『悩むウルトラマン』と自分探しの功罪

最近のウルトラマンはよく悩む。
戦う前に、悩み、
戦いの最中に、悩み、
戦いが終わって、なお悩む。

ずっと悩んでいる。

姪にウルトラマン・ショーのパンフレットを読み聞かせていたら、こんな紹介文があった。
『ウルトラマン・セガ
地球を守るために、ウルトラ星からやって来た。
何のために戦うのか、自分を探している』

そして怪獣と戦っているスチール写真の上に、こんなコメントが載っている。
『僕は、怪獣と戦うために地球に来たんじゃない!』

そんなウルトラマン・セガの最悪の敵は、
『*****(名前、忘れた)
一見、良い人そうに見えるが、
言葉巧みに、純粋なウルトラマン・セガの
心を惑わす』

時代が変われば正義も変わるし、悪役も変わるもんだね。『言葉巧みに、純粋なセガの心を惑わす』狡猾な怪獣が、( これは良識ぶったオトナの事か(笑)
今の子供たちの最大の敵なんだから。

昔は、石油コンビナートで火を吐くタッコングが悪いヤツだったのだけど。

そして正義のヒーロー、ウルトラマン・セガは、
「争いはいけない。僕は戦いたくない。
僕は何のために地球にやって来たんだ?
本当の正義って何だ??」
などと悩みつつ、敵と対峙する。

怪獣に荒らされた地球の実情(外界)には目を向けず、ひたすら、自分の存在意義を求め歩いている。
ウルトラマン・シリーズの主題は、いつから『レゾンデートル(存在理由)』になったのだ?

こんなヒーローの影響下に強い子供が育つわけが無い。

そうして、いつまで意味を探し歩くつもりだ、ウルトラマン?
意味さえ見つかれば、敵に勝てる、強くなれる、万事解決すると思っているのか?

人間てのはさ、意味なんか分からなくても、敵の懐に飛び込まねばならない場面がたくさんあるの。
とにもかくにも、生きて行かねばならないものなの。
それにいちいち「意味付け」を求め、他人に太鼓判を押してもらって初めて行動できるような、安全第一(言い換えれば、リスク逃避)の考え方しか出来なくなったら、何の学びもありませんぜ。

そもそも、『自分探し』なんて命題も、他人に与えられるものじゃないでしょう。
自分について無我夢中で考え、生き甲斐や心の充足を求めて試行錯誤する時期を通り抜けた時、「ああ、あれが自分探しだったんだなあ」と後からしみじみ思うものではないの?

それよか、そんなに「自分」が大事かと思う。
既に「我」というものが在りながら、なお「自分」を探さねばならないものなのか?
「自分」って、そんなに大層なものか?
見つけたところで、何の足しになるのか?
そもそも『本当の自分』ってなんなのサ?

ネチネチと「自分探し」なんぞしている暇があるなら、最愛の恋人でも探せ、と思う。
自分に注ぐ意識と愛を他人に注げ、とね。

「自分」にばかり意識を集中するから、やおら自意識が肥大し、自分中心にしか物事を考えられなくなるのじゃないの。

結局は、内向的な自己愛を「自分探し」という言葉でごまかしているような気さえする。
既に在る「我」を通り越して、なお「本当の自分」とやらを見つけようとする欲求の影に、自己肯定できぬ劣等感と、地に足着かぬ薄っぺらい自尊心を感じるのは、私だけだろうか。

ともかく、こんなクヨクヨ悩むウルトラマン・セガが、今の子供のヒーローであることにお寒いものを感じるね。
某氏いわく、
「未だに“自分探し”やってるような連中が制作するから、 そうなるんやろ」

かつて機動戦士ガンダムのコックピットで、やれ戦うのはイヤだ、オレは行きたくない、などとぐずっていたアムロの末裔が、今、ヒーローの作り手となっている。

そして、そのヒーローに感化された子供たちが、肥大化した自我の奴隷となっている。

Photo:http://aux4coinsduglobe.free.fr/phpwebgallery/picture.php?cat=22&image_id=102

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