Notes of Life

仕事 自己実現としての仕事

2000年11月8日

母親が働く姿を間近で見てきたせいか、子供の頃の私の最大の関心事は、「自分は大きくなったら、どんな仕事をするか」という事だった。

店を閉めてからソロバンを弾く母親の姿を見ながら、生活するための仕事=jobと、生き甲斐としての仕事=workは違うと、幼いなりに理解した私は、『どうしたら一生食いっぱぐれない方法を身に付けることが出来るか』『どうしたら自分の力を最大限に生かすことが出来るか』という事ばかり考えていた。
そして、高校生になり、“自分”という人間に対する興味が最高潮に達した時には、自分に対するこだわり故に、必然的に、他と道を違える結果になったのだった。

担任には、

「お前はもっと真剣に人生を生きようという気がないのか。将来のことを真面目に考えようとは思わないのか。やる気がないなら、教室から出て行け」
なんて怒鳴られることもあったけれど、私に言わせれば、将来のことを誰よりも真剣に考えているからこそ、皆と同じように出来ないのだった。私には、自分のやっていること──たとえば受験勉強とか──に何の疑いもなく取り組める同級生の方がよっぽど不思議に見えたのだ。

「学校は、私が本当に知りたいことは、何も教えてくれない」

教師が黒板に書き付ける数式や単語や年表を見ながら、そんなことばかり考えていた。

「私が知りたいのはそんな事じゃない。私が知りたいのは、未来にどんな選択肢があり、自分の理想を実現するにはどんな方法を取れば良いかという事だ」

担任にそう訴えて、

「そんなことは大学に行ってから考えればいい。今はとにかく受験勉強に専念することだ」

と一蹴にされたこともあった。

その頃の日記にはこんな文句が繰り返されている。

「自分を変える『何か』

自分だからこそ出来る『何か』

自分が自分である為の『何か』

『何か、何か!』──それが何かは分からないけれど、

何かが欲しくてたまらない。

そんな『何か』が手に入ったら、

今すぐにもその一点に流れ出せるのに!!」

私は、自分が自分であることに、強烈に餓えていた。

誰の人生にも『自分探し』の時代があるとするなら、あの17歳の一年間──今度こそ皆の進路が個々に分かれる、人生最初の分岐点を前にしたあの一年こそが、私にとってはそうだった。

その時期、得るべきものが何も得られず、誰からも教えられず、もやもやとした中でただ激情だけが渦巻く苦しさ、もどかしさを私も知っている。

だからこそ、何かをキッカケに心が壊れ、人間としての道を踏み外して行く少年少女の脆さが分からなくもないのだ。

ただ私の日常には優れた本があり、古今東西の文人が人間としての生き方を常に示してくれたから、決定的な破滅に至らなかっただけで。

あの頃から、時代の流れも価値観も大きく変わり、高校生のライフスタイルもずいぶん様変わりしたけど、『自分に餓えている』という点では、今も昔も変わらないような気がする。

本質的に求めているものは同じ──というか、彼らだって知りたいし、誰かに教えて欲しいのだ。この先、どう生きていったらいいのか、自分に何が出来るのか……等々。

確かに選択肢は広がり、価値観も多様化したけど、その分、迷いのある大人ばかりが増えて、子供が自分の人生をつかみ取る環境は貧しくなる一方という気がしてならない。

我が家には、絶対的な価値観である父親がいて、それ故に、相対的な価値観をもつワタシが生まれた。『憎らしいほど頑固』というのは、ある意味、明瞭な道であり、選択する方も「行くか、行かないか」という単純な二者択一になるため、案外迷わずに済むものだ。

