピアノが上手いのよ」
「エライでしょう、凄いでしょう」

ということを見せびらかす為に弾いているわけではないですよね。

『経営の神様』と呼ばれ、日本経済の発展に大いに貢献された松下幸之助さんやHONDAの創始者、本田宗一郎さんもそうです。

「億単位儲けて、美味しい思いがしたい」から事業に打ち込んだのではなく、「我が社の製品を通じて、国民の皆さまの生活を明るく、便利なものにしたい」という理念があったから、世界を圧倒するような製品を世に送り出し、社員もそれに付いていったのだと思います。

この世界で「一流」と呼ばれる人に共通して言えるのは、「好きなこと」が自己満足に終わらず、「神に与えられた才能は、人々の幸福のために使いたい」と、気持ちが常に外側=人間や社会に向かっていることです。

「好きなことをして、自分が楽しければそれでいい」という考え方は、どんなに才能があってもいつか行き詰まるし、高く評価されても常に誰かと自分を見比べて、真に満足することが出来ません。

そうではなく、「自分の好きなことを通して、人の役に立つ」という気持ちがあれば、たとえその世界で頂点に立てなくても、衰えて落ち目になっても、一人でも喜んでくれる人がある限り、それが力となって邁進できるし、他人の評価とはかけ離れたところで、自分の好きなことに打ち込むことができるのです。

ですから、「自分の好きなことをして生きなさい」というのは、一見、正解なように見えて、肝心なことを抜かしています。

それを言うなら、「自分の好きなことを通して、人の役に立てればいいね」。

それを教えてはじめて、子供は「自分自身の価値」を見出し、生きる悦びを実感するのではないでしょうか。

「好きなことが見つからない」「何をしていいか分からない」という子供にも、「人の役に立つことをしてみたら」と教えればいいと思います。

事務、販売、製造、流通、清掃、どんな仕事に就こうとも、

「私の仕事を通じて、職場の効率を高め、皆さんにも気持ち良く仕事をしてもらいたい」とか

「このスーパーに来る人が、『ああ、得した』と思って下さるようなサービスをしたい」とか、

いっぱいあるでしょう。

気持ちがそこに向かっていく限り、給料が安いから自分はダメだ、とか、誰にも評価されないこんな仕事はやっても無意味だ、なんて気持ちにはならないと思います。

これほど簡単な「幸せのハウツー」もありませんから、「何をどう教えたらいいのか分からない」という方は、ぜひ試してみて下さいね。

*

「好きなことをして生きる」については、もう一つ紹介したい言葉があります。

「祇園の名妓」と言われた岩崎峰子さんの著書で、『祇園の教訓―昇る人、昇りきらずに終わる人』という本の一節です。

この本は、祇園の御茶屋でのお客様とのエピソードを中心に、岩崎さんの人生哲学や処世術などが簡潔な文章で著され、世界十数カ国で翻訳されているベストセラーです。

この本の「はじめに」の中で、岩崎さんはこう書いておられます。

私は元来怠け者なので、自分の好きなことをしていると何時間でも何年間でもズルズルとそれに集中してしまい、何にもなれず「周囲のことなどどうでもよい」と思うようになっていたでしょう。

また、自分のことだけを考えるような人間になっていたと思います。

自分の好きなことをして生きる。

それも人生かもしれませんが、私には、そうすることが自分の人生にとってよい結果が出るとは思えませんでした。

深い言葉です。

これもぜひ、子供さんと一緒に考えて頂けたらな、と思います。

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