Notes of Life

高橋尚子さんの努力

2000年11月7日

シドニー・オリンピックのヒロイン、高橋尚子さんと小出監督がうちの会社にお見えになった時、小出監督がおっしゃったこと。

『高橋が世界一になったのは、もちろん素質もあるが、世界一、努力したからだ』

ありきたりの言葉だが、この「ありきたり」が、人間なかなか実行できるものではない。毎日10円ずつ貯金するよりは、宝くじでドカンと一攫千金当てる方がラクだし、目に見えない成果をコツコツ積み上げるよりは、何か大きな事をして賞賛される方が気持ちいいからだ。

時間はただ流れ去る。人間はいくらでも怠惰になれるし、ぼやぼやしていたら、人生なんてあっという間に終わってしまうだろう。

努力は、時間への挑戦だ。限られた時間をどれだけ有効に使い、自分の能力を高めてゆくか──ただ流されるだけの日常に抗い、どれだけ理想に近づいてゆくか──

時間の酷さと恐ろしさを知るほどに、人は何かをせずにいられなくなる。老年期に入ってようやく、やれ生き甲斐探しだ、自分史づくりだ、友情だ、読書だ、ということに真剣になるのは、死が身近に迫らないことには、限りある時間の貴重さが分からないからだろう。

松本零士のセリフじゃないが、『時間は決して夢を裏切らない』。決して最後まで諦めず、努力する限り、時間は必ず人に味方してくれるだろう。

非凡な人間とは、ありきたりのことを地道に続けられる人のことをいう。普通の人間には、そのありきたりのことさえ、億劫に感じられるものだ。

私は中学の時、卓球部に所属していた。

それも、基礎練習は手抜きする、先輩には反抗する、ミーティングは心ここに在らず、と卓球部始まって以来(?)の問題児だった。

そんな私の対極にいたのが、オカッパ頭の可愛らしいマキちゃんだ。成績優秀、明朗快活、真面目で人望も厚かったマキちゃんは、全員一致で卓球部の部長に任命され、本当に頭が下がるくらい熱心に部の統率に努めてくれた。

ところが、不思議なことに、何回、何十回、マキちゃんと試合をしても、結果はいつもマキちゃんの敗け。ワンセット取られ、大接戦になっても、最後は申し訳ないくらいサボリ魔の私が勝ってしまうのである。

それでも、性格の良いマキちゃんは、「あんなサボリ魔に負けるなんて!」と、恨み言の一つも言わず、「私はどうしてまりに勝てないのかなあ。まりの強さは、どこにあるんだろう。私の何が悪いのだろう」と、深く考えながら練習に打ち込んでいた。

私はと言えば、元から、運動神経が良いことに胡座をかいて、努力らしい努力など、何一つしなかったのに。

また、私が地区代表で試合に出場した時には、休日をさいてまで私の練習相手を努めてくれた。

私が全国レベルの強豪と対戦することになった時、「どうせ負けると分かってる試合じゃん。練習したって仕方ない」とこぼしたら、「何を言ってるの、贅沢な!私だって喉から手が出るほど試合の出場権が欲しい。私もまりみたいに強かったら、もっともっと練習して、全国レベルを目指すよ」と叱られた。

マキちゃんは、本当に良い友達であり、ライバルだったのだ。

そうして、マキちゃんは、一度も私に勝つことなく中学校を卒業した。

私は普通科高校に、マキちゃんは地元の有名進学校に入学し、道は自然に分かれていった。

ところが、高校一年の終わりの頃、私は卓球部の旧友から驚くようなことを聞かされた。

マキちゃんは高校に入学してからも卓球を続け、全国レベルの大会に出場するまでになっていたのである。

その動機が、

「私は中学の時、どうしてもまりに勝てなかった。その悔しさをこのままにしたくない。私は必ずまりより強くなってみせる」

私は全身が鳥肌立つとともに、「あんたの勝ちだよ、マキちゃん」と、心から敬服せずにいなかった。

確かに、素質やセンスは私の方が上だったかもしれない。が、最終的に上まで行ったのは、努力したマキちゃんの方だった。

「ウサギとカメ」のたとえのように、長い目で見れば、努力する人間が、素質をもった人間をはるかに上回るのだ。

『努力』というと、何か地味で、かったるくて、要領が悪いというイメージがあるが、全てはこの努力なしに成り立たない。努力は、砂に砂を重ねるようなもので、今日明日に結果を出せるようなものではないが、それは確実に能力を育み、人間を変えてゆくのだ。

私は、40数キロなんて距離は歩いたことさえ無いので、それを全力で走り抜くことがいかに大変か、想像だにできないが、他のものが全く入り込む余地もないほど走りに集中した顔を見ると、本当に過酷なのだなと思う。人間、極限に達せば忘我になるし、ふとした心の隙が命取りになるものだから。そんな過酷なレースになぜ挑むのか、と問われれば、やっぱり「走るのが好きだから」と、にっこり笑って答えられるのだろう。日々の努力など、微塵も顔に出さず。

私は、スポーツでも芸術でも仕事でも、最後はメンタルな勝負だと思っている。もちろん基礎的なテクニックやメソッド、ノウハウも大事だが、持っている技量を生かすも殺すも、その人の気の持ち方次第だからだ。
私も、大人になってからやっと分かったのだが、真に戦うべき相手は、自分の弱さや脆さであって、目の前の敵は、それに揺さぶりをかけるに過ぎない。

そして大きな勝ちを手に入れたければ、日頃から小さな勝ちを積み重ねることだ。

本当にちっぽけな事だけど、しんどいのを我慢して、毎日腹筋20回こなす・食べたいのを我慢して、間食を三日に一度に減らす・見たいTVを我慢して、日課をやり遂げる・週末の飲み会をパスして、仕事の資料を完成させる……などなど

「面倒だなあ」「ジャマくさいなあ」「しんどいなあ」と思う事はたくさんあるし、安逸に流されるのは簡単だ。でも、そこを踏ん張れるかどうかで明日は確実に変わってくる。人が挫折感にさいなまれるのは、こうした日常の些細な勝負にいつも負けているからで、「日々のやるべき事」をおろそかにしなければ、人はいつでも達成感を味わえるものだ。

私もスポーツ以外では、変に肩の力が入り過ぎたり、萎縮したり、過敏になったりして、勝てる試合も勝てなくなってしまうことがある。勝負に真剣になるのは大切だが、気の入れ方を間違うと、かえって自分の首を締めてしまい、本領を発揮できなくなるものだ。

いつも気が張り詰めていたマキちゃんがミスを連発し、遊びみたいにケラケラしていた私が面白いようにスマッシュを決めていたのは、決して嫌味ではなく、一つの教訓のように思える。私も時にはマキちゃんのようにガチガチになり過ぎて、失敗することが多々あるからだ。

それでも、私はマキちゃんの叱咤や頑張りを、今も心に大切にしまっているのだ。どこか物事に投げやりになった時、辛さや苦しさから努力を怠りそうになった時、私の知らない所で練習に打ち込み続けたマキちゃんの姿を思うようにしているのである。

なにはともあれ、高橋尚子さん、おめでとう。金メダルを取ってからの方が、もっと大変だったでしょうね。

今なんか、国民のオモチャにされているような気がするけど、あの気の毒な岩崎恭子ちゃんみたいに、周囲の過剰な盛り上がりに潰されることなく、更なる成長を遂げられることを祈っています。

ともかく今は、家族みんなで美味しいものでも食べて、ゆっくり休んでください、と言いたいです。

初稿:00/11/07

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