Notes of Life

カルミナ・ブラーナ ~『運命』とは~

2000年12月15日

『Fortuna Imperatrix Mundi』は、「全宇宙を支配する運命の女神」。    

オルフ作曲の世俗カンタータ、『カルミナ・ブラーナ』というクラシックの名曲に登場する主題で、私が常々、意識している世界最強の存在でもあります。    

この楽曲は、ヴェルディのレクイエム『怒りの日』と並んで、アクション映画の宣伝用BGMに使われることが多いから、誰でも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。    

どうして私が『Fortuna Imperatrix Mundi』にこだわるかと言うと、この世で『運命』ほど恐ろしいものはないから。大きな運命の波に翻弄されたことが無い人には分かりにくいかもしれませんが、運命の輪は誰の上にも等しく廻っています。    

運命の輪は、人によって大きかったり小さかったり様々ですが、個々の歯車は、また別の歯車と咬み合い、相互に影響しながら、一つの大きな流れを形成しているんですよ。    

言い換えれば、一つの輪が回り始めれば、他の輪も否応なしに回り始める──そしてある時点に来た時、初めて、二つの運が出会い、ぶつかり合い、一つの現象をこの世にもたらすのです。    

人の出会いにしたって、偶然というものは少ないですよね。    

私も「思いがけない出会い」というのを幾つか体験しましたけど、振り返ってみれば、お互い、知らないうちに自分の運命の輪を回し、相手の運命の輪を巻き込んでいる。    

そして、時機が来れば、まるで見えない糸に導かれたように出会うのです。それも必要な時に、必要な場所でね。    

よく「出会いがない」と嘆く人がありますが、自分から運命の輪を回さなければ、大きな出会いもありません。部屋の隅っこでじっとうずくまっていても、出会いどころか、人生すら回りはしません。    

どんな小さな事でもいい。自ら仕掛けることです。そうすれば、小波が大波を呼ぶように、いずれ大きな波動になって、すごく大きな出会いや出来事を呼び寄せるんですよ。    

人間、生きていれば、幸も不幸もいろんな事が起きますが、自分の運の流れを確実に読んで行動すれば、大きな失敗をすることもないし、必要な時に必要なチャンスを掴むこともできます。    

「運が悪い」のは、運が傾きかけた時に、落ちまいとしてジタバタするから、判断ミスをしたり、弱みにつけ込まれたりして、かえって悪いものをたくさん呼び寄せるんですよ。    

「そろそろ落ちてきたな」と感じたら、落ちるがままに身を任せることです。そうすれば、また自然に上向きになって、かすり傷程度で不運な時期を乗り切れるものです。    

ところで、人間には、その器量や宿命によって、様々な運命の輪が存在するわけですが、輪が大きければ大きいほど、得るものも多いが失うものも多いんですよね。    

あまりに華美な栄光を極めると、奈落もまた深くなる。そこそこに幸せな方が、大きな不幸を舐めずにすんで楽なんですよ、本当は。    

たとえるなら、死ぬほど惚れた最愛の人と結ばれ、最高の幸せを味わうと、別れの苦しみは地獄の底より深い。    

そこそこに好きな相手と、そこそこに幸せな結びつきをした方が、別れの悲しみも少なくて済む、という感じです。    

出会った人とは、いつか別れなければならないのですから。    

で、今回、どうして『Fortuna Imperatrix Mundi』について書いたかというと、ペルーのフジモリ大統領が今度は追われる身になったから。    

もう皆さんの記憶の中からは薄れているかもしれませんが、数年前、ペルーの日本人大使館が襲撃される大事件がありました。セルパをリーダーとするゲリラ組織が、パーティーで賑わう日本大使館に武力でもって制圧し、青木大使らを人質に取って、同胞の釈放などを要求した悲惨な事件です。    

この時、TVや新聞は、毎日のように、ゲリラの監視下に置かれた日本大使館の様子や、セルパと政府の交渉の過程を詳細に伝えていましたが、「なぜ日本大使館が狙われたか」という根本的な問題についてはほとんど触れませんでした。    

もちろん、卑劣な暴力に訴えるゲリラの行為は断じて許してはならないけれど、数ある大使館の中で、日本大使館が狙われたのには、それなりの理由があるからのはず。    

「日本大使館は特別警備が甘い」「日本人は大嫌い」「日本政府なら要求を呑みそうだ」etc    

そんなチャチな理由で狙うわけがない。    

どこかの自己肥大妄想型の思い付き犯罪ならともかく、それなりの思想や主張をもったゲリラが、命を懸けて日本大使館を狙ったからには、『日本に対して何か言いたいことがあったから』なんですよ。    

ところが、その「何か」には蓋をしたまま、あくまで事件の解決のみを求める。私も、ペルーの事情には疎かったけど、時の大統領フジモリ氏が、日本政府から多額の援助を受け、日系ペルー人の圧倒的な支持の上に立っていた事も、それ故に、一部のペルー人が失業や貧困に追いやられ、極端な貧富の差に苦しんでいた事ぐらいは察しました。    

