ココ・シャネル

ココ・シャネルの伝記や映画を見るたび、女性にとっての自立とは何だろうということを考えさせられる。

ブランドの「CHANEL」に関しては、正直、まったく関心がなくて、シャネルのバッグよりはバーキン、シャネル・スーツよりはフワフワ・キラキラの宝塚系ファッションが好きだったので、みんな二言目には「シャネル、シャネル」ってそんなにエエかな、と思ってたくらい。

今頃になって「シャネルもいいなあ」と思い始めたのは、伝記や映画を通して、ココ・シャネルという人に愛情を感じるようになったからだ。

きっかけは、私の大好きなオドレイ・トトゥー主演の映画「ココ・アヴァン・シャネル 特別版 [DVD]」。オードリーが出てるし、テーマとしても面白そうなので、レンタルしたのが初めてだった。

正直、映画としてはイマイチだったけど、華麗な上流婦人のファッションに流されることなく自分らしいスタイルを見出してゆく姿がとても魅力的だったし、白いシャネル・スーツをエレガントに着こなすオードリーを見てはじめて「ああ、シャネル・スーツって、こんなに素敵だったんだ」と開眼したもの。某芸人がシャネルを着ても、「どこの成り上がりの姉ちゃん?」にしか見えなかったからね。

それから山口路子さんの「ココ・シャネルという生き方 (新人物文庫)」、高野てるみさんの「女を磨く ココ・シャネルの言葉」を読み、最近、シャーリ・マクレーン主演の「ココ・シャネル [DVD]」を見て、ますますシャネルという人に感じ入った次第。今ではかなり本気で「いつか機会があれば・・」なんて思ったりする。この体型ではもう無理だろうけど、夢見るだけならタダだからね。

そんなココ・シャネルは、ファッションから人生まで様々な名言を残しているが、一番心に突き刺さったのが『男がほんとうに女に贈り物をしたいと思ったら結婚するものだ』。

ストラヴィンスキーやウェストミンスター侯爵など、様々な一流の男性と恋を楽しみ、熱心に求婚されることもしばしばだったココ・シャネル。

あれほどの美貌と才能、聡明さに恵まれ、「自立した女性」のアイコンでもあるシャネルが、「結婚」についてこんな言葉を残しているのは意外かもしれない。

だが、男爵の囲われ者として宙ぶらりんな数年を過ごし、最愛の男アーサー・カペルは他の女性と結婚してしまう──という体験の持ち主だからこそ、ココは男女関係の本質と女性の立場の弱さを身をもって理解していたのだ。男にとって最大の誠意は何かと問われたら、「結婚」だということも。

「女性の自立」と言えば、「給料も対等」「意見も対等」「家事も対等」etc、すべてにおいて男性と対等であり、男性にまったく依存しないで一人で生きて行けることだと思われがちだが、実際には逆である。

真に自立した女は、男女差や矛盾を理解した上で、男性の存在を楽しみ、またそれを必要とする自分を客観的に眺めることができる。

そこには対等や公平を叫ぶヒステリックな主張はないし、ギリギリした意地もない。

性差や不条理を受け入れた上で、自分のペースで人生を楽しむことができる。

この世に在る限り、男性の影響を受けずに生きて行くことなど不可能なのだし(二人の対義として独りを標榜するなら、それは男性の存在を意識しているのと同じことである)、男性と同じ力を得たからといって、女性ならではの悩み苦しみが消えてなくなるわけでもない。

ならば「男」という対を完全に無視して、独りの砦の中で頑なに生きて行くのではなく、違いや矛盾を調整しながら、同じ河の上を滑る二隻の船のように着かず離れず生きて行けばいい。

その為には、自分で舵を取るためのオールとエンジンが必要だが、男と同じ機能である必要はまったくない。
それが高級であれ、今にも折れそうな細い棹であれ、要は、自分のペースで人生をコントロールできれば上出来なのだ。

言い換えれば、高給取りで、家持ちで、並より上の生活していても、男に人生の舵を奪われ、心の平安を失えば、それは自立とは言えないのである。

シャネルが生涯を通じてテーマとした「自立」に目覚めさせてくれたのは、最初の愛人、エチエンヌ・バルサンとの上流階級の暮らしだった。高級な邸宅に暮らし、名だたる紳士や貴婦人と交流する中で、シャネルは裕福な暮らしを堪能するが、やがて退屈し、男に媚びてよりかかるだけの貴婦人たちの生き方に疑問を持つようになる。

そんなシャネルの心を決定づけたのは、シャーリ・マクレーン主演の映画に登場するこんなエピソード。

ある日、エティエンヌの邸宅に、彼の母親や兄弟が遊びに訪れる。
だが、エティエンヌはシャネルを紹介するどころか、別室に閉じ込め、親兄弟からその存在を隠そうとした。
メイドに聞けば、「あなたは正餐の場に同席させるにふさわしくない女性だから」と。

今までさんざん「愛している」だの「君が一番美しい」だの美味しいことを囁きながら、この扱いは何だろう? 母親に紹介する価値もないとは、どういう意味なのか?

