Notes of Life

その延命装置、誰が切る?

2015年6月24日

Pさんという末期癌の男性患者が入院されました。

最初は起きてご飯が食べられるほど体力もありましたが、あちこちに転移して、もはや完全回復は見込めない状態。

入院から一ヶ月ほどで重度の悪液質に陥り、私が受け持った時には危篤……というより、いつ心臓が止まってもおかしくない状態でした。

家族はみな腹を決めて、今にも息絶えそうなお父ちゃんに必死に声かけ、身体をさすり、「生き返って」というよりは、「早く楽になって」という気持ち。

目の前で大好きなお父ちゃんがまな板の魚みたいにパクパクして、生きているというよりは、脊髄反射で顎が動いてるだけの状態など、見るに堪えないですよ。

それでも、死ぬに死ねない。

Pさんの身体には、昇圧剤、強心剤、いろいろ薬が繋がってるから。

それを一斉に止めたらどうなるか。言わずとしれたことです。

私もいろいろ疑問に感じながら、変な言い方ですけど、「見て見ぬ振り」で通そうかなと思ったんですよ。
下手にドクターに進言すれば、こっちがドヤされるし、下手したら家族がヒステリックに騒ぎ出す最悪の事態になりますからね。

でも、正午過ぎ、Pさんの奥さんがパンパンに張れた手をさすりながら、「はよぅ、逝き、もう無理せんと、はよ逝きなはれ」と涙ながらに声かけされているのを見て、(あ、もう限界だな)と思って。

ドクターに言ったんですよ。「強心剤やら昇圧剤やら、止めましょ」。

当然、訝られましたよ。「簡単に言うな」と。

「でも、先生、家族の様子を見て下さいよ。あれが一日でも二日でも薬で持たせて欲しいという姿でしょうか。このまま無理に心臓を動かしても、本人も家族も辛いだけや思いますけど」と反論。

ドクターもしばらく考えてたけども、突然、私を指差し、

「あんたが言うから、切るんやぞ!」

ほぅ、そうきたか。

「それで構いません。私のせいで構わないです」

と売り言葉に買い言葉。

で、一緒に病室に行って、ドクターから説明してもらいました。

このまま心臓や血圧の薬を続けても、健康な状態に戻ることはない。いたずらに苦痛を長引かせるだけですから、薬を止めようと思うのですが、どうしましょうか。

一瞬、家族も沈黙。

そりゃ、こんな事、二つ返事でYES!!なんて言えないですよ。

それでもね、奥さんが沈痛な面持ちで「……分かりました。お願いします」と仰って、私、輸液ポンプを切る係。

やっぱ間接的に生命の終わりに手を貸すわけですから、嬉しいわけがないですよ。

で、薬を止めてから、十分ぐらいか、自然に心電図がフラットになって、下顎だけパクパクする動きも完全に止まりました。

その間も家族が手足をさすって「お父ちゃん、はよぅ逝き」「はよぅ楽になり」と祈るような大合唱。

ようやく心臓が止まった時には「あ~、よう頑張ったな。お父ちゃん、偉いでぇ」と、皆さん涙ながらに安堵されて。

私も、進退を懸けるほどのものでもないけれど、ドクターに強く進言して良かったな、とは思いました。

やっぱ「先生」といっても一人の人間ですから、真面目なドクターほど慎重だし、人知れず懊悩を抱えていたりします。

医療行為においては、やはり最後の意思決定者は主治医ですし、それが生死に直結する判断であれば、尚のこと重責になる。

そんな時でも、プリティナースがちょっと後押しすれば腹を決め、自信を持って前に進むことができますので、こういう時こそ医龍チーム・ドラゴンの気持ちで協力すればいいですよ。

医療現場で最後まで悔いになるのは、失敗よりも、見て見ぬ振りです。

*

その見て見ぬ振りの集大成が、いわゆる「高齢者の延命治療」です。

その治療が「日常生活に復帰」や「家族の心の支え(どんな姿になっても生きていて欲しい)」に繋がるものなら、どんどん積極的に最新の技術を取り入れ、個々の願いを叶えてあげればいいと思うけども、正直、家族も疲れ切り(どっちが病人か分からん)、医者も看護婦も「なんだかなー」と疑念を抱きつつ、日常のルーチンとして淡々とこなしている。

そういうの、バブルの時代は通じたかもしれないけど、今後の財務情勢を鑑みれば、見て見ぬ振りは大火事の元だと思うんですよ。突き詰めれば、自分たちの給与にも跳ね返ってくることじゃないですか。

私も、「完全に認知力ゼロ(自分が誰かも分からない)」の患者さん何十人に、一回数万円の高額治療を全額公費で賄うという現場におりましたけども、真面目に働いているサラリーマンが知ったら発狂しそうな話もいっぱいあって、そういうのは決して表沙汰にならない。前に逮捕されたタイガーみたいなのがあちこちで幅を利かせているのもあるし、人権保護の観点からタブー視されている点も往々にしてある。