だからこそ、「なぜ日本大使館が狙われたのか」、その理由にこそ本当の解決があるような気がしたのですが、残念ながら、その事実にはずっと蓋がなされたままでした。    

その理由を直視し、問題の根本に迫るような発言や分析をした人は、本当に一握りだったように思います。    

ゲリラが全員銃殺され、ペルー政府が勝利に酔っていた時、フジモリ大統領はバスの中から英雄のように手を振っていました。その時、フジモリ大統領の支持率は、80パーセントを超えていました。    

だけど、その時、私は思ったの。「この人も、いつか国を追われる日が来る」って。政治的、思想的にどうこうではなく、運命的にね。    

どんな栄光も権力も長続きはしない。それはもう平家の時代から真実として語られていること。    

彼が、一個人としての栄光を望むなら、武力でもって訴えたゲリラの警告を、自身の力や正義を誇示するのではなく、自身を戒める機会にすべきだったような気がします。(政治家としての哲学はまた別)ペルーに帰れば、命の保証は無いということで、今は曾野綾子さんが一人の人間として援助しておられますけれど。    

こうした人の姿を見るにつけ、人間というのは、いかなる状況においても賢く自身を戒め、よくよく慎重であらねばならないと思います。そして、絶頂にある時にこそ、奈落に落ちる日を覚悟して、準備を怠らず、心を鍛えておかねばならないのだと。    

そしてまた思うのは、日本というのは、よくよく平和でおめでたい国だということ。銃殺されたゲリラの少女も、日本に生まれていれば、今頃、髪を染め、お洒落なドレスに身を包み、素敵なボーイフレンドと恋の一つも楽しめたでしょう。    

リーダーのセルパも、ペルーの貧しい家に生まれなければ、今頃、カニ鍋でもつつきながら、一家団欒、平和な暮らしを享受していたと思いますよ。    

人間は、自分に与えられた恵みには目もくれず、不幸の数ばかり数えて、不平不満に浸っているもの。ジングル・ベルで浮かれ騒いでいる人の陰で、明日食べる物もなく、飢えと寒さに苦しんでいる人がいる──それが世界の実像と思えば、何事にも「足るを知る」心の余裕が生まれてくるのではないでしょうか。    

もっとも、『廻る、廻る、運命の輪』で、今、ファースト・フードを食い散らかしている若い子が、いつ飢えに苦しむ日が来るかは、誰にも分かりませんけどね。    

最後に、私の好きな『Fortuna Imperatrix Mundi』の詩を紹介しておきます。    

※ 詳しくは関連記事をどうぞ
オルフ作曲『カルミナ・ブラーナ』 / Fortuna Imperatrix Mundi -おお運命の女神よ

   

おお 運命の女神よ    

まるで月とそっくりに    

いつも姿態が変わりやすく    

しょっちゅう大きくなってみたり    

あるいは小さくなったりする    

まったくのろわしいこの人生は    

意地悪な目つきをすると思えば    

今度はまた愛想よくして見せる    

ふざけた気持ちで    

時には窮乏を 時には権力を    

氷のように掻き消してみせる    

恐ろしく 非常に    

しかも何の実もない(空しい)運よ    

お前は ぐるぐる回る車輪みたいに    

怪しいからん悪性そのものだ    

その安心とて あてにできず    

すぐに潰え去ってしまう    

今はすっかり影に隠れ暗い姿で    

私のところへも掛かってくるのだ    

それでもう お前の非道な戯れのため    

私はいまや    

背中を蔽う衣さえ失くなってしまった     

心身の安全さと徳性との運も    

今は私を見捨て去った    

しょっちゅう    

それは情欲と不足との    

隷従に陥ってしまう    

さらば    

この時に当たり    

一刻の猶予も無く    

脈打つ心にお触りなさい    

時運によって    

強い者までとり挫いだ    

それを私と一緒に    

皆さんも嘆いてください!    

運命の女神の(与えた)痛手を    

涙のこぼれる眼もて 私は嘆く    

またもや私に背いて    

冷たい仕打ちに出ることを    

まったく本で読んだのは本当だった    

運命の女神の額には髪があるけれど    

大抵はそれに続く機会というのは    

禿だということ    

運命の女神の玉座に    

私は得意になって座っていた    

栄華のいろとりどりな    

花の冠を頭につけて    

すなわち以前     

幸せよく栄えていただけ    

今はまったく落ちぶれ果てて    

栄光も奪われ去った    

運命の女神の車の輪は    

めぐって行く    

卑しめられて    

私のほうが降って行けば    

他の人が高いところへ    

引き上げられる     

あまりにも有頂天になって    

頂上の座に王として座する者こそ    

堕落に心するがいい    

なぜとなら    

車輪の下にはヘクバの名が読めるのだ     

(滅亡したトロアの女王の名)     

『カルミナ・ブラーナ』 オルフ作曲    

訳詞 呉 茂一    

初稿: 00/12/15    

§ カルミナ・ブラーナ


この冒頭部は何度聞いてもいいですね。

CDも名盤ぞろいですが、私はオイゲン・ヨッフム先生の持ってました。雑誌「音楽の友」が推薦してたので・・

ミサ曲「怒りの日」ばかりを集めたCD。今は廃盤になっていますが、うちの妹が毎日のように聞いてました。
最後の「ソレーム修道院の鐘の音」が一番怖いらしい。

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