詰め寄るシャネルにエティエンヌは言う。

「『結婚しよう』と約束した覚えはない。僕は君を愛しているし、いつまでもここで一緒に暮らしたい。結婚してるのと、してないのと、何がどう違うというんだ?」

その瞬間、シャネルはついに目を覚まし、エティエンヌの元を去る決心をする。

彼が自分に惹かれているのも本当なら、愛しているのも本当。「君を幸せにしたい、いつまでも一緒に暮らしたい」という気持ちに嘘偽りはないだろう。

だが、この社会において「シャネルが何ものか」と問われれば、愛人以外の何ものでもない。

エティエンヌは、ただ自分の快楽のためにシャネルを側に置いているだけであって、恋心は本物でも、そこに「男としての誠意」はひとかけらもないのだ。

『結婚』といえば真っ先に愛情の問題が思い浮かぶが、その『社会的意味』も計り知れないほど大きい。ある意味、結婚とは、社会的にけじめをつけるためにするものである、ともいえる。そして、それは、時に男性の地位、人生、財産をも左右するほど大きい。もしかしたら、男性にとっては女性よりも「社会的意味」がはるかに大きいかもしれない。

シャネルがどれほどエティエンヌに愛されようと、「(上流階級の)母親に紹介もできない女」である限り、誰もシャネルを対等な存在とはみなさないし、その立場はいつでも切って捨てられる愛玩物にすぎない。

シャネルがエティエンヌとの結婚に求めたのは「愛の保証」ではなく「社会的意味」であり、彼の属する社会に正式に迎えられることだ。それが出来ないということは、彼女の社会的立場、しいては人生に、何の責任ももたない、ということである。

その狡さを見抜いたからこそ、シャネルはエティエンヌから離れ、仕事をもち、名を成して、自立することを決意した。

それは「男と対等に張り合う」というアマゾネス的な決断ではない。

男の気まぐれで明日にも路頭に迷うような媚びと隷属の人生ではなく、自分で舵を取る人生だ。

その為にはお金と仕事がいる。仕事をするからには一流になりたい。女のママゴトとは決して呼ばせない。

今でこそ当たり前だけれど、シャネルの時代には、こうした意気込みこそ革新的だった。

そして、多くの女が、媚びと隷属の人生から抜け出し、自分で舵を取る人生を切り開こうとしていた。

コルセットをやめ、スカートの裾を短くして動きやすくし、両手が自由になるようショルダーバッグにし、いつでも片手で口紅がさせるようリップスティックを発明し……シャネルのファッションは「創造」というより「工夫」である。どうしたら女がより動きやすく、生き生きと暮らせるか、というアイデアの結晶である。美しさはそこから萌え出た華であり、根本にあるのは「意志の表明」だ。それは「綺麗に見られたいから」というお洒落とは一線を画する、「女の宣言」なのである。

そんなシャネルを精神面と経済面の両方から支えたのが英国の有能な若き実業家アーサー・カペルだ。

シャネルの並々ならぬ才能と情熱にすっかり魅せられたカペルは、彼女に出資し、立地条件に恵まれたカンボン通りに「シャネル・モード」という帽子屋をオープンする。

だが、真の自立を目指すシャネルは、カペルの好意に甘んじることなく、数年のうちに全額返済する。

「僕を本当に愛してる?」と尋ねるカペルに対し、

「それは私が独立できたときに答える。あなたの援助が必要でなくなったとき、私があなたを愛しているかどうか、わかると思うから」

「おもちゃを与えたつもりだったのに、自由を与えてしまったね」と苦笑するカペルに、シャネルはついに本物の勝利をつかんだ気分だったろう。

だが、人生も男も皮肉なもので、このカペルもまたイギリスの名門女性と結婚してしまう。私生児という出生の傷をもつこの男は、貴族社会の一員になることでその傷を埋めようとした。またもシャネルは「一族に紹介できない女」として振り分けられることになる。