自分の進退をかけてまで、猫の首に鈴を付けるマネはしたくない・・というのが、誰しもの思いですよ。

実際、冷や飯を食わされて解雇された人もありますし。

「我が病院の方針に従えないなら、止めてもらって構わない」という、どこの世界にもあるアレです。

でも、それでは社会そのものが立ちゆかないところまで来ている。

これら全て、80年代から90年代にかけて医療現場に携った者の責任ですよ。

学会で、講演会で、おっちゃんビジネス誌で、あれほど医療改革が叫ばれてきたにも関わらず、抜本的な事は何一つ行わず、この道何十年のベテラン看護婦の意見には耳も貸さず、医療コンサルタントの言いなりで、薬害エイズ事件であれほど医療=製薬会社=官庁の密事が糾弾されたにも関わらず、まだやってんのかノルバティス、ですからね。

何も学ばないし、本当の病巣になってる部分は何も変えようとしない。

私も、もっと派手に喧嘩したらよかったな、と、今でも後悔しています。

国を救うことはできなくても、「あと一人、救いたかった」の気持ちでね。

*

今は、当時警告されていた事が実際に形になって表れていますから、若い医療スタッフでも決断しやすいと思います。

インターネットで他の病院や諸外国の医療事情も勉強できるでしょうし。

その中で「おかしい」と感じたことはエクスキューズする勇気を持って欲しいと思う。

日本は延命に関する明確なガイドラインもなければ、何かの時に医療側を守る法整備もない、数十年前から必要! 必要! と叫ぶだけで、抜本的な事は何もやらない、そしてこれからも、国も、誰も、やらないと思います。

だからこそ、個々の現場で、問題を見極める力と、患者・家族と話し合う力量を持って欲しい。

忙しくて誰もそんなこと、やりたくないかもしれないけど、もしかしたら、家族は医療者がそれを切り出すのを待っているかもしれない。

医師だって、誰かが同調して、支えになってくれるのを待ってるかもしれない。

婦長も先輩諸姉も、心の底では「おかしい」と思っているかもしれない。

思い切ってエクスキューズしてみたら、案外、双方にとって納得できる形で終わらせられるかもしれません。

*

確かに人の死はデリケートなものだし、失敗であれ、納得であれ、死なせた患者のことはいつまでも心に残ります。

人間というのは心臓が打ち続ける限り尊く、誰にもその延命装置を切る権利は無いのかもしれません。

然しながら、医療というのは、突き詰めれば「個々の生き方」の問題であって、国が絶対正解を示すものでもなければ、何事もお手本通りにすれば救われるというものでもない。

一番重要なのは、『患者と家族が納得できるか、どうか』ですし、それは個々の現場に携る者にしか理解できないことです。

時に、それはウルトラ級に面倒で、医学部長に睨まれる事になるかもしれないけれど、見て見ぬ振りよりはエクスキューズする方が、より多くを救う可能性があると、私は思ってます。

医療の意思表示

上記の問題について「日本でも法整備を」と言われながら数十年。前進もせず、後進もせず、きっと今後、数十年も、「どうしましょう、こうしましょう」で過ぎて行くと思います。

そして、何かあっても、法律も誰も守ってはくれないし、裁判はただ事実のみで裁くだけですから、もし「家族に余計な負担をかけたくない」と思うなら、早めにどんな形でも意思表示して、できれば文書にして留め置かれることをおすすめします。

「俺が寝たきりになったら、余計な延命処置はしないで欲しい」ということを、いつも妻には話していました……だけでは確たる証拠にならない。

便箋に一筆でいいから、形に残して、あらかじめ家族に渡しておくとか、重病と分かった時点で主治医に意思表示しておかれると、何かの時には混乱せずに済むかもしれません。

下手すれば、手を貸した者が殺人罪に問われますからね。(家族であっても)

どんな立場の人であっても、いよいよとなれば、法律や常識など何の救いにもなりません。

もし、自分の死、自分の人生、そして家族の将来を思うなら、「自分の意思」と「家族の意向」を、きっちり形に残されることをおすすめします。

そのフォーマットを法的に整えることも、いい加減、やりましょうよ。

個人が生存中に自由意思で延命処置の有無を決定することができて、なおかつ、それを法的に認める、というものです。

でないと、自分の最後も自分で決められない、どこに個人の尊厳があるのか分からないような状況が、ずーーーーーーっと続きます。

確かに悪用する人間もいるかもしれない。

でも、それ以上に、余計な延命で苦しむ人がごまんといる(家族も含めて)。

ある意味、人が正しい思考力と判断力を持っている間に、「自分の死」というものを真剣に考え、決断する機会を持つことで覚ることもあるはずです。(私は現住国の医療レベルを見て「倒れた日が命日」と腹を括ったクチです)

最後は自分が誰かも分からない、でも薬と栄養剤で心臓だけは動いて、腰も踵も褥瘡で生きながらに腐って、両手は危険防止の為に何時間もベッド柵にくくりつけて、これが「患者さまに優しい看護」とは到底思えないのです。

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