「嫌われる」は「愛される」 個性とは著しい反応なり 1月 11日, 2010年 by 阿月 まり
1980年代、アイドル全盛期の話である。
若い女性を対象にアンケートをとったら、「好きな女性タレント」に1位も松田聖子なら、「嫌いな女性タレント」の1位も松田聖子だった。
この結果に、聖子サイドは慌てるどころか、ほくそ笑んだという。
松田聖子はそれだけ存在感がある、という証だからだ。
実際、松田聖子ほど、バブル世代の女性に影響を与えたタレントもないと思う。
「恋も、仕事も、ガッツで手に入れる! 欲しいものを『欲しい』と言って、何が悪いの?!」という生き方を身をもって宣言したのが聖子だった。
それまで、山口百恵のように、
「愛する男性に嫁ぎます。これからは一人の妻、一人の母として、家族に尽くして生きていきます」
というのが女性の模範像のように思われていたので、聖子のように、恋も仕事も真正面から取りに行く大胆かつポジティブな生き方は、ある人にとっては鮮烈だったが、一方では嫌悪を掻き立てた。
当時の女性誌も、「あなたは百恵的生き方? それとも聖子的生き方?」という特集を組むぐらい、聖子の芸能人として生き方は、世の女性のみならず、男性までも立ち止まらせずにいないような、強烈なインパクトを放っていたのである。
しかし『個性』というのは、そういうものなのだ。
それは「百恵ちゃんが個性的でない」という意味ではない。
百恵ちゃんも、「昔ながらの女性の幸せを体現した良妻賢母」というキャラクターにおいては、一つの個性を生きたタレントに違いない。
そして、聖子の場合は、「嫌いな女性タレント1位」という、芸能人にとっては命取りのようなアンケート結果さえ逆手にとって、自分を売り込むだけのエネルギーと図太さがあった。
いわば、「個性」というのは「万人受けする美点」ではなく、人が反応せずにいない「強烈な一面」を差すのだ。
言い換えれば、「人に嫌われる」という要素は、「愛されること」と表裏一体と言える。
もちろん、生活がだらしないとか、ウソをつくとか、思いやりがない、とか、誰もが嫌がるような欠点をそのまま放置して「これが個性だから」と開き直っているのは愛の対象になりにくいが、「うっとうしいほど几帳面」とか「やたらガンダムに詳しい」とか「すぐ感動して泣く」とか、どうにも変えようのない性質というのは、ある人にとっては非常に理解しやすいからだ。
何かで激しく嫌われたら、別のところで深く愛されるチャンスがあると思えばいい。
一人に否定されたからといって、項垂れる必要は決してない。
人に限らず、モノでも、何でもそう。
「否定」の背中に、「チャンス有り」である。
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