だからといってカペルの愛が偽物で、誠意の欠片もない男かと言えば決してそうでなく、「それが男」と言ってしまえばそれまで。

男がほんとうに女に贈り物をしたいと思ったら結婚するものだ」というシャネルの言葉も、男への恨み辛みではなく、そうした男の弱さ、しいては社会の現実を理解した上での自戒であり、世の女性への忠告であり、そこには男女関係の本質や女性の立場など、様々な意味が含まれる。

女性がどれほど強く、賢くなっても、超えられない苦しみ──それがこの一言に凝縮されているように思うのだ。

だからこそ、もっと強くなるのだ、男なみの地位や財力を得て、この受け身の苦しみから逃れるのだ……と息巻く人もあるだろう。

恋愛一つとっても、なぜ女ばかりが男からの電話を待ち、デートの誘いを待ち、プロポーズを待ち、家に帰ってくるのを待ち──こんな不利な態勢で関係を維持しなければならないのか、不公平だわと鼻の穴を膨らませる人も少なくないと思う。

しかし、メスがどれほど発情してもオスが勃たないことには営みが成り立たない──自然の性がそういう形になっている以上、受け身になってしまうのは仕方がないし、仮に、メスがオスのように「種をまき散らす性」であったとしたら、年中、妊娠して、大変なことになってしまうだろう。見方を変えれば、メスというのは最高の状態で卵をかえすために、最高の状態でオスが近づいてくるのを待つように
出来ているのかもしれず、一見不利に思える「待ち」の姿勢も、その実、女たちの方で時機を選択しているのだ……と思えば、多少は納得行くのではなかろうか。

この社会は一見理性で構成されているように見えて、本質はトドのハーレムや猿山と変わらない。コミュニティのトップには力のあるボスザルが立ち、優れたオスからメスと交尾して子孫を残す恩恵にあずかれる。弱いオスから優先的に子孫を残せるようになったら種は滅びる。人間社会も根本では同じ構図を描いているに違いなく、美しいが何処の馬の骨とも知れぬシャネルと、魅力的はないが数百年に渡る貴い血筋をもった女が居れば、後者をとるのは男の性なのかもしれない。

だからこそ、そうした打算や社会の慣習を打ち破り、彼の属する社会に迎え入れてくれる本物の男、本物の愛をシャネルは求めた。

そして、一度ならず二度までも、男の弱い脛を見てしまったシャネルだからこそ、他の女達にはこんな屈辱を味わって欲しくない、その為に目を開き、自立する力をつけ、強く美しく生きて欲しいと、女を輝かせるモードを作り続けたのだろう。

シャネルのバッグはお金さえあれば誰でも買えるが、シャネルのスピリッツは一朝一夕に身につくものではない。

本物のエレガンスは、自分で創り出す存在の美しさである。

§ ココ・シャネルの映画

七十歳を超えたシャネルは、スイスからパリに戻り、十五年ぶりのコレクションを開催する。(第二次大戦の最中、政治的な理由もあり、長くフランスからもファッション界を離れていた)
シャネルはことごとく酷評され、ビジネスパートナーからも店の売却を提案されるほどだった。
だがシャネルは「今までそうしてきたように、これからも生き延びてみせる」と過去を回想し、カムバックの決意を新たにする。

名女優であり、シャネル・ブランドの支持者でもあるシャーリー・マクレーン主演の『ココ・シャネル』は、彼女がデザイナーとして世に立つまでの若き日々をフラッシュバックで綴るもの。

シャーリーの重量級の存在感もさることながら、若き日のシャネルを演じたバルボラ・ボブローヴァの瑞々しい美しさも見物。ハリウッド版らしい、シャネルの強靭な意志と情熱が強調される話運びになっている。

伝説の女、ココ・シャネルの真実の物語 ―― なぜ人々はシャネルに心惹かれるのか?孤児として育ちながらも、ファッションでの情熱と燃えるような愛をつらぬき、デザイナーとして頂点に立ったココ・シャネル。彼女の“スタイル”はいまなお、すべての女性の憧れであり、その潔い生き方や言葉は多くの共感を呼んでいる。歴史の中で様々な逸話が語られ、現実と虚構の間で揺れ動く、ココ・シャネル像。彼女の本当の姿を映し出した真実の物語が、ここに誕生した!