もし目の前で導くものが、「右でもない、左でもない、ああ、私はどうすれば良いのでしょう」とぐらぐらしていたら、後に続く者はもっと迷うだろう。

誰にも何も言ってもらえない、今の子達は気の毒と思う。

たとえ自分に相反するものでも、無いよりは有る方がよほど糧になる。

先に見つめる物が無いというのは、明かり無しで夜道を歩くのと同じ事だから。

少し話がそれたが──

人は誰でも自分の持っている力を生かしたいと望んでいるし、やはり社会の中で認められ、役立ってこその人間だとも思う。

なんと言っても、人間は人間であると同時に社会的存在なのだから。

仕事について考えるのに「早過ぎる」という事はないし、学校の勉強も「仕事」という明確な目的があってはじめて充実するものだろう。

私は親の働く姿を間近に見ることで、多くのものを得た。

近頃は、会社で一生懸命働いているダンナ、もしくはお父さんを、「くさい、きたない、くだらない」と社会全体で馬鹿にし、毎日満員電車に揺られて、こつこつ働くことを「ださい、つまらない」と軽視する風潮があるが、そういう事を平気で口にする人たちの方が、壊れた教室でクタクタになっている教師よりよっぽどタチが悪いような気がするのだが、いかがだろうか。

※ 「壊れた教室でクタクタになっている教師」って、何を意図して書いたのか、自分でも思い出せない。
いい表現じゃないね、これは。
アーカイブだから、そのまま残してます。ごめんなさい。

隣の町内に、近所でも有名な三兄弟が住んでいる。いずれも才気煥発、特に長男の出来の良さは赫々たるものだ。

彼はまた大変なオタクで、『機動戦士ガンダム』や『宇宙戦艦ヤマト』といったSFアニメはもちろん、ビッグコミック系の劇画から『りぼん』『マーガレット』のような少女漫画まで精通していた。

とりわけ彼の心を引き付けたのは、『銀河鉄道999』『キャプテン・ハーロック』などでお馴染みの漫画家、松本零士の描く世界で、まだコンピューターというものがどこかSFチックだった時代、彼は「もう二十年もすれば、誰もがTVのようにコンピューターを扱う時代が到来する。俺は世界一のコンピューターを開発してみせる」と宣言し、中学を卒業すると同時に迷わず電子工学の世界に飛び込んでいったのである。

その進学先というのが、県下でも有名な問題校で、校舎のガラス窓が叩き割られるのは日常茶飯事、生徒は所かまわず煙草をふかし、シンナーを吸い、校庭には改造バイクが走り回るという、とんでもない工業高校だった。

この選択には、担任はもちろん、クラスメート、町内近所、彼の行く末を興味津々見つめていた教育ママらが腰を抜かした。

「いくらなんでも**工業高校という選択はないだろう。あんな学校に進学したら、就職はおろか、大学だって受かりやしない。真面目に勉強してたって、F工業高校の生徒というだけで不良に見られる」

と噂し合ったが、本人はどこ吹く風、

「県下で、電子工学科のある高校は、F工業高校だけだから」

と全く取り合わなかった。また彼の母親も、

「本人が好きで行くのだから、いいじゃないか」

と、あっけらかんとしたものだった。

周囲の心配をよそに、F工業高校の電子工学科に進学した彼は、めきめきと頭角を現し、専門家をして「この子はただ者ではない。高校を卒業したら、是非うちの会社に来て欲しい」と嘱望されるほどだった。

やがて彼は国立大学に進学し、望み通り、電子機器産業でトップクラスのメーカーに就職した。そこでも彼の才能は燦然とし、今では、二十年後に全国の家庭に普及するであろう次世代メディア・プレイヤーの開発に取り組んでいる。(→それ以上は、企業秘密だと・・)

もし彼が、見栄や体裁からF工業高校に進学せず、実より名を取っていたら、今の彼は無かっただろう。

彼の凄い所は、その才能ではなく、自分の夢や興味や信条を貫く為なら、どんなものにも迷わず飛び込んで行く意志の強さと揚々たる気概だ。

さすがハーロックに憧れ、シャアのように生きたいと願った男だけある。

今も筋金入りのオタクとして某大手漫画専門店に入り浸っている彼は、大好きな松本零士の漫画に囲まれながら、次世代の担い手として技術開発の最先端で頑張っている。

二十年後、三十年後、彼の開発した電子機器は、アルカディア号のように宇宙に飛び立つんだろうな。

初稿: 00/12/01

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