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こちらはフランスの人気女優で、シャネル・ブランドのモデルもつとめるオドリー・トトゥの『ココ・アヴァン・シャネル(意味:シャネル以前のココ)』。シャネル・モードを確立するまでの恋と仕事を軽やかに描いている。シャーリー版のような根性節はなく、次々に移り変わるココのファッションを通して、革新的なスピリッツを表現。ファッション好きなら見ているだけで溜め息かも。
その分、シャネルに関する予備知識がないと、何のことか分かりづらい。
シャネル・ファン、オドリー・ファンの為の、映画版「ヴァンサンカン」という感じ。
ラストの「白いシャネル・スーツのオドリー」はエレガンスの極致。

田舎のナイトクラブからパリへ、そして世界へ──コネクションも財産も教育もない孤児院育ちの少女が、世界のシャネルになるまでの物語。

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こちらは前衛的な音楽家ストラヴィンスキーとの恋を縦軸に、二人の天才の生き様と葛藤を綴った秀作。
二つの才能が出会った……といえばそうだけど、家庭人の目から見れば、「あなたを許すことはできない」というストラヴィンスキー妻の台詞が全てを物語っているでしょう。

冒頭の「春の祭典」の映像は素晴らしいです。これだけでも見る価値があるかも。

パリ、1913年。ロシアの天才作曲家イゴール・ストラヴィンスキー(マッツ・ミケルセン)の《春の祭典》の初演は、観客の罵声と怒声で大混乱に陥る。その客席には、ココ・シャネル(アナ・ムグラリス)の姿もあった。7年後。すでに名声を手に入れていたが愛する人を失ったばかりのココと、ロシア革命後パリで亡命生活を送っていたイゴールが出会う。作曲に打ち込めるようにと、ココはイゴールに家族とともに郊外の自分のヴィラに移り住むよう提案する。惹かれ合いたちまち恋に落ちたふたりは、互いを刺激し、心を解放し、それぞれの中に眠っていた新たな創造力を次々と開花させていった。初めての香水創りに魂を注ぐシャネル。《春の祭典》再演にすべてを賭けるストラヴィンスキー。そして、ふたりの関係に気づき苦しむ妻カーチャ。それぞれが選ぶ道は──。

§ シャネルの伝記

シャネルの生い立ち、恋、ファッション、生き様、哲学をトータルにまとめた良作。シャネルの人間像と程よい距離感を保ち、さらりと描いているところに好感。シャネルの場合、彼女を崇め奉るような、あまりに思い入れの強い文章は読みにくいので。
シャネル・モードが支持された時代的な背景も丁寧に説明されているので、ファッションや歴史に予備知識のない人でも楽しめます。

あたしは自分で引いた道をまっすぐに進む。自分が勝手に選んだ道だからこそ、その道の奴隷になる。孤児院から人生をはじめ、自力で莫大な富と名声を手にした世界的ファッションデザイナー、ココ・シャネル。彼女はコレクションのショーの最後をウエディングドレスで飾ったことがなかった。なぜか―。「働く女の先駆者」シャネルのゴージャスな恋愛、仕事への情熱、結婚への想いを、「嫌悪の精神」に富んだ「シャネルの言葉」を織りこみながら、コンパクトかつ濃密に描き出す。シャネルからのメッセージがつまった、熱くてスパイシーな一冊。

ココ・シャネルという生き方 
ココ・シャネルという生き方

シャネルの名言と時代背景を手っ取り早く把握したい方におすすめ。

私の好きな言葉は・・

エレガントでありながら、行儀を悪くする、つまり、くずすには、まず第一に礼儀正しい基礎がなければならない

男というのは、苦労させられた女のことは、忘れないものね

恋も、仕事も、ファッションも、美意識も、「男に媚びない、おもねない、妥協しない」という、かっこいい女の生き方を生涯貫いたシャネル。女の自立を成し遂げた彼女の、先駆者的人生からうまれた60の名言は、現代を生きる女性の心を魅了してやまないばかりか、女を磨く珠玉のアドバイスにもなっています。著者は映画プロデューサーであり、パリ映画代表の高野てるみ。ココ・シャネルのエスプリを知り尽くした女性です。不幸を幸運に変える知恵、女性だからこその「気づき」の力など、ココ・シャネルのもつ魅力を彼女自身どのようにして培ってきたか。映画人・高野てるみならではの視点で描いてゆきます。

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Categories: 女性と人生, 愛と耽美の映画